tag:blogger.com,1999:blog-68316822017027235182024-02-03T00:43:25.626+09:00被差別部落の暮らし~部落はとってもいいところ~被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.comBlogger133125tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-10683603087417077402019-12-27T00:15:00.003+09:002019-12-27T00:25:14.627+09:00同和事業を放棄した部落~ある未指定地区の話被差別部落は行政上、2つの地区に分けることができます。<br />
もちろん行政上のことですので、どちらも被差別部落であることには変わりません。<br />
<br />
◎同和地区・・・<br />
過去、同和事業を受け入れ(運動団体的に言うと「勝ち取り」)、税金によって住環境の整備・生活の向上が図られた被差別部落。<br />
(現在、同和事業は終了しましたので、言葉は適切ではないかもしれませんが、<br />
慣例に従い、同和地区とさせていただきます)<br />
<br />
◎未指定地区・・・<br />
同和事業を放棄し、自主的改善を行った、或いは改善等を行わずとも、ある一定の生活水準を維持できた被差別部落。<br />
(厳密には、同対法以前に社会事業の下、同和事業が行われた例があるが、大規模な地域改善というよりも、小規模な補修程度のものが多い)<br />
<br />
私事ですが、縁あって現在は未指定地区に居を構えております。<br />
<br />
なるほど。<br />
未指定地区は被差別部落でありながら、同和事業を放棄した地区でありますから、隣保館や浴場と言った、所謂同和モニュメントが一切ありませんし、住宅も一般的な戸建住宅です。<br />
私の居住部落も元々50戸程の小さな被差別部落でしたが、住宅難の高度成長期を経て400戸迄に膨れ上がり、住環境的には被差別部落と一般地区の境をなくしました。<br />
しかし、差別の壁は越えることができませんでした。<br />
いや。一時は超えるかもしれないと思っていたのですが、例の「全国部落調査」にて蘇ってしまいました。<br />
<br />
私見としては、部落を無くすのではなく、差別を無くすと言うスタンスです。<br />
部落には非常に素晴らしい文化や技術、担ってきた役割があり、現在の我々の生活に於いても様々な分野で、その技術等が用いられています。<br />
<br />
そういった面からも、部落というものを卑下することなく、むしろ誇れるべき存在であると考えます。<br />
いつか、私の子達も声を大にして「私のルーツは部落です!」と言える日が来るのを望んでやみません。<br />
<br />
さて、少々話が脱線しましたが、本題に戻しましょう。<br />
<br />
同じ被差別部落でありながら、一方は同和事業を受け入れた同和地区と、事業を放棄した未指定地区に別れたのでしょうか?<br />
<br />
各部落によって理由は様々ですが、概ね「自立するだけの資金力があった」と言うのは、<br />
多くの未指定地区で聞かれる話です。<br />
勿論、部落内でも資金力の差があったことでしょうが、地区内の実力者や多勢に無勢で受け入れを放棄せざるおえなかったという部分はあったでしょう。<br />
<br />
また、地方においては(特に農漁山村)部落戸数が数戸という極小規模の被差別部落も多く、同和事業の窓口となる運動団体が組織できない部落もありました。<br />
あとは、政治・思想的な部分もあったでしょう。<br />
<br />
本日紹介するAさんは年の頃60代後半。<br />
関西の、ある政令指定都市の被差別部落で生まれ育ちました。<br />
現在では住宅が立ち並ぶ地区周辺も、昔は15戸程の小さな部落だったと言います。<br />
<br />
『差別?う~ん。。受けたことなかったですね。』<br />
<br />
幸い、ご自身は差別を受けたことがないせいか、柔らかい物腰と笑顔でお話されています。しかし、部落の事、先祖の事は常に気にかけておられ、被差別部落の勉強は欠かさないとのこと。<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>「同和事業を受け入れず、未指定地区の道を歩むことになった理由は何でしょうか?」</b></span><br />
<br />
『それが、よくわからないんですよ。ただ言えることは、ムラ全体は貧しくなかった。農家でね。小作じゃなくそれぞれが自分の田畑を持っていました。』<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>「ムラで同和事業の話は出なかったのですか?」</b></span><br />
<br />
『出なかった・・・と思いますよ。聞いたこともなかった。他部落や運動団体からのオルグも無かったと思います。もしかしたら来ていたのかもしれませんが、自分の耳には入ってこなかったし、家族の間でもそんな話は無かったですね。』<br />
<br />
『ただ・・・』と話を続けるAさんの口から、同和事業を受け入れなかった"部落気質"の片鱗を垣間見ることができました。<br />
それが次のエピソードです。<br />
<br />
『小学校の頃、同じ部落から通っている同級生が3人居ましてね。いつだったか、先生が鉛筆やら消しゴムをくれたんですよ。「何で僕らだけにくれるん?」と聞くと先生は「キミらは遠いところから来てるやろ。そやしご褒美や!」と言って。』<br />
<br />
<span style="color: red;"><b>「同和事業前でも学用品の補助があったわけですね。」</b></span><br />
<br />
『それが、一緒に持って帰った同級生の父親が火が点いたように怒ってね。それはもう凄かったですよ。「ウチは物貰いちゃうぞ!!!」って。』<br />
<br />
<b><span style="color: red;">「なる程、そういった部落気質が後の同和事業を受け入れなかったことに繋がるのでしょうか?」</span></b><br />
<br />
『それはあったと思います。農家で自立していましたから。周りの大人達にはそういった思いがあったのかもしれませんね。』<br />
<br />
短い時間でしたが、ある未指定地区の話をAさんにお伺いしました。<br />
全国に数多ある被差別部落が、同和地区指定を受けて同和地区になる、また地区指定を受けずに未指定地区の道を歩むのは、それぞれの部落により理由は様々で、とてもじゃないですがステレオタイプで語れないところがあります。<br />
<br />
Aさんの部落でも、あくまでも推測の話で、もしかしたら違う理由で同和地区指定を受けなかったのかもしれません。<br />
<br />
ただ、同和事業を受けた地区が劣っていて、地区事業を受けなかった未指定地区が優れている等という事は全くありません。<br />
部落には様々な事情があったのは先に述べたとおりですが、同和事業を本当に必要とした、当時の住環境・生活の劣悪さは、もはや自力改善出来ないレベルまで至っていたことは確かなのです。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhXhAj4MYO0hftM6YQbYMbdUPitoLoq3WaU8vKthDw9H2ieCWK2FAVrROJFzEqodnKmgS-qyvMh9WoBdue4FE7iFzwAD_JM9QujLp5JKABbD2nbAZdenfUbx2V1uHuFOxU2ewWrFHLXR80/s1600/IMG_5611.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="420" data-original-width="640" height="262" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhXhAj4MYO0hftM6YQbYMbdUPitoLoq3WaU8vKthDw9H2ieCWK2FAVrROJFzEqodnKmgS-qyvMh9WoBdue4FE7iFzwAD_JM9QujLp5JKABbD2nbAZdenfUbx2V1uHuFOxU2ewWrFHLXR80/s400/IMG_5611.jpg" width="400" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeaHzOYdsfJd3VytCbWNJ5FFbFujFr5MjmaUbzHnQPsITlYpHQ0qbJ7EidzhsaQWCSfJEukXOA6J3fdMb-7umhmJxzXTOucDUt7dXSO3QURaqkMPJvlLRZUD-bJYJIgclC0NPyh9zBuDU/s1600/IMG_5613.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="478" data-original-width="640" height="298" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeaHzOYdsfJd3VytCbWNJ5FFbFujFr5MjmaUbzHnQPsITlYpHQ0qbJ7EidzhsaQWCSfJEukXOA6J3fdMb-7umhmJxzXTOucDUt7dXSO3QURaqkMPJvlLRZUD-bJYJIgclC0NPyh9zBuDU/s400/IMG_5613.jpg" width="400" /></a></div>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvrwUn_hVjDiHMbLDNmBoyIOMP-zBgtJFHv8buhmjvK4I1bl1VpQ474W5rI8-3WY-hNYB520gNYMtjaOC_0oAct5yepZQ1m7FD3-DD1DVHOKK6p3LZpRd8jV6AkqN1jp3DSfxsFrla9QY/s1600/IMG_5614.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="446" data-original-width="640" height="278" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvrwUn_hVjDiHMbLDNmBoyIOMP-zBgtJFHv8buhmjvK4I1bl1VpQ474W5rI8-3WY-hNYB520gNYMtjaOC_0oAct5yepZQ1m7FD3-DD1DVHOKK6p3LZpRd8jV6AkqN1jp3DSfxsFrla9QY/s400/IMG_5614.jpg" width="400" /></a></div>
<br />
<br />
今にも崩れそうな家々、常に氾濫の危険に晒された川の上に建つ住宅、一度火事が出れば消防車も入れない密集住宅、トイレや台所もなく共同利用・・・etc<br />
<br />
中学校時代、同和地区から同級生が通い、その「優遇された(と思っていた)」事業に疑問を持っていました。<br />
しかし、部落のことを知り、学び、理解するうちに、本当に必要な事業であったことに気が付きました。<br />
<br />
ただし一方で、同和事業は非常に許しがたき事態を招いてしまいました。<br />
それが同和利権と呼ばれるものです。<br />
<br />
私は、同和地区住民がおしなべて住環境・生活の向上を享受する同和事業を「権利(ケンリ)」と考えています。しかし一方の「利権(リケン)」については、一部の特権階級や、部落とは全く関係ない者までもが魑魅魍魎と同和利権に群がり、公金をせしめてきました。<br />
<br />
このことが、他大多数派の被差別部落民(・・・運動団体に所属しない方々も多い。今では運動団体所属派は少数)すべての部落民が行った"悪事"であるかと思われるケースがあることを非常に憂います。<br />
同和事業が終結し、今では完全に一般地区と同じく「一般施策」が取られている"(旧)同和地区"ですが、未だ事業が継続していると思っておられる方も多く見受けられます。<br />
<br />
それらの誤解を解くために、微力ながら私は活動しております。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-58246682343999277942019-09-14T02:06:00.002+09:002019-09-14T02:28:47.409+09:00白山比咩神社を詣る~部落で信仰される白山神社の総本宮~ <br />
<b>見て記・行って記・被差別歩記-6</b><br />
<b>白山比咩神社を詣る~部落で信仰される白山神社の総本宮~ </b><br />
<br />
<br />
<br />
【自然崇拝】<br />
<br />
<div>
日本がまだ神の代だった時代。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
素戔嗚尊の暴れっぷりに怒った天照皇大神(太陽神)は、</div>
<div>
天の岩戸に隠れてしまわれた。</div>
<div>
途端にあたり一面漆黒の闇となり、草木は枯れ果て、</div>
<div>
悪神がはびこり様々な災禍が起こり、</div>
<div>
八百万の神々は大いに困った・・・</div>
<div>
<br /></div>
<div>
記紀に記される天岩戸伝説を見てもわかるように、</div>
<div>
古来から人々は自然を敬い、感謝し、時に恐れ慄いた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
太陽・岩・樹木・海・山・川・諸々</div>
<div>
<br /></div>
<div>
神道の世界で今でも見られる自然崇拝は、</div>
<div>
ありとあらゆる自然物が神となり仰がれた。</div>
<div>
例えば、大きな岩や奇岩は「磐座」大木は「御神木」と呼ばれ、</div>
<div>
神々が宿るとして尊ばれている。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
同時に自然は時として牙を剥き、</div>
<div>
人々に恐怖と落胆を与える存在でもあった。</div>
<div>
台風や地震、大雨による水害や土砂崩れも神の仕業とされ、</div>
<div>
それを鎮める為の崇拝・信仰でもあったし、</div>
<div>
日照りが続けば神に舞を捧げ雨乞いをした。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
私が産まれた鳥取県(里帰り出産で産まれただけだが、それでも鳥取は</div>
<div>
感慨深いものがある)では、神に捧げた雨乞いの舞が「傘踊り」となり、</div>
<div>
祭りへと昇華して毎年夏に行われているが、</div>
<div>
元々の神事が祭りとして面々と続いている例は、枚挙にいとまがない。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4QwsvWv2BSMzHAt4fpRej0VZ1cl0gmpF3NtrWbm_WYjQmcLyvcv5tCm-8bCWpGdii4NKxrn9MJ_PeC9Bf1TEO_ERe1Rk4RPqh37r7jooxejsIdrxt8oz97xvsXZfvuJyLyouDrg0-smQ/s1600/2019y08m25d_234321414.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="529" data-original-width="832" height="406" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4QwsvWv2BSMzHAt4fpRej0VZ1cl0gmpF3NtrWbm_WYjQmcLyvcv5tCm-8bCWpGdii4NKxrn9MJ_PeC9Bf1TEO_ERe1Rk4RPqh37r7jooxejsIdrxt8oz97xvsXZfvuJyLyouDrg0-smQ/s640/2019y08m25d_234321414.jpg" width="640" /></a></div>
<br /></div>
<div>
【白山信仰】<br />
<br />
石川県・岐阜県・福井県・富山県。<br />
四県にまたがる霊峰『白山』も、いにしえの頃から<br />
人々に感謝され、そして恐れられてきた自然信仰の象徴であった。<br />
<br />
いつしかそれは、白山(しらやま・はくさん)信仰と呼ばれ、<br />
全国に広まっていく。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEilNZ41470z7-nZTuSOH5NaSPuU-iXyPA5Viw3qJ7WUx5_H2BiHgBgOGM9xkBBKmJtnSZ7CjOMtNHupl0ltNEe30acC1_5S0kK1pw_XoagSjwHEsmj6WYs7fOfGIKiLbT7BFaaOkdmLJRs/s1600/IMG_4859.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEilNZ41470z7-nZTuSOH5NaSPuU-iXyPA5Viw3qJ7WUx5_H2BiHgBgOGM9xkBBKmJtnSZ7CjOMtNHupl0ltNEe30acC1_5S0kK1pw_XoagSjwHEsmj6WYs7fOfGIKiLbT7BFaaOkdmLJRs/s400/IMG_4859.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">白山比咩神社表参道鳥居</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
【被差別部落と白山信仰】<br />
<br />
特に関東では、被差別部落に多く祀られていることから、<br />
白山神社=部落と思われがちだが、実際には沖縄を除く<br />
全国2000箇所に存在し、部落外でも氏神として祀る地区は多い。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgE2eTsJiJN6trALmFfCXlkAuuymgj1tHZDY31qklbGYZUxC6DYobnHXurinXZfxyEcZOD84kKk0x4zg1rNJsIQoiXPRrJ7xYP9slG3y3y_7iH72JzubNmrQ9fY8PvSWKUzZBNmZ-qwLjA/s1600/IMG_4860.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgE2eTsJiJN6trALmFfCXlkAuuymgj1tHZDY31qklbGYZUxC6DYobnHXurinXZfxyEcZOD84kKk0x4zg1rNJsIQoiXPRrJ7xYP9slG3y3y_7iH72JzubNmrQ9fY8PvSWKUzZBNmZ-qwLjA/s400/IMG_4860.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">表参道 鳥の囀りを聞きながら本殿までゆっくりと歩みを進める。<br />
<br /></td></tr>
</tbody></table>
では、なぜ被差別部落に白山神社が多く存在し、<br />
氏神として祀られているのだろうか?<br />
<br />
<br />
一説には、浅草弾左衛門が信仰していた為、<br />
多くの部落で信仰されるようになったと言われているが、<br />
実際には弾左衛門期以前に、既に白山神社が存在する被差別部落もあり、<br />
通説の一つとしての域を脱しない。<br />
<br />
また一説に言うには、白山神社の祭神である白山比咩大神<br />
(シラヤマヒメノオオカミ)は、菊理媛神(ククリヒメノカミ)と同一神<br />
なのであるが、日本書紀に於ける菊理媛にまつわる伝承こそが、<br />
「被差別部落で祀られるようになった所以」とするむきもある。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjs_UhXDMLUbB5D-L6nU8TKvH2vMJ6cFw6ppg4N4g86mFVHVcRdIroD5DJM111-1KivTopllTOeL3HQVWLX-wrtn-m-IgshiO80nN1TS6C1vrT2_r7vDeUHP54UpOvtdVT5a79SZmYGk8U/s1600/2019y09m09d_000149636.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="369" data-original-width="260" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjs_UhXDMLUbB5D-L6nU8TKvH2vMJ6cFw6ppg4N4g86mFVHVcRdIroD5DJM111-1KivTopllTOeL3HQVWLX-wrtn-m-IgshiO80nN1TS6C1vrT2_r7vDeUHP54UpOvtdVT5a79SZmYGk8U/s400/2019y09m09d_000149636.jpg" width="281" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<span style="font-size: x-small;">私も含め、菊理媛と聞いて菊姫酒造の「菊理媛」を思い浮かべる方は、</span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<span style="font-size: x-small;">無類の酒好きに間違いないだろう。</span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<span style="font-size: x-small;">定価で一升5万円の値が付けられたこの酒は、</span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<span style="font-size: x-small;">現在発売されている中でも、高額日本酒の一つと言える。</span></div>
</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
【菊理媛】</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
菊理媛は、幾つかある日本書紀の一書に、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
たった一度だけ登場する謎多き神である。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
媛と付くことから女性神で有ることは間違いないのであるが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それ以外のことは全くわからない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
(取り敢えず、菊理媛が登場する部分を要約したのが以下である)</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
火の神を産んだ際に焼死したイザナミを追い、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
黄泉の国へやって来たイザナギであるが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
イザナミのあまりにも変わり果てた姿を見て一目散に逃げてしまう。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
数多の追手と共に追いついたイザナミは、イザナギと争いになるのだが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ここで登場するのが菊理媛である。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
イザナギとイザナミの仲裁に入った菊理媛が、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
イザナギに「何か」を言うと、イザナギは同意して黄泉の国を後にするのだった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ところが、日本書紀には菊理媛が何を言ったのか記述がなく、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
何故イザナギが引いたのか、重ねがさね全くわからないのである。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4RamcSaUoxaQflbTUwZ3uNitKKd2yl1I3U6ru0pqR1jBkzg0hLzoukv4_R5b8nOeY6T-C3jFWmHmmrDNuKWJ807Zn9-JsJgJ8fiEGq8R8KPgp5o-hvdoM4AgsaIAahbJn_bAbAMvf_N4/s1600/IMG_4865.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4RamcSaUoxaQflbTUwZ3uNitKKd2yl1I3U6ru0pqR1jBkzg0hLzoukv4_R5b8nOeY6T-C3jFWmHmmrDNuKWJ807Zn9-JsJgJ8fiEGq8R8KPgp5o-hvdoM4AgsaIAahbJn_bAbAMvf_N4/s400/IMG_4865.jpg" width="300" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">緩やかに登る山道を登りきったところで白山比咩神社本殿が現れる。<br />
今回は一部工事中で視界が悪いのが残念であった。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
この様に、日本書紀の伝承から「菊理媛は穢れを祓う神」と信じられており、<br />
中世以来、穢を払う役割を担った被差別部落の先人(穢多)達が祀ったのではないか…<br />
と言う説も甚だ尤もらしいが、真相は謎だ。<br />
