~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2019年9月14日土曜日

白山比咩神社を詣る~部落で信仰される白山神社の総本宮~ 


見て記・行って記・被差別歩記-6
白山比咩神社を詣る~部落で信仰される白山神社の総本宮~ 



【自然崇拝】

日本がまだ神の代だった時代。

素戔嗚尊の暴れっぷりに怒った天照皇大神(太陽神)は、
天の岩戸に隠れてしまわれた。
途端にあたり一面漆黒の闇となり、草木は枯れ果て、
悪神がはびこり様々な災禍が起こり、
八百万の神々は大いに困った・・・

記紀に記される天岩戸伝説を見てもわかるように、
古来から人々は自然を敬い、感謝し、時に恐れ慄いた。

太陽・岩・樹木・海・山・川・諸々

神道の世界で今でも見られる自然崇拝は、
ありとあらゆる自然物が神となり仰がれた。
例えば、大きな岩や奇岩は「磐座」大木は「御神木」と呼ばれ、
神々が宿るとして尊ばれている。


同時に自然は時として牙を剥き、
人々に恐怖と落胆を与える存在でもあった。
台風や地震、大雨による水害や土砂崩れも神の仕業とされ、
それを鎮める為の崇拝・信仰でもあったし、
日照りが続けば神に舞を捧げ雨乞いをした。

私が産まれた鳥取県(里帰り出産で産まれただけだが、それでも鳥取は
感慨深いものがある)では、神に捧げた雨乞いの舞が「傘踊り」となり、
祭りへと昇華して毎年夏に行われているが、
元々の神事が祭りとして面々と続いている例は、枚挙にいとまがない。


【白山信仰】

石川県・岐阜県・福井県・富山県。
四県にまたがる霊峰『白山』も、いにしえの頃から
人々に感謝され、そして恐れられてきた自然信仰の象徴であった。

いつしかそれは、白山(しらやま・はくさん)信仰と呼ばれ、
全国に広まっていく。

白山比咩神社表参道鳥居

【被差別部落と白山信仰】

特に関東では、被差別部落に多く祀られていることから、
白山神社=部落と思われがちだが、実際には沖縄を除く
全国2000箇所に存在し、部落外でも氏神として祀る地区は多い。

表参道 鳥の囀りを聞きながら本殿までゆっくりと歩みを進める。

では、なぜ被差別部落に白山神社が多く存在し、
氏神として祀られているのだろうか?


一説には、浅草弾左衛門が信仰していた為、
多くの部落で信仰されるようになったと言われているが、
実際には弾左衛門期以前に、既に白山神社が存在する被差別部落もあり、
通説の一つとしての域を脱しない。

また一説に言うには、白山神社の祭神である白山比咩大神
(シラヤマヒメノオオカミ)は、菊理媛神(ククリヒメノカミ)と同一神
なのであるが、日本書紀に於ける菊理媛にまつわる伝承こそが、
「被差別部落で祀られるようになった所以」とするむきもある。

私も含め、菊理媛と聞いて菊姫酒造の「菊理媛」を思い浮かべる方は、
無類の酒好きに間違いないだろう。
定価で一升5万円の値が付けられたこの酒は、
現在発売されている中でも、高額日本酒の一つと言える。
【菊理媛】

菊理媛は、幾つかある日本書紀の一書に、
たった一度だけ登場する謎多き神である。

媛と付くことから女性神で有ることは間違いないのであるが、
それ以外のことは全くわからない。

(取り敢えず、菊理媛が登場する部分を要約したのが以下である)

火の神を産んだ際に焼死したイザナミを追い、
黄泉の国へやって来たイザナギであるが、
イザナミのあまりにも変わり果てた姿を見て一目散に逃げてしまう。
数多の追手と共に追いついたイザナミは、イザナギと争いになるのだが、
ここで登場するのが菊理媛である。

イザナギとイザナミの仲裁に入った菊理媛が、
イザナギに「何か」を言うと、イザナギは同意して黄泉の国を後にするのだった。
ところが、日本書紀には菊理媛が何を言ったのか記述がなく、
何故イザナギが引いたのか、重ねがさね全くわからないのである。

