~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年11月25日火曜日

「川の向こう側」に頂いたコメントについてのアンサー

いつも、「被差別部落の暮らし」をお読みいただきまして
ありがとうございます。

先日の投稿記事「川の向こう側」如何でしたでしょうか?
沢山の方々にお読みいただきまして、
この場で感謝とお礼を申し上げますm(_ _)m

コメントもたくさんいただきました。
「叱咤激励」という言葉にふさわしく、
当ブログに関するご意見や応援などを頂戴いたしました。
いずれの御方に置かれましても、文面は違えども、
皆様の差別解消に向けての思いが
ひしひしと伝わってくる素晴らしいコメントです。

さて、今回は、その中でも一つ気がかりな事がございまして、
この場を通して、再度、
コメントに対するアンサーをさせていただくことにしました。

事を簡単に説明いたしますと・・・。
「川の向こう側」に対するコメントを“匿名さん”(コメント欄の上から3~4件目)から
頂きましたが、当方の都合で返信ができずに居りました。
そんな中、当ブログにご訪問頂いたお客様(コメント欄の上から5件目)から
コメントを頂いたのですが、お返事の文面から察する所、
どうやら、“匿名さん”はお客様のコメントを、
私の見解としてお受け取りになったようで、
再度、“匿名さん”の見解として、お返事(コメント欄の上から6件目)を頂きました。

過日、私の見解をコメント致しました。
その際には、「運動団体や同和利権」については、
時期尚早(その前に、書いておかなければならない事がまだまだあるため)と
考え、その場では深く見解を述べる事は致しませんでした。
しかし、私の心のなかにも、これは、
非常に大切な問題であると言う考えはございまして、
この度、「川の向こう側」に頂いたコメントについてのアンサーということで、
記事を設けた次第であります。

=========================

今回、匿名さんに頂いたコメントに付いての私の所見を述べる前に、
大前提と致しまして、私のスタンスと、同和施策の現状について
整理をしておかなければなりません。

★【私のスタンス】

このブログを書くに当たり、私が最も大切にしていることは、
「公平性と事実に忠実」と言うことです。

私は、部落解放同盟他、どこの運動団体にも所属しておりません

なので、特定の運動団体のみを美化したり、
逆に敵対視するわけではありません。
「良いことは良い、悪いことは悪い」と、ごく当たり前の事ですが、
私の中のモノサシで判断し、事実を曲げることなく、
かつ主義・主張に囚われることなく自由に書くことが出来ます。

また、昨今、メデイアやHP上には、
部落に関する沢山の記述があります。
例えば、かなり前になりますが、
宝島社から出版された「同和利権の真相」と言う、
部落解放運動のダークな部分を批判する本が出版されました。
対して、部落解放同盟が「同和利権の真相」を批判する
「同和利権の真相の深層」を出版しました。
私は、それらの本が発売されるとすぐに買い求め、
両本とも読みました。

その理由といたしましては、
やはり、「公平性」と言うものを大事にしたいと考えるからです。
どちらか一方の主張だけでなく、それぞれの主張をよく読み、
私のモノサシで判断し、正しい答えを引き出すことが大切だと常々考えています。

次に、このブログでも詳しく書いていますように、
現在は、私も部落出身の妻を持ち、
部落差別解消に向けてこのブログを続けていますが、
幼少~青年期には部落を差別していた“差別者”の一人
であったと言うことです。

それと同時に、私自身、部落を“外と中”から見てきました。
妻と結婚する前に、すでに差別者からの転換を迎えていましたが、
結婚して、部落を「中から」見るようになって、
被差別部落に対する、自身の考えも更に大きな転換を致しました。

以上のような事から、
より公平に物事を見ることが出来るようになりました。

「先入観なく、物事を客観的に見て正しい判断を行う」
簡単に言いますと、これが私のスタンスです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次に、同和施策の現状を報告いたします。
★【同和施策の現状】
水平社創立~戦後、緩やかにかつ、
単発的に細々と行なわれてきた同和施策は、
昭和44年の「同和対策事業特別措置法」の制定を基に、
本格的に改善事業が始まり、ようやく多くの被差別部落で、
憲法第25条が謳っているように、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
“暮らし”ができるようになりました。

