~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

はじめに


3 件のコメント:

流れ者 さんのコメント...

こんにちは、部落差別ですが小学校の頃授業でよく学年全員、一年なら一年、二年なら二年が集まって部落差別を無くすと言う事で映画と言うのかそう言うのを見ました。内容は会社で働いている男性が部落出身者と言う内容でした。私も詳しくは知りませんが知っている限りだと
相当複雑に入り組んでいて下手に部外者が首を突っ込んではいけないと言う感じがしています。私は部落出身ではありませんが私の妹が高校を受験する時にそこの高校は部落なので行かない方が良いと言う話がありましたが関係無く行きました、それで当然だと思ってます。個人的な話になりますが子供の頃から何故か元旦の昼間午後3時と言うのは部落の人たちにとって平安な時だと何故か勝手に思っていました。何故だか分かりませんがそう言う感じがしています。こう言った差別を無くすにはやはり社会でこう言った差別は不当でありまたこれは間違った事だと言う認識を持ってこれを無くす方向へと啓蒙する事が必要だろうと思います、何か全体に訳の分からない文になってしまいましたが私はとにかく差別には絶対反対です。

Unknown さんのコメント...

差別化・・・・・と題して その差別が妙に強調されて 
なんとも違和感を覚えたのがかれこれ10年ほど前からか現在私は都心に在住した後
南下したところへと訳ありで移住してます
そのころのお話で社内に頻繁に飛び交う「あ~その件は差別化を計っておいて?」
@@;
「あ! これは!差別化しておいてくれないと・・・・・」
えええええええ??? 差別って言葉 めっちゃつこうとるやないか!!
ナンじゃここら辺に人間は?! と 感じたものです おいおい
差別差別って おまえら?差別しろってか? 幼少は差別断絶と教育を受け
歳行って 突然ww 差別しなさいって?
混乱の渦でした  パニックですわwww
わかってますよwww 用語ですものね  しかし 空前絶後 それは 慣れるのに時間と
心の亀裂はなっかなか修復できなかったです
そして 現在 その差別化と言い放つ事項が就職で現れています 
私のようなよそ者は見下しても平気で有無の連絡さえしてこない会社ばかりです
 人を人として扱えない経済事情も負い重なってか? 
そんな苦悩を抱えています 
話の観点が少しずれましたが 差別化  と 謳う御時世 人に及ぶその差別 という言葉を
平気で使える輩 心が痛みます もちろん お相手にですが (笑)
この差別問題のことを私利私欲の高い人々は言います

差別って今更 何言ってんだ
そうやってなきゃ 助成されなくなるのが怖いからやってるだけで 輪の中にいけば柄は悪いしろくでもないのが多いじゃないか』  って、吹聴されてますものね
しかし それは人を人として人と居れない人の言う言葉であり 
真意も、肩書きと権力で固めた鎧を着重ねた見せ掛けの正義
なにかのマニュアルをコピーではないかと思ってしまいます
差別はやはり よくない行いです 人にばかりではなく 際期は己へと向かって還ってきます
卑屈になり頑なに古来伝統を受け継ぐヒストリーを温和に広めることが唯一の使命だと思ってます

できれば日々の内省 少なくとも週一日は内省し改正していければいいと願ってます

差別はだめ 絶対にだめ とても悲しい行いです

以上 私の能書きを終わります
失礼しました  

流れ者 さんのコメント...

部落で食肉を加工、販売している所が差別を受けるのは仏教の影響だろうと思います、牛は仏尊の乗り物でもありますし、ブッダの名である「ゴータマ・シッダールタ」の「ゴータマ」と言うのが「最上の牛」と言う意味なのでそれを殺して食すと言うのが多分問題なのだと思います。最上の牛と言うのが転訛して最も尊ぶべき人とかそう言った意味になったと言うらしいです、でも皮肉なものでブッダは当時ヒンドゥーの階級による差別から当時の人たちを解放すると言う目的を持っていました、しかし時代が下るにつれて逆に差別の根拠、論拠となってその片棒を担いでしまっているのがやはり問題なのだと思います、神道にも穢れと言う考えがありこれもまた差別と繋がっていますがこれはまた機会を見て改めて投稿したいと思います、何れにせよ差別と言うのは許されません。