被差別部落は長きに渡り「社会から隔離」され
差別を受けてきました。
それは、部落の閉鎖性を生みだし、
独特な家族形態を生み出してきました。
その一つが親戚縁者です。
被差別部落民は、幕府によって身分制度が確立されると、
自由な通婚ができなくなってしまいました。
つまり、部落民は部落民同士での結婚を、
農民は農民同士の結婚を余儀なくされてしまいます。
(注:社会的に差別された穢多・非人層以外の層では、
実際には、制度上の抜け道があり、身分違いの
通婚もあったようですが、原則として。)
これについては・・・
部落民が、好きになった人が
部落民であれば問題ないのですが、
仮に、「好きになった人が農民」であったら結婚を
諦めることになるどころか、
「好きになることさえ許されない」そんな状況でありました。
その様な悪政が近代まで続いていたわけですから、
自ずと部落内での結婚が多くなります。
また、同じ部落内に見合う方がおられない場合は、
近隣の部落へ嫁ぐ場合も多かったと聞いております。
ただ、結婚については、遠い昔の話ではなく、
身分制度が無くなって久しい極々最近まで、
部落民同士の結婚が殆どで、
部落民と部落外民との結婚が増えてくるのは、
我々の親の世代辺りからではいかと感じます。
しかし、結婚差別は、未だ根強く残っている
部落差別の中の大きな差別の一つであることは、
私が改めてこの場で語らずとも
皆様、周知の事実であろうと存じます。
さて、そんな状況でしたので、自ずと部落内に
親戚が増えていくのは、ある意味、
自然な状況であろうかと思います。
私の嫁方では、その部落内の殆どの人が
どこかで「繋がっている」。
そのような事を言っても過言ではないと思います。
親兄弟や従兄弟など身近な親戚に加え、
婚姻で出来た新しい親戚関係、
付き合いが多い親戚もあるし、
家系図的には枠外へ出てしまうような
親戚関係もあるのですが、
本当に、とにかく親戚が多いのです。
嫁の実家では、よく親戚の名前が出てくるのですが、
当然、私は知らない。
だから、私はその手の話には加わらないし、
いちいち「それ誰?」何てことも言いません。
どうせ聞いてもわからないし、
聞いた所で関係が複雑すぎて
理解できないに決まってますから(笑)
よく部落は、何か事が起こったら・・・
「トラブルがあれば、集団でやってくる」と
いうようなことを耳にしますが、
コレを読んでいただければわかるように、
実は皆ファミリーなんですね。
ファミリーであるから、何かことが起これば
皆で解決しようとするのは当たりまえのことで、
それが、周りから(部落外民)からすれば、
「部落の野郎は集団で襲って来やがる!」となるわけです。
それに、団結心といいますか、仲間意識が非常に強い。
やはり、社会的に差別されてきた結果、
自分たちを守るものは自分たちであると同時に、
喜びも悲しみも皆で分かち合うのが
部落民のアイデンティティなのであります。
話は変わりますが、
例えば、こんな話もあるのです・・・
私の嫁の実家の部落は、自宅から車で20分ほどなので
嫁は子供を連れて、土日なんかに頻繁に実家に帰るのですが、
私は仕事があるので、中々嫁の実家には行けない訳です。
前途の通り、部落内には親戚が多いわけですから、
嫁と子供は、部落で色々な親戚の方々と出会うわけです。
すると、何としたことでしょう!
私より、子供のほうが親戚をよく知っているわけです。
これには、ホント参ります。
部落近くを子供を連れて歩いていると、
見知らぬ方から「こんにちは」なんて、
声を掛けられるのです。
当然、私は知らないので、軽く会釈をしますが、
実は子供達はよく知っている・・・なんてことも日常茶飯事です。
それと、最後になりましたが、
(もう少し早い時期に書けばよかったのですが)
以前「生い立ち編」の最初のほうで
私の叔母が部落の出身である、と言うことを紹介しました。
(叔母は部落民:参照)
本当に、世間っていうのは狭いものです。
実は、この場にて発表いたしますが、
私の叔母は、嫁と同じ部落の出身で、
叔母の親兄弟(私の親戚)を嫁も義母もよく知っており、
特に、叔母のお兄さん家族は、
嫁と同じ棟に(嫁は私の所に嫁いだので、今は義母)
に住んでいるという何とも不思議な縁なのです。
嫁との結婚前にそのことがわかったのですが、
嫁も私も大変ビックリでした。
まさに人生とは数奇なるものですね。
そんなわけで・・・
嫁方の親戚に、新たに私の親戚が加わり、
部落内でより一層、親戚縁者が増えたわけでありますが、
このような形の親戚の増え方も、稀ではありますが、
実際にあるのですね(笑)
部落を皆さんに知ってもらいたい!
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2 件のコメント:
2年ほど前のことです。
そのころ知り合った友人宅へ子供同士を遊ばせようと家族で遊びに行くと、その友人のお母さんの姉妹4人が隣、斜め向かい、三軒隣、六軒隣に住んでいらっしゃっており皆さんが集まって来られた時には正直いって驚きました。
姓も二つしかなくて直ぐに気づきました。
私も友人も37歳なのでお母さん達も60~70代、ほんとに近年までそういった状況なのですね。
いや、その友人の奥様の妹さんも1時間ほど離れた被差別部落に嫁いでいらっしゃるようですから。現在も間違いなくそういった状況であるようです。
小学校のときに隣の校区に被差別部落があったので、中学、高校と同級生に何人か被差別部落の出身の生徒がいましたし何人かは友人で今でもゴルフや釣り、あるいわ一緒に仕事をする仲間でおります。
ひととおりの同和教育も受けてまいりました。
もちろんそんな仲間に対して差別心は抱いたことはありません。
友人と被差別部落の話題に触れることがあります。
友人は、今は無いでしょう、そんなの関係ないし、とある種きれいごとのようにいいます。確かにそれが希望です。
でも、現実は違うんです。
現代もあるし関係もあるんです。
確かにデリケートな話ではありますが、そこをちゃんと理解し、タブーとせず興味本位ではなく、話し合って理解しお互いに思いやって接していくことが大切なんじゃないかと思います。
私の子供の世代では、好きなった男女が自由に愛し合い結婚をし幸せなる、そんな世の中になっていればいいなと願います。
匿名さん
こんばんは。
匿名さんは、ご友人達と本当に良いお付き合いをされておられますね。
素晴らしいです!
部落・在日・障がい者・・・
私や匿名さんのように、
皆が別け隔てなく付き合うことが出来たなら、
差別はなくなるのですが・・・
匿名さんご指摘のように、
「差別」を無くすには、
差別者と被差別者のお互いの
理解と努力が必要です。
本当に、部落、又差別のことをよく理解しておられることに敬服いたします!
今回は大変勉強になる良いお話を
ありがとうございました。
今後も「被差別部落の暮らし」を
よろしくお願いいたしますm(_ _)m
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