~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2017年3月31日金曜日

鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ本編

さて、先日まで「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?」と題したテーマで、
順を追って記事にしてまいりました。

特に、ここ4回については、
私の現在の暮らし=被差別部落の暮らしについて、
未指定地区と同和地区の違いも絡めてお話しいたしました。

改めて、なぜ、このタイミングで私が
未指定地区に住んでいいることを書く必要があったのか?

それは、今回のテーマ「鳥取ループ(=宮部氏)部落差別推進者か?」
の結論を導くために必要になるからです。

本日のまとめ本編では「全國部落調査問題」を中心に、
宮部氏が部落差別者であるか否かの検証を行います。

■改めて考える・全國部落調査は差別図書?

ここで再度「全国部落調査」について整理をしておきましょう。
「全國部落調査」は、昭和11年に“中央融和事業協会”の
内部資料として㊙扱いで出版されたようですが、
それが外部に流れ、やがて時を経て、
部落差別史上、最も劣悪な差別事件の一つとして語られる
『部落地名総鑑』の原本になったと言われる出版物です。

“では、この書物は差別図書なのでしょうか?”

    -------------------------
【以下は、あくまで「宮部氏の証言」をもとにして書きます。
この場にて宮部氏の証言の真否はわかりかねる旨、
ご承知のうえでお読みください】
       
宮部氏の証言によりますと、
全國部落調査は、東京都清瀬市の日本社会事業大学で見つけ、
コピーをとったものだそうです。

恥ずかしながら「日本社会事業大学」と言う大学が有ることは
今回はじめて知りましたが、Wikによると・・・

厚生省(当時)が設立した学校法人のため(公設民営)、
土地・建物は国有であり、財源の多くは国費であり、
同省の天下り先となっている。
学費も国立大学法人大学の標準額並みの設定となっている。
所在地ははじめ、東京・原宿の旧海軍将校会館跡地であったが、
1989年(平成元年)、東京都清瀬市に移転した。
原宿の旧所在地は現在、警視庁原宿警察署となっている。
旧厚生省により設立された経緯から、
研究や教育には日本の福祉政策がいち早く反映されるともいわれ、
福祉専門大学の最高峰として「福祉の東大」と呼ばれる。
となっています。

この大学の設立目的が、社会事業や福祉に関することである以上、
我が国に於ける社会事業の主たるものの一つである
「部落問題」に関する史料が所蔵されていてもおかしくはない訳ですし、
そもそも、この書物は国の外郭団体である
“中央融和事業会”の内部資料であります。

そういう意味では、図書館内でどのような扱いであったかは分かりませんが、
大学の図書館で閲覧できる資料である点も加味すると、
この書籍自体は「差別図書ではない」という事が言えると思います。
仮に、「全國部落調査」が差別図書であれば、
大学図書館の管理責任も問われるのではないでしょうか?

又、宮部氏は「全國部落調査」は
『部落研究の為に入手した』という旨を証言されています。

たしかに「全國部落調査」は、研究資料としては一級品ですし、
私自身も閲覧いたしました。

非常に精度が高く、私の住んでいる未指定地区も詳細に書かれていますし、
これまで私自身が集めた伝承や史料から見ても、
記載内容的にほぼ間違いは無いと思われます。

それだけ精度が高い「全國部落調査」ですが、
裏を返せば、“非常に精度高く被差別部落が特定できる”訳です。

しかも、インターネット上で簡単に入手・閲覧出来る。

これは、取りも直さず諸刃の剣で有るといえます、。
使用方法によっては、良質で一級品な研究資料となりうる反面、
(あってはいけないことですが・・・)
差別ソースとして使用する場合にも、
非常に精度の高い『差別図書』になる可能性も十分に持っています。

私は、「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:その2」で、
“全國部落調査と言う名の核弾頭”と言う括りで、
「全國部落調査」が持つエネルギーについて書きました。

この話は、その時には忘れていて書かなかったのですが、
思い出しましたので、補足として書かせていただきます。

以前聞いた話によると『部落地名総鑑事件』
発覚後の糾弾闘争では、
多くの購入企業が糾弾されました。

中でも大阪のとある部落では、
部落を囲っていた名だたる企業群が
立ち退きをしたそうです。

そして、その立ち退いた跡地に
改良住宅を建てたということです。
糾弾により、企業群を立ち退きさせた経緯や、
どのような話し合いでそのようになったかは調査中で分かりませんが、
とにかく此処で言いたいのは、
『部落地名総鑑』の元ネタである「全國部落調査」には、
企業群をも動かすエネルギーが有るということも言えると考えます。