<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRvb6fkF8o2hPfBIzNSzuAYD1T56K8PyCVgb73uPwW-BKsschh6ivv8WqdKKKixCHQb0ZDGHs7YXKrQVui9VV1koafPxdU0XdvW8w17DHkFReNEoIoO0RtJu1bd8chZSWrhgYKyFD6VHY/s1600/IMG_4866.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" height="480" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRvb6fkF8o2hPfBIzNSzuAYD1T56K8PyCVgb73uPwW-BKsschh6ivv8WqdKKKixCHQb0ZDGHs7YXKrQVui9VV1koafPxdU0XdvW8w17DHkFReNEoIoO0RtJu1bd8chZSWrhgYKyFD6VHY/s640/IMG_4866.jpg" width="640" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">本殿</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgDBKK33UN4cca0nTBvLlfPaLh7jnn34NeGwyNW9EBv1II93v01RXdMlFVnDg2Bx7TEOETQKzSliGxPNQKRq7mw2FaYSouyHqvujpRp1yMpSCRTevJNb9gFRarAjDm-xQNv4G6gLQvUjSw/s1600/IMG_4868.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgDBKK33UN4cca0nTBvLlfPaLh7jnn34NeGwyNW9EBv1II93v01RXdMlFVnDg2Bx7TEOETQKzSliGxPNQKRq7mw2FaYSouyHqvujpRp1yMpSCRTevJNb9gFRarAjDm-xQNv4G6gLQvUjSw/s400/IMG_4868.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">大きな注連縄が掛かっている。<br />
二礼二拍手一礼。参拝の作法に乗っ取り拝礼する。</td></tr>
</tbody></table>
夏休みとあってか、想像していたより参拝者が多い。<br />
家族連れも多く、この地に於いて如何に白山比咩神社、<br />
及び白山信仰が大切にされているのかが、よく分かる光景であった。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmmt2Yft8UETou7owsveCDILHaJ_Q4R0QsnW6K7rQD2d46B0w9w5SxLuCj75qwrd_iZDrftP1NGjJtCDifPsVdSNb146uhrzzL8QvpI7ItRwkygdYkLaYacacpUzXfhP-UNX9LR-pVu20/s1600/IMG_4869.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmmt2Yft8UETou7owsveCDILHaJ_Q4R0QsnW6K7rQD2d46B0w9w5SxLuCj75qwrd_iZDrftP1NGjJtCDifPsVdSNb146uhrzzL8QvpI7ItRwkygdYkLaYacacpUzXfhP-UNX9LR-pVu20/s400/IMG_4869.jpg" width="300" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
【奥宮】</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
実は、白山比咩神社には奥宮があるのだが、簡単には参拝できない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
なぜなら、奥宮は標高2702mの白山御前峰山頂に位置するからだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
白山は奈良時代、泰澄という禅師が開山したと伝えられており、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
以来、数々の修験者や民衆が修業の場として、或いは信仰の場として</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
白山を尊んできた。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
本筋としては、白山比咩神社~奥宮と参拝することで、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
はじめてご利益があるのかもしれないが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
3000m近くの山を登るのは至難の業である。</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFfTqe0umSuJy2fgWhBScG43_9ZPSi6Zd-vNcnKe9u9-DdBrOeCoUyAkZWcZRyfgS2BQ9BQ5Z7av2BsTudGpgctr39Wr1Cs1Dn7CzsHQ8KedJnnYaPOfzHKundBG4EIAtDCSk3-BoFtTw/s1600/2019y09m14d_013615314.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="325" data-original-width="475" height="272" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFfTqe0umSuJy2fgWhBScG43_9ZPSi6Zd-vNcnKe9u9-DdBrOeCoUyAkZWcZRyfgS2BQ9BQ5Z7av2BsTudGpgctr39Wr1Cs1Dn7CzsHQ8KedJnnYaPOfzHKundBG4EIAtDCSk3-BoFtTw/s400/2019y09m14d_013615314.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">白山神社奥宮<br />
(お宮さんcomから引用)</td></tr>
</tbody></table>
<br />
その為だろう。<br />
神社境内の片隅に、白山比咩神社奥宮が設けられている。<br />
ここへ参れば、山頂の奥宮参拝と同じご利益が得られるのだ。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhsYSgaH1J-mBBlelG7OwFtuGiXsuPClGmS6Y4eZo8zxHSYEiUrfs3qRK8Y7nxs7q04HBsjLpq5kBwpnqWWRcrrjhaUO7YJgZUbCG0g8u44ONoXd88zN1bhf5t_pj4hanbvbZI3eyDI42E/s1600/IMG_4871.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhsYSgaH1J-mBBlelG7OwFtuGiXsuPClGmS6Y4eZo8zxHSYEiUrfs3qRK8Y7nxs7q04HBsjLpq5kBwpnqWWRcrrjhaUO7YJgZUbCG0g8u44ONoXd88zN1bhf5t_pj4hanbvbZI3eyDI42E/s400/IMG_4871.jpg" width="300" /></a></div>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEippHoopNm292NXCX2ObWKds47SbU4Q-BFxVT3WE8drOd6jJsK7NjqInlBMccQdqW381BuNqEUSeJMJdHqU6luGWfcC6VwSuM8sIj3-lWc0nbhSuGqeEgLs0l88BnRNh4Cj00EsfqBkk3U/s1600/IMG_4870.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEippHoopNm292NXCX2ObWKds47SbU4Q-BFxVT3WE8drOd6jJsK7NjqInlBMccQdqW381BuNqEUSeJMJdHqU6luGWfcC6VwSuM8sIj3-lWc0nbhSuGqeEgLs0l88BnRNh4Cj00EsfqBkk3U/s640/IMG_4870.jpg" width="480" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">手軽に?奥宮を参拝できるとあって本殿同様人気だった</td></tr>
</tbody></table>
<br />
カナカナカナカナ・・・<br />
<br />
ひぐらしが鳴く夏の午後、厳かな気持ちとともに白山比咩神社、<br />
並びに奥宮を参り、帰路についた。<br />
<br />
(令和元年8月1日)<br />
<br />
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
<div>
<br /></div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-37474653668661814532019-08-22T11:06:00.002+09:002019-08-22T11:06:37.709+09:00職人歌合に見る中世被差別民の姿-1 紺掻第4番 紺掻 vs 機織<br />
【紺掻(こうかき)】<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhg7xqHdyusTThi4F4kfvghVLnE0AgM40sUjB5GaAoMTPNEMhBxGclrGeKQmhY0eZLefXnrZT33dmCpZBkNXnMDGxxkS5o4BK0nfkCNZne6zRtJU3srpXjmjoSgPfczA7jcetlI3PLmrSM/s1600/2019y06m18d_233514225.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="548" data-original-width="1155" height="302" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhg7xqHdyusTThi4F4kfvghVLnE0AgM40sUjB5GaAoMTPNEMhBxGclrGeKQmhY0eZLefXnrZT33dmCpZBkNXnMDGxxkS5o4BK0nfkCNZne6zRtJU3srpXjmjoSgPfczA7jcetlI3PLmrSM/s640/2019y06m18d_233514225.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
「職人歌合にみる中世被差別民の姿」と題したシリーズの第一回には、<br />
もしかしたら相応しくないのかもしれませんが、<br />
とにかく歌合の順番通りにやるには、<br />
被差別民に関連しうる職人は避けて通れない訳で・・・<br />
<br />
<br />
なぜ、相応しくないのかと言いますと、<br />
「紺掻は果たして被差別民だったのだろうか?」<br />
と言う、そもそものコンセプトを揺るがす疑問が出てくるのです。<br />
<br />
<br />
網野善彦氏はその著書の中で、特殊な能力を持った職人は、<br />
当時から、やはり特別な存在だっただろうと書いておられます。<br />
<br />
とは言うものの、機織りに関しては、<br />
私的には被差別民では無かったとの認識でおりますので、<br />
ここでは紺掻に対しての検証になります。<br />
<br />
とにかく、このシリーズに関しては、研究者の皆様には大変失礼ではありますが、<br />
これまでの定説にとらわれず、独自解釈でやってみようと言う趣旨ですので、<br />
ご無礼を承知で好き勝手書かせていただこうと思います。<br />
<br />
紺掻・・・「こうかき」紺屋とも言われています。<br />
所謂、染物屋さんです。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2cvVbbKpXL9Fg4aZu953TzP8thhxOPVfcsi0XWyI4_U6Yy7KLj6DOHzT7SZ4ymZmFaQ4YIXU8hR7bF7P3rB0p8WXbI-NabEO4zm6Fnc765RPKPFaFMb_dbLziVWrQQ_rsWZjGZ_IYejM/s1600/2019y06m19d_000304218.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="461" data-original-width="484" height="304" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2cvVbbKpXL9Fg4aZu953TzP8thhxOPVfcsi0XWyI4_U6Yy7KLj6DOHzT7SZ4ymZmFaQ4YIXU8hR7bF7P3rB0p8WXbI-NabEO4zm6Fnc765RPKPFaFMb_dbLziVWrQQ_rsWZjGZ_IYejM/s320/2019y06m19d_000304218.jpg" width="320" /></a></div>
<br />
染物で被差別民と言えば「青屋」が知られています。<br />
青屋は藍染を生業とする人々でしたが、地域によっては差別の対象とされ、<br />
江戸時代には「エタと同等」と言う判例も出て、主に行刑の役を担いました。<br />
<br />
元京都国立博物館学芸課長の下坂守氏は「紺屋と青屋は違う」と指摘されています。<br />
紺屋は藍もやるが染物全般。<br />
対して青屋は藍染めの傍ら、エタと共に行刑にあたった。<br />
その道具についても、甕を使うのが紺屋で、桶を使うのが青屋ということですが、<br />
実際にはweb上で藍染屋さんの写真や映像を見る限りでは、<br />
(藍液で染まっているのでわかりにくいが・・・)甕様にも見えます。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg4xw4L-3CuCVIZdc2A5krvs7OeGuHpGK5v3puvws7iUaCa8NITzpLEc6Ptzvx5075G07wqlPt3klhGI6X1f-UtlcxQ8rz43cdbDUHvtl1noG38eUtxPiyNLpYZy4GQYEtmoKxyAvyF4-I/s1600/2019y08m18d_231725756.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="505" data-original-width="478" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg4xw4L-3CuCVIZdc2A5krvs7OeGuHpGK5v3puvws7iUaCa8NITzpLEc6Ptzvx5075G07wqlPt3klhGI6X1f-UtlcxQ8rz43cdbDUHvtl1noG38eUtxPiyNLpYZy4GQYEtmoKxyAvyF4-I/s320/2019y08m18d_231725756.jpg" width="302" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<span style="font-size: xx-small;">Website:「しゃかいか!」より引用</span></div>
<br />
職人歌合が書かれた時代は中世でしたので、<br />
時代に伴って桶から甕へ変化したか、地域的なものなのかもしれません。<br />
<br />
若しくは、紺掻が甕を使っている事から見て、<br />
「紺掻が時代の流れとともに青屋へ変化した」とも考えられます。<br />
ここは、更に研究の余地がありそうですが。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
==========</div>
<br />
さて、青屋が差別の対象であったのは、それ以外にも理由がありました。<br />
藍というのは、抽出した液体(染料)は限りなく黒に近い緑、<br />
或いは濃紺なのですが、染め終えて空気に当て酸化させると、<br />
お馴染みの鮮やかな藍色に変わります。<br />
<br />
科学が・・・いや、そもそも科学という概念自体が無かった時代、<br />
「黒いものが時間を経て鮮やかな藍色に変わる⁉」<br />
庶民にとって青屋の仕事は摩訶不思議に写ったに違いありません。<br />
それだけでは済まずに、西洋の魔女狩りの如く畏怖嫌厭だった事でしょう。<br />
<br />
また、染料に繊維をどっぷりと浸ける訳ですから、<br />
腕が青く染まってしまいます。<br />
そのような日常から離れた職人達の姿も、見方によっては<br />
差別の対象になるには十分だったのかもしれません。<br />
<br />
勿論、今は藍染の実用性や芸術性も広く認知されているので、<br />
差別の対象にはなり得ないですが。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg_BUlcjb4VTUD84Tm0kmkn0nKdeSVsosK87UhdlQz8AMTqF6abXXiuQA5bqLqGom4alYezR4cvGyCUULCuSt72BUZm_0lgyuX3FW-7xHGfcIABO2Rzz_lnj15J5vdH2D6-Dnjk1dg4PPA/s1600/2019y06m19d_000304218.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="461" data-original-width="484" height="304" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg_BUlcjb4VTUD84Tm0kmkn0nKdeSVsosK87UhdlQz8AMTqF6abXXiuQA5bqLqGom4alYezR4cvGyCUULCuSt72BUZm_0lgyuX3FW-7xHGfcIABO2Rzz_lnj15J5vdH2D6-Dnjk1dg4PPA/s320/2019y06m19d_000304218.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">(何度も掲載してますが)紺掻</td></tr>
</tbody></table>
<br />
さて、歌合せに描かれた紺掻は甕を用いています。<br />
そして甕に貯められた染料は薄い青色。<br />
手に持った布も薄い青色=浅葱色をしています。<br />
<br />
幕末に岡山で起こった渋染一揆は、<br />
「衣服は無紋の渋染又は藍染」とした藩令に怒った<br />
部落の先人達=エタが起こした反対一揆なのですが、<br />
部落解放人権研究所 歴史部会学習報告(<span style="background-color: white; text-align: -webkit-center;">2008年1月19日)の中で、</span><span style="background-color: white; text-align: -webkit-right;">久保井規夫氏が</span><br />
<span style="background-color: white; text-align: -webkit-right;">『</span><span style="background-color: white;">渋染一揆以前の岡山藩の御触書でも「浅葱空色無地無紋」との文言が見られる』</span><br />
<span style="background-color: white;">と指摘した上で、『渋染又は藍染は囚人服の色であった』と記述されています。</span><br />
<span style="background-color: white;">その事も、部落民に怒りを覚えさせるに、</span><br />
<span style="background-color: white;">十分すぎる理由の一つであった事でしょう。</span><br />
<span style="background-color: white;"><br /></span>
<div style="text-align: center;">
<span style="background-color: white;">========</span></div>
<br />
<span style="background-color: white;">先にも書いた通り、これからは私の全くの独自解釈ですが、</span><br />
<span style="background-color: white;">歌合わせが描かれた中世に、</span><span style="background-color: white;">少なくとも紺掻は被差別民ではなかった。</span><br />
<span style="background-color: white;">しかし、時代の流れと共に次第に青屋と同化していき、</span><br />
<span style="background-color: white;">やがて賤視される存在になったのではないか・・・</span><br />
<span style="background-color: white;">そう考えるのです。</span><br />
<br />
いずれにせよ、一度藍染屋さんにもフィールドワークしてみなければなりません。<br />
<br />
【職人歌合に見る中世被差別民の姿-1 紺掻】被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-28315625011945505912019-06-17T23:58:00.001+09:002019-06-18T00:09:09.817+09:00職人歌合にみる中世被差別民の姿 序章<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E4%BA%BA%E6%AD%8C%E5%90%88" target="_blank">【職人歌合(しょくにんうたあわせ)】</a><br />
職人歌合は、中世・鎌倉時代から室町時代にかけて描かれたもので、<br />
職人の歌と共に、働く職人の姿が描かれた大変貴重な史料。<br />
時代に応じて、いくつかの種類がありますが、<br />
特に有名なのが「七十一番職人歌合」ではないかと思われます。<br />
<br />
写真がなかったこの時代、克明に描かれた絵は、<br />
仕事に精出す職人達の姿を生き生きと描写し、かつ<br />
庶民の暮らしさえ連想させます。<br />
<br />
中でも特筆すべきことは、職人歌合の中に、<br />
多くの被差別民が描かれていることです。<br />
<br />
武家の力を石高で表すとおり、<br />
中世から近世にかけての我が国のスタンダードは、<br />
田畑を耕し農作物を生産する農民達でした。<br />
<br />
一方で、モノを作り販売する職人達も無くてはならない存在でしたが、<br />
「農作物を生産する」という基準から外れた人々は、<br />
時に差別の対象となりました。<br />
<br />
もちろん全ての職人が被差別民というわけではありませんが、<br />
ケガレ意識がすでに根付いている中世において、<br />
穢れや呪縛などに関わる職人・仕事は賤視されていました。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZDqn7y6PTK-OL2vA1GSXGerjdz1TgpGok_Y8nB0KLZF-PTYtV_C2-88TFPBaB0-7VS1iT_SF5DkfgzzBb0WQWQvGgP1wWtS8ojgNeQbfMii1PHarjbkfuKiynVq_wt_RQLV9T2s1HTdQ/s1600/2019y06m17d_230646129.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="559" data-original-width="815" height="438" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZDqn7y6PTK-OL2vA1GSXGerjdz1TgpGok_Y8nB0KLZF-PTYtV_C2-88TFPBaB0-7VS1iT_SF5DkfgzzBb0WQWQvGgP1wWtS8ojgNeQbfMii1PHarjbkfuKiynVq_wt_RQLV9T2s1HTdQ/s640/2019y06m17d_230646129.jpg" width="640" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">イタカとエタ<br />
傘にほっかむりは非人の装束</td></tr>
</tbody></table>
<br />
ここでは、江戸時代に模写された国立博物館蔵の<br />
「七十一番職人歌合」デジタルアーカイブを引用し、<br />
<b>独自の解釈</b>を加え、紹介していこうという趣旨です。<br />
<br />
<b>*独自の解釈</b><br />
網野善彦先生など専門の研究者の方も、<br />
多くの本や論文を書かれていることですが、<br />
それらにこだわらず、新説でやってみたいとかねがね思っていました。<br />
これから少しずつではありますが、<br />
「(新説)職人歌合に見る中世被差別民の姿」をお届けしていく所存です。<br />
<br />
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-28103566686959059792019-04-28T01:07:00.001+09:002019-04-28T01:07:07.331+09:00部落の食文化-6:油かす(あぶらかす)その3【北出昭氏のお話編】前回の投稿では「油かすこぼれ話」とでも申しましょうか…<br />
当方の食肉顧問からの聞き取りとして、<br />
油かすに関するエピソードをいくつかご紹介いたしました。<br />
<br />
今日は、かの名作「ある精肉店のはなし」にご出演の<br />
北出昭氏とお会いした時に聞いた、油かす話をしてみたいと思います。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhuVMnrItaBiDaQTu9STSlWTbVhx2Ohg8jHP9YdtVUO885b66UIgm2dLkBRezWP2y7USBRed2Lyc3woK_SGM7HGrjeBY0Avf7A-aXo8vaNCm1LAOPRidYEPgkRDPL-RfT1YGMowf-OLPtk/s1600/poster2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="800" data-original-width="568" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhuVMnrItaBiDaQTu9STSlWTbVhx2Ohg8jHP9YdtVUO885b66UIgm2dLkBRezWP2y7USBRed2Lyc3woK_SGM7HGrjeBY0Avf7A-aXo8vaNCm1LAOPRidYEPgkRDPL-RfT1YGMowf-OLPtk/s400/poster2.jpg" width="283" /></a></div>
