~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年2月20日木曜日

同和指定校と普通中学校の違いは?(生立ち編-13)

さて、同和指定校に入学しましたが、
同和地区を含まない、一般の中学校との違いは何でしょう?

私は、他の中学のことは知りませんので、
自身が通っていた中学の事を書きます。
なので、「あ、それは一緒だ!」と言うこともあるでしょうし、
「えっ、それは、私の中学ではなかった!」と言うこともあるでしょう。

◎1クラスに担任・副担任 がいる。
  当時は、5クラスあったので、1学年に付、合計で10名の教師がいたことになります。
◎教育指導室がある。
  確かな名前ははっきりしませんが、このような名前だったと思います。
  校舎内に1室設けられていて、どうやら、同和地区の補習などに使われていたようです。
  一般の生徒の利用はなかったです。
◎公的機関「学習センター」での補習がある。
 同和地区内の「学習センター 」(地域によっては教育集会所等ともいう)に
 教師が出向き、夜間に同和地区生徒を対象に授業を行う。
 公的な学習塾のようなもの。
◎同和教育がある。
 一般の人権教育ではなく、部落問題に特化したもの。

今、思い出せるのはこんなところでしょうか。
学校教材等が「自腹か公費か」など金銭的な事は分かりません。
妻は、私と年齢が一回り違うので、
妻が中学生の頃は、同和補助はほとんどなかったそうです。

部落関連の法律が終了してからは、「学習センター」も地区外の生徒の
利用が可能になっており、 実際に多くの地区外の生徒が補習授業を
受けているようです。

先日も書きましたが、同和教育については、
机上の話に終わり、しかも、それが、ともすれば「更なる差別につながる
可能性がある」授業であった事をお話しました。
今となっては、プリントなどでの机上の授業よりも、
実際に地区内に生徒を連れて行き、
地区住民の方々の「生の声」を聞いたりするほうが、
どれだけ“ため”になるかと思います。
そして、気軽に地区へ行き来し、地域住民と交流を行う。
これら「開かれた」状態であることが、真の部落解放へと
つながっていくのではないでしょうか。

部落解放同盟の綱領には、「ふるさとを隠すことなく」と言う一文を
見て取ることができます。
ふるさと=部落民というのを隠すのではなく、
自他共に、部落民と言うアイデンティティを認め、
そして、その上で友好的な付き合いをしていくことが、
真の部落解放であるということです。

水平社創立以前は、運動といえば融和運動でした。
(この事については、後に述べたいと思います)
それは、部落民としてのアイデンティティを捨てる運動でした。
そのことに憂いを持った青年たちが中心となり、水平社が結成され、
長き間に形を変えて、現在の部落解放運動につながっていきます。

話がそれてしまいました。
あまり、長くなってもいけませんので、
本日のテーマ、同和指定校と普通中学校の違いは?
を、これにて終了したいと思います。



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2014年2月17日月曜日

同和教育(生立ち編-12)

同和指定校に入学してからは、
頻度は分かりませんが、同和教育が行われました。
これは、他の学校でもやっているのかもしれませんが、
とにかく、授業時間を使って部落のことを学ぶのです。

・どうして、差別がいけないのか?
・なぜ、部落があるのか?

なんていうような、内容だったと思います。

中学校を卒業して約30年になるせいもあって、
ほとんど内容は覚えていませんが、
ただ一つだけ、覚えている内容があります。

穢多・非人

この言葉だけは、しっかりと焼き付いています。

おそらく、他の生徒もそうかもしれません。

こんな話も覚えています。
その頃、校内で流行っていたのがトランプ。
特に「大富豪」と呼ばれるゲームをよくやりました。
本来は、ゲームに勝ち、ランクが上がると、
「大富豪」になり、その下には「富豪」「平民」「奴隷」と続きます。
 しかし、同和授業を受けた後は、
「大富豪」「富豪」「平民」そして、「奴隷」が
 皆さんの想像の通り・・・そうです
「穢多・非人」
 になるわけです。 
「次は、〇〇が大富豪で、☓☓が穢多非人な!」とか、
「うわーっ!!穢多非人になってしもた!」などと使う訳です。

又、意味もなく「士農工商穢多非人」などと、
まるで呪文のように唱えることもしばしば見受けられました。
だが、これらの語を使っていた当人たちは、
全く深く考えていませんし、むしろ面白がって使っていました。
そして、生半可な知識を得た彼らは、やっぱり部落ってコワイね、
などと言うわけです。

一体全体、同和教育ってなんでしょうね?
何も知らない生徒に「差別心」を植え付けるのが、
同和教育なんですかね?