■宮部氏の理論をも揺るがす全國部落調査

再度リンク致しますが「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:その2」の中で、
宮部氏が部落地区名や所在地を公表するのは、
「同和地区は、既に官公庁によって公表されている」と言う、
“根拠”に基づいての公表であると、
以前、氏自身が、何れかの投稿に書かれていた事と記憶しております。
と書きました。

又、氏自身のサイト「鳥取ループ」には、
副題に“同和行政の奥深くを追求します”と書かれています。

そのサイトの中に『鳥取ループとは?』と言う項目があります。
以下、その部分を抜粋してみましょう。

Q. なぜ同和地区の場所を晒すのですか?

A. 理由は様々ですが、
第一に「同和はタブー」だと思い込んでいる人をおちょくるためです。
きっかけは、2007年から2009年にかけて、
滋賀県愛荘町というところの役場に
同和地区の場所を電話で問い合わせた人が糾弾されたことです。

私は同時期に愛荘町に同和地区の場所を
情報公開請求(つまりは書面で問い合わせ)したのですが、
糾弾されませんでした。
なぜなら情報公開請求は条例で認められた行為だからです。

だからと言って電話で問い合わせることが禁じられているわけでもないのに、
一方だけ糾弾されるのは不公平だし、差別ですね。
もちろん、役場も解放同盟もこのことについて説明していません。

2011年に大阪府では不動産屋が同和地区一覧を示す行為が条例で禁止されました。
一方で私は大阪府の同和地区一覧を晒していますが、
解放同盟の大会では「法律上はあなたに理がある」と言われています。
私は不動産屋ではないので当然です。

ただ、もっと重要なのは私が掲載した同和地区一覧の元になったのは
部落解放同盟の関連団体が作成し、解放出版社が出版した書籍だということです。
この書籍は大阪府知事も読むことを推奨していたものです。
もちろん、この事実について大阪府も解放同盟もまともに反論できません。
とすると、行政や解放同盟は「部落問題解決のため」と言いつつ、
「知識のない人」や、「立場上反論できない人」をターゲットにして、
「弱い者いじめ」をしているとしか思えないわけです。

そして、「建前だけの秘密」を利用して、
啓発・教育いう名目で行政や企業から利益を引き出し、
金儲けしている人がいることは事実です。

NTTとかトヨタ系企業とか、名だたる企業で人権同和研修があったりしますが、
そういうことです。
何十年も部落問題を解決できずにいる人が、
偉そうな顔をしていつまでも問題を長引かせています。
無意味におちょくっているわけではなく、
おちょくられるような事をしている人がいるからおちょくっています。

つまり、宮部氏は“同和地区だから公表すべき”又、
同和地区だから公表してもよい”と言う主張をされています。

このことを便宜上「宮部理論」と名付けさせていただきますが、
宮部氏は「宮部理論」に基づき、
今まで一貫して「同和地区名と所在地の公表」及び、
司法への訴えを行ってきました。

しかし、宮部氏が公表した『全國部落調査』は、
実は「宮部理論」を揺るがす資料であったのです。

宮部氏自身が提唱してきた「宮部理論」。
その理論を宮部氏自身が揺るがすことになるのが、
前回まで、4回に渡って書いてきた未指定地区の存在なのです。

「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章1~4」の中で、
未指定地区は被差別部落でありながら同和地区指定を受けなかった。

一切の行政からの支援を断り、
行政上は一般地区としての道を選んだ部落であることを書いてきました。

そして、未指定地区は一般地区化を選択する代わりに、
行政の統計や資料にも記載されず、地区調査も行われてこなかった。

また、運動団体が結成されていない未指定地区が多いので、
部落解放同盟他の運動団体でも、
未指定地区の現状等がよくわからない。
このように書いてきました。

結論から言えば、未指定地区は同和地区のように、
公官庁や行政から公表されていない被差別部落なので、
そもそも、“公表することが出来る根拠が無い”
と言うように考えています。