「同和対策事業特別措置法」を始めとした
同和関連の法律はその後、三度、名を変え、
最後の「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」
の期限終了を基に、平成14年、
33年間に渡る同和対策事業も完全終了いたしました。

この間、何度も書きますように、
部落解放運動及び、行政による同和施策は、
部落の生活改善に大きな役割を果たしたことは、
紛れも無い事実であります。

その施策が完全終了して12年。
同和地区も、大きな転換を迎えました。
長年「同和地区住民だけのもの」として使用されてきた
隣保館や解放会館を始めとする同和関連施設、
所謂“同和地区のランドマーク”は、今や、その名称を変え、
一般地区住民も自由に使用出来る施設として、
広く開放されております。

また、少子化が叫ばれて久しい割には、
全国各地で、保育園・幼稚園での待機児童問題が浮上しております。

同和地区内には、ほぼ、公営の保育所が設置されているのですが、
それらの、保育所も、待機児童解消のために一役買っており、
地区住民の高齢化が進んでいる同和地区において、
今や、地区外児童のほうが、圧倒的に多く登園している現状が有ります。

また、度々「逆差別」と俎上に上がる
各種の優遇措置については、
最もわかりやすい“家賃”を例に、現状を報告いたします。

同和関連法が施行されていた当時は、
確かに、家賃は他の公営住宅に比べ安く設定されていました。
しかし、法律終了後は、
国の解釈としては「同和問題は解消された」ので、
家賃も他の公営住宅と、何ら変わらない金額になりました。

つまり、地勢価格や建物の資産価値を考慮しながら、
世帯収入に応じて、家賃が設定されております。

ちなみに、妻の実家では、
対応年数を過ぎた改良住宅の立て直しで、
平成15年に建て替えられた比較的新しい改良住宅に入居しており、
その家賃は、月に約10万円です。

それだけ払えば、地区外に家を持つことも可能です。
私も以前「お義母さん、そんなに払ってるのやったら、家買わへんの?」と
聞いたことがあるのですが、定年間近の義母は、
「今更生まれ育った土地から出るのはイヤ」と申しております。
他の方々もそうだと思います。
年老いてから、長く住み慣れた土地から離れるのは、
どれほど酷な事か、想像に難くないでしょう。

ただし、若い世帯は地区外へ出てる方々が多です。
部落の高齢化が指摘されている事情には、
このようなことがあるかと思います。

同和地区の浴場も、段階を経て大幅値上げされ、
現在は、地区外の銭湯と殆ど変わらない金額になっています。

このように、法律の終了と共に、
同和地区住民への同和施策・優遇処置は
現在、全くございません。
(国の見解=同和問題は解決済み)

このことを、まず始めに大前提として、
この場に記させていただきます。

====================
★【権利(ケンリ)と利権(リケン)】
次に、私の見解といたしまして、
キチンと整理して置かなければならないのですが、
権利(ケンリ)と利権(リケン)は全く異なるということです。
その前提の上に、私の見解を述べさせて頂きます。
(*権利・利権と字が似ていますので、以下、カタカナで表記します)

第一に、同和リケンについては、匿名さん同様、
私もこれを否定いたします
それは、ともすれば法を犯す、
つまり“犯罪”である要素も多分に含むからです。

“匿名さん”は私と考えが全く異なると書いておられるのですが、
リケンにつきましては、私も過去に当ブログで見解を述べております。
その時の、記事を以下に抜粋しておきます。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「部落の隣保館とは?」(2014年4月14日投稿から抜粋)

部落解放同盟が行ってきた運動によって、
部落の生活が大きく改善したことは、
最大級の評価を送ることが出来ます。

しかし、残念ながらその反面、
ごく一部の同盟員や幹部(ホントに一部です!!)の方々に於いては、
行政との癒着や利権がありました。
そのようなことから、日本共産党や反解放同盟、
又、一般地区の方々から、
同和優遇是正の声が上がりました。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「同和リケンは無い」と言いたいところですが、
実際の所は、残念ながら「リケンはあった」と
言わざる負えない現状です。

このことは、部落解放同盟も
認めておりますので間違いはございませんが、
ただし、“リケンはあった”と言うように過去の話。
又、当時でも、同和地区住民の特権階級に
属する極々少数の方々の話です。

