~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2017年4月28日金曜日

江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その1/見て記行って記被差別歩記-5

行政の効率化を目的に、全国で進められた平成の大合併から、早十余年。
今、合併を行った市町村の多くは、その誤算から大きな苦境に立たされている。
残ったのは、効率化とは程遠い「借金の山」と「広大な市町村域」。

『9つの自治体が合併した大分県の佐伯市では、
市の端から端まで3時間掛かるという広大な面積の為、
通常は統廃合する、合併前にあった8つの役場を全て残している』と言う。
【NHKクローズアップ現代より要約】

今回紹介する京都市京北(前京北町)も、平成17年に京都市と合併、
新たに右京区に編入された。合併により、京都市の面積も、
610,22k㎡から827,90k㎡と大幅に増加したのであるが、
金閣寺や清水寺などの市街地の有名観光地を訪れる観光客には、
ここが同じ京都市であるとは、にわかに信じられない光景であろう。

京都市街地から、車で更に一時間以上掛かるこの山間の地は、
北山杉の産地として有名である。

北山杉は、家屋が伝統的な日本建築であった時代には、
高級建材としてもてはやされた。
特に、床の間や茶室などに用いられる「磨き丸太」は全国的にも人気が高いが、
現在は、建築様式の変遷に伴い、需要が激減。
かつて隆盛を極めた林業も、今や、斜陽産業になってしまった。

話は変わって・・・
江戸時代、「穢多村」と呼ばれていた被差別部落は、
製革業が主な生業(なりわい)の一つであったことはよく知られているが、
それ以外にも、幕府や藩から、もう一つ重要な任務を与えられていた。
それが、刑警吏役(けいけいりやく)である。

刑警吏役とは、今の警察業務であるが、
現在のように各セクションに業務が分かれていたわけでなく、
捕物から、収監、死刑執行(場合によっては死体処理)を一手に引き受けた。
穢多・役人村に伝わる捕り物道具(映画:人間みな兄弟より)
いや、引き受けざるおえなかったのが、幕藩から強制的に命ぜられた穢多の仕事であった。
これは、穢多(藩によっては非人もこの役を務めた)に、百姓一揆の首謀者などを
処罰させることにより、農民の怒りが穢多・非人に向くように仕向け、
幕藩へのガス抜きになるよう利用されたためである。

それ故、江戸時代には、刑警吏役を務める穢多村は「役人村」とも呼ばれるようになった。
また、それらに携わる穢多達を「長吏(ちょうり)」とも言ったが、
特に弾左衛門は、皮革業に携わる穢多達を取り仕切る穢多頭でありながら、
穢多という言葉を極端に嫌い、刑警吏役を務めるものの意である「長吏」を好んで用いた。
しかし、時を経て、いつしかそれは「チョーリンボー」という差別語へと変化していった。

さて、話を戻そう。
私は、ある別件の調査で、過去5年間に2度ほど、
京北・丹波周辺の部落にフィールドワークへ訪れていたのだが、
その調査の過程で、私の興味を引く、ある事実を知ることとなった。

その事実とは、なんと、かつて役人村であった京北の被差別部落に、
江戸時代の牢屋が現存しているというのだ。

しかも、現存する江戸時代の牢屋は限られている上に、
刑警吏役を担った穢多村=役人村に現存する例は、全国的に見ても他にないという。
この貴重な歴史的建造物を見るために、私は再度、京北の地を訪れた。

【江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その2へ続く】

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2017年4月13日木曜日

刑務所 【生立ち編-42】

「シンジ。刑務所に行きてこい!!」

ドジョウをすくい、セミを追っても楽しいのは最初のうち。
何もない田舎の退屈さに次第に飽き、
天気もいいのにゴロゴロとしていた私のグウタラな姿を見て、
ばあちゃんが痺れを切らしたように私に言ったのです・・・。