緩やかに登る山道を登りきったところで白山比咩神社本殿が現れる。
今回は一部工事中で視界が悪いのが残念であった。

この様に、日本書紀の伝承から「菊理媛は穢れを祓う神」と信じられており、
中世以来、穢を払う役割を担った被差別部落の先人(穢多)達が祀ったのではないか…
と言う説も甚だ尤もらしいが、真相は謎だ。


本殿

大きな注連縄が掛かっている。
二礼二拍手一礼。参拝の作法に乗っ取り拝礼する。
夏休みとあってか、想像していたより参拝者が多い。
家族連れも多く、この地に於いて如何に白山比咩神社、
及び白山信仰が大切にされているのかが、よく分かる光景であった。


【奥宮】

実は、白山比咩神社には奥宮があるのだが、簡単には参拝できない。
なぜなら、奥宮は標高2702mの白山御前峰山頂に位置するからだ。

白山は奈良時代、泰澄という禅師が開山したと伝えられており、
以来、数々の修験者や民衆が修業の場として、或いは信仰の場として
白山を尊んできた。

本筋としては、白山比咩神社~奥宮と参拝することで、
はじめてご利益があるのかもしれないが、
3000m近くの山を登るのは至難の業である。
白山神社奥宮
(お宮さんcomから引用)

その為だろう。
神社境内の片隅に、白山比咩神社奥宮が設けられている。
ここへ参れば、山頂の奥宮参拝と同じご利益が得られるのだ。



手軽に?奥宮を参拝できるとあって本殿同様人気だった

カナカナカナカナ・・・

ひぐらしが鳴く夏の午後、厳かな気持ちとともに白山比咩神社、
並びに奥宮を参り、帰路についた。

(令和元年8月1日)





2019年8月22日木曜日

職人歌合に見る中世被差別民の姿-1 紺掻

第4番 紺掻 vs 機織
【紺掻(こうかき)】



「職人歌合にみる中世被差別民の姿」と題したシリーズの第一回には、
もしかしたら相応しくないのかもしれませんが、
とにかく歌合の順番通りにやるには、
被差別民に関連しうる職人は避けて通れない訳で・・・


なぜ、相応しくないのかと言いますと、
「紺掻は果たして被差別民だったのだろうか?」
と言う、そもそものコンセプトを揺るがす疑問が出てくるのです。


網野善彦氏はその著書の中で、特殊な能力を持った職人は、
当時から、やはり特別な存在だっただろうと書いておられます。

とは言うものの、機織りに関しては、
私的には被差別民では無かったとの認識でおりますので、
ここでは紺掻に対しての検証になります。

とにかく、このシリーズに関しては、研究者の皆様には大変失礼ではありますが、
これまでの定説にとらわれず、独自解釈でやってみようと言う趣旨ですので、
ご無礼を承知で好き勝手書かせていただこうと思います。

紺掻・・・「こうかき」紺屋とも言われています。
所謂、染物屋さんです。

染物で被差別民と言えば「青屋」が知られています。
青屋は藍染を生業とする人々でしたが、地域によっては差別の対象とされ、
江戸時代には「エタと同等」と言う判例も出て、主に行刑の役を担いました。

元京都国立博物館学芸課長の下坂守氏は「紺屋と青屋は違う」と指摘されています。
紺屋は藍もやるが染物全般。
対して青屋は藍染めの傍ら、エタと共に行刑にあたった。
その道具についても、甕を使うのが紺屋で、桶を使うのが青屋ということですが、
実際にはweb上で藍染屋さんの写真や映像を見る限りでは、
(藍液で染まっているのでわかりにくいが・・・)甕様にも見えます。

Website:「しゃかいか!」より引用

職人歌合が書かれた時代は中世でしたので、
時代に伴って桶から甕へ変化したか、地域的なものなのかもしれません。

若しくは、紺掻が甕を使っている事から見て、
「紺掻が時代の流れとともに青屋へ変化した」とも考えられます。
ここは、更に研究の余地がありそうですが。

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さて、青屋が差別の対象であったのは、それ以外にも理由がありました。
藍というのは、抽出した液体(染料)は限りなく黒に近い緑、
或いは濃紺なのですが、染め終えて空気に当て酸化させると、
お馴染みの鮮やかな藍色に変わります。

科学が・・・いや、そもそも科学という概念自体が無かった時代、
「黒いものが時間を経て鮮やかな藍色に変わる⁉」
庶民にとって青屋の仕事は摩訶不思議に写ったに違いありません。
それだけでは済まずに、西洋の魔女狩りの如く畏怖嫌厭だった事でしょう。