殆どの同和地区住民には、
全く関係のない話なのでありますが、
それが、どうも、同和地区全体のように
聞こえてしまっているのです。

それには原因があると考えます。
その原因というのが、「リケンとケンリの区別がつかない状況」
になっているのではないかということです。

つまり、同和地区住民のケンリが広く知られていない為、
リケン問題と相まって、地区外の方々に
混同されているのではないかと言う懸念です。

「同和事業」と聞くと、何もかもが全て「リケン」という事に
結びついていると考えられているのではないかと懸念するのでありますが、
実は、「同和事業」は、そのほとんどが、
国から認められた「ケンリ」なのであります。

ただ、それらのケンリが、「差別の温床」であるということに関しては
それを完全否定しなければいけません。

同和施策は、国・地方自治体の
法律・条例に基づいて行なわれており、
我々が選んだ国会議員・地方議員により
決議・承認された「ケンリ」なのです
つまり、言い換えれば、我々が同和施策を認めているということです。

これは、どんな法律でもそうですが、
当然のことながら、全ての国民がおしなべて賛成という
訳にはいかないこともあるでしょう。

しかし、民主主義の原理として、

確かに、私も以前は「何で部落は家賃が安いんだ?」などと
同和行政に疑問を持っていた時期もありましたが、
同和行政に関しての見聞を広げていくうち、
それは、「私が無知なだけ」だったと気がついたのでした。

=====================

一方、未指定地区についてはどうでしょう?
このブログを御覧の皆様については、
未指定地区については、既にご承知のとおりかと思いますが、
再度、簡単に説明しますと、同和地区として地区指定されなかった部落です。
地区指定をされていない部落なのですから、
一切の同和施策が行なわれておりません。

では、同和施策が行われていない未指定地区では、
部落差別はないのでしょうか?

答えとしては、歴然として「ある」と答えなけれればならないケースが
圧倒的に多いのです。
未指定地区は、地区戸数が3戸とか5戸とかの
小さな部落が多かったり、田舎村の一角に存在したりと、
むしろ同和地区指定された部落より、
より深刻な差別がある場合が多いのです。
(差別に大小は無いですが・・・)

話が戻るようですが、再度、属地について考えてみますが、
はたして・・・
◎同和地区(被差別部落)に居住しているから
差別を受けるのでしょうか?

◎同和地区に居住の方々が皆さん、
他地区へ転居すれば部落差別はなくなるのでしょうか?

私は、声を大にして、この答えはNOと言えます。

皆さんご存知かもしれませんが、
“人権板”と呼ばれる差別的なスレッドが乱立している
2ちゃんねる上において、部落出身者や
在日の有名・芸能人を晒すスレッドが有ります。

スレッド中の有名人たちの出自の
信ぴょう性は、疑わしいものもかなりありますが、
中には本当に被差別部落出身者の名前も晒されています。

例えば、もう亡くなられましたが、
自ら「部落民」を公表している
名俳優・三國連太郎さんの名前も挙がっています。

静岡県沼津市にある三國さんの自宅は、
さすが、国民的名俳優ということで、
豪邸と呼ぶに相応しい非常に大きなご自宅です。

テレビで芸能人、有名人の自宅訪問番組がよくやっています。
「家賃は数十万」とか、「総工費何億円」などという話をよく聞くなかで、
部落出身の有名・芸能人諸氏は、
きっと同和地区には住んでいないでしょう。
また、同和施策とも無縁だと思います。

同和地区から離れ大きな家を建て、一切の同和施策を受けなくとも、
「部落出身者」と言うことで、出自を探られ晒されるわけです。
これを差別と言わずに何と言いましょうか?