未指定地区についての私論としては以上になりますが、
そこで、『全國部落調査』に話を戻します。

実は、同和地区指定が本格的に行われる前の、
昭和11年作成『全國部落調査』には、
現在の未指定地区も掲載されています。

と、言うか、
この時代は基本的には、
まだ同和地区・未指定地区の概念が存在せず、
一般的に被差別部落として扱われていましたから
当然といえば当然です。

『全國部落調査』に、実際にいくつの未指定地区が
掲載されているのかを検証することは非常に困難を極めますが、
当方が馴染み深く、判断できる近隣県をみただけでも
多数の未指定地区が確認できますので、
全国的に見れば、相当数の未指定地区が記載されていると思われます。

一般社団法人部落解放・人権研究所のHPによりますと、
政府が把握した1993年には、
同和地区数が4533地区・未指定地区1000地区以上
(未指定地区は「早急に実態調査が必要」と書かれ、
同研究所でも把握しきれていないことがわかる)
と記されており、被差別部落地区数は5533地区以上と言う事になります。

翻って、『全國部落調査』には5367地区が記載されています。
これは、調査当時の記載漏れか、
はたまた被差別部落数(この場合は同和地区数か?)が増えたのか、
若しくはその両方ということが考えますが、
繰り返しになりますが、何れにしてもこの対比を見ただけでも、
『全國部落調査』には、相当数の未指定地区が記載されています。

よって『全國部落調査』の公表は、
宮部氏自身で「宮部理論」を揺るがす資料で有るといえます。

■まとめのまとめ

話が、「全國部落調査」一辺倒になってしましましたが、
以前、鳥取ループ=宮部氏と、
ツイッター上でこのようなやり取りをしたことがあります。

「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:その2」の中で・・・

従って、部落の地区名を公表するということは、
すなわち、部落差別を助長することに、
直接繋がると言えるでしょう。

このことからも、法務省・法務局も、
ネット等で地区名を公表することは、
「差別を助長する」行為として、これを認めておりません。

と書いたことについて、以下のツイートを頂きました。


幾つもの裁判を経験されている宮部氏のコメントですので、
私は、以下のようにアンサーいたしました。

ことのことから考えますと、
私のブログは「差別を助長する」行為ではないので、
部落地名を書いても問題ないとおっしゃる一方、
これまでの宮部氏をめぐる動きを鑑みますと、
宮部氏運営の幾つかのサイトや「全國部落調査」は、
「差別を助長する」行為ということになります。

部落解放同盟をはじめとする、
各部落問題の関係者は「宮部氏は差別者」と言うことで断罪しています。
又、差別を売り物にして金儲けをしているとも書かれています。

翻って、私の認識です。
これまでの氏に関する経緯や、
先に成立した「部落差別解消推進法」成立の背景を照らし合わせると、
確かに「宮部氏は差別者」と言うことになるでしょう。

しかし私には、宮部氏は、
これまでに起こってきた数多の差別事件・差別者とは、
大きく異なって見えるのです。

そう感じるのは、氏のサイト等を通じての氏の行動や
文章によってそう感じるのですが、
例えば、足繁く部落へ通い同和地区の市営浴場の湯に浸かる。
部落内の飲食店で食事もされている模様。
真の差別者が行う行為には到底思えないのです。

そう言えば、何度かこのブログでも書いていますが、
豆腐屋の話を今一度紹介しましょう。

部落の近くに、ある豆腐屋がありました。
そこへは、近所の人々に混じって
部落の方も豆腐を買いに来ていました。

豆腐のお金を払うとき、
近所の一般地区の人々には、
店主は普通にお金を受け取っています。

ところが、部落の方が買いに行くと、
店主はお金を「水を張ったバケツの中にあるザルへ入れろ」と言う。

「部落は穢れているから、お金も穢れている。
綺麗に洗わないと受け取れない」と・・・

有名どころでは、小説「橋のない川」。
修学旅行に行った主人公・孝二は、
部落外の学友数名と部屋を共にする。
夜になり、イザ就寝と言う段になって、
部屋から一人減り二人減り・・・
とうとう、最後は孝二ひとりになり眠れない夜を明かす。
「エッタ(映画中での部落民の表現)とは一緒に寝れん」と言うことだ。

こんな差別話はゴロゴロあり、
書いていけばキリがないですが、
話を宮部氏に戻しましょう。

このブログの読者諸氏、
実際に結婚・就職差別を受けられた方、
又、部落所在地が知れ渡って不利益を被られた
(被られる恐れがある)方に取っては、
「スギムラはなに言うとるんじゃ!!」というお叱りがあるやもしれませんが、
これが、私の正直な現在の心境です。