=================

あれは、小学校3年か4年の夏休み。
年の頃では、10歳前後でしょうか。
今から、40年近く前の話になります。

毎年、学校が長期の休みに入ると、
母・妹と共に母の実家へ帰省するのが恒例となっていました。

そこはかなりの田舎で、周りは田畑。
小川にはメダカやナマズが泳ぎ、近くの山にはカブトやクワガタがいました。

今は、近くに大型商業施設やスーパーも出来ているのですが、今は昔。
その頃は、何処にでもある昔の田園風景。
自然には恵まれているのですが、退屈で仕方ない。

じいちゃん・ばあちゃんの真似事をして、私も鎌を片手に草刈りをするのですが、
刈っても刈っても有り余る雑草を前に、暑さでやられてしましそう。
タマにばあちゃんが、畑からサッとスイカをもいで、鎌で割ってくれるのですが、
スイカを食べるや「ばあちゃん。アツいし先帰ってるわ」なんて、
ロクに手伝いにもなりません。

オマケにテレビは、電波状況が悪くて4チャンネル位しか映らない。
いくら私の生まれ故郷と言っても、
母が「里帰り出産」しただけで、育ちはずっーっと都会育ちでしたから、
田舎の暮らしは、都会とはまるで違った退屈な場所でしかなかったのです。
(今は、田舎暮らしに憧れていますが・・・)

じいちゃんは元警察官で、後に叙勲を受けたほどだったので厳格この上なく、
宿題もせず、ゴロゴロとしながら漫画を読んでいる私の姿を見ては
火のついたように怒り出し、延々と説教が始まるのでした。

そんなじいちゃんが私は大嫌いだったのですが、
やがて、脳梗塞で体が不自由になり言葉もロクに発せなくなると、
それまでの私に対する暴挙がウソのように静まり返ったのです。

もっとも、説教をしたくとも体の自由が利かなかったせいかもしれないし、
若しくは私が成長したせいもあったのでしょう。

私が24歳の時、最初の子供が生まれてまもなく祖父が他界したのですが、
あんなに嫌いだった祖父の死に顔を見た途端、
何故か涙が溢れてきた。

その時、そう言えば子供の頃、
「警察官になって白バイに乗りたい!!」と言っていたことを思い出したのです。

今は、そんなじいちゃんを誇りに思っています。
心の何処かでは、ずっと、じいちゃんの事を尊敬していたのかもしれません。
(あ、そうそう。警察官には、なりたいどころか、逆に苦手になりましたが)

じいちゃんとは反対に、ばあちゃんは、
打って変わって優しくて大好きだった・・・。
いや、「大好きだった」となれば故人のようですが、
“ピンピン”とまではいきませんが、90歳を超えた今でも田舎で、
そこそこ元気にしています。

そんな大好きなばあちゃんが、痺れを切らすグウタラぶりでしたが、
「刑務所に行きてこい!!」と言う言葉に、私は即座に反応しました。

いや、断っておきますが、ばあちゃんは、
私が犯罪を犯して「刑務所に入れ!!」と言っているのではありません。
○○と言う集落に刑務所があるから、「見学に行ってこい!!」と言う意味です。
読んで頂いている皆様は理解していただいているでしょうが、念のためあしからず。

私は、「刑務所」と言う、非日常的な場所への期待感を胸に膨らませ、
今までのグウタラぶりがウソのように、早速行動に移しました。

「“納屋に自転車があるけぇなぁ”って、ばあちゃん言ってたけど、
これ、大丈夫かなぁ?」

納屋にあった自転車は、既に長く乗られていないようでタイヤは凹み、
ホコリをかぶっていました。
なんせ40年前ですから、何気に馬鹿デカイ。
酒屋の配達に使うような自転車が姿を現しました。

早速行きたいのですが、先ずは空気入れからです。
幸い、空気意外は悪いところもなく、心ウキウキ出発しました。

田舎の農道ですから、暫くは砂利道。
不慣れな自転車に不慣れな道。
でも、持ち前の順応性で舗装道に出る頃には、
大きくて重たいオバケ自転車を、ある程度あやつれるようになっていました。