生徒全員が、面白がって差別語を連発する事が、
どう、人権意識を持たせることにつながるのでしょうね?
結局、教育って言うのは、机上の空論ばかりで、
本当にこのような授業内容で、差別がなくなるとでも思っているのでしょうか?

同和教育は授業ですから、当然、
部落居住のクラスメートも一緒に授業を受けるのですが、
彼らはどういう気持で授業を受けてたのでしょうか?

「そんな授業しないでくれ!」
「そっとしといてほしい」
「いや!差別を理解してもらうまでとことんやって欲しい!」
どんな気持ちでしょう?

クラスでは、彼らは少数派です。
40数人に対して多くて二人程ですから。
今となって見たら、こんな授業内容であれば、
本当は彼らは、針のムシロだったかもしれません。
ともすれば、スケープゴートになる可能性だってあるわけですよね?

複数の本で読みました。
当時の教師は、部落民にしきりに「部落民宣言」を
させたそうです。
部落民を登壇させて「私は部落民です!!!」と宣言させるのです。
いわゆる、カミングアウトです。
教師としては、それが部落民のアイデンティティを
自覚することになると思っているのか?
それとも、教師の「生徒を解放してやった!」と言う
自己満足であるのかは、分かりませんが、
当の本人たちは、一様に「嫌だった!そっとしておいて
ほしかった」と口をそろえて言っておられます。

結局のところ、同和教育って何だったのでしょうね?
「部落解放同盟がウルサイから、何かやっとけ!」的な
ノリではなかったかと、今となっては思います。

今は、私も差別意識はありませんので、
このような言葉は使いませんが、
当時は、正直言って口にしたことは有ります。
部落に対する差別意識もあったので尚更です。
部落の同級生に直接は使いませんが、
やはり、面白半分で・・・。

再度繰り返しますが、当時の同和教育って、
やはり、差別を助長するものでしかないと思います。

現在の授業内容は分かりませんが、
ひょっとすれば、同和教育自体無くなっているのでしょうか?
同和対策の法律が切れてからは、
国 ・行政も「同和問題は解消された」と言う
向きになってきているので、障がい者や
外国人などの総合的な人権教育は施されていても、
同和だけに特化した授業はないかもしれませんね。

 兎にも角にも、このような授業や、日常での
部落生徒との接触、そして部落に対する
嫌悪感の中で、今後、数々の葛藤が
生まれてくるのでした。



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2014年2月13日木曜日

助言(生立ち編-11)

中学へ行くか、行き始めてすぐのことだったと思います。
「あそこの子は、男女付き合いが早いし、気をつけや」
と、近所の方だったか、もしくは友人の母親だったか、
とにかく、そんな言葉を聞いた事がります。
 その時は、単なる「助言」であったのですが、
現在は、「助言」ではなく「悪言」であったなぁ 、と感じます。

あそこというのは、文字通り同和地区を指しますし、
男女付き合いの意味の奥底は、「性」が早い=早熟ということです。

早熟なのは、(特に今日は)部落だけが早いわけではないのですが、
「なんとなく」という、お決まりのイメージが有ったのか、
別の方から聞いた「うわさ」であるのか、それとも自らが経験した、もしくは、
経験談を聞いたなどの「実体験」ということなのかは、分かりませんが
まぁ、単純に考えて「うわさ、風評」のたぐいではないのかなぁ?
とは思います。

性の問題に関しては、昨今、本当に早く早熟化していますね。
テレビのドキュメントなどを見ていても、
例えば、「初体験が小学校の時」なんてことも珍しくないようです。
はたして、この子たちは全てが「部落民」なのでしょうか?