以前読んだ上原善広氏の著書(題名は何だったか忘れましたが)の中で、
「宮部氏に差別性を感じなかった」と言う旨を、
実際に宮部氏と会った時の印象として書いておられます。
或いは、上原氏が書いたその事が、
私の心のどこかににあるのかもしれません。

しかし、再度言っておきますが、
現在の部落をとりまく現状や
差別事象が日々起こっている状況下では、
宮部氏の行っている行為は、差別を助長する行為
であることは間違いありません。

一方、「金儲け説」ですが、
これに関しては何とも分かりません。

確かに、宮部氏は「全國部落調査で金儲け」とツイートされていましたが、
後にこれを否定されています。

他に、何冊もの本を出版されています。
実際に経理的なところも当然分かりません。
しかし、話題になればそれだけ売上は伸びるでしょう。

又、よく芸能誌などで囁かれるのが、
芸能人ブログの「ワザと炎上」です。

これは、自身のブログを「ワザと炎上」させることによって、
アクセスを集中させ、結果的に広告収入を
稼いでしまうと言う手法なのだそうで、
元モー娘のT.Nさんなどは、
この手法で月に数百万円の広告収入を手にしているとか・・・。

もしかしたら・・・?と言うことは有るかもしれませんが、
それは、宮部氏自身しか分かり得ないことですので、
此処ではこれ以上は書けません。

■最後に・・・
これまで私の筆不精も加わり、非常に長期に渡り
「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?」と題し、
部落差別解消推進法のキーパーソンの一人である
宮部氏について検証してきました。

この先、「部落差別は一体いつまで続くのか?」
誰もが思っているこの疑問を、
この記事を書いていて改めて感じました。

明治4年に「穢多非人の称を廃す」とされた太政官布告、
所謂、解放令が出されてから約150年もの月日が流れました。

“十年ひと昔”とはよく言いますが、
150年などは大昔となってしまいます。

そんな、大昔に解放された被差別部落が存在し・・・
いや、被差別部落が存在することは何ら問題ではなく、
むしろ、被差別部落は存在すべきであると私は思う。
また、部落民も存在すべきであると考えていますが
本当に解放されなければならないのは、
部落差別=私達の差別心なのです。

かつて、沖縄県民は、本土では非常に強い差別があったと聞きます。
しかし今は、沖縄の観光資源や芸能人の活躍等で
非常にアツい島になっており、羨望の眼差しさえあります。

わたしは、このブログでも何度か言っております。
部落民は、部落を隠すことでも卑下することでもなく、
堂々と、部落民としてのアイデンティティを
持ち続けること、その上での部落差別の解消が、
真の部落解放であると書いております。

それだけ誇れる部落の文化があり、
社会への貢献があるわけです。
部落を知れば知るほど、
部落のいい所が見えてくるのです。
いつか被差別部落が羨望の眼差しで見られることを願ってやみません。

だから、未だに部落差別が存在すること、
又『部落差別解消推進法』が成立すること、
いや、成立せなければならなかった社会情勢に憤りを感じます。

その中でも、私なども含め、
部落差別に異を唱える一般地区民が多くおられることは、
誠に心強い限りであります。

余談ですが、私は、
各所の部落展示室へ出向くことが多いのですが、
それらの展示室は市区町村の管轄の元、
NPO法人で運営されています。

最近ツイッターで書いた、
舳松人権歴史館やツラッティ千本でもそうですが、
そのような展示室のNPO職員さんは、
殆どの方が部落外の人々なのです。

部落外の人々が、地区の勉強をして、
来訪者に説明をしてくださいます。

これまでの部落解放運動や啓発、
国・行政の政策などの成果があったことに加え、
皆さんのモラルの向上が、
そのような理解有る方々を増やしてきました。

本当に150年は大昔だと思います。
だからこそ『全國部落調査』などが出てきても、
大昔の資料として・・・
歴史の一ページとして・・・
昔話として語られる社会でないといけません。

一日も早く部落差別がなくなり、
大昔の話として何気に語れるよう、
私はこのブログを書き続けます。

ありがとうございました。

スギムラ シンジ

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2017年3月7日火曜日

鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章4&生立ち編-41

さて、「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章&生い立ち編」と題し
生い立ち編を絡め、未指定地区の現状等をお送りしてきましたが、
本日は「まとめ序章」の最後として、
なぜ、私が住んでいる場所が被差別部落と分かったのか?
その疑問にお答えしたいと思います。