このことからも分かるように、部落(同和地区)に
住んでいるから差別されるのではないのです。

 =====================


★【双方の努力と理解】
最後になりますが、差別が「差別する側・される側」双方の
努力と理解が必要なことは、このブログでも度々書いております。
その辺りは、“匿名さん”の主張とも重なる部分があるかと思います。

以下、それらの記事を抜粋しておきます。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

◎部落の同級生宅 (2014年4月20日投稿から抜粋)

「寝た子を起こすな」という考えも部落には未だ多いですが、 私個人としては、もっとオープンな交流があっていいと思います。 「部落」を隠すことなく、「部落」とは何なのか?を知ってもらい、 その上で、互いにわだかまりなく付き合いを していくことが、 真の部落解放につながっていくと思います。
(中略)
でも、その為にも部落のことを、 皆さんにも知っていただきたい。 それと、同時に部落の方々にも、 打ち解けあえる努力をしていただきたいです。
正直、部落の方々も、閉鎖的な部分は多いです。 どうしても、「中と外」と言う意識になってしまう。 この意識は、やはり、若者よりも年配の方々に多いですね。 今の、50代から下の世代は、 その様な意識は少なくなっていると思います。
年配の方々は、劣悪な環境で暮らし、 直接的な差別を経験された方も多く、 どうしても、閉鎖的になってしまわれるのも やむおえないかもしれませんが、 差別を本気でなくすのであれば、 一般人と部落民、双方に努力が いるのではないでしょうか。


◎バラック( 2014年5月14日投稿から抜粋)

行政は、国際情勢に左右されない
人道的な見地で対応することが必要ではないかと考えます。
又、反対に地域住民も国や行政だけに責任を負わせて
「おんぶに抱っこ」するのではなく、自分たちも努力し
改善する姿勢であって欲しいと思います。

互いにいがみ合うだけでは
問題は解決しないだけでなく、
新たな差別や諍いを生みだしかねません。


◎俺は部落のモンじゃ!(トラブル再び)(2014年6月7日投稿から抜粋)

部落、部落って・・・
こんなやり取りがまかり通った時代。
これでは、差別がいくらたっても無くなる訳がありません。
繰り返し、この場を借りて言いますが、
差別からの真の解放は、差別する方・される方お互いの“努力”が
あってこそ実現します。
そして、お互いの“理解”があってこそ実現するものなのです。

部落民は部落のアイデンティティを「脅し」という形で
持つのではなく、真の解放のために持つべきです。
一方、我々は部落=コワイ・ヤヤコシイではなく、
本当にに怖いのか? 本当にヤヤコシイのか?
イメージや風評、周りからの言い伝えではなく、
部落についての正しい理解と認識を持たねばなりません。


===========================

以上、非常に長文になりましたが、
今回は「川の向こう側」に頂いた“匿名さん”の
コメントについてのアンサーです。

それと、いつもこのブログを読んでいただいている
読者の方々、コメントを頂ける方々、
この場を借りてお礼申し上げますm(_ _)m

また、“匿名さん”の
>私はあらゆる差別、区別、利権(逆差別)には断固反対である。
と言うお言葉、非常に心強く、ありがたい気持ちです。

私は、今回大きな勉強をさせていただきました。
皆さんの差別解消に対するお考えは千差万別ですが、
それは、方法論であって、 「差別を無くしたい」と言う結論、
・・・「辿り着く先は皆さん一緒なんだ!」と言うことに気が付きました。

重ねて申し上げますが、
今回は、皆さん本当に有難うございます。
それと・・・
これからも「被差別部落の暮らし」をよろしくお願い申し上げます。
                   
                                   S.スギムラ


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2014年11月10日月曜日

被差別部落の暮らしを御覧の皆様へ~先日の通信障害についての報告~

被差別部落の暮らしを御覧の皆様へ

平素は、当ブログ「被差別部落の暮らし」を応援して頂き
誠にありがとうございます。

さて、一昨日から、障害のために当ブログを御覧いただけない
事態が続いておりました。

お楽しみにして居られた方々、
せっかくご訪問頂いた方々には、大変ご迷惑をおかけいたしましたが、

これは、Google Bloggerの通信障害のようです。

以下、詳細を載せておきますので、よろしかったら御覧くださいませ。
 

Bloggerで障害発生、日本からブログページを閲覧できない状況に

2014年11月9日 07時39分 (2014年11月10日 00時30分 更新) 

GoogleのBloggerサービスで障害が発生し、日本からブログページを閲覧できない状況になっていたよう だ。8日21時17分の発表によれば、一部のユーザーについては既に復旧しており、12時間以内にすべて復旧する予定とのこと。9日7時ごろまで閲覧でき なかった Google Japan Blog も復旧しており、他のブログページも間もなく復旧するだろう(Google - Appステータスダッシュボード)。