それに、不慣れな道でしたが、小さい頃から慣れ親しんだ土地でしたので、
土地勘はわりとあったことも幸いし、
ズンズンと対象物に向かって進むことが出来ました。

川を超え、田園風景を走ること30分ほどでしょうか。
いつくかの集落を超えたあたりで、
山の上に、見覚えのある給水塔?を発見しました。

あの給水塔が見えれば、刑務所はもうすぐです。

そして、最後の集落へ差し掛かりました。
この集落を抜けると、いよいよ刑務所です。

途中、朽ち果てた牛小屋があったので、
自転車を止め中へ入ってみました。

今では、各地で牧場や牛小屋を見ることも何気にありますが、
この頃は、行動範囲も狭く、都会暮らしだった私は、
朽ちて主がいない牛小屋でも、十分に非日常的でした。

この集落のことは、これ意外何も覚えていませんが、
特に覚えていないということは、そこらにある集落と
何ら変わりがなかったと思われます。

でも、そんな何ら“変わりがない”集落の端に、
“変わりがある”非日常的な刑務所がデンとそびえていました。

時は夕方だったと記憶しています。
夏の夕方。
ヒグラシでも鳴いていたことでしょう。

その“変わりがある”施設は、誰も居ないかのようにシーンとしていました。
前が田畑、後ろが山という立地もあったのでしょうが、
本当にココに囚人達、いや人がいるのかさえ疑われるほど静まり返っていました。

私は、自転車を壁に寄せ、荷台に立って中を覗こうとしましたが、
壁が高く覗くことが出来ませんでした。
しかし、その壁は以外にも、覗こうとしたら可能なほど低かった記憶があります。
今、そんなことをしていれば、明らかに不審者ですねww

去年久しぶりに、車で刑務所の近くまで寄ってみましたが、
改修でもされたのか、何だか子供の頃見た記憶とはかなり違うように見えました。
面影が残っていないというか・・・
それとも、私の思い違いが?
なんせ40年ほど前のことですから、私の記憶が歪曲されているのかもしれませんが。

==================

それから何年位経ったころでしょうか?
刑務所がある集落が「被差別部落を含む集落」であるということを知ったのは。

多分高校生くらいの頃だったでしょう。
ばあちゃんから話を聞いたと思います。

ばあちゃんは、このブログでも何度か紹介しましたが、
田畑を貸している部落の方々が、
正月前にしめ縄を持ってやってきた時もキチッと対応していたように、
部落民だからと言って、差別はしていませんでした。
だからこそ、ばあちゃんは、部落を含む集落の「刑務所に行ってこい」と言ったわけですが、
昭和50年代といえば同和施策が始まって間がない頃。
各地で改良住宅が建ち、道が整備されはじめて、
部落にもようやく町づくりがなされてきた時代ですが、
今思えば、この集落に、特に違和感を感じなかったことを思うと、
既に改良事業が行われていたか、
若しくは比較的裕福な被差別部落ではなかったかと察します。

===============

江戸時代、部落(=穢多村)は、
幕府から警刑吏役(けいけいりやく)を担わされていました。
警刑吏役とは、今で言う警察業務と刑務所の仕事なのですが、
特に、この時代の死刑執行にも携わりました。

白土三平氏の劇画「カムイ伝」には、
その模様が克明に描かれていますが、
これは、当時“国の宝”と持ち上げられていた農民を、
穢多(カムイ伝中では非人と表記)が死刑執行することによって、
農民達の怒りの矛先をエタに向け、
農民一揆を未然防ぐガス抜き政策の役目をも担ったわけですが、
当時の農民には、そのような政策をも理解し難く、
まんまと幕府の思惑通りになってその矛先は穢多非人に向い、
より差別は強化されていく構造が作られたのです。

そして、穢多村には牢屋が設けられ、その番をしたことから、
賤称の意味を込め、番太などと呼ばれることもありました。

牛馬の革を鞣し、牢屋番や水番をする。
時に、城や寺社の清掃を行い社会に奉仕をするその様は、
現代の公務員のハシリと言えます。
(今は、公務員といえど、社会奉仕しているのか不安方もおられますが・・・)

