~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年7月30日水曜日

Soul!Soul!Soul!-私の中の部落解放前夜【生立ち編-29】

前回までにお話しした通り、
私が通うH高校は、
当時としては珍しい、制服がない「私服高校」
と言うことからもわかるように、 非常に自由な校風が特徴でした。

授業の出欠もしかりで、良く言えば「生徒の自主性を重んずる」
言い換えれば「 放任主義」ということでしょうか。
丁度、大学の様な高校でしたので、
先生はいちいちアレコレ言ってきません。
 
それがいいのか悪いのか?
私は出来が悪かったので何とも言えませんが、
当時の全国高校学力ランキングでも、
当地区はかなり下の方でしたので、
やはり、学力的にはあまり良くない
教育方針であったのかもしれません。

しかし、それに反して、カルチャー的には
多いに刺激を受けることが出来た高校生活でした。

その一つが音楽です。

以前、このブログでも書きましたが、
私はビートルズが好きです。
ビートルズ好きが高じてその源流を探り当てたり、
ソロになったメンバー達が他のミュージシャンと共演する事により、
私の音楽のレパートリーも増えていきました。

例えば、グループ同士として友好関係にあったローリング・ストーンズや、
ジョージ・ハリスンと親友だったエリック・クラプトンやボブ・ディラン。
ジョン・レノン はチャック・ベリーと共演し、ポールは当時売り出し中の
マイケル・ジャクソンやソウル界の大御所スティービー・ワンダーと
共同で曲を出す。

彼らの音楽を繋いでいけば、
ナント!全てブラックミュージックに辿り着くのです !

時を同じくして、パンクロックにもハマりました。
これは、友人からの影響です。
パンクロックは、レゲエの影響を非常に色濃く受けてました。

その頃より私は、それらの音楽の源流=ブラックミュージック
に興味を持ち始めたのです。
特に、当時流行りつつあったラップ・ミュージック(Hiphop)と
レゲエにハマりました。
そして、以降から現在まで、それらの更に源流である
SoulやBlues、Jazzに魅了されていくのです。

スケボーを小脇に抱え、エレキギターを担いで、
更にファッションも当時のHiphoperのスタイルを真似て
学校に行くのが、その頃の私のスタイルでした。

自由奔放な高校生活から学んだことは、
勉強よりもカルチャーです。
勉強は全く出来ませんでしたが、
この時代に学んだことは、
今思い返しても、精神的に凄く大切なことを学んでいたのです。

一見、全く関係のないことのように思われますが
コレが私の部落解放へと繋がる
大きな影響力の一つであることは
紛れも無い事実なのです。

この時以降、私は、黒人差別問題を含めた
黒人の歴史や文化についての研究を始めることになります。

それは、部落を差別していた私にとっての、
部落差別からの解放前夜と言えるのでした。


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