この件についてあるAnonymous Coward 曰く、
Google のブログサービスBloggerのURLは日本では「[ブログ名].blogspot.jp」になるのだけれども、この「blogspot.jp」が 11/7~8頃に無効化された模様。こういうときにありがちな理由があれこれ推測されているが、blogger 内コンテンツがレジストラにとっての規約違反に該当という説も出ているようだ(インターノット崩壊論者の独り言)。

BloggerのURLは以前、すべて「[ブログ名].blogspot.com」を使用していたが、現在はアクセス元別に国別コードトップレベルドメイン(ccTLD)を使用したURLを使用するように変更されている(過去記事)。 そのため、日本から「[ブログ名].blogspot.com」にアクセスしても、障害発生中の「[ブログ名].blogspot.jp」へリダイレクト されるため閲覧できない。一方、 国別リダイレクトを無効にするURL「[ブログ名].blogspot.com/ncr」や、日本以外のccTLDを使用したURL「[ブログ 名].blogspot.in」などを指定した場合は閲覧可能。なお、Bloggerのブログ作成は「blogger.com」であり、影響を受けていな い。


_____________________________

以上、今回の通信障害についてのニュース記事でした。

最後になりますが、これからも、「被差別部落の暮らし」を
よろしくお願い申し上げますm(_ _)m


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2014年11月6日木曜日

川の向こう側【生立ち編-32】

当時、私が通っていた高校では、
部活動が必須になっておりまして、
どこかの部活動に所属しなければ、
進級できない仕組みになっておりました。

元々運動系は嫌いではなかったので、
私は、某運動部に所属することにしました。

まぁ、運動は好きと言っても、
強制されるのはあまり好きじゃなかったので、
数日に一度の割合でしか参加していなかったのですが・・・。

高校は、街中にありましたのでとても校庭が狭く、
放課後の校庭は、沢山の部活動で半ば取り合いになっていましたが、
私の所属していた運動部は、
そんなに真剣に部活動に打ち込んでいるわけではないので、
近くの公園や河川敷など、もっぱら校外へ出かけることが多かったです。

「キンコ~ン」と終業のベルが鳴ると、
まず、部室へ集まります。
私達の部では、先輩後輩・男女合わせて20人弱の
小人数の部員でこじんまりと活動していましたので、
練習スケジュールもありません。

「今日は、何しよっか~?」
「昨日は、公園で野球したしなぁ、今日は走りに行くか?」
「そうやな。走りに行こ!」
と言う具合でした。
だから、強制的な他の部活動よりも所属しやすかったです。


ちなみに「公園で野球」と書きましたが、野球部ではありません。
部活の時間に遊びで野球をするのです。
もちろん、顧問も練習には参加しませんので、
なんだか、今思い出してみたら、
大学のサークルのようなノリだったのでしょうね。

そんななかでも、K川の河川敷でよく走りました。
学校から川まで走って行って河川敷で柔軟体操や
腕立てをして更に又、河川敷を走ります。

何だか走ってばかりですが、
練習メニュー自体がないので、
走ることぐらいしかすることがないのでした。

ある日のことでした。
いつものように、河川敷を走り疲れて休憩していると、
部員のCが・・・

C「シンちゃん(私の名)。あそこ知ってるか?」と
川の向こう側の団地を指さしました。

私「ん?どないしたんや?」
(私は、その団地のことを知っていましたが、
何だか意味深だったので、あえて知らん振りしてみました)


C「俺なぁ、子供の時、あそこの近くに住んでたんや。
  ほんでなぁ、友達やらと公園で遊んでたらな、
  俺と同じ年の女の子達と知り合いになったんや」

私「・・・」

C「ほんでなぁ、何回も公園で遊んでるうちなぁ、
その中の一人の娘を好きになったんや。Mちゃんって言うのやけどな」

私「ほんまかいなぁ、そりゃええがなー」

C「それが、ええことあらへんかったんや。俺なぁ、Mちゃんを好きになったし、
友達と2人で、あの団地の中のMちゃんの家を探しに行ったんや。
それでなぁ、団地の中に入ったところでな、俺らより小さい子供らが
10人位で固まってたんや。」

私(相づち)