その名残で、刑務所を持つ部落もいくつか存在するようです。
少し古い本になりますが、原田伴彦著「部落と差別」の中にこのような記述が見れます。

最近私は,
広島県、岡山県及び佐賀県の部落の調査の仕事をしましたが、
その1つに呉市のY地区があります。
約250世帯700人近い地区です。
呉市の中心街から西北の狭い谷間の傾斜地です。
この狭い部落の中に入り口から畜産場(家畜市場)、屠場、拘置所(刑務所)
 市営の火葬場、同じく後産処理場、野犬処理場、墓地がひしめいていました。
その中に小さな不良住宅が密集していました。

~中略~

ここが部落であるために市行政がすべてここに設置したのです。
火葬場とお産の汚物等を焼く煙、畜産場や野犬処理場の臭気は部落を四六時中を覆っていました。

ココの集落にある刑務所の成り立ちは、
集落の被差別部落とは関係ないようですが、
少なくとも、この部落でも江戸時代以前には、
警刑吏役を担っていたことでしょう。

この様に、社会奉仕する部落民達ではありましたが、
皮肉にもその仕事が、これ以降、綿々と続く差別へのらせん階段であったことは、
今の世になって、やっとわかった事実です。

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2017年4月9日日曜日

部落の食文化-4 部落の天ぷら売り


「もうボチボチ来てはる頃やろ。チョット行ってきてぇなぁ」

義母が、娘である私の嫁に声をかけます。

「ほな、オレも一緒に行くわぁ」・・・


部落では、いくつになっても「天ぷらを買いに行く」のは子供の仕事。
嫁も、小さい時からずっ~と、天ぷらを買いに行ってきました。

嫁が生まれ育った部落には、決まった曜日に「天ぷら」を売りに、
軽バンを改造した移動販売車でオバちゃんがやってきます。

「オバちゃん。赤と白が5個ずつと、フクゼン10個ちょうだい」

「ハイよ!!今フクゼンが5個しかないし、チョット待ってくれるか?」

子供の頃から買いに行っている嫁は、手慣れた感じでオバさんに注文します。
オバさんは、衣をつけたフクゼンを油に入れながら・・・
「お母さん元気にしてはるか?」
「うん。元気やで」

なんて、世間話をしているうちに、熱々の天ぷらが揚がってきました。

実は、部落に売りに来る天ぷらは、エビやサツマイモではありません。

赤はレバー
白はミノ
そして、フクゼンは前回このブログで紹介した牛の肺。

部落の天ぷらは、『ホルモンの天ぷら』なのです。

「ハイ、おまっとうさん。おおきになぁ」

数が少なければ、少し待てばオバさんが揚げてくれますが、
数が多い時は、「オバちゃん、5時に取りに来るさかい、20個づつ揚げといて」
と、先に注文を出しておくと、時間通りに揚げてくれます。

それにしても、次から次へとお客さんが来て、
オバちゃんもてんてこ舞です。

部落の人は、この天ぷらが本当に好きですが、
皆さんが食べても、きっと好きになってしまうでしょう。

甘くてトロみのある付属のソースを付けて食べるのですが、
時にはオヤツに又、ご飯と一緒に食べてもいいし、
酒の肴にと、TPOを選ばない万能食品です。

勿論、エビやサツマイモの天ぷらも普通に食べますが、
部落で“天ぷら”と言うと『ホルモンの天ぷら』を指すことが多いですね。

「オバちゃん。どこから来てんの?」
ある時、私は聞いたことがあります。

だいぶ前の事だったので、不覚にも何処の地区だか忘れてしましましたが、
市内の部落から来ているということでした。

天ぷら売りのオバちゃんは、軽バンで市内の部落を回っています。
○曜日は☓☓部落
□曜日は△△部落という風に。

1個60円ですが、皆10個単位で買っていきますので、
結構な儲けになるかもしれません。

なぜなら、この部落には、
大抵の部落にもあるような肉屋・ホルモン屋がありません。

昔はあったようで店舗だけは残っているのですが、
私がこの部落に出入りするようになった頃には、
既に閉店していました。

大抵の部落にも・・・と書きましたが、
都市部の改良住宅が建っている部落では、
通りに面した棟の1階部分が店舗として供給されている場合も珍しくありません。

そのような、改良住宅内店舗に肉屋が入っていたり、
部落内で独立店舗を持っていたりと様々ですが、
とにかく、そのような店では肉やホルモンと併せて
『ホルモンの天ぷら』や『スジの焚いたん』(関西弁で焚いたものの意)など
部落の伝統的な惣菜も販売していることが多いのです。