答えとしては、NOですね。
ただし、中には部落民も含まれているでしょうが・・・。
当然、部落民だけの話ではないわけです。
ただ、そこに「イメージ」が付加されると、
この様な話になってしまうわけです。

私が中学に入学した頃、
上級生が中学3年で妊娠しました。
その先輩に限って言えば、確かに「部落民」でした。
彼女に関しては、早熟であったのですが、
それは、個人の問題であって全体の問題ではないのです。

ただ、「あそこの子」と言う言葉は、
部落に限定しているのですが、
それは、性の問題だけではありません。

あそこの子は、ワルイ
あそこの子は、キタナイ
あそこの子は、アブナイ
あそこの子は、・・・
よく聞く、部落の子供に対する常套句です。
そして、結局こう続く。
「あそこの子とは遊んだらアカンで!」

イメージや印象は、個人の自由です。
そのようなイメージを持つ方も居るのも自由なのですが、
それを、周りに風調するのは良くないことです。

それ以上に、「イメージ」などの、半ば都市伝説のようなものを
解消していくことが、部落問題解決のための大切なファクターであるのと同時に、
私自身に課された、「テーマ」でもあります。

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2014年2月12日水曜日

同和指定校(生立ち編-10)

差別意識というのは、本来持って生まれてくるよりも、
周りから(特に親しい身内や、友人などから)の
洗脳的な刷り込みによって培われていくものだということが、
今ならハッキリと言えるのです。

ただ、右も左もわからぬ少年時代は、
部落に対する嫌悪感のみが優先し、
差別に対する罪悪の意識、つまり、倫理的な差別意識よりも、
生理的な嫌悪反応が優先していたのも事実です。
再度繰り返しますが、生理的な嫌悪感=差別意識は幼少時代の
刷り込みによって行われる、人為的な結果も一つの
大切なファクターであります。
そんな、小学生時代でしたが、より強力な刷り込みが行われたのは、
中学校に入学してからでした。

私が入学した中学は、いわゆる「同和指定校」でした。
その中学は、私の小学校は全生徒(私立中学入学者は除く)と、
他の3つの小学校から、一部生徒が通っていました。
その内の一つが同和地区を含んでいました。
学区内に同和地区を含み、部落の生徒が通っていると、
「同和指定校」になり、頻度は忘れてしましましたが、
人権、とりわけ部落差別に関する学習時間が設けられます。

部落の生徒は、正確には分かりませんが、だいたい一学年に
男女合わせて6~7名ほどだったと思います。
ただし、当然のことながら、年度によって違うので一概には言えません。

中学校に入学した私は、部落・部落民・同和教育と、
新たに、数々の部落との関わりを作っていくことになります。


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2014年2月8日土曜日

田舎の正月と部落(生立ち編-9)

小学生の頃は、夏休みや正月には、母親とともに、祖父母に会いに、
特急列車で4時間ほど掛る母の実家へよく行ったものです。
私が、小学校に入る頃には、祖父も警察官を定年退職し、
実家へ帰って農業をしていました。

以前にも書きましたが、母親の実家は、
代々、村の庄屋をやっており、曾祖父は村長もやっていました。
なので、田畑や山がたくさんあり、 村の人にも貸していたそうです。

あれは、何年前のことだったかよく覚えていません。
小学校の低学年の頃だったと思います。
なので、35年くらい前の話でしょうか?

正月の帰省で、母親の実家に行った時でした。
あと数日で正月という、年の瀬も押し迫った頃でした。
家にお客さんがやってきて、祖母が対応にあたりました。
客人は、今となっては、男性か女性か分かりませんが、
とりあえず年配の方でした。

玄関に入ってきた客人は、祖母に「しめ縄」やらの
正月の飾り付けを渡しており、それを祖母の傍らで見ていました。
客人は、直ぐに帰られて、私に祖母が言いました。
「あの人は、田畑を貸している方で、あそこの部落の人だ」
「部落の人は、しめ縄をつくるのが上手いので、毎年持ってきてくれる」
・・・この様な内容だったと思います。