C「ほんならな、俺ら見た途端、バッーと走ってきてなぁ・・・
「お前ら!どこのもんじゃ!」
「勝手に入って来るな!」
「お前ら!やったろか!」 ・・・なんて、
すごい剣幕で俺らを囲んで言うてきよったんや」

私「ほんまかいな!」

C「ほんでな、俺ら2人やろ。怖くなってなぁ。
取り敢えず謝ったんやけど、中々許してくれんのや。
それからも、いろいろ言われてなぁ。
謝りまくって、やっと帰してもらったんや」

私「それは、大変やったなぁ」

C「ほんまや。ほんでな、家帰ってから、オカンにその事言うたんや。
  ほな、オカンがな・・・」

オカン「あんた!アホちゃうか!あそこは・・・川の向こう側は
     近寄ったらあかん言うてるやないの!
     おそこはなぁ、“部落”言うて怖いとこなんやで!
     そやからな、絶対に近寄ったらあかんし、一緒に遊んでもあかん!」

C「シンちゃん・・・。俺のオカンなぁ、そう言うたんや。
 そやし、それからな、Mちゃんに公園で会った時に、
 “俺のオカンが、Mちゃんと遊んだらアカン言うてるし。
  そやし、もうMちゃんと遊ばれへんねん”って半べそかいて言うたんや。
  その時はホンマに好きやったし、
  なんでオカンが、そんなに怒るのかわからんかったけど・・・」

私「そうか。そんなことがあったんか」

C「それがなぁ、Mちゃんな、目に涙ためながら、こう言うたんや」

M「なんで、C君もそんなん言うの?
  なんで・・・。なんで、みんな私にそんなこと言うの?」

C「え!?みんなって?・・・。
みんなMちゃんと遊んだらアカン言ってるの?・・・。
でも、ごめん。オカンが絶対あかん言うてるし」

_____________________


私「・・・」

C「それで、次の日になぁ、Mちゃんのお父さんがウチに怒鳴りこんできたんやがな。
  なんや、公園で他の子に俺ん家聞いたらしくて。
  エライ剣幕やって、物凄く怖かってなぁ、
  オレ、部屋からよう出んかったんけど、
  オトンとオカンが必死で謝っとってなぁ・・・」

私「え!?ホンマに?」


C「その後、俺なぁ、引っ越して今の家に住んでるやろ、
  そやし、それ以来、Mちゃんに会ってへんねんけど、
  今でも、あの団地見たらその時のこと思い出してなぁ。
  ホンマに見たく無いんや・・・。

今なら、私もはっきりと、
「C。それはちがうで。それはな、Cとオカンが部落の事、
何にも知らんと “部落”や言うて差別したからや!
Mちゃんもそうやけど、部落の人はたまたま部落に生まれただけや。
そもそも、“部落”やからって差別される理由は何一つないんやで!」

と、はっきり言えるのですが、その頃の私は、多くの差別者の方々と同じく、
部落に対してしっかりとした知識も無いまま、
周りからの影響だけで部落を忌み嫌う、
紛れも無い部落差別者でありましたので、
次の様に答えまてしまいました。


私「そやで、C。・・・あそこはなぁ、近寄ったら怖い目に会うで!!
  実は、俺も中学の時、校区に部落があってな、
  部落の子も何人か通っとったんや。
  ほんでな、あるとき、俺も部落の同級生とトラブルを起こしたんや。
  それからは、部落の子とは表面的に付き合うてたけど、
  心の中では、今でも部落とは関わりたくないんや」

C「ホンマかいな!シンちゃんも部落とトラブったんか!?
  そうか、ほな、あの団地も部落って知ってたんや。
  ・・・ホンマ、部落のモンは怖いで。」

_________________________

2人して眺める「川の向こう側」。
沈む夕日に照らされて、中層の団地を・・・
いや、部落を一層際立たせます。
幾棟にも重なる定型で個性のない改良住宅にあって、 
屋上についたTVアンテナや給水塔だけが、妙に目立って見えました。

でも、その給水塔の下には沢山の“暮らし”があります。
時に笑い、時に喜び、時に怒る。
そして、なによりも、我々部落外の者には決して分からない、
悲しみや悔しさが、幾度となくあったことでしょう。
  