例え、部落内に肉屋があってホルモンが手に入っても、
案外天ぷらって面倒くさくて難しい。
だからこそ週一回、天ぷら売りのオバちゃんが来るのを
皆心待ちにしているのです。

今は、そんな光景を見ることはありませんが、
昔は子供達もおやつ代わりに買って食べていたそうです。

丁度、100円玉握りしめて、駄菓子屋に行くような感覚だったのでしょうね。

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2017年4月4日火曜日

部落の食文化-3 フク・フクゼン・フクカス

これまで、サイボシや油かすなど、
部落で長きに渡って食されてきた食材・料理を
紹介するコーナー「部落の食文化」。

やはり、部落の食文化ってことで“肉”を使った
食材・料理がメインになるのですが、
“肉”については、部落は非常に長い歴史と文化を持っております。
その長い歴史が、上手に工夫して美味しく食べる術を生み出しました。

しかしその反面、それらの食材・料理も、その歴史と反比例するように、
長い間世に出ることはなく、部落の中だけで食され受け継がれてきました。

それは穢れ意識であり、差別につながっていたのですが、
近年は、その垣根もずいぶん低くなったと同時に、
B級グルメ・ソウルフードブームの影響もあって、
部落の料理や食材が少しずつではありますが
一般に浸透していることは非常に感慨深いことですね。

今日は、その中でも一般での流通量が非常に少ない
「フク」を紹介いたします。

皆さんは「フク」をご存知でしょうか?
地方によっては、フク・フクゼン・フクカス・フグ・フワ・バサetc・・・と、
かなり多くの方言が存在しますが、
全国共通語に直しますと『牛の肺』なのです!!

牛の内蔵・ホルモン類の中でも、
一般地区的にはマイナーな部位なのですが、
被差別部落では超メジャーで、
人気が高くて誰もが知っている食材の一つです。
まさに、全盛期のイチローを思わせるメジャーぶりです。

さて、コチラがフクです。

嫁の部落では『フクゼン』と言っています。

タマに奈良県へ行くと、Tと言う部落に寄ってフクを買って帰ります。
T部落は、奈良県随一の食肉産業が盛んな部落で、
羽曳野ほどではないですが、結構な数の食肉工場や食肉卸があり、
中に数軒、小売をやっているお店があります。

ずい分前に、私が初めて「フク」を買って帰った時、
嫁は「こんなん知らん~、食べたことない」と言っていましたが、
それは、大きな勘違いで、その方言の多さが原因でした。


このような表示で販売されているのですが、
まず、“油カス”と言う表記に騙されたようです。

つまり、いつもの油カスとフクゼンが一致しなかったようですが、
天ぷらにして食べたら「アッ!!フクゼンやんか~」と。

どうやら実際に食べた時に「油カス(フク)」と、
慣れ親しんだ『フクゼン』が繋がったようです。

さて、このフクですが、食肉産業が盛んな羽曳野のM部落で生まれ育ち、
精肉業をされているNさん(被差別部落の暮らし:食肉顧問)によると、
M部落では『フグ』と言うそうです。

さ~て、又新たな名前が出て、いよいよ混乱してきましたが、
私はこの名前を聞いて「ハッ」としました!!