当ブログの読者諸氏はご存知かと思われますが、改めて。<br />
<a href="https://www.seinikuten-eiga.com/" target="_blank">映画「ある精肉店のはなし」Websiteはコチラから。</a><br />
<br />
ポスターの左から2番めの赤い服のかたが昭さんです。<br />
ちなみに、昭さんの左隣のかたはお兄様の新司さん。<br />
女性は、お姉様と新司さんの奥さんと、「肉の北出」の店名通り、<br />
ご家族で営業されています。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhSDA-4YNud0fw89xBR1lF_f6w5ysPplKFgb6BdcRSVUml7Q3J1sykrvlriwlH_OC_QqH1IUM3cJ_X0BHRflishEm12pSzQP6rbqQI-8ZbevyOLrD4hn1uLP0YL9IJbJqRjpnk7PwzYZxo/s1600/IMG_2733.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="630" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhSDA-4YNud0fw89xBR1lF_f6w5ysPplKFgb6BdcRSVUml7Q3J1sykrvlriwlH_OC_QqH1IUM3cJ_X0BHRflishEm12pSzQP6rbqQI-8ZbevyOLrD4hn1uLP0YL9IJbJqRjpnk7PwzYZxo/s400/IMG_2733.jpg" width="393" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">現在は北出精肉店。敷地内の牛舎跡に「太鼓屋 嶋村」を構えておられる。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<br />
お仕事で忙しい中、お時間を取っていただき、<br />
昭さんの太鼓工房「太鼓屋 嶋村」にてお話を伺いましたが、<br />
すっかり話し込んでしまい、気がつけば2時間半(笑)<br />
話術が巧みな昭さんの話に、ついつい時間を忘れてしましました。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhS7J7iBn5N7Vlf4mhKecA8oP44tATxn9XBGNLGr_Q8Sr12xbamMUbYhXb6kjRh4HwdVc_1lVO11fMq_MKGHw6rmc8tVKR-7aKZjXHwVA4y3dkEv2wdgx3GbPmegapdCPEkpDIj2xNFGxA/s1600/IMG_6528.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhS7J7iBn5N7Vlf4mhKecA8oP44tATxn9XBGNLGr_Q8Sr12xbamMUbYhXb6kjRh4HwdVc_1lVO11fMq_MKGHw6rmc8tVKR-7aKZjXHwVA4y3dkEv2wdgx3GbPmegapdCPEkpDIj2xNFGxA/s400/IMG_6528.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">所狭しと皮や胴が積まれた明氏の工房「太鼓屋 嶋村」</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
その時の模様は又、いずれ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今日は、その中でも油かすについての話を書いてみたいと思います。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
元々「油かす」は、油を取ったあとの副産物。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
部落の人々は、日常の食事の中でそれを上手く利用してきました。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それが今や、B級グルメブームやなんやかんやで、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ずいぶんメジャーな食材になりつつあります。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
お好み焼き・焼きそば・かすうどん、水菜と焚いてハリハリ風に。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
とにかく噛めば噛むほど味が出て・・・</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
あ~ぁ、食べたくなってしまったので、この辺で昭さんのお話を。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
「牛の油は昔は一缶一万円ぐらいで買い取ってくれた、それが今はタダ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
逆にお金取られんだけマシや(笑)」</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
とは、昭さんのお話。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
牛の腸から取った油は、主に石鹸の材料になったそうですが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ある頃を境に、外国から安価なパーム油がその座を奪ったそう。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
そして、油の買取価格もどんどん下落し、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今は無料引き取りになってしまったのです。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
「石鹸以外の使い道はあるんですか?」</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
「線屋が使ってましたな。線(ワイヤー)に塗って錆止めやね。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それから食用油」</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
北出さんのお店でも、以前は油を取るための鍋があったそうですが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
そんな事情で、今では取るのを止めてしまったそうです。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
代わりの需要としては食用。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
いわゆるホルモンですね。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今ではそちらの方が主流なのです。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
「油もそやけど、骨も膠や骨粉にして肥料になったんです」</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
牛って"鳴き声以外は捨てるところが無い”って言いますよね。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
実は、食肉・皮(革)はもちろん、骨や血までも有効に使っていたのです。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今回、昭さんにお会いし、お話を伺っている中で、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
度々「いのちをいただく」「いのちの大切さ」を感じ取ることができました。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
牛の飼育から屠畜までを一貫して担ってこられた昭さんだからこそ</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
語れる言葉であり、聞いている私も、心から納得する事が出来たのでした。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
2019.1.18 貝塚市</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-58605705885248851052019-02-07T01:15:00.001+09:002019-02-16T01:02:44.029+09:00部落の食文化-5:油かす(あぶらかす)-その2【顧問からの聞取り編】以前、<a href="http://burakunokurasi.blogspot.com/2015/01/blog-post.html" target="_blank">『部落の食文化-2:油かす(&写真集「屠場」の紹介)』</a>と題し、<br />
「油かす」の紹介を行いました。<br />
<div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00761Q62M/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00761Q62M&linkCode=as2&tag=sige4411-22" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;" target="_blank"><img border="0" data-original-height="188" data-original-width="250" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg_7F6cl6UhQ-DPzgNaqktN5OOjnrs3yMTiUmvfs6zLms5t6F0TIBS2JxqBqrfYe4DlE4kSzltX4p3bvLqdfj8tJ96D7x9FxLb67tBK-awR_JfWv70FZMrazdIHjUHIWgC_boezXvD6MmA/s400/511vve3-TCL._SL250_.jpg" width="400" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
まず、油かす(あぶらかす)の復習から。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
油かすは、牛馬の腸などの「放るもん(ホルモン)」を</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
じっくり炒り出して油を取った残りカス。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
残りカスと言うからには、元々は「油」を取った後の副産物なんですが、</div>
被差別部落の方々は上手に利用し、料理に生かしてきました。<br />
<br />
しばしば、油かすは「被差別部落のソウルフード」なんて言われています。<br />
生産地区が食肉産業が盛んな部落に限られるため、<br />
該当部落はもちろん、近郊部落では馴染みがある食材なのでしょうが、<br />
全国津々浦々の部落ではどうなんでしょうね?<br />
<br />
例えば、近年のB級グルメブームなんかで、<br />
油かすやさいぼしなど、被差別部落の伝統食材も一躍フューチャーされ、<br />
今や全国区のメジャー食材の一つに昇格した感がありますし、<br />
油かすを使った焼きそばとしてB-1グランプリ殿堂入りを<br />
果たしている「富士宮やきそば」はあまりにも有名ですよね。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=================</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
さてさて、本日はですが、、、<br />
前回の「油かす」特集から、新たに学んだことを書いてみようと思います。<br />
<br />
羽曳野市のM部落(食肉産業が非常に盛んな被差別部落)で生まれ育ち、<br />
精肉店を営んでおられる、当「被差別部落の暮らし」の食肉担当顧問から、<br />
非常に興味深いお話を伺いました。<br />
<br />
顧問の家の近くに「油かす」製造工場があるそうなのですが、<br />
昨年末、顧問の家の前を含む近辺一帯で、<br />
「下水が溢れ出す」という出来事がありました。<br />
<br />
調べてみると、油かす工場から出た廃水に含まれている脂分が<br />
長年に渡り下水管に付着。<br />
結果、下水が詰まり溢れ出したということです。<br />
動物性油脂っていうのは冷えると固まりますからね。<br />
<br />
余談として。。。<br />
M地区を流れるH川の古い航空写真が、ネット上でタマに話題になります。<br />
「赤い川」「血の川」って。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj08gt7dqRClU2svr12dClygvwsVtKkyvw6B0nhSPUwjuP_2DEcNiHJwAyUCtA81JsLgIk_AD6fXQ8iwZk4fGVfcABoTTnAsqNML-Dm6H0leUnALeii7GkqflX3NsRD_IR-0_sQiTPRETk/s1600/%25E5%2590%2591%25E9%2587%258E.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="460" data-original-width="492" height="299" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj08gt7dqRClU2svr12dClygvwsVtKkyvw6B0nhSPUwjuP_2DEcNiHJwAyUCtA81JsLgIk_AD6fXQ8iwZk4fGVfcABoTTnAsqNML-Dm6H0leUnALeii7GkqflX3NsRD_IR-0_sQiTPRETk/s320/%25E5%2590%2591%25E9%2587%258E.jpg" width="320" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
つまり、地区の屠場から屠畜の際に出る血液を含む汚水が<br />
直接、川に流されており、川が赤く染まっているという事なのです。<br />
<br />
以前、この辺りの事も顧問に聞いてみたのですが、<br />
「事実」ということでした。<br />
<br />
顧問が子供の頃には、屠場の川側に廃液を貯めるプールがあり、<br />
そこから川に直接排水されていたそうです。<br />
<br />
いや、例え事実であったとしても誤解をしないでください。<br />
これは、「部落だから」とか「屠場だから」とかいうことではなく、<br />
当時の時代背景・・・どの企業も衛生・環境管理に無頓着な時代であったのです。<br />
それが、公害病や環境破壊を生むことになったのですが。<br />
いずれにしても、企業の環境に対する意識が低い時代でもありました。<br />
今は勿論、厳格な廃水管理がなされています。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
==================</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
油かすは「ホルモン(内臓)を炒り出して油を抽出した残りカス」ということは、<br />
先程述べたとおりですが、羽曳野の顧問からは、もう一つ興味深い話を聞きました。<br />
<br />
『昔、隣のおばさんがバケツに入れたお湯を川に捨てているのを見た』<br />
つまり、もう一つの「油かす」作り方ではないかと・・・<br />
<br />
要約すれば、バケツに入れた内臓に熱湯を掛け、<br />
浮き出した油を川に捨てて「油かす」を作っていたという事なのです。<br />
ただ、これには顧問も確証が持てず、<br />
”恐らくそうに違いない”と推測の範囲の話なのですが、<br />
実は、なまじ推測とは言い切れないのではないかと、<br />
私も思う次第であります。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
その根拠として・・・<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjH5SA6h1ZbluE11X-MCKbNzU2XifkY-tTa5tp3HOn5r__nt1uTT4a7NVS8optwpBxMvI-ZwHUXRJKx0w-X-FcvZjECopTHuNKi5DieLPlABGTH0Lo3rQVI2nwEHb0bZbwhCmhuWkfrUuI/s1600/IMG_0329-horz.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="125" data-original-width="400" height="123" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjH5SA6h1ZbluE11X-MCKbNzU2XifkY-tTa5tp3HOn5r__nt1uTT4a7NVS8optwpBxMvI-ZwHUXRJKx0w-X-FcvZjECopTHuNKi5DieLPlABGTH0Lo3rQVI2nwEHb0bZbwhCmhuWkfrUuI/s400/IMG_0329-horz.jpg" width="400" /></a></div>
<br />
<a href="http://burakunokurasi.blogspot.com/2017/04/3.html" target="_blank">部落の食文化-3 フク・フクゼン・フクカス</a>で紹介しましたフクなんですね。<br />
フクというのは、上記のリンクをクリックしていただくと詳しく書いておりますが、<br />
牛の肺のことで、地方名としてフクゼン・フクカス・フワ等と呼ばれています。<br />
<br />
部落の「天ぷら」と言えば、エビやかぼちゃではなく、<br />
フクやミノなどのホルモンを用いた天ぷらが部落流。<br />
(もちろん、エビもイカもかぼちゃも食べます)<br />
<br />
私も好きで、素材を買ってきて自宅でも調理しますが、<br />
やはり、専門である部落の肉屋さんで売っている天ぷらが美味しいですね。<br />
<br />
上の写真は、奈良県の食肉産業が盛んなT部落で購入したフクですが、<br />
表記を見てもらうと分かる通り「油かす(店主はフクカスと言っていました)」<br />
と記載されています。<br />
しかし、商品自体は炒ってあるのではなくてボイル。<br />
<br />
さて、ここで顧問の証言とフクカスが繋がった訳です。<br />
ここからは、私の推測ですが・・・<br />
<br />
【おばさんは】<br />
1、フクを作っていた。<br />
2、やはり、腸を用いた従来の油かすのボイルタイプを作っていた。<br />
の2点でほぼ間違いないと思われるのでしょうが、いかがでしょうね?<br />
<br />
いずれにしても、部落には、我々が持ち得る食肉文化の何倍もの<br />
知識・技術・伝統が蓄積されており、<br />
非常に素晴らしい食文化の一つであると言えます。<br />
<br />
思えば、明治以前は穢れに対する忌避意識があり、<br />
食肉もおおっぴらには出来ず(実際は隠れて食べていましたが)<br />
皮革業に携わる被差別部落の先人達をエタ・カワタ等と賤視してきました。<br />
<br />
ところがどうでしょう?<br />
今私達は、ほぼ毎日と言っていいほど何らかの肉を食べ、<br />
ホルモンに舌鼓を打ちます。<br />
しかも、靴や鞄・衣服など多くの革製品に身を包みながら。<br />
<br />
こうなると、<br />
穢れって一体なんなんでしょうね?<br />
差別って一体何なのでしょうか?<br />
<br />
被差別部落問題に限らず、全く意味も根拠もない差別意識によって、<br />
今、こうしている瞬間にも多くの差別が生まれています。<br />
<br />
あの人よりいい会社に努めている。<br />
あの人よりお金持ちだ。<br />
あの人より学歴が良い。<br />
<br />
他人と比べ、他人の劣っているところを見つけるのが差別の根源であるならば、<br />
「差別」は人が元々持っている性かもしれません。<br />
しかし、だからと言って、なくす努力を怠ってはいけません。<br />
だから、私は今日もこうして書いています。<br />
差別が無くなる日まで。<br />
<br />
少し説教臭くなってきましたので、今日はここまでにしたいと思います。<br />
<br />
次回は、部落の食文化-6:油かす(あぶらかす)その3【北出昭氏のお話編】<br />
と題し、映画「ある精肉店のはなし」ご出演の北出昭氏に<br />
教えていただいた油かす話をお届けする予定です。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgxwH7xQGFwBoJi5loPh4q364r2nwq7njtpLgME57E9HJVO8gHMoStw4z-sBb12MQ8hfr9NTkdidMIP6u142wUiOLnaYopnHxrjqUNNuE_2EMv7YvHIco1DzYaUY6rf9sATLNmuYNcomew/s1600/poster2.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="800" data-original-width="568" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgxwH7xQGFwBoJi5loPh4q364r2nwq7njtpLgME57E9HJVO8gHMoStw4z-sBb12MQ8hfr9NTkdidMIP6u142wUiOLnaYopnHxrjqUNNuE_2EMv7YvHIco1DzYaUY6rf9sATLNmuYNcomew/s320/poster2.jpg" width="226" /></a></div>
どうぞ、お楽しみに!!</div>
<div>
<br /></div>
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被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-56588421318413654832018-12-26T16:53:00.001+09:002018-12-26T16:55:12.498+09:00最近の部落事情確か11月の終わりだっただろう。<br />
アベマTVでシェリーさんが司会の「Wの悲喜劇」で、<br />
部落特集が放送された。<br />
<br />
ご覧になった方も多いと思われるが、<br />
当方も、初めてその番組を見てみた。<br />
<br />
その放送が好評だったのか、<br />
ここのところ、立て続けにヤフー・ニュースを中心にで<br />
部落についての特集が組まれている。<br />
<br />
<h1 style="font-size: 22.4px; letter-spacing: -0.05em; line-height: 1.3; margin: 0px 0px 8px; padding: 0px;">
</h1>
<h1 style="letter-spacing: -0.05em; line-height: 1.3; margin: 0px 0px 8px; padding: 0px;">
<span style="font-size: large;">壁に「部落の学校消えろ」落書き、口伝え、レッテル…出身者が語る被差別部落の姿</span></h1>
<div class="hdLogoWrap" style="margin: 0px; padding: 0px;">
<div class="source" style="background-color: white; color: #666666; display: inline-block; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; font-size: 13.44px; line-height: 40px; padding: 0px;">
12/22(土) 9:01配信</div>
<span style="background-color: white; color: #333333; font-family: , "hiragino kaku gothic pro" , "meiryo" , "ヒラギノ角ゴ pro w3" , "ms pgothic" , "ms ui gothic" , "helvetica" , "arial" , sans-serif;"></span></div>
<a href="https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181222-00010004-abema-soci" target="_blank">https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181222-00010004-abema-soci</a><br />
<br />
<br />
