~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2014年4月14日月曜日

部落の隣保館とは?

前回は、私が中学3年の時に、
初めて同和地区の隣保館に行った時の事をお話しました。

また、その前の回では、部落と同和地区の
違いをお話しましたが、同和地区には、
同和施策によって作られた、数々の施設があります。

その中でも中心的な役割を果たしていたのが隣保館です。
隣保館自体は、国を挙げて同和施策を行う事を制定した
「同和対策事業特別措置法」(S44年・10年間の時限立法)
以前にも、融和事業等と呼ばれて存在していた部落もありますが、
多くは、法律が制定されてからの同和施策として設けられました。

その後、同和関連の法律は、名を変えながら3度の更新を行い、
平成14年に完全終了いたしました。
これにより、法律的には同和問題は
解決したことになっていますが、実際は(?_?)ですよね。

終了にともなって、地方自治体も国に追随します。
追随というのは、同和問題の終了を表しているのですが、
それまで、部落民のためだけに存在していた隣保館を、
他地域の人達にも開放するようになりました。
現在は、隣保館内の各部屋や体育館を、
地区外の人にも、会議や運動サークル、
文化活動などに有料で使用できるようにしています。

これは、法律が終了したこともありますが、
一般地区の方々の意見も多分に含まれた結果だと思われます。

「部落民は、長い間差別されてきたが、法律が施行されてからは、
税金で部落内が整備され、各種の補助金が交付される。
これは、逆差別じゃないか!」というわけです。


部落解放同盟が行ってきた運動によって、
部落の生活が大きく改善したことは、
最大級の評価を送ることが出来ます。

しかし、残念ながらその反面、
ごく一部の同盟員や幹部(ホントに一部です!!)の方々に於いては、
行政との癒着や利権がありました。
そのようなことから、日本共産党や反解放同盟、
又、一般地区の方々から、
同和優遇是正の声が上がりました。

兎にも角にも、現在においては、
隣保館を始め、部落内の各施設は一般にも開放されています。
特に、かつて「同和保育所」と呼ばれた部落内の保育所は
一般の児童も受け入れる事により、
待機児童の解消にも一役買っています。

◎さて、隣保館の本来の目的とは何でしょうか?

被差別部落は、長きに渡り劣悪な環境と
謂れ無き差別に苦しんできました。

老朽化して今にも倒れそうな傾いた家。
窓も玄関も有って無いような家。
一部屋に親兄弟・親戚縁者が「おしくらまんじゅう」。
朝には行列ができる屋外の共同便所。
雨が降れば、その便所に行くことも困難で、傘をさして用をたす。
大雨が降れば便所が溢れ、共同井戸に流れ込む。
裏山の土砂が崩れたり、向かいの川の水が迫る。

通りの向こうは近代化、こっちは未だに老朽化。
祭りなど、地域の行事に締め出される。
部落民を隠して生きる。

憲法第25条が謳う
「健康で文化的」な生活とは程遠い暮らしでした。
地区によっては、住民や福祉団体によって任意で
「隣保館様」の施設が作られたところもありますが、
行政や国が本格的に隣保館の建設を始めたのは戦後。
日本国憲法が制定され、「福祉の重要性」が
声高に訴えられ始められた頃からでした。

多くの地区では、改良住宅や他の施設に先立って
隣保館が先行で建設されていきました。

今、私の手元に、A市の解放センターで行われた
「部落史講座」(2012年・A市解放センター編:非売品)の
講演録があります。

そこには、A市某部落の1951年当時の
地区写真が数カット掲載されています。
その一枚が、隣保館と部落の写真です。
「老朽化した不良住宅群の中に、鉄筋コンクリートの隣保館」
と言う具合に、改良住宅が整備されるまでの間は、
少し違和感がある状態で建っていたようです。

本題に戻ります。
隣保館は、先にも記した通り、劣悪な暮らしを
「改善もしくは軽減」する目的で建てられました。
具体的には、地域住民からの各種相談、保健衛生、
、社会福祉、文化活動、就職あっせん、教育や学習などです。

その後、部落解放運動が隆盛を極める頃には、
隣保館(地区によっては解放会館や解放センター)が
部落解放同盟の拠点となっていきました。
支部集会や勉強会が行われ、時には糾弾会の場になるなど、
隣保館の役割も変わっていきました。

また、行政が制定する条例には、

「隣保館は住民の苦情に対し善処する」旨が明記されており、
隣保館が地域の「雑用係・トラブル処理係」のような役割を
担っていました。

例えば、同和施策に反対する著者が記した本には、
ある部落の隣保館の実情が記されております。
その内容を要約すると・・・
「自分がいつも駐車している道路(駐車場ではなく道路です!)に、
他人の車が停まっている。何とかしろ!」と
隣保館に苦情を言ってきたというのです。
同和施策に反対する著者が記した本ですので、多少の誇張が
あるかもしれませんが、概ねこんな感じだっただろう事は、
我が嫁も申しておりました。

(ちなみに、私は著者の主義主張に関係なく、
部落関連書物は読むことにしております。
なので同和行政や、時には「同和地区」自体を批判する書物も、
別け隔てなく読むように心がけております。)

部落関連の法律の終了とともに、その役目を終えた隣保館は今、
部落解放同盟の支部も隣保館から移転し、
多くの地域で文化センター・コミュニティセンター・
ふれあい会館などと名前を変え、一般市民にも開放されております。


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