また、染料に繊維をどっぷりと浸ける訳ですから、
腕が青く染まってしまいます。
そのような日常から離れた職人達の姿も、見方によっては
差別の対象になるには十分だったのかもしれません。

勿論、今は藍染の実用性や芸術性も広く認知されているので、
差別の対象にはなり得ないですが。

(何度も掲載してますが)紺掻

さて、歌合せに描かれた紺掻は甕を用いています。
そして甕に貯められた染料は薄い青色。
手に持った布も薄い青色=浅葱色をしています。

幕末に岡山で起こった渋染一揆は、
「衣服は無紋の渋染又は藍染」とした藩令に怒った
部落の先人達=エタが起こした反対一揆なのですが、
部落解放人権研究所 歴史部会学習報告(2008年1月19日)の中で、久保井規夫氏が
渋染一揆以前の岡山藩の御触書でも「浅葱空色無地無紋」との文言が見られる』
と指摘した上で、『渋染又は藍染は囚人服の色であった』と記述されています。
その事も、部落民に怒りを覚えさせるに、
十分すぎる理由の一つであった事でしょう。

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先にも書いた通り、これからは私の全くの独自解釈ですが、
歌合わせが描かれた中世に、少なくとも紺掻は被差別民ではなかった。
しかし、時代の流れと共に次第に青屋と同化していき、
やがて賤視される存在になったのではないか・・・
そう考えるのです。

いずれにせよ、一度藍染屋さんにもフィールドワークしてみなければなりません。

【職人歌合に見る中世被差別民の姿-1 紺掻】

2019年6月17日月曜日

職人歌合にみる中世被差別民の姿 序章

【職人歌合(しょくにんうたあわせ)】
職人歌合は、中世・鎌倉時代から室町時代にかけて描かれたもので、
職人の歌と共に、働く職人の姿が描かれた大変貴重な史料。
時代に応じて、いくつかの種類がありますが、
特に有名なのが「七十一番職人歌合」ではないかと思われます。

写真がなかったこの時代、克明に描かれた絵は、
仕事に精出す職人達の姿を生き生きと描写し、かつ
庶民の暮らしさえ連想させます。

中でも特筆すべきことは、職人歌合の中に、
多くの被差別民が描かれていることです。

武家の力を石高で表すとおり、
中世から近世にかけての我が国のスタンダードは、
田畑を耕し農作物を生産する農民達でした。

一方で、モノを作り販売する職人達も無くてはならない存在でしたが、
「農作物を生産する」という基準から外れた人々は、
時に差別の対象となりました。

もちろん全ての職人が被差別民というわけではありませんが、
ケガレ意識がすでに根付いている中世において、
穢れや呪縛などに関わる職人・仕事は賤視されていました。
イタカとエタ
傘にほっかむりは非人の装束

ここでは、江戸時代に模写された国立博物館蔵の
「七十一番職人歌合」デジタルアーカイブを引用し、
独自の解釈を加え、紹介していこうという趣旨です。

*独自の解釈
網野善彦先生など専門の研究者の方も、
多くの本や論文を書かれていることですが、
それらにこだわらず、新説でやってみたいとかねがね思っていました。
これから少しずつではありますが、
「(新説)職人歌合に見る中世被差別民の姿」をお届けしていく所存です。


2019年4月28日日曜日

部落の食文化-6:油かす(あぶらかす)その3【北出昭氏のお話編】

前回の投稿では「油かすこぼれ話」とでも申しましょうか…
当方の食肉顧問からの聞き取りとして、
油かすに関するエピソードをいくつかご紹介いたしました。

今日は、かの名作「ある精肉店のはなし」にご出演の
北出昭氏とお会いした時に聞いた、油かす話をしてみたいと思います。
当ブログの読者諸氏はご存知かと思われますが、改めて。
映画「ある精肉店のはなし」Websiteはコチラから。

ポスターの左から2番めの赤い服のかたが昭さんです。
ちなみに、昭さんの左隣のかたはお兄様の新司さん。
女性は、お姉様と新司さんの奥さんと、「肉の北出」の店名通り、
ご家族で営業されています。

