~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2014年12月3日水曜日

被差別部落と川

先日、「川の向こう側」と題した記事を書きましたが、
今日は、“被差別部落と川”について書いてみます。

皆さんの家の近くには、被差別部落がありますか?

大きな部落、小さな部落、都会の部落、農村部落、
同和地区、未指定部落・・・

いろいろな形の部落がありますが、
ある共通点が多いことがお分かりでしょうか?


それは。。。


川の近くに存在する(ことが多い)のです!

ことが多いと書いたのは、もちろん、
全ての部落が川の近くにあるわけではありませんが、
部落と川は、非常に密接な関係があると言えます。


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被差別部落の形成は、まだまだわからないことが多く、
研究者や書物によっても異なりますが、
江戸時代は「穢多」、それ以前は「かわた(=皮多・革田など)」と呼ばれており、
主に、斃牛馬(死んでしまった牛馬)から革を作る製革業が主な仕事でした。

古代より革は非常に大切な軍需産業でした。
馬具・甲冑などの防具・弓弦などに用いられ、
各大名はお抱えのカワタ・穢多を持っており、
参勤交代の際には、穢多集団も連れて行ったと言います。

現在では、鞄や靴、衣料などに用いられ、
非常に貴重で高価な革も、
国内では昔と変わらず、主に被差別部落でなめされています。

 「皮を革」にすることを「なめす」といいますが、
機械化が進み、化学薬品を用いるようになった現在でも
非常に技術を要する仕事ですが、
それ以前は技術に加え、かなりの手間=時間を要したそうです。
(現在、これらの技術を復元し、製革されている方もおられます)

その際に欠かせないのが「川」でした。

あ・・・それと、いい忘れていましたが、
牛馬を解体するのにも水がいるでしょうし、
解体場所も広くて汚れが気にならない
河原がうってつけだったわけです。

さて、なめしの続きです。
動物から剥いだ皮を原皮といいますが、
原皮は剥いだままですから、毛や脂がついていたり、
ともすればナマモノなので腐ってしまう事もあります。

その為、皮剥が終わった皮は直ぐに川に浸けられます。
浸けられた皮はバクテリアの作用で毛穴周りだけを腐らせ、
毛を抜きやすくします。
実際の作業では、引き上げのタイミングが難しいそうです。

以降の作業行程は非常に多岐に渡るため、
ここでは割愛いたしますが、
行程中に刷り込んだ塩を抜くために、
再度、皮を川に浸けたり、
河原で天日干しにする場面があります。

この様に、“川で皮を革にする”のですが、
室町~江戸時代の京の町を屏風に描いた「洛中洛外図」というものがあります。
いくつかの種類(現在、約100種類ほど確認)があるのですが、
その一つに、穢多が河原で皮を干している姿が描かれています。


余談ですが、洛中洛外図は当時の人々の姿も
いきいきと細かく描写されており、公家大名などの姿も見れる反面、
弦召・鉢叩き・乞食など、現在の被差別部落につながる賤民達の
姿も同時に見る事ができます。


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この様に、見てみると部落と川の関係が
よく理解していただけるかと思いますが、
実は、もう一つ押さえておかなければならないのが、
やはり、「差別的に川に住まわされた」と言うことです。

川というのは、普段は小さな流れでも、
ひと度雨が降ると、最も甚大な被害を受ける場所の一つです。
又、川だけでなく、崖下や急坂の上、湿地帯なども同じ理由で、
危険・不便など、人が住めない場所にあえて住まわされたり
、強制的に移転させられたのです。

もう一つ、川という場所は、人が集まる場所でもあったわけです。
再度、京の話になりますが、
京都の街中を流れる鴨川には、
平安~明治初期まで複数の刑場がありました。

夜の鴨川、特に四条大橋~三条大橋間に
カップルが等間隔に並んで座っている光景は、
今やテレビなんかでも有名ですが、
そんな、三条河原にも刑場と、斬首された首を晒す“獄門台”が
あり、通行人たちの見せしめとされていたのです。
被差別部落につながる人々は、この様に、
刑場で刑の執行や死体の処理等にあたりました。

また、河原には「小屋掛け」も多く、多数の観客が
出入りするエンターテイメントの場でもありましたし、
出雲阿国が四条河原で初めて歌舞伎を舞ったのは
とても有名な話です。
現在の被差別部落にはいくつかの系統がありますが、
この様な“芸能・エンターテイメント”も、
被差別部落につながる系統の内の一つです。

人が集まるといえば、
或いは、このような話もあります。
トラックや鉄道などが無かった時代には、
船は大切な輸送手段でした。
川を使い街から街へ荷物を運ぶ。
荷揚げの人夫や大八車や馬力での輸送など、
運輸の役を担ったのも部落の先人たちでした。

最後に、川は地区と地区を隔てる。
つまり、被差別人達を隔離するのに非常に
都合のいい場所であった事も、
誠に残念なことですが、書いておかなければなりません。


これら、種々の要因が地域的かつ、複合的に絡み合い、
部落は川の側に存在し、今に至るわけですが、
これらの生業(なりわい)に携わる人々も、我々の生活に
必要不可欠でありながらも賤視されてきたのでした。


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1 件のコメント:

武蔵中野 さんのコメント...

これからも頑張ってください。応援してます。