<h1 style="background-color: white; color: #333333; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; letter-spacing: -0.05em; line-height: 1.3; margin: 0px 0px 8px; padding: 0px;">
<span style="font-size: large;">「家系図や写真まで…」ネットの部落差別が消えない理由とは? YouTubeの“部落探訪”に「悪意がすごい」の声</span></h1>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; color: #333333; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; margin: 0px; padding: 0px;">
<div class="source" style="color: #666666; display: inline-block; font-size: 13.44px; line-height: 40px; padding: 0px;">
12/24(月) 9:01配信</div>
</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; margin: 0px; padding: 0px;">
<div class="source" style="display: inline-block; line-height: 40px; padding: 0px;">
<span style="color: #666666; font-family: , "hiragino kaku gothic pro" , "meiryo" , "pro w3" , "ms pgothic" , "ms ui gothic" , "helvetica" , "arial" , sans-serif;"><a href="https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181224-00010002-abema-soci" target="_blank">https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181224-00010002-abema-soci</a></span></div>
</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; margin: 0px; padding: 0px;">
<div class="source" style="display: inline-block; line-height: 40px; padding: 0px;">
<br /></div>
</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; margin: 0px; padding: 0px;">
<div class="blog-article__header" style="-webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: white; color: #333333; font-family: "Helvetica neue", Arial, Roboto, "Droid Sans", "ヒラギノ角ゴ ProN W3", "Hiragino Kaku Gothic ProN", メイリオ, Meiryo, sans-serif; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-variant-ligatures: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-decoration-color: initial; text-decoration-style: initial; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px;">
<div class="blog-article__title blog-title" style="margin-bottom: 3px;">
<h1 class="blog-title__text u-txt-clr" style="color: #333333; font-weight: bold; line-height: 1.3; margin: 0px 0px 21px;">
<span style="font-size: large;">もし結婚相手が“部落出身”だったら? 「子どもがいじめに遭う」の声に、SHELLY「いじめる側を怒らないと」</span></h1>
</div>
<time class="blog-article__date u-txt-clr u-txt-clr--lv1" datetime="2018-12-21T09:30:05Z" style="color: #666666; display: block; font-size: 14px; line-height: 1;">2018.12.21 18:30</time></div>
</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; margin: 0px; padding: 0px;">
<br /></div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; margin: 0px; padding: 0px;">
<a href="https://abematimes.com/posts/5323515" target="_blank">https://abematimes.com/posts/5323515</a></div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; color: #333333; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; margin: 0px; padding: 0px;">
<br /></div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; margin: 0px; padding: 0px;">
該当番組は既に視聴期間が過ぎているようで、</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; margin: 0px; padding: 0px;">
現在は視聴できない状態になっているが、</div>
<div class="hdLogoWrap" style="background-color: white; font-family: メイリオ, "Hiragino Kaku Gothic Pro", Meiryo, "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS PGothic", "MS UI Gothic", Helvetica, Arial, sans-serif; margin: 0px; padding: 0px;">
記事は読めますので、ぜひご一読を。</div>
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-47079989039066757882018-12-24T00:15:00.003+09:002018-12-24T00:15:45.583+09:00スギムラシンジ ツイッターの紹介「被差別部落の暮らし」をご覧頂きありがとうございます。<br />
最近、記事更新が滞りがちになっていますが、<br />
日々のつぶやきはツイッターにて行っております。<br />
よろしければ、是非フォローお願いします。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://twitter.com/burakunokurasi" target="_blank"><img border="0" data-original-height="174" data-original-width="290" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgE5Kk6ve3c_R016uv5ZR_mGdh6fPgGXm3w9w-hxMSRZqOlZ558NiDSQnnWFBK_xYXv0B0wfKiqw8sdPdBTB37JwaP4DHWsUb0Zt7RnbM5EyaYM1_CVIFW3kkYT001TDg7hoWPGQAQZC34/s1600/%25E3%2583%2580%25E3%2582%25A6%25E3%2583%25B3%25E3%2583%25AD%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589.png" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://twitter.com/burakunokurasi">https://twitter.com/burakunokurasi</a></div>
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-72411748482710433512018-09-26T02:09:00.006+09:002018-09-26T02:10:31.033+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その10(完)/見て記行って記被差別歩記-5この連載を始めてから1年以上が経った。<br />
10回という、これまでにない長編に加え、<br />
私の遅筆も重なり、この様な期間を要してしまった。<br />
しかし、「江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村」も、<br />
遂に今回が完結となる。<br />
次作からは、もう少し簡潔にまとめようと思う。<br />
<br />
さて、前回は、牢屋の所在地を知ることが出来たが、<br />
残念ながら、既に取り壊されてしまっていた所までお話した。<br />
私も現物を見てみたかったのは山々だが、無いものは仕方がないので、<br />
此処からは、前出の資料を元に、牢屋の解説を行いたい。<br />
<br />
尚、再度お断りしておくが、地区特定を防ぐため<br />
部落名は「川向部落(仮名)」とさせて頂く事をご了承願う。<br />
<br />
まずは、下の写真をご覧頂きたい。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7zLBTE2dSYx73W7c2o4siHWE6sYsBVfdYQbvni03OXXQz8zXCxhO0oS9nwBBQQHsPeseKQ8BIIswj4X61rk_S-ymxjnka2I-MmYWt2LBYsmVGHx-qOqtgu_sKvNMJRTOnzUNwe2bkZiM/s1600/IMG_6049.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1130" data-original-width="1600" height="282" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7zLBTE2dSYx73W7c2o4siHWE6sYsBVfdYQbvni03OXXQz8zXCxhO0oS9nwBBQQHsPeseKQ8BIIswj4X61rk_S-ymxjnka2I-MmYWt2LBYsmVGHx-qOqtgu_sKvNMJRTOnzUNwe2bkZiM/s400/IMG_6049.JPG" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">京北町教育委員会編:「川向区の歴史」表紙より</td></tr>
</tbody></table>
この写真は、既出の資料である『京北町教育委員会編:「川向区の歴史」』の<br />
<div>
表紙に使われた”江戸時代の牢屋”の全景である。そして、下の写真が、</div>
<div>
私が撮影した現在の牢屋跡である。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiKdVSO3qLD1k_yqJZWw1kDFP6wwx4ZtFBcvpbxal4tRU2Xa10i_DYw5bK0VcRdU9JdFRGqPLat8pY-VvomG6wTPtj7wf_E8Ta5eMqj1qgbLTEYGIy2ozHDfiimgyFYxrrnEBqWEhD9B_g/s1600/IMG_4800.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="218" data-original-width="231" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiKdVSO3qLD1k_yqJZWw1kDFP6wwx4ZtFBcvpbxal4tRU2Xa10i_DYw5bK0VcRdU9JdFRGqPLat8pY-VvomG6wTPtj7wf_E8Ta5eMqj1qgbLTEYGIy2ozHDfiimgyFYxrrnEBqWEhD9B_g/s320/IMG_4800.jpg" width="320" /></a></div>
<div>
背後の蔵は現在も残っており、車が停まっている場所に、かつて牢屋があった。</div>
<div>
発見当時、牢屋は農機具収納庫として利用されていた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
被差別部落に蔵があることを見てもわかるように、</div>
<div>
村年寄りとして、ある程度の財を築いていたことが伺い知れる。</div>
<div>
蔵には、捕物に使われたであろう武具が収められていた事が、</div>
<div>
報告書には記載されている。</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgzAUjTBGvj0F9wWn2e1YGm2RDjCrNnhyCtvC9TWGP1N9dA8eNBGEAzmlAme5nEPe6ZcTQPiNUI3Gc5q4XRm3x1SnQmqlqxsE60tt8O3N8r7yqWMAfHJaIGLi_yaRQ-_tD0MTc8R_RluI/s1600/2017y04m27d_004422296.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="584" data-original-width="845" height="137" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgzAUjTBGvj0F9wWn2e1YGm2RDjCrNnhyCtvC9TWGP1N9dA8eNBGEAzmlAme5nEPe6ZcTQPiNUI3Gc5q4XRm3x1SnQmqlqxsE60tt8O3N8r7yqWMAfHJaIGLi_yaRQ-_tD0MTc8R_RluI/s200/2017y04m27d_004422296.jpg" width="200" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">映画:人間みな兄弟より<br />
警刑吏役を担った被差別部落の捕物武具</td></tr>
</tbody></table>
<br />
牢屋屋の実寸は4420×3760。<br />
<div>
場所柄だろうか?。</div>
<div>
時代劇などに見る数部屋ある大き牢屋と比べると、</div>
<div>
かなり小ぢんまりした印象がある。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjWbKIb9oGFBtQW0KfRWwgqVIoY1a0onYbgxt-H3rsPf910fNAysR8R9FFfeFes1DGBpW62I28awGJlR8EcSH9VvEZHjJVIK5Hl9RugrMB36QCqYVKX3C_rYM21E3zDZyIJ1iGNPdQijJg/s1600/IMG_6046.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="974" data-original-width="1510" height="206" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjWbKIb9oGFBtQW0KfRWwgqVIoY1a0onYbgxt-H3rsPf910fNAysR8R9FFfeFes1DGBpW62I28awGJlR8EcSH9VvEZHjJVIK5Hl9RugrMB36QCqYVKX3C_rYM21E3zDZyIJ1iGNPdQijJg/s320/IMG_6046.JPG" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">京北町教育委員会編:「川向区の歴史」より</td></tr>
</tbody></table>
<div>
<br /></div>
<div>
牢屋内部は2つに仕切られており、その一つは一般牢。</div>
<div>
そしてもう一つが揚り屋であった。</div>
<div>
揚り屋は、武士・僧侶・公家など身分が高い罪人を収容した牢で、</div>
<div>
当時の罪人には、貴貧の差がつけられていたことがよく分かる。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhai3wnut5U_FWxW0nAlbae4HP7mAWmzE1QKdi8nzJH0oUv-U3YzQJt_ePqoJjiBLZxRjZo5MOlMbHCP4nreFM0LjSopaQ5ruHIwUzub_56B8rRtuzl3kNt9OewdhpO5QjOX48bh03K-j8/s1600/IMG_6048.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1090" data-original-width="1600" height="218" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhai3wnut5U_FWxW0nAlbae4HP7mAWmzE1QKdi8nzJH0oUv-U3YzQJt_ePqoJjiBLZxRjZo5MOlMbHCP4nreFM0LjSopaQ5ruHIwUzub_56B8rRtuzl3kNt9OewdhpO5QjOX48bh03K-j8/s320/IMG_6048.JPG" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">京北町教育委員会編:「川向区の歴史」より</td></tr>
</tbody></table>
寸法は各部屋とも1880×1970であるから、</div>
<div>
人ひとりがなんとか寝れる位のサイズである。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirajuMMwsd13Bc3JB1EvrsEd2_KeqCmp4IhFW1rOMkpRYXvoxGmtvCb2IjQy0R9UYA7UZBT3VSWbBMYEs8kwCiXXERHCaF-clkEnQGPy9SBL0ScWnY0yfMVcByDKL3-mwXNXb2vYidBOw/s1600/IMG_5554.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="146" data-original-width="133" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirajuMMwsd13Bc3JB1EvrsEd2_KeqCmp4IhFW1rOMkpRYXvoxGmtvCb2IjQy0R9UYA7UZBT3VSWbBMYEs8kwCiXXERHCaF-clkEnQGPy9SBL0ScWnY0yfMVcByDKL3-mwXNXb2vYidBOw/s200/IMG_5554.jpg" width="181" /></a></div>
<div>
「入牢は長むしいやいや」と書かれた墨書きを見る限り、</div>
<div>
このサイズの牢で、長期の入牢はかなり辛いものがあったろうが、</div>
<div>
そこは罪人。</div>
<div>
それだけの罪を起こしての入牢なのだから致し方あるまい。</div>
<div>
以上が牢屋の概要である。</div>
<div>
<br />
被差別部落の先人たちは、</div>
<div>
警刑吏役と言う今で云う警察業務を担ってきた。</div>
<div>
又、池番・山番・峠の番などをして、村や都市の警護にあたってきた。</div>
<div>
これは治安維持という点で素晴らしい働きをしていたのだが、</div>
<div>
村民からは「幕府の犬」として「番太」などと呼ばれ、</div>
<div>
差別の対象にされてきた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
当時の穢多たちは、お上の命に忠実に従ったまでで、</div>
<div>
もちろん、謂れなき差別であることには間違いない。</div>
<div>
(尤も、お上としては、農民と穢多を分断する為に</div>
<div>
巧みに仕組んだのは言うまでも無いが・・・)</div>
<div>
<br /></div>
<div>
被差別部落の先人たちは、言わば幕府の、</div>
<div>
いや、この国の「役職的殉教者」なのである。</div>
<div>
<div>
<br /></div>
<div>
<span style="font-size: x-large;">【見て記行って記被差別歩記-5】</span></div>
</div>
<div>
<span style="font-size: x-large;">江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村(完)</span></div>
<div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div style="text-align: left;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
</div>
</div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-9768895153883251632018-08-12T01:27:00.001+09:002018-09-26T00:19:55.770+09:00お盆です・被差別部落の墓事情世間はお盆休み。<br />
私は、仕事のために大型連休には縁がないのですが、<br />
皆様はいかがお過ごしでしょうか?<br />
海外・国内旅行?帰省?それとも家でゆっくりって方も。<br />
お盆に過ごし方は様々ですが、お墓参りに行かれる事も<br />
多いと思います。<br />
今日は、被差別部落の墓事情を書いてみます。<br />
<br />
差別が厳しかった時代、部落民は<br />
「来世こそは差別のない世の中に」との思いから信仰心が厚い方が多く、<br />
『家は貧乏だけど寺は立派にしたい」と、<br />
それぞれが苦しい家計からお金を出し合い、<br />
信仰に心の拠り所を求めてきました。<br />
<br />
しかし、せっかく建てた寺も穢多寺、僧侶は穢僧と呼ばれ、<br />
宗教界でも差別される存在でした。<br />
しかも、それほどまでに信仰しても、<br />
亡くなった時には「差別戒名」がつけられ、<br />
死して尚、差別される事となるのでした。<br />
<br />
近年、各宗派は、これまでの宗教界の差別を改め、<br />
今は部落差別解消に努めています。<br />
<br />
さて、本日の本題である墓事情です。<br />
<br />
◎都市型部落<br />
都市型部落の特徴として、土地が非常に狭いことが挙げられます。<br />
そのため、改良住宅もアパート・マンション型の縦に長い形になります。<br />
当然、墓地にも十分な土地が確保できないことも多く、<br />
寺の中に納骨堂が設けられていることがあります。<br />
<br />
妻の祖父はこの納骨堂に入っております。<br />
納骨堂は寺の地下にあり、コインロッカーのような形態をしており、<br />
拝む時に扉を開けて礼拝しますが、寺の地下なので、<br />
いつでも自由に墓参という訳には行きません。<br />
日時が決められており、その時間内で礼拝いたします。<br />
改良住宅もアパート型であれば、納骨堂も又、<br />
アパート型と言えるかもしません。<br />
<br />
又、先述した通り土地が不足しているために、<br />
十分な墓地が確保できず、他所・・・地区外に墓所を求める<br />
ケースもあります。<br />
<a href="http://burakunokurasi.blogspot.com/2018/04/blog-post.html" target="_blank">被差別部落と六曜~叔父の死から見る~</a><br />
で紹介した義母の姉の家は、一般地区の寺内に墓を持っています。<br />
<br />
◎郊外及び農漁山村型<br />
比較的土地に余裕がある郊外・農漁山村は、<br />
部落内に大きな墓所を持っていることが多く、<br />
寺とは他に、大きなお堂や葬祭会館を併設しているケースもあります。<br />
多宝塔のようなオブジェが設けられている事も。<br />
<br />
一般地区の墓所と比べて特徴的なのが墓所管理。<br />
被差別部落の内、同和地区指定されている部落では、<br />
墓所は市町村など、公的に管理されている事が多いです。<br />
<br />
これは、同和地区指定された後、地区改良時に墓所を含めた土地を市町村が買い上げ、<br />
改良事業を行った為で、そのような土地に、<br />
改良住宅・隣保館等が設けられました。<br />
<br />
また、郊外・農漁山村型部落墓所の特徴として、<br />
三昧(=火葬場)を併設しているケースもあります。<br />
つまり、部落の墓所で火葬し納骨するわけです。<br />
当方の食肉担当顧問をしていただいているN氏の住まいである<br />
大阪府のある部落にも三昧施設があり、<br />
お話を聞いたことがあります。<br />
それによると、三昧は部落の者だけが使用し、<br />
今でも使われているとのことでした。<br />
<br />
三昧施設がどのような理由で設置されたかはわからないそうですが、<br />
もしかしたら、部落差別と関係があったのかもしれません。<br />
<br />
ここに上げた例は、わたしが知る限られた地区・家庭での話です。<br />