■ここが被差別部落と知った出来事

それは、今から7年前。
私は歴史が好きで、自宅近くの廃寺跡を探しに行った時のことだ。

暫くあちらこちらとウロウロしたが、
結局廃寺跡はわからなかった。
残念に思い歩いて帰路についていたら、
近くで作業されていた初老の男性がおられ、
「何か手掛かりがないか」・・・と、
廃寺について聞いてみた。

無事、廃寺についての情報も得ることができ、
おおよその場所も教えていただいた。

いくつか地域の話や世間話なども交え、
15分ほど話しただろうか?
何かの拍子に私が自分の住まいが、
〇〇町であることを伝えた。

すると初老の今までの笑顔が陰りを見せ、
急に神妙な面持ちでゆっくりと語り始めた。

「あんたら引っ越してきた人は知らんやろうけど、あそこは部落なんや」

そう聞いた途端、私のこの地区に対する
長い間抱えていた違和感が
すっーと氷解していくのが分かった。

袋小路になった細い路地も、
同和地区に立っているような
隣保館によく似た立派な公民館も、
その時全てが瞬時に理解できた。
点と点が繋がり線になった感覚だった。

私は、これから語られるだろうことが
差別的な内容であることを十二分に予測したが、
同時に、真実の話として、
自分の住まいについての情報、
それがさらに、被差別部落に関することであるということが優先し、
そのまま静かに初老の話を聞くことにした。

「それは私が小さかった頃の事。小学生ぐらいだったと思う」

そう語り始めた初老は、
少しずつ記憶を手繰るように、
ひと粒ひと粒、
言葉を探りながら話しだそうとしている。

しかし、その表情は、
決して思い出したくないであろう昔の記憶。

そう。
まるで昔あった出来事が、
あたかも目の前で再現されているようで、
初老の顔のシワが、
より一層深くなったように見えた。


『ワシは、そこが部落であることを知っていたが、
ある時、好奇心から一人でそこの部落へ入ってみたんや。

親兄弟からも、あぁ、そう言えば友達同士でも
そこが部落であるから絶対に近寄ったらアカンって言うとったが、
好奇心には勝てなかったし、
並んどる家も普通の家で、
街並みも周りと変わらんように見えたしなぁ。

部落に入ってしばらくすると
自分よりもホントに小さい子供。

幼児に近い位の小さい子やった。

その子がワシの前に寄ってきて、
いきなり「ワレどこのもんや、勝手に入ってくるな」と
頭ごなしに怒鳴りつけたんや。

私はいきなりのことで気が動転したんやが、
自分よりもずっとずっと小さい子供に怒鳴りつけられたことが恐ろしくなり、
一目散に逃げ出したんや。

それから60年ほど経つが、
駅の向こう側は今まで一切足を踏み入れたことがない、
正直今でも怖いんや』


その話を聞いて私はこう言った。

『私は、そこに引っ越して10年になるんやけど、
危ない思いをしたことも全くないし、
普通の地区と全く変わりませんよ』と言ったが、
初老は「その時の人らもまだ住んでるやろ」とポツリと言って
口を閉ざしてしまった。

初老は、幼少期のこの出来事を
今でもトラウマとして深く心に残っている。

彼の場合は実体験として受けた出来事が、
60数年経った今でも、
差別と偏見の源になっているようだ。


■“部落”と聞いたその後の話

それから私の部落研究はより一層の熱を帯び、
部落研究とともに、自らの地域の研究に力を入れるようになった。

しかし、前回の頁で書いたように、
未指定地区であるが故、
史料がほとんどと無いのである。

いや、
「残っている・残っていない」の話ではなく、
そもそも、そのような史料が存在しないのである。

ただ、二・三の史料は見つけることができた。

例えば、
江戸時代、隣のエタ村と草場*の取り合いがあり、
奉行所に仲裁を求めた事、
同和関連法施行以前に
幾つかの改善事業が行われていた事等だが、
同和地区指定され、行政の統計報告書が毎年作られる上に、
多くの研究者の研究対象になっている同和地区に比べ、
未指定地区についての史料は見つけ出すことすら困難である。

