~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2016年1月27日水曜日

馳浩大臣が部落差別発言!?

馳浩が好きだった。
議員じゃなく、プロレスラー時代の・・・。

プロレスが、最もプロレスらしかった頃、
度々、地元興行を見に行ったものです。
猪木や藤浪、ブッチャー、スタン・ハンセン。。。
テレビでは、古舘伊知郎が熱血中継をしていました。

まだ、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田、ブルーザー・ブロディも健在で、
アンドレ・ザ・ジャイアントを生で見た時は、その巨大さに、
本当に驚いたものです。

さて、馳浩ですが、プロレスラー時代は、
相手の足を持って、コマのようにクルクルと回す
「ジャイアントスイング」と言う得意技があり、
試合中に、半ば『お約束』でこの技を繰り出していました。
回される対戦相手も当然慣れており、
それなりの演出でジャイアントスイングを迎え入れます。

そして、なんといっても、一番盛り上がるのが観客です!
観客も、「今日は何回まわるのか?」を楽しみにしており、
馳の回転に合わせ「い~ち、に~い・・・」と数えます。
もちろん私も、テレビにかじりつきながら、
「い~ち、に~い・・・」とやったものです。

そんな馳浩ですが、いつの間にか、
プロレスラーをしながら国会議員になっていました。

そして、議員になってからもトントン拍子に出世し、
今や、文科相と言う地位まで上り詰めました。

議員になってからの馳浩には関心がありませんが、
プロレスラー時代の彼は、本当に周りを魅了していたものです。

しかし、先日、馳大臣からとても意味深な発言がありましたので、
それを掲載いたします。

【朝日デジタル 1月23日付】
馳浩文部科学相は23日、茨城県つくば市での講演で、
「公営住宅のある地域の小中学校は、家庭が混乱している。
子どもたちも日常生活が混乱しているのだから、
なかなか授業に向き合える状況にはない」と発言した。

 全国の市区町村教育委員会の教育長約60人を対象にしたセミナーでの講演。
馳氏は「朝ご飯、晩ご飯も食べさせてもらえなかったり、
洗濯さえしてもらえなかったりする子どもがいっぱいいる。
風呂にも入れてもらえないという状況だ」などと述べた上で、
「みなさんは現場で(教員)人事に配慮をしておられると思う。
我々は大問題だと思っている」と語った。

 馳氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、
「教育困難な学校には適切な教員配置が必要だとの趣旨で申し上げた。
公営住宅にお住まいの方々、ご家庭を軽んじるような意図はない。
誤解を生むようであるなら申し訳ない。今後言葉には配慮したい」と釈明した。

なんという発言だ!!!
これを見た私は、馳大臣の言う公営住宅が、
『被差別部落の改良住宅』を指しているとしか思えないのでした。

馳大臣の出身を見てみると、出生は富山県で、育ちは金沢となっています。
金沢といえば、被差別部落を指して「藤内(とうない)」と呼ぶが、
元々、穢多と藤内は別々のグループであったが、
近世に入り同一視されたようです。

そう言う意味では、プロレスラー時代や、議員になってからの馳大臣も、
地方遠征や遊説などで、被差別部落の存在や現状を少なからず知っているのだろう。
しかし、彼は、それを間違った解釈をしているようで、

公営住宅=部落=同和地区=ガラが悪い

というような、認識をしているのではないでしょうか?

記事中からは、馳大臣の真意はわかりませんが、
どうも、部落のことを指しているのではないかと考えてやみません。

いや、たとえ、部落のことでなくとも
公営住宅に住む方々を、根も葉もない偽りの根拠で差別しており、
馳大臣が、差別者であることに違いはありません。

今でもYou Tubeで、馳浩のジャイアントスイングを見るとホノボノします。
笑みさえこぼれるほどです。

でも、今回のような差別の気持ちを彼が持っている限り、
一国の要職を担う大臣としての資質が問われるのではないでしょうか?


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2016年1月15日金曜日

カワタ・エタ・新平民・同和・・・部落にまつわる呼称あれこれ:その1

いつも、当ブログをご覧いただきありがとうございますm(_ _)m
「被差別部落の暮らし」のスギムラです。

さて、先日、「未解放部落と部落問題研究所。そして独自解釈」と題し、
投稿を行いました。
皆様、ご覧いただけたでしょうか?

『部落』と一言で申しましても、先の、”未解放部落”等と言うように、
これまでの歴史を振り返ってみますと、
時代により様々な遍歴を辿っております。

又、地方により「方言」的な言い方も存在していたり、
地区外の方からの呼称(主に賤称)や、
逆に地区内独自の呼称もありますが、それらは、
一般的には、あまり知られていないようです。

そこで今日は、『部落』の呼称について、あれこれ紹介したいと思います。


====部落の名称の変遷====

◎かわた
革太・革多・皮多・皮田などの当て字が用いられる。
江戸時代に身分制度が確立される以前に主に用いられた。
職掌である「革作り」からくる。
穢多の語が主流になる江戸時代以降も、
賤称として使われ、現在でも差別用語として用いられる。

◎えた
穢多の字を充てられる。
「エタ」自体の語源は定かではないが、
江戸時代に入り、身分制度が確立されると、
賤称として『けがれおおい=穢多』の漢字が当てられた。
現在でも差別事件等で見られる差別語。