Mちゃんのその後は、今となっては誰もわかりません 。
まだ、川の向こう側の部落に居るのだろうか?
それとも、どこか外で暮らしているのだろうか?
結婚は?子供は?・・・。


勿論、楽しく暮らしていると信じていますが、
私よりも多く、Mちゃんが悲しみ、傷つき、
悔しくて眠れない夜を過ごしたことは間違いありません。
理不尽な差別のせいで・・・。


=追伸=
Mちゃん。
今は私も、君が感じたその“痛み”が、ほんの少しだけどわかります。
部落の女性と結婚し、部落民の血を引く我が子たちと暮らしていく中で、
今でも部落差別があるこの世の中を嘆き、憂います。

でも、嘆いてばかりはいられません。
差別する側・される側、互いの理解と努力
によって差別が無くなることが、私にはわかったからです。

将来、きっと部落差別は解消されることでしょう。
でも、その「将来」が少しでも早く来るために、
私は、今日もこうしてブログを書き続けます。                        

出会った事がない「川の向こう側」のMちゃんへ。
                             シンジより



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2014年11月2日日曜日

原発と共に・・・:その4(完)/見て記・行って記・被差別歩記-2

___________________________

見て記・行って記・被差別歩記-2
「原発と共に・・・:その3」からの続きです(その3はコチラから)                       
  【   ←その1  ←その2  ←その3  】
___________________________


N地区体育館&I公園前の県道はこの半島の先まで続いているが、
いくつかのトンネルを抜け暫く走ると、
海岸沿いから少しずつ登りに入リ、NM部落の隣村の漁村を
過ぎた辺りから、道は断崖絶壁の上を走る。

その漁村集落では、原発を抱えた福井県では
普通に見掛ける事ができる“ある設備”を目にすることができる。

「モニタリングポスト」がそれだ。

福井県内に106箇所設置されているモニタリングポストは、
大気中の放射線量を観測する設備で、
県と原子力事業者(関電)が設置管理しているという。

このモニタリングポストには、
単に放射線量を測定するだけの施設と、
測定した放射線量を地域住民や通行者(車)に表示・告知する、
“掲示板機能”を持ったものが存在する。

漁村集落に有るのは後者の“掲示板機能付き”の方であるが、
私も目を通してみたが、よく意味がわからなかった。
地区住民のほとんどが高齢者の方のこの集落で、
この様な表示が理解できている方が、はたして何人おられるであろう。

それにしても、このポストが「異常」を表示すると言うこと自体、
すでに手遅れなわけで、そういう意味では、この手の設備に関しては、
どうも「気休め程度の役割しか担っていないのではないか」と
考えてしまうのは私だけではないはずだ。
 (*遅ればせながら・・・
 当ブログは原発の是非を問うものではない旨、お断りさせて頂く)

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車を走らせること10分ほどで断崖絶壁の県道は、
その着地点を目指すかのように徐々に緩やかに下がっていく。
その間にも、2つのモニタリングポストを通過して進むが、
当然のことながら、車を停めてポストの掲示板を見ている方は
誰一人として居なかった。

下り坂を降りきり、再び海が窓外に並ぶ頃、
目の前に大きな建造物が林立しているのが目に入る。

T原子力発電所。

大きな建造物の正体は原子炉だ。
それは、巨大なドラム缶の様な円柱型であり、或いはまた、
アラブのモスクを彷彿させる丸屋根の原子炉であった。

福井県・若狭の自然豊かな海辺に、突如として現れる原発。
その周りを厳重にとり囲む鉄格子に剣先フェンス、そして
警備員が常駐し、猫の子1匹たりとも中に入れないぞ!という意思表示は、
見るものを威圧するのに十分すぎる効果があった。
(かく言う私も、車を停めるのが憚られ、目の前を素通りするだけであるのだが・・・)

原発を目横にしながら暫く走るとO集落へ出るが、県道はここで終わり。
来た道を引き返すことになる。

原発停止後の若狭の海では、周辺海域の海水温が2℃ほど下がり、
海の生態系も著しく変わっているという。
いや、原発が出来る前の、本来の姿に戻ったと言ったほうがいいだろうか。
以前は、青や黄色の原色鮮やかな熱帯魚が泳いでいたものだが、