きっと、全国津々浦々の部落には、もっと多様な墓所があることでしょう。<br />
「こんな墓もあるよ!」って方おられましたら、<br />
コメント欄にて教えていただけたら幸いです!<br />
以上、簡単ですが、被差別部落の墓所事情でした。<br />
<br />
<br />
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-20047420613425760512018-04-19T00:50:00.002+09:002018-04-19T00:50:18.706+09:00被差別部落と六曜~叔父の死から見る~4月8日の早朝、叔父が亡くなりました。<br />
義母の姉の旦那さんなので、私と妻双方、<br />
血の繋がりがない三等身姻族の叔父です。<br />
<br />
亡くなられる数週間前に、何度か「危ない」と言う話を<br />
妻から聞いていましたが、前日の土曜日の晩、<br />
仕事帰りの妻からの電話で「いよいよ」と言う連絡を受けました。<br />
死因は肺炎からの多臓器不全。<br />
68歳という若さでした。<br />
<br />
義母と同じ部落内に伯父伯母は住んでいるので、<br />
毎年、正月には挨拶に伺っていましたが、<br />
今年は妻からキツく「行ったらアカン!!」と<br />
釘を差されて行くことが出来ませんでした。<br />
<br />
なんでも、酔っ払った私は相当騒ぐらしく、<br />
迷惑がかかるからだとか。<br />
酔っていなくても普段から騒がしい私としては、<br />
そんなに自覚がないのですが、酔うと一層拍車がかかるそうです。<br />
<br />
「正月ぐらいはいいやないか!!」<br />
<br />
そんなこんなで、今年の正月には、<br />
まだ元気だった叔父の元へ、挨拶に行けなかったことが悔やまれます。<br />
<br />
さて、我が国には、冠婚葬祭に六曜を重んじる風習があります。<br />
六曜・・・つまり大安・仏滅などですね。<br />
<br />
叔父が亡くなったのが4月8日の日曜日。<br />
赤口でした。<br />
法律では、失くなってから24時間は火葬できないので、<br />
葬儀としては、9日の月曜日以降ということになります。<br />
<br />
ここで、周辺の六曜を記しておきます。<br />
4月8日 赤口 何事も良くない日。正午から前後1時間は吉とされる。<br />
9日 先勝 午前は吉。午後からは凶。<br />
10日 友引 友を引くとして、葬儀は行われない。<br />
11日 先負 午前は凶。午後は吉。<br />
12日 仏滅 一日通して凶の日。仏事には向く日。<br />
13日 大安 何事にもいいが、仏事は行われない。<br />
<br />
以上のような暦から、10日の友引を避け、<br />
11日の先負に葬儀と言う日程で行われました。<br />
つまり、日本古来の風習である六曜を重んじた日程となったのです。<br />
<br />
ところが、一方で、六曜は差別につながるとして、<br />
廃止する動きも見られます。<br />
<br />
部落解放同盟は、かねてより「六曜は迷信で、差別につながる悪習」として、<br />
六曜を排除する方針を打ち出していますし、調べてみると、<br />
明治政府も六曜を禁止する方針だったとか。<br />
<br />
古来から我が国に伝わる風習がナゼ差別につながるのか?<br />
それには、こんな訳があります。<br />
<br />
「六曜は、ハレやケを暦に記したもの。<br />
ケガレを記すことが差別につながる。」<br />
<br />
「鎌倉辺りに中国から伝来した六曜が現在のカタチに落ち着いたのは、<br />
江戸時代になってから。比較的歴史が浅く、迷信である。」<br />
と言うのが主な理由のようです。<br />
<br />
かつては、役所が配布する手帳や暦に六曜が記載されていたのですが、<br />
部落解放同盟の糾弾によって、今ではどの自治体も、<br />
配布物には六曜の記載はありません。<br />
この様な経緯から、近年では、六曜を記載していないカレンダーも<br />
増えてきました。<br />
<br />
「それじゃあ、部落の人は全員、六曜を否定するのか?」<br />
<br />
答えは「否」です。<br />
<br />
叔父の葬儀の例を見てもわかるように、<br />
部落民だから六曜を否定すると言うことは決してありませんし、<br />
むしろ、六曜を重んじています。<br />
<br />
一般的に、部落解放同盟の主義主張が部落民の総意と<br />
思われているフシもありますが、決してそうではありません。<br />
確かに。部落解放同盟は、運動団体としては最大規模を誇っていますが、<br />
解放運動全盛で『猫も杓子も解放同盟』と言う時代から見ると、<br />
現在は部落内でもマイノリティです。<br />
<br />
そのような訳で、コアな解放同盟員は六曜廃止主義でしょうが、<br />
あまり運動に積極的じゃない解放同盟員の中には、<br />
“迷信”とされている、六曜を重んじる方々は多いんじゃないかと思われます。<br />
<br />
こう書くと、「運動に積極的じゃない同盟員が居るのか?」<br />
ということになってしまいますが、事実、それは有るでしょうね。<br />
<br />
私の義母は、遠縁が支部長をやっていたため、<br />
付き合い的に入っていましたし、周りがやっていたから<br />
「なんとなく」ってのはあったと思います。<br />
<br />
また、『過密で、新しい住居が必要になった際に、<br />
同盟員には優先で部屋をあてがわれる』などのメリットもありました。<br />
<br />
特に近畿地方では、過去に同和枠として公務員の優遇採用がありましたが、<br />
その絶対条件として、同盟員や旧全解連などの運動団体に<br />
所属していることが挙げられます。<br />
<br />
又、これは同和利権に当たるので、批判に値する事例ですが、<br />
税金の優遇措置を受けるために同盟員になるケースも有りました。<br />
<br />
あの手この手で、同盟員の獲得拡大に努めいて来た解放同盟ですが、<br />
このように書くと、まるで『悪の団体』であるかのようです。<br />
<br />
しかし、解放同盟を始めとする各運動団体が、<br />
差別の解消に邁進し、部落改善に大きな働きをしてきたことは事実ですし、<br />
多いに評価されるべきだと考えます。<br />
<br />
ただ、再度言いますが、”利権”に関しては、これを完全否定するもので、<br />
部落解放運動に於ける汚点で有ることに間違いはありません。<br />
<br />
明治4年の解放令が出てから、約150年と言う歳月が流れました。<br />
しかし、ナゼ今も差別が残るのか?<br />
水平社や部落解放同盟と言った運動団体がナゼ必要であったのか?<br />
また、今日のテーマである『被差別部落と六曜』について、<br />
ナゼ書く必要があったのか?<br />
<br />
叔父の死~葬儀を見て、<br />
今一度、考えさせられる今回の出来事でした。被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-3013120789828232722018-04-01T01:54:00.000+09:002018-04-01T01:54:49.159+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その9/見て記行って記被差別歩記-5これは、どこの部落でもそうなのだが、<br />
近年、少子高齢化の波は部落にも例外なく押し寄せ、<br />
部落内の高齢化及び、地区内の空洞化が目立っている。<br />
<br />
ここ川向(地区特定につながるので仮名とさせて頂く)もご多分に漏れず、<br />
活動時間帯の朝だと言うのに、とにかく人がいない。<br />
もともと、戸数20個ほどの小さな部落であるが、<br />
実際に、現在住んでおられる方はもっと少ないに違いない。<br />
<br />
それが証拠に地区内を回っている時、<br />
幾つかの家に「販売中」の看板が掲げられているのを目にした。<br />
その何れもが、玄関に草が生い茂り、窓はホコリで曇っている。<br />
長く買い手がつかないのであろう。<br />
<br />
理由は、此処が「部落」というだけでは恐らくない。<br />
京都市と言えども、市内中心部から遠く離れた辺境の地で、交通の便が著しく悪く、<br />
おまけに生活の基盤となる食料品や日用品を買いに行くにも一苦労となれば、<br />
部落じゃなくても「住みたい」人は極端に少なくなる。<br />
それでも、この地に生まれ、今も生活している方々にとっては“住めば都”で、<br />
先祖代々受け継いだ大切な土地であることに違いない。<br />
<br />
さて、肝心の江戸時代の牢屋であるが、<br />
わずか20戸ほどの小さな部落とは言っても、<br />
不案内な場所であるが故、どこにあるのか探しあぐねていたところ、<br />
教育集会所の近くで、一人の女性に詳しく話を聞くことが出来た。<br />
<br />
年の頃、60代後半とおぼしき初老の御婦人は、<br />
田舎と言っても流石に京都。<br />
どこか上品で、受け答えもハキハキとされており、<br />
大変貴重なお話を伺うことが出来た。<br />
<br />
「この辺りに、江戸時代の牢屋があると言う話ですが・・・」<br />
婦人は一寸考える素振りを見せた。<br />
(後に、振り返って考えてみると、婦人の間は、取りも直さず、<br />
此処を訪れる人がほとんどいない事を物語っていたのだった)<br />
<br />
「あぁ、牢屋ね。そこの家の奥に・・・」と、婦人は向かいの旧家を指さした。<br />
なんと、丁度、家の前まで来ていたようだが、牢屋は奥に有る土蔵に併設していた為、<br />
表の路地からは見えなかったのである。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggxYieLupSVsxR_bCXHS5lkPMZtLMkgp5hrk_FvSRGBkYpft6PzrQNpLZ4npcIpZ7z30qiRMRje1UhICrT-edBCVyjEk2Am1NuSIIip2haBZNLvjY9-myeXU-o6wDww0DJsb5kVjsZEjc/s1600/IMG_4802.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggxYieLupSVsxR_bCXHS5lkPMZtLMkgp5hrk_FvSRGBkYpft6PzrQNpLZ4npcIpZ7z30qiRMRje1UhICrT-edBCVyjEk2Am1NuSIIip2haBZNLvjY9-myeXU-o6wDww0DJsb5kVjsZEjc/s400/IMG_4802.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">地区で一番大きな旧H家住宅(現在は持ち主が変わっている)<br />
かつては、枝村の庄屋を務め、寺の代わりに村人の集会所となっていた。</td></tr>
</tbody></table>
<br />
スギムラ「牢屋の見学は出来るのでしょうか?」<br />
婦人「今は、持ち主が変わられてね・・・」<br />
<br />
何でも、この牢屋が発見されてから暫くは、見学者が怒涛の如く訪れ、<br />
居住者はかなり辟易されていたとのこと。<br />
<br />
当時を知る事情通に後日伺った所、部落関係者・学者・教育関係者などが、<br />
連日、観光バスで押し寄せたらしい。<br />
「・・・そんな訳で、牢屋は何年か前に取り壊されたんですよ」<br />
思いがけない婦人の答えは、牢屋目当てで訪れた私のワクワクを<br />
瞬時にかき消す勢いであったが、当の家主の気持ちを考えれば、<br />
十分に納得出来る、いや同情さえしてしまう具合であるから致し方ない。<br />
<br />
きっと、牢屋が発見されてからは、生活も一変したことだろう。<br />
見ず知らずの人が、連日大挙をなして、山村の旧家へ押し寄せるわけだから。<br />
それともう一つ。<br />
これは、後で知ったことだが、地区の中でも「牢屋が有るから差別が残る」<br />
と言う意見があり、取り壊しを所望する住民もおられたらしい。<br />
或いは、この様な事も相まって、取り壊しに至ったのかも知れない。<br />
<div>
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
=======================</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
先に「発見」と書いたが、ここで、この建物が、<br />
どうしてにわかに注目を集めることになったのか少し触れておこう。<br />
<br />
調べていくと、この建物が「牢屋らしい」と言う話が出たのが、<br />
どうも、識字学級内でのことのようだ。<br />
恐らく、字が読めるようになった部落の先人諸氏が、<br />
牢屋(当時は農機具の倉庫として使われていたらしい)に<br />
字が書いてあることを発見し、話題になったのであろう。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Ovu14B0GBO0zyt2jvTEBpMRLWC3CVNgRGBBiohuQXibrbO4T47zghOCWd9hY8IjnX1CsYrwrPfeSZe8LXmzZTmP5rt7xOvl1swzqipJllc8CEtigjY0Bqm14WZ3wqdqsB0ojVpSp3O8/s1600/DWAGjPxVMAAuBMv.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="641" data-original-width="1199" height="212" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Ovu14B0GBO0zyt2jvTEBpMRLWC3CVNgRGBBiohuQXibrbO4T47zghOCWd9hY8IjnX1CsYrwrPfeSZe8LXmzZTmP5rt7xOvl1swzqipJllc8CEtigjY0Bqm14WZ3wqdqsB0ojVpSp3O8/s400/DWAGjPxVMAAuBMv.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: 12.8px;">丸岡忠雄氏の詩「ふるさと」を版画にした</span><span style="font-size: 12.8px;">識字学級諸氏の作品。</span><br />
<span style="font-size: 12.8px;">子供の頃に学校に通えなかった部落の方々は、</span><br />
無くした時間を取り戻すため、ご高齢になってから識字学級へ通った。</td></tr>
</tbody></table>
では、何と書いてあったのか?<br />
下の冊子「川向(仮名)の歴史」表紙写真の右側に注目いただきたい。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCfw7AmhM5y-DpxucbaEDzKcuYsum_WEi0Jh_hLhmd0E0BXv_Nbt74sOd4g2usFVrcJPXQSHtBOAewpZna1Xvq5eoHS6eOtfSyoj2HypNOqmqz9FBNFRdqXIRzpLTJoRrNUJzx2ifUVfw/s1600/IMG_5554.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="486" data-original-width="700" height="444" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCfw7AmhM5y-DpxucbaEDzKcuYsum_WEi0Jh_hLhmd0E0BXv_Nbt74sOd4g2usFVrcJPXQSHtBOAewpZna1Xvq5eoHS6eOtfSyoj2HypNOqmqz9FBNFRdqXIRzpLTJoRrNUJzx2ifUVfw/s640/IMG_5554.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
牢屋内の柱の一本に『入牢も長むしハいやいや』と墨書きされていたのだ。<br />
(スギムラ注:文中のハは、漢数字の八ではなくカタカナのハ)<br />
識字学級内でこれが、牢屋ではないかと話題になり、<br />
直ちに、地元の教育委員会・部落問題研究所が中心となって、<br />
本格的な調査がなされた。平成三年のことだ。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<br />
<div style="text-align: center;">
=====================</div>
<br />
一端、牢屋の話は置いておいて、婦人に伺ったお話を紹介しよう。<br />
川向には、僅かばかりの改良住宅がある。<br />
戸数6戸の二戸一住宅だ。<br />
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKo9h8t9_6cQAGEKFj_OsXwrCYpjBibFJh8kspP3tiZX_kkaEfpO1-00ebfXJC9eOvA1d8b5XQUmKfHYaeJjhBKXg_bCm9Rm_rvh1tJOa4VulKuLBdY0A42zxobQRTR5kvLmO3Jj8Lx-A/s1600/IMG_4799.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKo9h8t9_6cQAGEKFj_OsXwrCYpjBibFJh8kspP3tiZX_kkaEfpO1-00ebfXJC9eOvA1d8b5XQUmKfHYaeJjhBKXg_bCm9Rm_rvh1tJOa4VulKuLBdY0A42zxobQRTR5kvLmO3Jj8Lx-A/s400/IMG_4799.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">二戸一の改良住宅。総数6戸</td></tr>
</tbody></table>
<br />
家の前には、八重桜と、この地方名産の園芸用の杉「台杉」が植えられている。<br />
地区一の高台に位置し、とにかく静かで見晴らしが良い反面、<br />
徒歩や自転車では上りが辛く、安全対策派がなされているとは言え、<br />
背後の山からは土石流の危険もないとは言えない。<br />
部落にありがちな立地である。<br />
今現在も入居されている状態では有るが、<br />
御婦人の話では,今後の入居者の募集は行っていないとのこと。<br />
耐用年数の関係で、入居者がなくなり次第、解体の方針であるという。<br />
<br />
又、このような話も有る。<br />
「差別の話はありますか?」との問に、<br />
「最近はないけど・・・」と言いつつ、<br />
差別が厳しかった頃の話を聞かせてくださった。<br />
<br />
「昔は、川の向こう側の本村の田んぼへ手伝いに行っていたの。<br />
休憩の時にお茶を出してくれるけど、茶碗は欠けてるし、<br />
明らかに洗ってないのね。それでも文句言わずに飲んだって話を聞いたわ」<br />
<br />
「もしよかったら、昼から教育集会所で編み物教室があるのね。<br />
その時に姉が来るから、差別の話は、姉の方が詳しいので聞いてみたら」<br />
と、お話をいただいたが、残念ながら時間の関係でお伺いは出来なかった。<br />
代わりに、前出「川向区の歴史」に差別の聞き取りが有るので書き出してみよう。<br />
<br />
◎『Kさんのお爺さんは医者だったが、患者の家に上げてもらえず、<br />
玄関先で患者を診た』<br />
<br />
◎『患者に触ることが許されず、杖で脈を測った』<br />
<br />
◎『雨宿りをしていたら、(部落のモンは)あっち行けと言われた』<br />
<br />
◎全国的に、祭りや神事に参加できなかった事例は多々あるが、<br />
此処でも例外なく神社の氏子として長く認められなかった。<br />
その理由が『部落のモンは汚い』と。<br />
ただ、大正13年には氏子として認められたと言うから、<br />
同様の差別事象よりは、比較的早く神事に参加することが出来てはいるが、<br />
本来、地域住民なら、古の頃から平等に氏子になっていなければならないわけで、<br />
差別によって排除されたこと自体が問題なのである。<br />
<br />
【続く】被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-73230535677352044062018-02-08T12:04:00.000+09:002018-02-08T12:04:44.991+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その8/見て記行って記被差別歩記-5<div class="" style="clear: both;">
八千代橋が流失した翌年の昭和35年。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
この部落では、一つの大きな事業の誘致活動をきっかけに、</div>
<div class="" style="clear: both;">
またもや差別と言う辛酸を嘗めることになってしまう。</div>
<div class="" style="clear: both;">
それが「京都府職員住宅誘致運動」である。</div>
<div class="" style="clear: both;">
概要は以下の通りだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
京都府は、府職員住宅建設を計画。</div>
<div class="" style="clear: both;">
京北町から要請を受けた周山大区は、</div>
<div class="" style="clear: both;">
川向部落を含む近隣区での建設地の選定に入った。</div>
<div class="" style="clear: both;">
その要請にいち早く答えたのが、川向部落の地主H氏だった。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
H氏は「川向の発展の為になるのであれば」と、所有地を無償提供</div>
<div class="" style="clear: both;">
することを決意、村をあげて職員住宅の誘致に乗り出した。</div>
<div class="" style="clear: both;">
<br />
府の担当者は「住宅地が無償で手に入るなら」と言うことで、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
川向への建設を進めようとするが、当の府職員連がこれに反対することになる。</div>
<div class="" style="clear: both;">
「実際に入居するのは自分達なのに・・・」と不満を口にする職員連は、</div>
<div class="" style="clear: both;">
「夜道に街灯がない」「タバコを買うにも一苦労」「近くの駅に急行が停まらない」</div>
<div class="" style="clear: both;">
などと難クセをつけて建設を阻もうとする。</div>
<div class="" style="clear: both;">
<br />
一見もっともらしいとも思えるが、この難クセは全て差別からくるもので、</div>
<div class="" style="clear: both;">
職員連は、別地に職員住宅を建設するよう要望を出している。</div>
<div class="" style="clear: both;">
府の担当者・入居予定の職員、そして川向の役員の三つ巴で協議は難航、</div>
<div class="" style="clear: both;">
地域発展のためにと、無償で土地を提供しようとしたH氏の気持ちを、</div>
<div class="" style="clear: both;">
公務員でさえ“差別”で踏み躙る。これが、当時の部落差別の実情であった。</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjaaT1aKYOt-hUbuA8G5SlekVe4t_mbrabMbYTe5qr6js11Ngt6b7fCpIMI_BLdcAnvkjbUANhEvkV5y-145R_Mlrbpa_dDglW9Gm9zv3wHah2KHi0iov5jcisxjzLIqfNvu6OwjNrYLWw/s1600/%25E4%25BA%25AC%25E5%258C%2597%25E7%2594%25BA%25E5%25BD%25B9%25E5%25A0%25B4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjaaT1aKYOt-hUbuA8G5SlekVe4t_mbrabMbYTe5qr6js11Ngt6b7fCpIMI_BLdcAnvkjbUANhEvkV5y-145R_Mlrbpa_dDglW9Gm9zv3wHah2KHi0iov5jcisxjzLIqfNvu6OwjNrYLWw/s320/%25E4%25BA%25AC%25E5%258C%2597%25E7%2594%25BA%25E5%25BD%25B9%25E5%25A0%25B4.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">川向地区の端に位置する府職員住宅と旧京北町庁舎<br />
(鉄筋造りの大きな建物)</td></tr>
</tbody></table>
前出の資料「川向区の歴史」では、当時のやり取りを記録した議事録の掲載はあるが、<br />
残念ながら、住宅が誘致出来たか否かは記載されていなかった。<br />
しかし、現地のフィールドワークから、職員住宅と共に旧京北町庁舎を確認。<br />
何れも現在はその役目を終えており、取り壊しを待つかの如く辺りには<br />
フェンスが張り巡らされてはいたが、この様子から察すると誘致には<br />
成功したようである。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
~~~~~~~~~</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