現在は北出精肉店。敷地内の牛舎跡に「太鼓屋 嶋村」を構えておられる。


お仕事で忙しい中、お時間を取っていただき、
昭さんの太鼓工房「太鼓屋 嶋村」にてお話を伺いましたが、
すっかり話し込んでしまい、気がつけば2時間半(笑)
話術が巧みな昭さんの話に、ついつい時間を忘れてしましました。
所狭しと皮や胴が積まれた明氏の工房「太鼓屋 嶋村」
その時の模様は又、いずれ。
今日は、その中でも油かすについての話を書いてみたいと思います。

元々「油かす」は、油を取ったあとの副産物。
部落の人々は、日常の食事の中でそれを上手く利用してきました。
それが今や、B級グルメブームやなんやかんやで、
ずいぶんメジャーな食材になりつつあります。
お好み焼き・焼きそば・かすうどん、水菜と焚いてハリハリ風に。
とにかく噛めば噛むほど味が出て・・・
あ~ぁ、食べたくなってしまったので、この辺で昭さんのお話を。

「牛の油は昔は一缶一万円ぐらいで買い取ってくれた、それが今はタダ。
逆にお金取られんだけマシや(笑)」
とは、昭さんのお話。

牛の腸から取った油は、主に石鹸の材料になったそうですが、
ある頃を境に、外国から安価なパーム油がその座を奪ったそう。
そして、油の買取価格もどんどん下落し、
今は無料引き取りになってしまったのです。

「石鹸以外の使い道はあるんですか?」
「線屋が使ってましたな。線(ワイヤー)に塗って錆止めやね。
それから食用油」

北出さんのお店でも、以前は油を取るための鍋があったそうですが、
そんな事情で、今では取るのを止めてしまったそうです。
代わりの需要としては食用。
いわゆるホルモンですね。
今ではそちらの方が主流なのです。

「油もそやけど、骨も膠や骨粉にして肥料になったんです」

牛って"鳴き声以外は捨てるところが無い”って言いますよね。
実は、食肉・皮(革)はもちろん、骨や血までも有効に使っていたのです。

今回、昭さんにお会いし、お話を伺っている中で、
度々「いのちをいただく」「いのちの大切さ」を感じ取ることができました。
牛の飼育から屠畜までを一貫して担ってこられた昭さんだからこそ
語れる言葉であり、聞いている私も、心から納得する事が出来たのでした。

2019.1.18 貝塚市

2019年2月7日木曜日

部落の食文化-5:油かす(あぶらかす)-その2【顧問からの聞取り編】

以前、『部落の食文化-2:油かす(&写真集「屠場」の紹介)』と題し、
「油かす」の紹介を行いました。

まず、油かす(あぶらかす)の復習から。

油かすは、牛馬の腸などの「放るもん(ホルモン)」を
じっくり炒り出して油を取った残りカス。
残りカスと言うからには、元々は「油」を取った後の副産物なんですが、
被差別部落の方々は上手に利用し、料理に生かしてきました。

しばしば、油かすは「被差別部落のソウルフード」なんて言われています。
生産地区が食肉産業が盛んな部落に限られるため、
該当部落はもちろん、近郊部落では馴染みがある食材なのでしょうが、
全国津々浦々の部落ではどうなんでしょうね?

例えば、近年のB級グルメブームなんかで、
油かすやさいぼしなど、被差別部落の伝統食材も一躍フューチャーされ、
今や全国区のメジャー食材の一つに昇格した感がありますし、
油かすを使った焼きそばとしてB-1グランプリ殿堂入りを
果たしている「富士宮やきそば」はあまりにも有名ですよね。

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さてさて、本日はですが、、、
前回の「油かす」特集から、新たに学んだことを書いてみようと思います。

羽曳野市のM部落(食肉産業が非常に盛んな被差別部落)で生まれ育ち、
精肉店を営んでおられる、当「被差別部落の暮らし」の食肉担当顧問から、
非常に興味深いお話を伺いました。

顧問の家の近くに「油かす」製造工場があるそうなのですが、
昨年末、顧問の家の前を含む近辺一帯で、
「下水が溢れ出す」という出来事がありました。

調べてみると、油かす工場から出た廃水に含まれている脂分が
長年に渡り下水管に付着。
結果、下水が詰まり溢れ出したということです。
動物性油脂っていうのは冷えると固まりますからね。