温暖化が叫ばれる現代において、
少々時代に逆行するのもいいことなのかもしれない。

O集落で折り返した私は、再びNM部落へ向けて車を進める。
時折、T原発の作業員を乗せたバスが1台、また1台と
すれ違いに原発へ向かう。

原発というのは、実に多くの労力を要するものであるが、
その中でも、このバスに乗った作業員達は、
下請け・孫請けの労働者達で、原発内でも非常に危険な
作業に従事しているケースが多い。

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以下、ある「原子力発電所関係業務会社」、
(つまり、関西電力の下請け・孫請け会社)の業務内容である。

・管理区域内の放射線測定管理業務
・使用済み燃料の輸送業務
・原子炉・タービン建屋・廃棄物処理屋内の清掃除染業務
・循環水管の点検工事業務
・各種サンプピットの点検清掃業務
(定検時、原子炉・タービン建屋・廃棄物処理建屋での廃液集中ピットの異常有無の点検)
・管理区域内作業服のランドリー業務

いずれも、非常に放射線量が高く危険な「原発最前線」での
作業であるが、これらの作業にNM部落民も従事しており、
原発で働く人の割合は、NM部落住民の60%に当たるという。

以前にも、「行って記・見て記・被差別歩記-1」で述べたのだが、
福井県内の原発は、いずれも被差別部落を有する地域に建てられており、
部落からの労働者も多いが、“被差別部落だから原発が建った”と言う、
差別行政が有った訳ではない。

この理由を詳しく述べるのはもう少し検証が必要であるが、
少なくとも現時点でわかっていることは、
原発を誘致した行政と、それを受け入れた住民の
「相互利益」の為といえるのだろう。

先にも書いたように、原発は多くの雇用を生み出し、
また、多額の補助金を生み出した。
道路は綺麗になり、運動公園や箱モノが造られた。
しかし、地域住民は生活の豊かさと引き換えに、
常に不安を持つ日常を送ることになってしまった。

それでも、彼らにとっての原発は、
今となっては無くてはならない存在だ。
原発がなければ生活が成り立たない。
原発は地域にとっては、将に命綱なのだ。

無論、今や原発の是非は、
地域のみならず、国を2分する状況であることは、
彼らも百も承知のうえである。

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再びNM部落へ帰ってきた。
車を停めて、大黒像のある海岸から海を眺めながら、
私は、あることを思い出しいていた。
 (印:地区保護の為、仮名・仮定しております)

実は以前、この部落の沢山の旅館について
一つの疑問を抱いていたのだ。

その疑問というのは・・・
「この旅館は夏以外はどうしているのであろう? 」ということである。
“どうしている?”というのは、所謂稼働率のことであるが、
夏は海水浴客が訪れる事で稼働率が上がるのは頷ける。

しかし、それ以外の時期は、さして観光地もないこの地で、
どうして経営が成り立つのか不思議で仕方なかったが、
何度かこの部落へ訪れるうち、「あぁ、なるほど!」と言う光景に出くわした。

ある日の夕方、旅館の前に止まったワゴン車から、
作業服に身を包んだ数名の男性が降り、旅館へ入っていった。
現場へ通っている経験値から、その男性たちが原発
で働く作業員であることは一目見て分かった。

そうなのだ。
NM部落の旅館群は「原発ジプシー」と言われる全国の原発を
渡り歩く作業員の定宿でもあったのだ。

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NM部落住民の60%が原発で働き、
なおかつ、地区内に存在する旅館群も
原発ジプシー達を受け入れる。
もはや、NM部落と原発は切っても切れない関係であるといえるし、
その周辺の一般地区に於いても又、同じ事が言えるであろう。
 
最後になったが、この浜は若狭湾からの日の出が見れる
数少ないビーチだという。
逆に若狭富士に沈む夕日もこれ又、見事なものである。

時計は午後6時。
今日も一日のフィールドワークを終え、
ゆっくりと沈む夕日に癒やされながら、
何気に振り返り海辺の大黒像を見上げた。

山に沈む前の、力強く最後の輝きを放つ夕日。
その燃ゆる夕日に照らされる大黒様
私を見てニッコリと微笑んでいた。


【完】

 
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見て記・行って記・被差別歩記-2
 「原発と共に・・・その4【完】」 
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