多くの部落では、住民たちが金を出し合って寺を作るのが慣例であった。<br />
その理由はこの場では書かないが、以前にこのテーマについて書いているので、<br />
詳しくは、そちらを参照願いたい<br />
<a href="http://burakunokurasi.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html">burakunokurasi.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html</a><br />
寺は、部落民にとっても心の拠り所であったと同時に、<br />
寄り合いを行う為の重要な場所であったし、時には、<br />
抗議や闘争の決起集会の現場でもあった。<br />
<br />
川向部落には寺がなかった関係で、住民たちが集まる場所がなかった。<br />
(その後の調査で、川向の村年寄り宅の仏間が広く、<br />
寺の役割を担っていたのでは?と言う報告がなされている)<br />
<br />
寺がなく、住民が集う場が十分に確保されていなかったこの部落にも、<br />
ようやく公的な公民館が設置されたのが、京都府職員住宅誘致運動から<br />
2年後の昭和37年のことだ。<br />
<br />
昭和40年<a data-href="http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/siryou/kiso/doutaisin_tousin.html" href="https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwjA84alwpHZAhXHVZQKHaINB6IQFggoMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.asahi-net.or.jp%2F~mg5s-hsgw%2Fsiryou%2Fkiso%2Fdoutaisin_tousin.html&usg=AOvVaw1C9DT1pa1qXoaqRB0cNkd8" style="color: #660099; font-family: arial, sans-serif; font-size: 18px; text-decoration-line: none; white-space: nowrap;">同和対策審議会答申</a>の政府提出、<br />
昭和44年同和対策事業特別措置法施行・・・<br />
国が、ようやく重い腰を上げ、本格的に部落改善の狼煙を上げる様子を、<br />
この公民館は見守ってきたのだ。<br />
住民たちが集い、議論し、ときに戦いの場として使われてきたであろうこの場も、<br />
昭和53年に同和対策事業にて、教育集会所が設置されるまで使用された。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEje3WP_CdT-moJaRQqeMqTj8Dih-lYPHDkTwJ2XZ9jFbc6baknwuPJnCNUmxhEkEheqcUOMkwMFLjlwuhAgWtrk4VWjeqacoLLsqv73agedVbINb6nnI-QSe7V2ZzK_RLUV61F1ZIP9cwI/s1600/IMG_4801.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEje3WP_CdT-moJaRQqeMqTj8Dih-lYPHDkTwJ2XZ9jFbc6baknwuPJnCNUmxhEkEheqcUOMkwMFLjlwuhAgWtrk4VWjeqacoLLsqv73agedVbINb6nnI-QSe7V2ZzK_RLUV61F1ZIP9cwI/s320/IMG_4801.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">隣保館の役割を果たす川向地区教育集会所</td></tr>
</tbody></table>
<div style="text-align: center;">
~~~~~~~~~~~~</div>
<br />
川向部落の解放運動は、かなりのスローペースであった。<br />
地区世帯が少なかったせいか、はたまた、同和事業を受け入れない<br />
方向に向かおうとしていたのか?<br />
同対法施行から16年も経った昭和60年、<br />
ようやく川向にも部落解放同盟の支部が結成された。<br />
<br />
結成の経緯について詳しい内容は分からないが、支部結成の一年前、<br />
昭和59年に「京北町差別言動事件起こる」の記述が見られる。<br />
<br />
資料から読み取ることが出来る範囲での推測に過ぎぬが、<br />
恐らく、川向としての意向は、同和対策事業尾を受け入れない・・・<br />
つまり、未指定地区として存続していく道を歩もうとしていたのではあるまいか?<br />
<br />
しかし、件の差別事件を契機に、解放同盟の支部が結成され、<br />
部落として、差別と戦う道を選んだのではないだろうか。<br />
(今回の取材では、江戸時代の牢屋がテーマであるから、<br />
このあたりの事には触れていなかった次第。<br />
何れ折を見て、解放同盟結成の経緯も取材したい)<br />
<br />
同盟が結成された後は、地区内の整備が順次進められていき、<br />
現在に至る。<br />
その後、大きく変わったことと言えば、<br />
このテーマの冒頭に書いた通り、<br />
平成の大合併で、この部落が京都市に組み込まれたことだろう。<br />
川向が属する右京区は、新たに同和地区を持つことになったのだ。<br />
<br />
簡単ではあるが、以上が川向の歴史である。<br />
次回は、いよいよ本題の『江戸時代の牢屋』の全貌に迫る。<br />
<br />
【続く】 被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-70300497593426733112018-02-08T11:23:00.001+09:002018-02-08T11:23:52.197+09:00★お知らせ★★お知らせ★<br />
<br />
初めに、長らく更新をしなかったこと、お詫び申し上げます。<br />
以前もお知らせしましたが、此処で改めて経緯を報告いたします。<br />
<br />
12月9日、午前3時。<br />
救急病院からの電話で、私は目を覚ましました。<br />
「お父さんが救急車で運ばれ重篤な状態です。すぐに来ていただけますか」<br />
私は、電話口の医師に「それは、危ないと言うことですか?」と聞き返しましたが、<br />
「意識レベルが低い状態ですので・・・取り敢えず、来ていただいたら説明します」<br />
と言う返事。お酒を飲んでいたので妻を起こし、<br />
寝起きの悪い子には、「じいちゃんのお別れに行こ」と、<br />
着替えさせて病院に向かいました。<br />
<br />
途中、病院にいる母に電話するも、<br />
「待っているだけで、病状の説明は受けてないのでわからん」との返事。<br />
20分ほどで病院に着き、待合で一時間ほど待ったでしょうか。<br />
夜の救急病院には、我々以外に人はなく静かでしたが、<br />
母親が一人、しきりに今日の出来事を説明していました。<br />
<br />
ようやく医師に入室を認められ、救急処置室へ入ったのですが、<br />
多くの管に繋がれた父親は、ストレッチャーの上で目を見開き、<br />
瞬き一つもせずに、ずっと暴れていました。<br />
所謂、意識障害、せん妄と言うやつでしょう。<br />
<br />
担当した救急医から大まかな状況が説明され始めました。<br />
PCの画面には、頭部の画像が映し出されていました。<br />
<br />
医師からは、大きな脳腫瘍が見つかったこと、<br />
そして、重度の感染症にかかっているので非常に危険なことが告げられました。<br />
<br />
腫瘍については、検査をしなければわからないのですが、<br />
縦5cm横6cmと言う巨大なもので、脳幹や血管をガッツリ覆っているため、<br />
手術は不可能。悪性(ガン)であれば尚の事、良性であってもこの場合は、<br />
悪性として診断が下ると言う旨の説明でした。<br />
<br />
そして、「今は感染症のほうが重症で、正直いつ亡くなってもおかしくない。<br />
むしろ、なくなる確率のほうが大きいので、<br />
会わせたい方がいる場合は、今のうちに会わせてあげてください」と。<br />
<br />
取り敢えず、病室に搬送され、改めて説明室で担当医になる脳外科医より説明。<br />
腫瘍が大きくなり、頭蓋底骨を破壊しているために、<br />
頭蓋内戸の隙間が何処かに出来て、菌が侵入して髄膜炎を起こした<br />
可能性を説明されました。<br />
<br />
一通りの説明を終え、最後に医師から「延命」について選択を迫られましたが、<br />
救命はするが延命はしない事を決め、説明室を後にしました。<br />
病院の夜は、暖房が非常に効き、12月と言うのにかなり暑く感じ、<br />
説明室を出る頃には喉がカラカラ。<br />
ミーティングルームの自販機で一息つき、取り敢えず一旦帰ることにしました。<br />
自宅に着いたら午前6時半。<br />
3時間でしたが、色々なことが怒涛のように起こり、<br />
あっという間でした。<br />
<br />
寝ている暇はなく、そのまま仕事に出ることになるのですが、<br />
その間、ネットで葬儀の情報を仕入れていました。<br />
正直、この時は父親は長くないという思いでしたし、<br />
それなりの気持ちの整理もできていました。<br />
<br />
その日の夕方、抗生物質の効果が現れたのか、<br />
父親の意識が戻り、少しの会話が出来ました。<br />
私は仕事終了後の午後9時半頃に病院に向かったのですが、<br />
個室でしたので、気兼ねなく見舞うことが出来ました。<br />
この日は、福井から出てきた妹が病室に泊まり込んでいましたが、<br />
「老人(76歳)の様態は急変しやすいから、ある程度の覚悟はしといてくれ、<br />
万が一、感染症が治っても腫瘍の治療は難しいから」<br />
と言い、病院を後にしました。<br />
<br />
月曜日、昼過ぎでしたが、病院から電話が。<br />
案の定、様態が急変したとのこと。<br />
これから、二週間ほど父親は意識が殆どない状態で過ごすことになるのですが、<br />
途中、水曜日の夕方見舞った時には、意識がない上に口での呼吸でかなり早く、<br />
看護師さんに聞いても、「いよいよかもしれません、でも最後まで頑張ります」と。<br />
<br />
その日の夜中2時に、又病院から電話が。<br />
<div>
実は、これまでに、「死の直前行動」とか、「余命一週間前の状態」などの、</div>
色々なサイトを見ており、合致する点が多かったので正直、<br />
「遂に来たな」問感じでした。<br />
<br />
この日も、妻子を起こし、実家の母親を拾って病院へ向かいました。<br />
病院に着き、ナースステーションへ行くと、<br />
ICUに入っているので、待合で待つようにとの事でした。<br />
しばらく待っていると、看護師さんが呼びに来ましたが、<br />
子供達の入室は出来ないということなので、<br />
仕方なく、待合で待たしておくことにして、<br />
我々は、ICUへと入りました。<br />
<br />
呼吸器が挿管された父親を前に、医師から説明があった説明の内容は、<br />
次のとおりでした。<br />
<br />
「腫瘍の生検をする為に、前日に鼻から採った部分の血が止まらず喉に溜まり、<br />
窒息を起こした。非常に危険な状態であったが、すぐに処置をし一命はとりとめた」<br />
<br />
ICUへ入るのは初めてだったが、そこは一般病棟とは大きく異なり、<br />
非常に沢山の医療機器とパソコン。<br />
そして、夜中だと言うのに、スタッフが絶え間なく動き回る。<br />
部屋の電気は消えているが、PCのモニターの明かりに照らし出されながら、<br />
説明をしてくれる医師は、緑色の処置着を着たままでした。<br />
<br />
言わば、腫瘍から出た「鼻血」なのであるが、意識がない父親の場合は、<br />
喉に溜まった血液を飲み込むことも、吐き出すことも出来ないがため、<br />
やがてそれが固まりだし、窒息に至ったわけです。<br />
<br />
ICUに居たのはそんなに長くない。<br />
時間にして10分ほどだったでしょうか。<br />
夜中の2時過ぎだと言うのに、担当の医師が隣県から駆けつけ、<br />
処置医といくらか言葉をかわし、我々はICUを後にしました。<br />
<br />
説明室では、件の担当医が今回の状況を説明いただきました。<br />
説明内容は処置医とほぼ同内容であったが、<br />
今後は、生検の為の組織採取が困難になり、<br />
最終的な診断が遅れる可能性を指摘、<br />
人工呼吸器の経口挿管は長く続けられない為、<br />
病状の改善を見て、気管を切開して管を通す手術をすること。<br />
それと、糖尿病により、感染症の菌が減らず、<br />
依然、重篤な状態であると付け加えられたのです。<br />
<br />
夜中でも、私達が病院へ向かうと同時に、医師も病院へ向かう事を知り、<br />
大変ありがたい気持ちで一杯になった。<br />
この夜の出来事は、これまで私が持っていた「病院の医師とは、<br />
どこか冷酷で機械的に患者を診ているものだ」という、<br />
先入観(多くは、これまでの経験から来ているものなのだが)を覆す出来事で、<br />
これ以降、担当医を始めとする医師達の見方が変わったのでした。<br />
<br />
次の日、前日に連絡を取っていた従兄弟が見舞いに来てくれた。<br />
このブログにも度々登場する従兄弟は、父親の兄(私にとっては叔父)の子で、<br />
勿論、私と血の繋がりがあるわけですが、同時に、被差別部落の血も継いでいる。<br />
つまり、叔父の妻(叔母)が被差別部落の出身でした。<br />
<br />
この様な環境下でしたから、幼い頃の友人達の中でも、<br />
いち早く部落問題に敏感でしたし、それが後に部落への関心、勉強へとつながり、<br />
今日、被差別部落のブログを書くに至った一つの要因でもあります。<br />
<br />
ICUへ入り一週間ほどして、ようやく抗生物質が効き、<br />
感染症の症状が落ち着きはじめた頃、気管挿管の為の切開手術を受け、<br />
(その後、意識が戻り、結局気管挿管での酸素吸入は一度も行わなかったが、<br />
保険的な意味合いで、穴は暫く残しておくことになったのです)<br />
一般病棟へ移ることになりました。<br />
この時は、入院から2週間以上経った12月の下旬頃でした。<br />
<div>
<br /></div>
<div>
一般病棟へ移り、ようやく診断が下りました。</div>
<div>
形質細胞腫という血液の癌で、白血球の内の一つ形質細胞が癌化したもので、</div>
<div>
血流に乗り骨に付いて腫瘍化するということでした。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
しかも、運悪く、父親の場合は頭蓋底に付いて腫瘍化、</div>
<div>
上は脳内、下は鼻の方向へ向かって成長している。</div>
<div>
抗がん剤をやらなければ、早ければ今月中、</div>
<div>
遅くとも1月中には亡くなると言うことでした。</div>
<div>
<br /></div>
当初は、治療を行わないことも選択肢のうちの一つとして考えていましたが、<br />
新港のスピードが早く、当方の予想を上回る余命一ヶ月ということで、<br />
抗癌剤治療を行うことにしましたが、<br />
リスクのほうがかなり多い旨の説明が有りました。<br />
<br />
つまり、抗がん剤をやり、効いた場合、<br />
頭蓋底骨の代わりにフタをしている腫瘍が縮み、<br />
髄液漏・脳ヘルニア・脳内出血の恐れのほうが強いのです。<br />
おまけに、開いた隙間から細菌が侵入し、<br />
髄膜炎等の感染症を再発する可能性も高いという。<br />
そうなれば、外科医と結託して穴を埋める手術もしなければならないし、<br />
そうでなくとも、死の危険性のほうが高い。<br />
治療を始めるにあたって、その点を覚悟しておくようにと。<br />
<br />
まさに、四面楚歌の状態での治療となるわけですが、<br />
以外にも私としては、初日に死の宣告をされていて、<br />
ある程度覚悟はできていましたので、「ダメ元で」と言う気持ちで<br />
治療をはじめました。<br />
<br />
このときには、脳外科から血液内科に担当が変わっていましたが、<br />
新たな主治医から、「世界で30例」しかない症例と言われ驚くと同時に、<br />
治療がいかに難しいかということに改めて気が付かされました。<br />
<br />
2週間、計三回の注射と点滴に寄る抗がん剤投与でしたが、<br />
「途中経過を見る為に撮ったCT。腫瘍に変わりがない。<br />
再度、検査をし直した所、どうも別の腫瘍であるような可能性がある」と<br />
医師から電話がありました。<br />
<br />
これまでに、何度か医師とのミーティングを重ねてきましたが、<br />
今度は、内分泌科に担当が変わるという。<br />
つまり、最終的に付いた診断は、<br />
下垂体腫瘍で、プロラクチンというホルモンの向上を促す、<br />
プロラクチノーマ・下垂体PRL分泌亢進症というものでした。<br />
<br />
全く聞いたことのない名前でしたが、<br />
結局は良性腫瘍。<br />
しかし、縦5cm横6cmとかなり大きいく、<br />
脳幹や血管を取り巻いている上に、手術不可能のこの手の腫瘍は、<br />
良性でも悪性と診断がつくのだそうです。<br />
年が明け、1月が始まって一週間ほど経ったときのことでした。<br />
<br />
その間、父親の病状(感染症の方)は快方に向かい、<br />
何とか、倒れる以前の生活水準に戻りつつ有りました。<br />
腫瘍を除いては。<br />
<br />
この間、先生方も、外部の権威の先生などに意見を伺っていただいたりして、<br />
治療方針の検討をしていただきました。<br />
<br />
私も毎週のように先生とミーティングを行い、<br />
父親の年齢(76)や平均寿命の事を鑑み、又、父親の意向で<br />
治療をしない選択をしましたが、<br />
やはり、ホルモンの値が以前高いままなので、<br />
その値を下げるために最低限の薬を投与するカタチで<br />
最終的に治療方針が決まりました。<br />
<br />
これが、2月6日。<br />
つまり、つい先日のことなんです。<br />
<br />
なぜ。此処までに治療方針が定まらなかったのかというと、<br />
やはり、全ては腫瘍の大きさ。<br />
つまりそれは、「手遅れ」を意味していたのです。<br />
<br />
本来は、何らかの前兆や異変があり、<br />
此処まで大きくならずとも受診をされ見つかるケースが多いこの腫瘍。<br />
<br />
ある程度の大きさなら薬も効きやすく、<br />
以外に完治が早いそうですが、<br />
父親は年がいつていたことも有り、老化が重なり異変に気がつかずに<br />
ここまで大きくなったのでしょう。<br />
<br />
一応、退院のメドが付き、喉の装置も外して切開部を閉じました。<br />
2月13日に退院し、自宅にて療養を行います。<br />
この先、腫瘍の成長に合わせ、視神経が圧迫され失明の恐れがあります。<br />
又、脳出血や感染症は、健常者よりかなり高いリスクがあります。<br />
また、血糖値や血圧の管理も行わばならず、<br />
自宅に帰ったら帰ったで、大変なことも多くなりますが、<br />
基本的には、治療はしません。<br />
寿命が尽きるのが先か、腫瘍が大きくなるのが先かって感じです。<br />
<br />
スギムラシンジ<br />
<br />
P.S<br />
これからは、ブログも再開していきます。<br />
以前にも増して、応援お願い申し上げます。被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-23411257710196222062017-12-09T00:30:00.000+09:002017-12-21T09:19:57.659+09:00★お詫び★<span style="font-size: x-large;">★お詫び★</span><br />
12月9日。<br />
父親が倒れ救急搬送されました。<br />
現在、非常に重篤な状態なので、<br />
落ち着くまでブログを休止させて頂きます。<br />
<br />
その為、それまでに公開を予定し書いていた記事を次の投稿で、<br />
取り敢えずUPさせていただきます。<br />
<br />
記事の途中で非常に申し訳ございませんが、<br />
書ける状態になれば、続きから再開いたします。<br />
よろしくお願いいたします。<br />
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-50510127031790840462017-12-06T01:35:00.001+09:002017-12-06T02:04:39.659+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その7/見て記行って記被差別歩記-5<script async="" src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
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前回、隣保館の話題で少し話が脱線してしまったが本題に戻そう。<br />
教育集会所に車を停め、あたりをウロウロしてみる。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvy4bFUEBlUUPDwne-WTsYQh1E-7q8BbQMWvbA2TxHru_zKTZuvV3HeM6NuQNbKhti2-kZ6sv0fBQRxNZ2xQIDv5U4XyCjy8sj-bTlTrD8_iRVGQ5yVg1bB3CTca59dkDIiy3ewkSmAcY/s1600/IMG_4803.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvy4bFUEBlUUPDwne-WTsYQh1E-7q8BbQMWvbA2TxHru_zKTZuvV3HeM6NuQNbKhti2-kZ6sv0fBQRxNZ2xQIDv5U4XyCjy8sj-bTlTrD8_iRVGQ5yVg1bB3CTca59dkDIiy3ewkSmAcY/s320/IMG_4803.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">高台にある教育集会所から望む部落と川の向こう側の旧本村</td></tr>
</tbody></table>
前は川、後ろは山の狭小地に存在する川向地区。<br />
(繰り返すが、地区特定に繋がる為仮名とさせていただく)<br />
部落の全体を急な坂が覆うのは、農山村型部落に多い立地ではあるが、<br />
道路が整備された現在でも登り降りに一苦労する。<br />
昔の方の聞き伝えによれば、「道は常に湿り」という記述があるように<br />
相当な悪路だった訳で、そこを農作業の道具や荷を持って或いは、<br />
大八車を引いて歩くのは相当過酷な環境であったと言わざる負えない。<br />
(水がでない部落では、毎日の水汲みだけでも重労働であった)<br />
<br />
又、前を流れる桂川は、度々氾濫を起こし、橋も幾度と無く流された。<br />
いにしえの地区写真を見ると、川の傍の家などは橋と屋根の高さがほぼ同じ。<br />
大雨が降るとよく水に浸かったそうで、生きた心地がしなかったに違いない。<br />
一方、急勾配の山側は、土砂崩れや土石流の危険もあった。<br />
川や山の危険性は、なにも川向部落に限ったことではなく、<br />
全国の部落に共通した立地であった。<br />
<br />
此処で、もう一冊本を紹介しよう。<br />
『川向区の歴史』と言う書物で、1990年代に川向区歴史調査委員会と言う<br />
地区住民がまとめたものだ。<br />
その書物を元に、川向の歴史を簡単に記してみる。<br />
<br />
川向の歴史は古く、江戸時代以前には既に村として存在していたようだ。<br />
“川向は山林を所持している”と言うのがその根拠で、<br />
江戸時代以降に成立した村は山林を持たないという。<br />
<br />
余談ではあるが、部落に関する歴史書を読まれた方は、<br />
多くの部落で「山林を持たず、入会(いりあい)権も認められなかった云々」<br />
という記述を目にされた方々もおられることだろうが、この根拠からすれば、<br />
そのような地域は、江戸時代以降に成立した部落であるといえるのかもしれない。<br />
持ち山や入会権を持たない部落が山林の入会権を持つには、<br />
余りにも長い時を経なければならなかった。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGpgNvkNNKAFkWaRMBiE8WLCAgcdGwiN2kDRV2g2RMQ5lqNRXfZmq4Y5br6FYKPoimW6ucA8xWC0RQHGvMD6Eq9LWV9BqEfOGCXCzHuTMpM4NXZ6jVgE00hyi53JKxD33nWsVu9t-m4kc/s1600/IMG_4431.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="206" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjGpgNvkNNKAFkWaRMBiE8WLCAgcdGwiN2kDRV2g2RMQ5lqNRXfZmq4Y5br6FYKPoimW6ucA8xWC0RQHGvMD6Eq9LWV9BqEfOGCXCzHuTMpM4NXZ6jVgE00hyi53JKxD33nWsVu9t-m4kc/s320/IMG_4431.JPG" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">川向とは別の地域の解放林。山林の解放には、<br />
長い年月と幾多の「山林解放闘争」があった。</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ひと口に、「持ち山・入会権」と言うが、ナゼ入会権が必要だったのか?</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