余談として。。。
M地区を流れるH川の古い航空写真が、ネット上でタマに話題になります。
「赤い川」「血の川」って。

つまり、地区の屠場から屠畜の際に出る血液を含む汚水が
直接、川に流されており、川が赤く染まっているという事なのです。

以前、この辺りの事も顧問に聞いてみたのですが、
「事実」ということでした。

顧問が子供の頃には、屠場の川側に廃液を貯めるプールがあり、
そこから川に直接排水されていたそうです。

いや、例え事実であったとしても誤解をしないでください。
これは、「部落だから」とか「屠場だから」とかいうことではなく、
当時の時代背景・・・どの企業も衛生・環境管理に無頓着な時代であったのです。
それが、公害病や環境破壊を生むことになったのですが。
いずれにしても、企業の環境に対する意識が低い時代でもありました。
今は勿論、厳格な廃水管理がなされています。

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油かすは「ホルモン(内臓)を炒り出して油を抽出した残りカス」ということは、
先程述べたとおりですが、羽曳野の顧問からは、もう一つ興味深い話を聞きました。

『昔、隣のおばさんがバケツに入れたお湯を川に捨てているのを見た』
つまり、もう一つの「油かす」作り方ではないかと・・・

要約すれば、バケツに入れた内臓に熱湯を掛け、
浮き出した油を川に捨てて「油かす」を作っていたという事なのです。
ただ、これには顧問も確証が持てず、
”恐らくそうに違いない”と推測の範囲の話なのですが、
実は、なまじ推測とは言い切れないのではないかと、
私も思う次第であります。

その根拠として・・・

部落の食文化-3 フク・フクゼン・フクカスで紹介しましたフクなんですね。
フクというのは、上記のリンクをクリックしていただくと詳しく書いておりますが、
牛の肺のことで、地方名としてフクゼン・フクカス・フワ等と呼ばれています。

部落の「天ぷら」と言えば、エビやかぼちゃではなく、
フクやミノなどのホルモンを用いた天ぷらが部落流。
(もちろん、エビもイカもかぼちゃも食べます)

私も好きで、素材を買ってきて自宅でも調理しますが、
やはり、専門である部落の肉屋さんで売っている天ぷらが美味しいですね。

上の写真は、奈良県の食肉産業が盛んなT部落で購入したフクですが、
表記を見てもらうと分かる通り「油かす(店主はフクカスと言っていました)」
と記載されています。
しかし、商品自体は炒ってあるのではなくてボイル。

さて、ここで顧問の証言とフクカスが繋がった訳です。
ここからは、私の推測ですが・・・

【おばさんは】
1、フクを作っていた。
2、やはり、腸を用いた従来の油かすのボイルタイプを作っていた。
の2点でほぼ間違いないと思われるのでしょうが、いかがでしょうね?

いずれにしても、部落には、我々が持ち得る食肉文化の何倍もの
知識・技術・伝統が蓄積されており、
非常に素晴らしい食文化の一つであると言えます。

思えば、明治以前は穢れに対する忌避意識があり、
食肉もおおっぴらには出来ず(実際は隠れて食べていましたが)
皮革業に携わる被差別部落の先人達をエタ・カワタ等と賤視してきました。

ところがどうでしょう?
今私達は、ほぼ毎日と言っていいほど何らかの肉を食べ、
ホルモンに舌鼓を打ちます。
しかも、靴や鞄・衣服など多くの革製品に身を包みながら。

こうなると、
穢れって一体なんなんでしょうね?
差別って一体何なのでしょうか?

被差別部落問題に限らず、全く意味も根拠もない差別意識によって、
今、こうしている瞬間にも多くの差別が生まれています。

あの人よりいい会社に努めている。
あの人よりお金持ちだ。
あの人より学歴が良い。

他人と比べ、他人の劣っているところを見つけるのが差別の根源であるならば、
「差別」は人が元々持っている性かもしれません。
しかし、だからと言って、なくす努力を怠ってはいけません。
だから、私は今日もこうして書いています。
差別が無くなる日まで。

少し説教臭くなってきましたので、今日はここまでにしたいと思います。

次回は、部落の食文化-6:油かす(あぶらかす)その3【北出昭氏のお話編】
と題し、映画「ある精肉店のはなし」ご出演の北出昭氏に
教えていただいた油かす話をお届けする予定です。
どうぞ、お楽しみに!!