*草場・・・エタ村の縄張り。
斃牛馬が出た場合、その草場のエタ村が処理権を得た。
旦那場とも言う。

そう言う意味では、
“聞き取り”が一番の史料である。

しかし、地域の古老の口は固い。
過去についてあまり話したがらない。

仲の良い三軒先の古老に昔話を聞くこともあるが、
こちらから何となく部落系に持っていこうとすると、
古老はそれをやんわりと否定するかの如く、
話題を違うほうへ持っていく。

きっと、過去の事、
部落の事について話したくないのが実情であろう。

住民総意で、同和地区指定を受けずに
一般地区として生きていく道を選んだのだから。

声に出さずとも「ここは、部落ではない!!」
と言っているのが気迫として伝わり、
私はそれ以上聞くのをためらって今に至っている。


■“部落”では無くなったのか?

では、私の住んでいるこの部落は、
はたして被差別部落ではなくなったのか?

歴史上の事実としては、
被差別部落であることは間違いないし、
これからも、被差別部落であることに何の異論を唱えることはできない。

つまり、同和地区指定を受けなかったにせよ、
それは行政上の事だけであって、いわば手続きだ。

だから、永久に被差別部落であることには変わりないし、
属地主義の考え方に立てば私も部落民である。

では、住民の意識はどうか?

先に書いたとおり、
もともとは50世帯ほどの部落であったが、
戦後、経済の急成長とともにこの地区は開発され、
田畑が軒並み住宅へ変わっていった。

そして、現在は、400世帯を数えるまでになった。
およそ8倍にまで増えたわけだが、
350世帯は部落外からの転居者、
要するに、部落外の人々である。

しかも、駅から近い立地を生かし、
結構若い方が多く住んでおられる。

また、転居組のご近所さんと話をしていても、
(おそらく・・・おそらくであるが)
ここが部落あるということを知っている方はおられない。

そして、部落の象徴である、隣保館や改良住宅といった
公共施設も建っていない。

住民の意識レベルでは、
「被差別部落では無くなりつつある」というのが現在の状況であろう。

ただ、先ほど登場の初老や、
三軒先の古老(この方は部落民)の中では、
被差別部落はまだまだ生き残っている。
残ってはいるが、記憶から消し、忘れ去ろうとしている。

したがって、未指定地区では
“被差別部落意識”の二極化が起こっているわけであるが、
これは、住民の殆どが部落民であることを意識する
同和地区在住の部落民とは、明らかに意識の相違が見られる。
(法律が終了した現在、法律上は一般地区化した同和地区は、
一般地区住民への旧隣保館の開放、改良住宅の一般公募、
地区外からの同和保育所への受け入れなど、
開かれた同和地区を目指している自治体もある)


■消えゆく記憶と目覚めた記録

さて、これまで述べてきた理由から、
未指定地区の現況をおおよそ掴んでいただけたと思うが、
これからの未指定地区は、
どのような方向に進んで行くのであろうか?

一つは、農漁山村の未指定地区の場合。

これは、まとめ3でも書いたとおり、
おそらくであろうが・・・残念ながら、
これからも劣悪な住環境や
周りからの差別状況に大きな変化は期待できないであろう。

しかし、都市型の未指定地区の場合、
意識レベルでは、ほぼ一般地区といっても間違いないと思われるし、
行政資料や例規、或いは書籍にも登場することがない。

ここが部落と、知っているのは、
年老いた生き証人達。

ただ、失礼ながらこの生き証人達も、
近い将来旅立たれることを考えれば、
記憶については風化していくことであろう。

つまり史実の中では被差別部落であるが、
人々の意識からは消え去るのである。

これは、真の意味での“解放”と言えるに違いない。

いや、違いないはずだった。


しかし事は、突然起こった。
被差別部落であることが風化し、
消えゆく寸前であった未指定地区が、
“記録”として突如目覚めることとなったのである!
しかも、永久に風化することがないその記録が・・・

=================

ここまで、4回に渡って書いてきた「まとめ序章」ですが、
いよいよ次回は、まとめ本編に移ります。

多くの皆様に読んでいただき誠にありがたい限りです。
とりわけ鳥取ループ=宮部氏自身にも読んでいただいている事は、
このテーマも、意義のあるものになっているのではないかと感じております。

更新頻度が遅く申し訳ない限りですが、
これからも「被差別部落の暮らし」をよろしくお願い申し上げます。

スギムラシンジ


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部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・

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