あそこの部落と言う祖母の指先は、少し離れた山の崖下辺りを
指していました。
祖母の出身は、隣県で和菓子屋を営んでいました。
なので、割と人付き合いもよかったのでしょう。
部落の方も、玄関へ入れて対応しており、
品物もきちんと手で受け取っていましたから、
部落への差別意識もなかったと思います。
(はっきりとは聞いていませんが・・・)

前に、どこかで聞いた事があります。
もう、何十年も前の話を老人が回顧していました。

部落近くの豆腐屋にお使いに行った少年の頃、
「豆腐をくれ」とお金を差し出すと、
オヤジは、「そこにお金を入れろ」という。
見ると、水が張ったバケツが置いてあった。
「部落民は穢れているから、直接お金を貰いたくない。
 バケツで洗ってからでないと受け取れない」と言うのが理由なのです。

昔は、そのような意識が普通でした。
特に、田舎の方がその傾向が強いようです。

祖母が、もし差別意識を持って、
嫌悪感をあらわにしていたらどうなっていたでしょう?
その頃の私は、部落に対しての嫌悪感や差別意識は
かなりのものがあったので、もしかしたら、
今でも、絶対的な差別者になっていたかもしれません。

でも、今、こうしてブログを書いている通り、
そうはなりませんでした。
妻の親類はもちろん、妻の実家近くで 出会う「被差別部落民の方々」も
普通に接する事が出来ますし、普段は「この人は部落民、この人は部落外」
・・・この様に分け隔てる意識すらありません。
フツーの親戚であり、フツーのご近所さんなのです。

しかし、少なくはなってきていますが、
いまだに一部世間に、差別意識があるのは残念なことです。
しかし、私の人生経験からもはっきり言える事は、
「差別はなくすことが出来る!」と言う事です。
このブログを始めたのも、その思いの一つなのです。


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2014年2月6日木曜日

コメントお待ちしております

このブログに関しての叱咤激励、
部落問題に関する皆様の思いなど、何でも結構です。
宜しければ、コメントをお待ちしております。

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2014年2月2日日曜日

いとこ(生立ち編-8)

先日は、部落出身の叔母の話をしました。
叔母の話が出たのですから、今度は、いとこの話をしたいと思います。

今までの生い立ちの中での身近な部落民とは、
叔母であったり、その親族であったり、
ある意味、親戚ではあるが、血の繋がりがない親戚でした。

しかし、 今日のお話は違います。

私には、血がつながっている、
部落民の従兄弟がいます。

そうです。叔母の子供達です。
今は、私の子供も部落民(前出、角岡氏の言葉を借りれば、半ブラですね)で、
もちろん血の繋がりはあります。
しかし、幼少の頃の私にも、半ブラではありますが、
私と血の繋がりがある部落民の従兄弟が居たのです。

従兄弟たちは、被差別部落、いわゆる同和地区に住んでいたわけではないので、
私も、彼らを部落民として見たことはありません。
それ以前に、血の繋がりがあり、家も近かったことから、
兄弟のような関係であったので、そんな意識もなかったのですが、
ここまで書くと、これまで随分、私が語ってきたことと矛盾していることになります。
部落や部落民には嫌悪感や差別意識があるのに、
部落民で血の繋がりのある従兄弟には、そのような感情が起こらない。

ホント、矛盾だと思います。
矛盾なのですが、この矛盾こそが、未だに今日も続いている
部落に対する意識であり、差別であるのです。

私よりかなり年が離れていた従兄弟たちは、成長するに従い
それぞれ居を構えたり嫁いだりで、今では疎遠になっていますが、
従兄弟たちは、自分の出自を知っているのでしょうか?
ついに確かめずじまいです。

部落地区外の部落民にありがちな、親から子への
カミングアウトは行われたのかは分かりませんが、
叔母の親族の住む同和地区へは、当然出入りしているので、
部落に対する知識レベルこそあれ、自分たちが
部落民であるということは知っているのでしょうね。

部落民である従兄弟の存在。
このことが、のちの人生の中で、大きな意味を持ってくることになるのです。

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