部落のお盆に関するあらましをお話しましたが、
今回は“その2”と致しまして、「部落のお盆」の
具体的な様子をお話しようと思います。
先ず、お盆の宗教的儀式についてですが、
これは、全く一般地区と変わりないと思いますが、
少し異なっている点を申しますと、
「部落にはお墓がない!」という点です。
いや、正確に言うと・・・
「都市型部落には、お墓が少ない」
といったほうがいいでしょうか。
郊外や田舎の部落では、お墓があるところが殆どですが、
大都市部落では、土地スペースの関係から
お墓が作れないケースが多かったのです。
狭い土地に、庇が重なる程多くの家がひしめき合っていましたので
とても、墓所まで確保することは出来ません。
また、かつては、金銭的な面で、
部落外の土地に墓所を買う事もできませんでした 。
ただ、現在は部落外に墓所を求め、
墓を建てる事も少なくありませんが、
それでも主流は、「墓がない!!」のです。
では、どうしているのか?
それは、納骨堂です。
お寺の納骨堂が墓所の役割を果たしています。
部落では、行政による区画整理が行なわれ、
改良住宅が立ち並びましたが、
部落内で今も昔と変わらないのが「寺」なのです。
私の嫁の部落を例に取りますと、
部落内には寺(=かつては部落寺院・穢多寺と呼ばれ、
宗教界でも差別されてきた)が2つあります。
地域の方は、それぞれ親しみを込めて
「西さん」「お東さん」 と呼んでいます。
西さん・お東さんは、文字通り西本願寺と
東本願寺になるわけですが、
嫁の部落は、比較的大きな部落なので寺院も2つあります。
大抵はどちらか一つでしょうが、殆どの部落には、
寺院は必ずあると思っていいでしょう。
部落の規模にも寄りますが、
部落の寺院は大抵大きくて立派です。
現在、改良住宅が立ち並ぶ部落内に於いては、
すっかり町並みに溶け込んでいる寺院ですが、
建立当時は、不良住宅に囲まれた立派な寺院は、
部落にとってのシンボリックな場所であったに違いありません。
自分たちの家は、困窮の極みにあるわけですが、
それほどまでに立派な寺院を部落内に建てることは、
言い換えれば、部落住民の信仰心たるや、
深く、そして、大きなものであったのです。
宗教に頼らなければならない現世での身上。
そして、輪廻転生の考えが支配していた頃の部落差別。
それぞれの解放を目指して部落民は
一心に信仰いたしました。
さて、墓所がない部落の寺院の中には納骨堂があります。
普段は納骨堂も閉まっているのですが、
盆や正月、彼岸などの時に納骨堂が開放され、
墓をもたない部落住民達が拝礼するのです。
今は、部落外の寺院との檀家関係をもつ家庭もあるでしょうが、
殆どの場合、長きにわたって部落内の寺院と檀家関係を
結んでおられる家庭が多いですね。
なので、中規模の部落であれば、
一つの寺で部落内の家庭を見なければならないので
本当に大変そうです。
嫁の部落でさえ、お寺さんは、当方の希望日通りには
来られないことが多いですね。
と、ここまでは、私の嫁の部落をモデルにした
「都市型部落」の様子でしたが、
郊外型や農村型の部落ではこの限りではありません。
例えば、郊外型の部落であれば、
公営の墓所が付設されている場合が多く、
中には「サンマイ」と呼ばれる火葬施設も
持ち合わせている部落さえあります。
農村型の場合は、割合土地の融通が効き、
金銭的にも余裕があるケースも見られますので、
集合墓地のほか、個人の土地に墓を建てておられる
場合も多く見られます。
まぁ、結論といたしましては、
この様な儀式に関しましては、
地域性も非常に考慮しなければなりませんので
一概に、「こうだ!」と言えないので恐縮ですが、
都市型部落の一つである私の嫁の部落では、
お盆にはこの様な宗教的儀式が行なわれる
ということを知っていただければ幸いです。
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さて、“その2”の宗教儀式はいかがでしたか?
次回“その3”では、部落のお盆の文化的な面を
書いてみようと思います。
どうぞ、ご期待くださいm(_ _)m
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2 件のコメント:
はじめまして。
ずっと忘れていた部落の問題を何故か最近思い出し、色々調べている時にこちらのブログに辿り着きました。
私は過去、同和地区の子たちに意地悪されたり、その子の親がうちに怒鳴り込んできたりというのがあったりでどうしても部落=好きではないという考えがありました。
知らなければ、ただの意地悪な人たちで済んだ問題も祖父母や両親世代の人達から色々聞いていたので、知らずに過ごすことは難しかったんだろうなと思います。
そしてそこへきて、部落差別はしてはいけないという大人たち。
自分が理不尽な理由で意地悪をされても、部落の人たちなら許してあげなきゃいけないという間違った考えでいたので、私の怒りのやり場はなく、差別するということで仕返しをしていたようにも思います。
長年この考えでいました。
ですが、上にも書きましたが最近またこのことを思い出し、やっぱり納得いかない私の怒りについて考えてみました。
私はずっと複雑に考えていましたが、私は私に意地悪をしてきた子たちが嫌いだっただけで、部落どうこうは全く関係ないじゃないか!ということに気付いた時の爽快感といったらなかったです笑
三十路手前でこんな単純なことに気づきました。
出身がどこであろうと私と合わない人はいる。
部落の子だから仕方ないという考えこそ差別の始まりのような気もします。
あの時、親に相談する前に『なんで意地悪するのー!』とケンカしていた方がよかったなと思います笑
長々と一人語りすみません。
誰かに気持ちを打ち明けたかったので、場所をお借りしました。
まだ読んでない記事もあるので、これから読まさせてもらいます。
では。
匿名さん
こんばんは。
匿名さんの「気付き」素晴らしいです!!
と、言いますのも、一生気付かない方も多いからです。
匿名さんは、これから私の稚拙な
ブログを読んでいたでけるということで
大変感謝致しますm(__)m
ブログ中にも何度書かせていただいている通り、
私自身が、かつて匿名さんと同じ状態で、
部落を忌み嫌ってました。
部落のことを何も知らずに先入観で
部落を忌み嫌ってました(*_*)
でも、いろいろな経験や勉強を通して
今では、私も部落の良さを知ることが出来るようになりました(^O^)
匿名さんの仰る通り、
部落・部落外問わず、最終的には
その方々個人なんですよね。
でも、風評や先入観、
特に幼少期の親兄弟や友人などの、
近親者からの影響はとても強いですね。
でも、その方々を責めるとこは出来ないと思います。
なぜなら、その方々も同じように
近親者からの影響を受けておられるのですが、
正しい認識を知るチャンスがなかっただけなのですね。
でも、匿名さんのような方々が
だんだんと増えてこられているのも事実です。
この調子で、いつか、部落問題を始めとする
あらゆる差別がなくなると信じております(^O^)
この度はコメントありがとうございました。
また、コメントお待ちしておりますm(__)m
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