◎新平民
明治に入り、新政府が発足。
いわゆる解放令が出されると、
政府は早急に戸籍の整備に取りかかった。

いわゆる壬申戸籍であるが、
これはこれまでの年貢にかわり、税金を取りたてる為の戸籍である。

戸籍には、新たな身分が明記されており、
かつて皇族や公家は華族として、
そして武士階級は士族として明記された。

反面、それまで「農工商穢多非人」は、一括して平民となるはずだが、
穢多に関しては、新平民として登録された。
しかしこれが新たな差別用語として用いられるようになる。
解放令が出され、身分制度がなくなったはずだが、
実は、新たな形で身分制度は継続していたのである。

★解放後の非人の扱い
非人に関しては、江戸時代の身分制度上は、
穢多の下に置かれたのは周知のとおりである。

しかし、非人へ身分を置かれたものは、
元は、ハンセン病(当時は癩病)・障害者・犯罪者などで、
中には武士など身分の高い者も含まれており、
それらのものは、概ね解放令とともに文字通り解放されたが、
非人の中でも、皮革業などに携わる者、
又、門付け芸に属する者、
穢多の直接支配下に置かれた非人達はその限りではなく、
解放令後も、旧穢多と同一視されたようだ。

現在の被差別部落の中にも、
非人の流れを汲む部落が相当数存在する。


◎特殊部落
新平民という語が差別的であるとして、
公的な機関や学術研究者の間では、
新たに「特殊部落」と言う言葉が使われるようになる。

例えば、明治中期に書かれた柳田国男の論文には
『所謂特殊部落の種類』とあり、
京大教授で部落問題にも熱心だった喜田貞吉も、
この頃の著書や論文で『特殊部落研究号』などと
“特殊部落”の語を用いている。

しかし、後に「特殊部落」も差別語に当たるとして、
後年、未解放部落及び、被差別部落が用いいられるに至る。

◎細民部落・後進部落など
喜田貞吉を始めとして、多くの学者や水平運動家の中には、
言葉ばかり変えたとて、差別の実態は、
何ら変わりがないという「悲壮感」が漂っており、
事実、差別は、以前にも増して厳しさを増す一方であった。

この頃に、よく似た言葉としては、
後進部落・密集部落などが用いられたようであるが、
いずれも、差別を表す語として、現在は用いない。

◎未解放部落
未解放部落については、こちらを参照
【未解放部落と部落問題研究所。そして独自解釈】

◎被差別部落
時代の変遷と共に、多くの語を生み出してきたが、
現在は、単に“被差別部落”・“部落”という語を用いる。
しかし、部落という言葉は、
地方によれば「集落」の意味で用いられることもあり、
一般的には、“被差別部落”が使われる。

===================

★~~~1月20日追記~~~★
>書き忘れていたことを、追記致します。

◎被圧迫部落
特殊部落の語に変わり、戦中~戦後の短期間ではあるが用いられた。
戦争の激化とともに、水平社が自然消滅した後、戦後、
部落解放同盟の前進である『部落解放全国委員会』が結成されたが、
その中で、“「破戒」初版本復元に関する声明”と言うのを出している。

1954年4月に出された声明を読むと、
『被圧迫部落と未解放部落』の語が見て取れる。
*この全文は、塩見鮮一郎著『新・部落差別はなくなったか?」の
付録として掲載されている。

====================

さて、今回の【その1】では、部落の名称の変遷を書いてきました。
次回以降は、行政で用いられてきた部落名称や、方言等を取り上げます。

次回もどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

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2016年1月6日水曜日

新年の御挨拶~部落で迎える新年~

新年
明けましておめでとうございます。

旧年中は、「被差別部落の暮らし」をお読みいただき、
ありがとうございました。
本年も引き続き、「内容の濃い」ブログとして、
被差別部落問題及び、あらゆる差別問題について、
書いていく所存でございます。

これからも、よろしくお願いいたします。

平成28年 元旦
ブログ『被差別部落の暮らし』
主宰 スギムラ シンジ


===========

さて、皆様、新年は如何お過ごしでしたでしょうか?
ご自宅でゆっくりされた方・帰省された方・
ずっとお仕事されていた方・ご旅行に行かれたいた方・・・
様々なお正月があったかと存じます。

当方は、毎年のことながら、
妻の実家(=被差別部落)で新年を迎えました。

私の自宅から、父母の住む実家迄は車で5分。
妻の実家も、20分程なのでいずれも近いのですが、
私が、元旦しか休みがないこともあり、
妻は、早々と自分の実家へ帰省(という距離でもないですが・・・)しているので、
私も、新年は妻の実家で迎えます。

大晦日、仕事が終了するのが夜の10時頃なので、
それから妻の実家がある被差別部落に向かい、
12時前に、部落内の寺へ向かいます。

当部落は、中規模部落なので、寺も2寺ありますが、
かつては、部落内の寺は“穢多寺”、その僧は“穢僧”として、
宗派内でも差別の対象でした。

そして、部落内で死者が出た場合、
死者につけられる戒名も差別的な内容を含んでおり、
死して尚、差別の対象となっていた時代もありました。

そのような辛い歴史を背負っている部落の寺ですが、
大晦日には、「除夜の鐘」をつきに、部落の方々が集います。

妻も子もそして、甥っ子姪っ子も一緒に鐘をつきに行き、
煩悩を払います。

私なんぞは、煩悩だらけなので、
一回ついただけでは到底払われないのですが・・・

元旦は、私の実家へお年玉の回収(?)へ行き、
そのまま、自宅近くの氏神へ詣ります。

そして、又、妻の実家の部落へ戻り、
一家集合で正月を楽しみます。

私は、次の日から仕事ですので、
正月気分に浸れないまま、正月は早々終了(T_T)
例年、このような正月を過ごしています。


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思わず、話が長くなりましたが、
改めて、今年もよろしくお願いします。


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