今まで、「フク」だから気が付かなかったけれど、
「フグ」と聞いて、フクの語源が分かった気がしたからです。
(あ~ややこし~)

魚の「フグ」で有名なのが下関のトラフグですが、
本場下関では「フク」と言いますね。
(魚まで出てきて、もっとややこしいやんか~)

将に、今回のテーマである“牛の肺”と同じ方言、
フクとフグになっています。
そして、フグ(魚)の語源の一つに「ふくれるからフク」
と言うことが言われていますが、
牛に限らず、肺というのはふくれますから、
牛のフクも「ふくれる」状態を形容したものかも知れません。
フグは、フクが変化したものでしょうね。

他にフワと言う語もあるそうですが、
これも、フワフワと言う地域もあるようで、
風船のようにふくらんでフワフワしているという形容語だと思われます。

・・・あくまで推測ですが。
でも、イイ線いってると思います。

ただ、嫁の部落の方言である『フクゼン』の“ゼン”や、
バサと言う方言はよく分かりません。
意味を知っている方がおられたら教えて下さいませ。

あぁ、そう言いえば、フクの方言を探している時に、
面白い事を発見しました。
『ハイサイ沖縄方言』と言うサイトによりますと、
【沖縄方言フクの意味は肺です】とあります。

じゃぁ、ホルモンのフクも沖縄が語源か?と言うことになりますが、
それは、ないと思います。
恐らく同時発生的な形容表現かと。

話は、戻りまして「油カス(フク)」の表記についてですが、
奈良県のT部落の方は『フクカス』と言う表現をされていました。

フクの油カスだからフクカスなのでしょうが、
私達が油カスと聞くと、腸を揚げて油を抜いた
例のカリカリの油カスを思い浮かべるのですが、
これも、油カスとなっています。

しかし、売られている「フク」は、火が通してあるものの、
柔かくって、とても油が採れるようなシロモノではないような気がします。

そこで前出の食肉顧問のNさんに聞いてみました。

「奈良のT部落では、油カス・フクカスと言う表現をしていましたが、
フクから油は採れるものなのでしょうか?」

すると、Nさんは
「う~ん?無理やと思うけどな~」と言っておられました。

私は生の状態を写真でしか見たことが無いのですが、
どうも、油が採れるような部位ではなさそうです。

ただ、先程も書いた通り、販売されている状態は恐らく湯引きされ、
火が通っている状態ですから、その際に少量の油が採れるのかもしれません。


さて、肝心の食べ方と味の方ですが、
私には、クックパッドに投稿するような調理・工夫も、
彦麻呂(古~)のような豊富なボキャブラリーもありませんので、
つまらないレポートになるかと思いますが、
なんとか書いてみましょう。

まず、調理法は・・・天ぷらです。

オーソドックスすぎて何の工夫もないですが、
シンプルイズベスト!!
これが、本当に本当に本当に美味しい。

肉質はフワっという表現が適当なくらい柔らかで、
ホルモン独特のクセや匂いも気になりません。

味は、レバーを少し薄味にしたような感じで、
「肉の宝石箱や~」とまでは行かなくても、
「肉の弁当箱」(意味わからんねぇ。ボキャが少なくてすんません)ッて感じです。

他にはそうですねぇ・・・
湯引きしてあるのですが、
今一度火を通して生姜醤油、そこに七味でも効かせれば、
最高の酒の肴になりますし、
まだ、食したことはないのですが、
レバーの代わりに、ニラレバならぬニラフクなんてものも
ありかもしれませんね~。

そして、何より懐に優しい!
これ又最高!!!

なんせg=129円ですから!!

最近はホルモンや油カス、サイボシなど、
部落の食材もずいぶん高くなっていますが、
フクはまさに庶民の味方です。

ただ難点は、そうやすやすと手に入らないことでしょうね。
スーパーなんかでは先ず見かけませんし、
一般の精肉店でも置いてないでしょう。

やはり、部落内の精肉店か、部落の方が経営されている
精肉店を探さねばなりませんね。
でも、そのような店でしたら、
店先で天ぷらにしてあるフクを売っていることもあります。

誠、手に入りにくかったらインターネットで検索すれば、
通販をやっている精肉店もありますね。

そんなわけで、今日は、
皆さんにも、ぜひとも味わって頂きたいフクの話でした。

次回は、フクにまつわる被差別部落のエピソードを書いてみたいと思います。


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