このテーマの冒頭、この地域は高級建材である「北山杉」の産地として</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
名を馳せた旨、書き記したが、それも一つの重要な財産であることには間違いない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
しかし、杉や檜は「爺さんの代に植林して孫の代にようやく切れる」と言われるように、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
現金化するまでに莫大な時間がかかる。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それよりも、もっともっと重要な・・・日々の生活に直結する役割があったのだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それが、山に於ける燃料の調達である。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今でこそ、ガスをひねれば火がつき、煮炊き物や風呂の湯を沸かすのに</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
何の労も厭わない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ボタン一つ押せば、電子ジャーで米が炊け、エアコンで暖を取ることが出来る。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
しかし、ガスや電気がなかった時代、又あっても機器が十分に</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
発達していなかった昭和の中頃までは、部落にかぎらず、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
何処の家庭でも、かまど・いろり・風呂などで薪や枯れ草、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
山で焼いた炭を用い、燃料としてきた。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
昔話「桃太郎」でも“おじいさんが柴刈り”に行く場面が一番はじめに語られるが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
それ程までに、燃料の調達は、日々の暮らしを営む為の重要な仕事の一つなのであり、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
『生きていく為』のライフラインであったのだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
農業をやっている部落では、ワラも一つの『燃料』という選択肢もあったろうが、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
部落産業であった草鞋や注連縄を作るための材料であったため、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
恐らく無下に使用することは出来なかったに違いない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
持ち山や入会権を持たない多くの部落では、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
燃料の調達もままならず、川で僅かな流木を拾ったり、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
河原のススキを刈って凌いでいたそうだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
勿論、それで賄えない場合は購入するか、或いは金を払い山へ</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
入らしてもらうことになるが、いずれにせよ、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
部落住民にとっては相当な出費であったことには間違いない。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
この様に、その地域に住みながらも山を使う権利が認められなかったのは、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
部落・部落民に対する差別の結果なのだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
余談が少々長くなってしまったが、本題に戻そう。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
江戸時代以前に村が成立したのは先に述べた通りだが、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
江戸時代には、今回のテーマになった「牢屋が築かれる役人村」として、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
幕府よりその任を受けていた。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
この村に、牢屋が築かれた理由は後述するとして、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
江戸時代の生業としては、ご多分に漏れず皮革業と、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
僅かな土地を利用しての農林業であった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
特に、何度か紹介しているように、この地域の特産である北山杉の切り出し</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
運搬などの作業に多くの牛馬が使われていた所以で、他地域よりもより多くの</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
斃牛馬が出た故、この部落での皮革作りも隆盛を極めたことだろう。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
やがて明治4年の解放令を迎える。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
が、しかし、解放令とは名ばかりで、何処の部落も差別の現状は残ったまま</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
仕事や特権だけが取り上げられ、おまけにそれまで課せられていなかった税の</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
負担が重くのしかかり、部落は熾烈な差別と極度の貧困へと突入していく。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
役人村として警察業務を担ったこの村も、その役を終える事になった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
激しい差別に劣悪な住環境そして極貧の時代は、明治時代の融和事業・社会事業などで</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
一部改善が試みられたものの、本格的・抜本的な生活環境の改善は昭和44年の</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
法律施行迄待たねばならなかった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
以降、暮らしぶりは一定の改善が見られた(未指定地区など一部地域は除く)が、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
差別だけは、現在に至っても尚解消されていないのは周知のとおりである。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
川に隔たれた川向は、川向地区から見て“川の向う側”である本村へ向かったり、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
近隣地域へ向かうためには、地区内前に掛かる橋を渡らなければならなかった。</div>
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnPxu0Tp2npzTmjW6p3mXaf7FH-80dwn5imu5Gd3daZueAHaWnOsOSZKYS7OWI6LShfj-3ZUcBiuJp52f07N8qJ76uzqRicWNr3z8GlPWwu61XDR0R2rjlMJJew27SDyCHuKRD5ETZd1Q/s1600/IMG_4804.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnPxu0Tp2npzTmjW6p3mXaf7FH-80dwn5imu5Gd3daZueAHaWnOsOSZKYS7OWI6LShfj-3ZUcBiuJp52f07N8qJ76uzqRicWNr3z8GlPWwu61XDR0R2rjlMJJew27SDyCHuKRD5ETZd1Q/s320/IMG_4804.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">部落への入り口に架かる八千代橋</td></tr>
</tbody></table>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
現在は八千代橋と呼ばれるこの橋は、度重なる橋の流出被害が出る間、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ビアン橋~睦橋~八千代橋と名を変えている。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
雨がふる度に大きな被害が出る橋の修復に辟易した村の住民は、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
大正11年にビアン橋を村道として編入するように村へ申請をしている。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
しかし、ここでも差別を受ける事になった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
村議会での「なんであいつらの為に村の金を使う必要があるんや!」</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
という声もあり、村道編入と新橋の建設には8年の歳月を要した。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
昭和5年、幾多の差別と困難を乗り越え、遂に睦橋として村道への</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
昇格を果たしたこの橋は、「被差別部落と他の地域が仲良く睦み合う</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
ようにとの願いで名がつけられたのでしょう」と川向識字学級発行の</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
記録集“わかば”に記載されている。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
そんな願いが込められた睦橋も昭和24年の台風で流出。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
翌年、八千代橋として架橋されるも昭和34年に再度流出。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
この様に、長きに渡り流出・架橋を繰り返すことだけを見ても、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
この地区の暮らしが、如何に危険と隣り合わせかということがよく分かる。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
居住区を固定されていた江戸時代は勿論、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
明治に入り自由に居住地を変えれる世になっても、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
差別と貧困でこの地に住まねばならなかった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
【その8へつづく】</div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-26916011549649146302017-11-30T01:32:00.004+09:002017-11-30T10:01:28.825+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その6/見て記行って記被差別歩記-5<script async="" src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
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大阪では、もうすぐ造幣局の桜の通り抜け(大阪市・天満の造幣局には、<br />
135種350本の桜が植えられており、期間中は一般開放されている。)<br />
も終ろうかという4月の中頃。<br />
都市部より気温が低いこの地では、季節が半月程遅いようで、<br />
やっと桜が8分咲きというところだった。<br />
<br />
4月も半ばというのに朝の空気は冷たく、<br />
街なか仕様の薄着に容赦なく突き刺さる。<br />
深山より流るる雪解け水があたりを冷やし、<br />
より一層「川向(かわむこう)」の桜の開花を遅らせているように感じた。<br />
<br />
京都市京北川向(地区特定につながる為、仮名とさせていただく)<br />
ここが、全国的にも珍しい江戸時代の牢屋が<br />
現存するという役人村(=被差別部落)である。<br />
<br />
地区は、小さく狭い。<br />
前は川、後ろは山という部落に在りがちな立地の中に、<br />
改良住宅を含む20戸ほどの家が立ち並ぶ。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglHt8FT1_tJr7nbBuvDmAYePhdgKDlg6wBj7GiFCBOSicMCx72h4RoLUrl5m1w3xhX74pBmR_VARrFS-ydb6Vw0P951eoCeXPU08XH9Q5tC3CktrnIPJxOmYKggHN5zVgjdWkXHIC3GVg/s1600/IMG_4804.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglHt8FT1_tJr7nbBuvDmAYePhdgKDlg6wBj7GiFCBOSicMCx72h4RoLUrl5m1w3xhX74pBmR_VARrFS-ydb6Vw0P951eoCeXPU08XH9Q5tC3CktrnIPJxOmYKggHN5zVgjdWkXHIC3GVg/s320/IMG_4804.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="font-size: 12.8px;">国道沿いに架かる川向への橋と地区全景</td></tr>
</tbody></table>
まずは、地区内を2周ほど回ってそれらしき建造物(牢屋)を探したが、<br />
全くもってわからず。<br />
丁度、橋のたもとの工務店前で、せわしなくトラックに<br />
荷の積み込み準備をしていた作業服姿の方がおられたので問うてみたのだが、<br />
「地区内の人間ではないから分からない」というご返事。<br />
<br />
小さな地区であるから、すぐに見つかるとタカをくくっていたのもつかの間。<br />
意外とてこずることとなってしまった。<br />
だが、「江戸時代の牢屋がある」ということは、まぎれもない事実であるので、<br />
車を降りて、歩いて調査することにした。<br />
<br />
丁度、地区の教育集会所の前にガレージがあったので、そこに車を止めた。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEih20-xZrde5kiXKnJxDkuSdvqH2gPBPteNfq_nBOprmjRX4XN8oBqWAGxULKHFAsbngt3XAmtNAweePDp7_wxJMzPH2GcWFLJAbl_8OJsef698ZfAIoYeOiD3_Kzme_PTsPj8WA1pwFPQ/s1600/IMG_4801.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEih20-xZrde5kiXKnJxDkuSdvqH2gPBPteNfq_nBOprmjRX4XN8oBqWAGxULKHFAsbngt3XAmtNAweePDp7_wxJMzPH2GcWFLJAbl_8OJsef698ZfAIoYeOiD3_Kzme_PTsPj8WA1pwFPQ/s320/IMG_4801.jpg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="font-size: 12.8px;">川向地区教育集会所</td></tr>
</tbody></table>
教育集会所は、かつて隣保館の役割を担った施設で、<br />
地域によっては、解放センター・文化会館・人権センターなどとも呼ばれたが、<br />
おしなべて、隣保館機能をもった公共施設である。<br />
<br />
隣保館は、会社組織でいえば総務部のような存在で、<br />
地区住民の総合的な行政サービスを担った他、地区の集会や勉強会などに利用された。<br />
また、解放運動が盛んだった時期は、その拠点として使用された。<br />
<br />
しかし、平成14年に地対財特法の期限切れに伴い、<br />
国や地方自治団体の同和施策が完全終了してからは、<br />
隣保館はこれらのサービスを段階的に廃止。<br />
現在では、各自治体とも、会議室や併設する体育館などを一般開放し、<br />
地区住民以外にも広く利用される運びとなっている。<br />
<br />
包み隠さす話をしよう。<br />
今から15年ほど前までは、例えば「家の電球が切れたから交換してくれ」<br />
と言う雑務依頼がたしかにあった。そのような雑務依頼にも答えていたり、<br />
運動団体が施設内に本部を置くなど、公私混同があったのは事実である。<br />
また、国・行政も「法律」を前に、それを見過ごしてきた・・・と言うか、<br />
地区住民も行政職員もそれが当たり前だと思っていた時期があった。<br />
<br />
しかし、地対財特法が終了して久しい今日では、<br />
特定の運動団体や同和地区住民だけというスタンスからは一線を画し、<br />
広く市民・町民に利用してもらえる施設へと生まれ変わったのと同じく、<br />
地区住民の「隣保館を当てにしない」精神的自立が進んだことが挙げられる。<br />
<br />
誤解がないように記しておくが、雑務依頼などは一つの細かい悪例であり全てではない。<br />
大きな流れに沿って言えば、かつて不良住宅が立ち並ぶ貧困生活をしていた被差別部落にとって、部落民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法第25条)」に<br />
隣保館が大いに貢献したことはまぎれもない事実であり、<br />
決して公私混同の施設ではなく、必要不可欠な存在であったことを述べておこう。<br />
<br />
*ここでの隣保館の記述は、昭和44年の同対法施行以降、<br />
同和地区指定された被差別部落に対してのものであり、<br />
同じ被差別部落でも、一切の同和施策を放棄した未指定地区に関しては<br />
その限りではない。<br />
<br />
【その7に続く】被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-56264776911993858202017-09-04T02:32:00.000+09:002017-10-25T16:45:42.146+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その5/見て記行って記被差別歩記-5<script async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
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<div class="separator" style="clear: both;">
前回、「丹波マンガン記念館」の話で少し寄り道をしたが、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
今回から、本題である「江戸時代の牢屋を訪ねて」に話を戻そう。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
江戸時代の牢屋が残るのは、京都市・京北の“*川向(かわむこう)”と言う地区。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
【*地区特定に繋がるおそれがあるので、仮名とさせていただく。】</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
“川向”と言う名が示す通り、川を挟んだ向こう岸、山の斜面に沿った20世帯弱ほどの</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
小さな集落が、かつて役人村であったこの部落なのだが、この地名の由来こそが、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
この部落から見ても『向こう岸』である、本村の枝村(枝郷)だったからである。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both;">
即ち、江戸時代以前のムラの相関関係としては、本村が第一で、</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
枝村は本村に隷属する存在であった。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
その為、本村から見た「川の向こう側」と言う地名となっているのだ。</div>
<div class="separator" style="clear: both;">
<br /></div>
部落(かつての穢多村)は、概ねどこかのムラの枝村となっていることが多く、<br />
独立村はかなり少なかった。<br />
<br />
例えば、“安倍晴明の母”とされる『葛の葉(白ぎつね)伝承』が残る、<br />
大阪府和泉市のM部落は独立村であったが、それは村制度上だけの話で、<br />
「独立した穢多村だから差別を受けない」ということは全く無く、<br />
他の枝村の部落と同じく、非常に厳しい差別を受けていたことは、<br />
改めて此処に書くまでもないだろう。<br />
<br />
私の手元に2冊の冊子がある。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEPHaww8M75NGlSgeXboHN_sUZePTUljmFz1DV8LjGFUW02vpTnlmBMDPZf2dsVxM4Yx9gZ6l8oHqzXVhVZARv5I-rv9B0N_uhKonmOn3_Lp87gracfvw35cvpl_08-ym7OmjgbwrXLYw/s1600/IMG_5554.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="486" data-original-width="700" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEPHaww8M75NGlSgeXboHN_sUZePTUljmFz1DV8LjGFUW02vpTnlmBMDPZf2dsVxM4Yx9gZ6l8oHqzXVhVZARv5I-rv9B0N_uhKonmOn3_Lp87gracfvw35cvpl_08-ym7OmjgbwrXLYw/s400/IMG_5554.jpg" width="400" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
一つは、『わかば』と題された冊子。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
川向地区の識字学級の活動をまとめたもので、</div>
識字で学ばれた方々の作文や、川向の歴史、識字学級で演じられた団体劇のシナリオなどが、<br />
カラー写真付きでまとめられた、非常に貴重な一冊である。<br />
1995年に発行されたもので、些か古い書物ではあるが、<br />
当時の、この地区の詳細を知るには、十分過ぎる資料だ。<br />
<br />
ちなみに、識字学級とは、子供の頃、差別や貧困で学校に通えず、<br />
“学ぶ機会”を失った方々が、「無くした時間」を取り戻どす、人生二度目の学校のことである。<br />
<br />
「識字」と言う言葉に我々はピンと来ない。<br />
なぜなら、それが当たり前になっているからだ。<br />
読み書きすることが、当然のことであり、常識として意識しないからであるが、<br />
その常識でさえ、部落差別というものは、奪ってしまった。<br />
地域の改善運動が実り、部落の子弟が“当たり前”に学校に通える様になるまでは、<br />
部落では、読み書きができない方々がほとんどであった。<br />
<br />
余談であるが、私は部落関係の書物をよく読む。<br />
そのような書物には、決まって古文の資料が出てくるのだが、<br />
学のない私にはチンプンカンプン。<br />
何が書いてあるのか、「なんとなく」さえわからないことが多い。<br />
親切な著者の方であれば、おおよその説明を入れていただいていることもあるが、<br />
その多くは、原文のまま掲載されており、泣く泣く飛ばし読みをしている始末である。<br />
<br />
識字学級と比べるには、かなりの飛躍であるが、<br />
学級で学ばれている方々の気持ちが、少しではあるが、わかるような気がする瞬間だ。<br />
<br />
そして、もう一冊が、『川向の歴史(建造物の調査)』で、<br />
こちらも1992~3年頃の出版で、発行元が、今はなき京北町になっている。<br />
(現在は、京都市右京区京北)<br />
<br />
この冊子こそが、川向に現存する江戸時代の牢屋について、<br />
詳細に調査された報告書なのだ。<br />
<br />
今回のテーマである「江戸時代の牢屋を訪ねて」は、<br />
この冊子と、現地でのフィールドワークを元に記述していく所存である。<br />
<br />
【その6へ続く】<br />
<br />
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px; text-align: center;">
<b><span style="color: red;"><span style="font-size: xx-small;">★部落を皆さんに知ってもらいたい!★</span></span></b></div>
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; line-height: 24.64px; text-align: center;">
このブログを、多くの方に見てほしい。そして、</div>
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; line-height: 24.64px; text-align: center;">
部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・</div>
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px; text-align: center;">
<b><span style="color: blue;"><span style="font-size: xx-small;">そんな気持ちで、ブログランキングに参加しました。</span></span></b></div>
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px; text-align: center;">
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<div class="separator" style="background-color: white; clear: both; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px;">
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被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com5tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-86323080869549985992017-08-16T00:42:00.003+09:002017-11-26T02:52:40.651+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その4・丹波マンガン記念館関連資料/見て記行って記被差別歩記-5<script async="" src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
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★はじめに★<br />
【前回の投稿から、かなりの時間が経ったことをお詫びします】<br />
<br />
さて、前回「江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その3/見て記行って記被差別歩記-5」<br />
の中で、少々本題から外れるが、付記事項として、<br />
『丹波マンガン記念館関連会社によるサイレン問題』について掘り下げて書いてみました。<br />
今日は、その関連資料を添付致します。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=======</div>
<b><span style="color: red;"><br /></span></b>
<b><span style="color: red;">◎報道番組「ゆう+」“ウラドリコーナー”アーカイブ</span></b><br />
<a href="http://archive.fo/Pjjx3">http://archive.fo/Pjjx3</a><br />
<br />
当日の報道内容が、まとめて掲載されている。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
<b><span style="color: red;">◎丹波マンガン記念館HP中に、「発破報道について」というページが設けられれている。</span></b><br />
<a href="http://tanbamangan.sakura.ne.jp/happahoudou.html">http://tanbamangan.sakura.ne.jp/happahoudou.html</a><br />
<br />
丹波マンガン記念館とは別法人で、発破騒動とは全く関係無としているが、<br />
その割には、かなり詳しく釈明文章が書かれている。<br />
それが証拠に、文章途中から、“当社は・・・”と言う言葉が使われており、<br />
完全に当事者の表現になっている。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
<span style="color: red;"><b>◎丹波マンガン記念館の概要が分かる動画がUPされていた。</b></span><br />
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=Levs-Xn3FD8">https://www.youtube.com/watch?v=Levs-Xn3FD8</a><br />
<br />
個人の方が撮影・投稿されているようだが、<br />
私は現地へ行ったことがない(これからも行く予定はありません)ので、<br />
このような動画はありがたい。<br />
サイレン問題や政治問題を抜きに、遺構として見る分には非常に興味をそそられる施設である。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
<br />
<b><span style="color: red;">◎この件に関して、在特会がいち早く抗議行動を行っている動画が、</span></b><br />
<b><span style="color: red;">Youtube・ニコ動などに複数UPされている。</span></b><br />
<span style="background-color: white; color: #006621; font-family: "arial" , sans-serif; font-size: 14px; line-height: 16px; white-space: nowrap;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=4py0CbDXZWg">https://www.youtube.com/watch?v=4py0CbDXZWg</a></span><br />
<br />
在特会については、賛否両論・肯定否定あると思うが、<br />
時系列的な資料として掲載する為、此処では是非を問わない。<br />
<br />
尚、昨年施行された『ヘイトスピーチ解消法』制定のキッカケは、<br />
在特会であることに間違いはないのであるが、<br />
今回、抗議活動を行っている西村・荒巻両氏を中心とした、<br />
“チーム関西”の影響が、特に大きいと思われる。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
<b><span style="color: red;">◎2017年2月14日付・ソウル聯合ニュースより</span></b><br />
従軍慰安婦像・竹島問題などで冷え込む日韓関係だが、<br />
更なる関係悪化の火種になりうる可能性が高い「強制徴用労働者像」が、<br />
丹波マンガン記念館に設置されているという。<br />
また、先日、新たに韓国国内に同じく「強制徴用労働者像」が設置された。<br />
最後に資料として、この2つの記事を掲載しておこう。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<span style="font-size: x-large;">韓国二大労組 強制徴用労働者像をソウルと平壌に設置へ</span><br />
<br />
<b>2017/02/14</b><br />
<b>【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に強制動員された、</b><br />
<b>少なくとも70万人に達する朝鮮人を記憶するため、韓国労働組合の二大全国組織、</b><br />
<b>韓国労働組合総連盟(韓国労総)と全国民主労働組合総連盟(民主労総)がソウルと</b><br />
<b>北朝鮮・平壌への「強制徴用労働者像」設置を推進する。両組織は14日、</b><br />
<b>像の建立推進委員会を発足させた。</b><br />
<b><br /></b>
<b><img alt="強制徴用朝鮮人労働者像(資料写真)=(聯合ニュース)" src="http://img.yonhapnews.co.kr/etc/inner/JP/2017/02/14/AJP20170214003100882_01_i.jpg" height="400" width="299" /></b><br />
<b>強制徴用朝鮮人労働者像(資料写真)=(聯合ニュース)</b><br />
<b> 韓国労総と民主労総の委員長が常任代表を務め、</b><br />
<b>旧日本軍の慰安婦被害者支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」や</b><br />
<b>「靖国反対共同行動」の代表、革新系の最大野党「共に民主党」所属国会議員らが</b><br />
<b>共同代表として加わる。1000人以上の推進委員を募集する。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 推進委は、日本の植民地支配に抵抗して1919年に起きた独立運動を記念する</b><br />
<b>「3・1節」に合わせ、ソウルの竜山駅前広場で労働者像の除幕式を開催する。また、</b><br />
<b>来年には平壌に像を設置することで南北の労働者が合意したと推進委は伝えた。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 推進委は「社会の各界・各層との連帯を深め、強制徴用問題を広く伝えるとともに、</b><br />
<b>日本による植民地(支配)の謝罪と賠償問題、朝鮮半島の平和実現に一層努力していく」</b><br />
<b>としている。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 韓国労総と民主労総は昨年8月、京都市の「丹波マンガン記念館」に</b><br />
<b>強制徴用朝鮮人労働者像を設置した。</b><br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
<b><span style="color: red;">◎先日、同じ像が韓国に設置</span></b><br />
<b><span style="color: red;">(ヨミウリ・オンライン8月12日付)</span></b><br />
<b><span style="color: red;"><br /></span></b>
<span style="font-size: x-large;">ソウルの駅前に徴用工の像…仁川の公園にも</span><br />
<b>2017年08月12日 20時42分</b><br />
<b><img alt="12日、ソウルの龍山駅前に設置された「徴用工像」(中島健太郎撮影)" src="http://www.yomiuri.co.jp/photo/20170812/20170812-OYT1I50033-N.jpg" height="400" width="245" /></b><br />
<b>12日、ソウルの龍山駅前に設置された「徴用工像」(中島健太郎撮影)</b><br />
<b><br /></b>
<b> 【ソウル=中島健太郎】日本の植民地時代に朝鮮半島から動員された徴用工の像が12日、</b><br />
<b>ソウル市中心部の龍山ヨンサン駅前に設置され、除幕式が行われた。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 労働組合などでつくる韓国の市民団体が設置を進めていたもので、</b><br />
<b>式には労組や市民団体関係者のほか、文在寅ムンジェイン政権の</b><br />
<b>与党「共に民主党」の議員らが参加した。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 一方、聯合ニュースによると、ソウル近郊の仁川インチョン市内の公園にも12日、</b><br />
<b>徴用工の像が市民団体によって設置された。</b><br />
<b><br /></b>
<b> 韓国国内では、ソウルの日本大使館や釜山プサン、済州チェジュの日本総領事館前に徴用工像を設置する動きがあり、日本政府が韓国政府に対応を求めている。</b><br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=====</div>
<br />
本日、この記事を書いている間にも、『従軍慰安婦像が路線バスに設置された』と言う<br />
ニュースが飛び込んできた。<br />
このブログでは、異なるテーマであるため、個人的見解および、<br />
これ以上の言及は行わないが、これらの問題が解決しないかぎり、<br />
真の日韓友好は訪れない。<br />
<br />
また、丹波マンガン記念館に於いても、「人権」を掲げている以上、<br />
手段を選ばない営利行動や、政治色が強い行動は控えていただくことを望む。<br />
何度も言うが、遺構としての価値は非常に高いだけに、誠に残念である。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
<span style="color: red;"><b>◎ ◎ ◎ ◎ ◎</b></span></div>
<br />
少々寄り道をしましたが、次回は、「江戸時代の牢屋を訪ねて」本編に戻ります。<br />
また、当方の都合で、更新頻度が低いことを改めてお詫び申し上げます。<br />
<br />
更新頻度は低いですが、このブログは、私のライフワークとして必ず書き続けますので、<br />
これからも、よろしくお願い致します。<br />
<br />
スギムラシンジ<br />
<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-23179922653875456542017-06-30T22:34:00.001+09:002017-11-26T02:47:54.411+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その3/見て記行って記被差別歩記-5<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
“大音量サイレン”の一件から程なくして、</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
サイレンの主が、「丹波マンガン記念館」を運営する李龍植氏であることを知った。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
その事情を知った以上、私の感情は「ひどい!!」から「憤り」へと変化するに至ったのだった。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
いや、李氏が在日韓国・朝鮮人だからと言う、在日外国人への差別では決して無い。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
<br />
李氏が、「人権」と銘打って資料館を作り、本を書いていることへの憤りなのである。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
「丹波マンガン記念館」の存在自体は、早くから知っていた。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
機会があれば、一度訪れてみたいとも思ったことがある。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
このような事情を知る、ずっと前の話であるから、在日・部落・人権と言う枠組みではなく、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
これまでに訪れた「富士の氷穴」や「沖縄の玉泉洞」よろしく、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
単に、“マンガン坑”の見学という、冒険的・好奇心的な範疇である。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
<br />
しかし、先に述べたように、テレビ報道から程なくして、『その事実』を知ってから、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
ある一冊の本の存在に気がついた。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4759262245/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=sige4411-22&linkId=689fc9cf9e35df2cd48223dd2efc51a5" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;" target="_blank"><img border="0" height="400" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=4759262245&Format=_SL250_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=sige4411-22" width="276" /></a></div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
「丹波マンガン記念館の7300日-李龍植」が、その本である。<br />
この本は、驚く無かれ、差別に徹底抗戦する“解放出版社”から出ているのである。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
解放出版社は、部落解放同盟の出版部門であるが、現在は部落問題のみならず、<br />
障がい者・在日・いじめ等、人権問題全般の本を出版している。<br />
件の出来事は、おおよそ「人権」を謳う出版社から本を出していた人物とは思えない<br />
「暴挙」といえるのではないだろうか?<br />
<br />
<br />
<div class="" style="-webkit-text-stroke-width: 0px; clear: both; color: black; font-family: 'MS PGothic'; font-size: medium; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; line-height: normal; orphans: auto; text-align: left; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 1; word-spacing: 0px;">
</div>
</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
肝心の本の内容であるが、読んだのがもう随分前のことなので詳細は忘れてしまい、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
此処では紹介することは出来ないが、断片的に覚えているのは、<br />
強制的(本の記述による)に半島から徴用された韓国・朝鮮人が坑内夫として働いていたこと。又、“周辺”の被差別部落民が、マンガンの選別作業にあたっていたこと。<br />
<div class="" style="clear: both;">
そして、氏の父親が私財を投じて記念館を興し、その後、<br />
運営を氏が引き継いだと言うことなどだ。<br />
<br /></div>
</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
興味がある方は一読してみては如何であろう。<br />
<div>
<br /></div>
</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
さて、マンガンと聞いて、ずぐに思い浮かぶのは「マンガン乾電池」であるが、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
乾電池に使われるのはごく一部で、産出されたマンガンの殆どは、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
鉄を強くする添加物として使用されている。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
その為、戦時中は翼賛体制のもと、戦艦や兵器を作る大切な軍需産業として大いに奨励された。</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
<br />
しかし、炭鉱労働と同じく、その作業は熾烈を極め、<br />
過酷な労働環境の元、タコ部屋状態で労働に駆りだされていたという。<br />
<br />
筑豊・田川の炭鉱を舞台にした、五木寛之の「青春の門」。<br />
<br />
映画冒頭に描かれている、炭鉱崩落事故さながらの、マンガン鉱崩落事故もあったに違いない。<br />
もしかしたら、明るみに出ていないが、今で言う「じん肺」の問題もあったであろう。<br />
<br />
「青春の門」では、ヤクザ・在日・日本人鉱夫(部落民が多かった)が描かれているが、</div>
<div class="" style="clear: both; text-align: left;">
遠く離れた京都・京北のこのマンガン鉱でも、労働者は同じ構成であった。<br />
<br />
それは、“命と引換えの過酷な労働環境”であった事を繰り返し書き留めておこう。<br />
<br />
そんな、過酷な労働環境で働いてきた龍植氏の父親が、<br />
「人権」の大切さを訴えるために、私財を投じて作ったのが「丹波マンガン記念館」だったのだ。<br />
(更に、丹波マンガン記念館は、全国の人権団体が加盟する「人権ネット」と言う団体にも加盟している。)<br />
<div>
<br /></div>
しかし、龍植氏の父親から代替わりした今日、今でもマンガンを掘ってはいるが、<br />
近代化や機械化の力も伴って、その労働環境は驚くほどに改善したはずだ。<br />
<br />
もしかしたら龍植氏は、労働環境な改善とともに、<br />
「人権」の心を忘れてしまったのかも知れない。<br />
私利私欲のために、人の痛みや悲しみが見えなくなってしまったのだとしたら、<br />
それは非常に憂う事態である。<br />
<br />
何度も言うが、李氏が在日だからではない。<br />
たとえ、このような事態を日本人が引き起こしていても、私は憤りを感ずる事は言うまでもない。<br />
なぜなら、「人権」と銘打った活動をしてるからである。<br />
人権を看板にあげている以上、非人権的な行動には到底賛同できないのは当然である。<br />
<br />
せっかくなので、丹波マンガン記念館のゲート写真だけ紹介しておこう。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNy4AySIV-7J0Z3XLWhpQR6tnV_YkEBgOEu84RmJVDXcJLY7Afie1KJFFz_J4xqRh4yVJp160L5oD5m4dVX2R4pBrLpwiXgFYdiRfbmrei38msXs2cDA0PqoIYQFXlpYZy_4ZL9sZWMIQ/s1600/IMG_4826.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNy4AySIV-7J0Z3XLWhpQR6tnV_YkEBgOEu84RmJVDXcJLY7Afie1KJFFz_J4xqRh4yVJp160L5oD5m4dVX2R4pBrLpwiXgFYdiRfbmrei38msXs2cDA0PqoIYQFXlpYZy_4ZL9sZWMIQ/s400/IMG_4826.jpg" width="400" /></a></div>
国道162号線から、更に10分ほど山道を走った先に、<br />
入口ゲートが有る。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghg8jK6TUWmRm-R8RrsUCk5i-Nq0_b9SmDnrPT560Z5UqTfYFTY0qXoU5uGp7rEcHMfakcLbVAgzSPtYSgleB3Ph6AsNUFJ9vQ-ztaA1lNDRhVH3l4nJ0LNxFXrM8GBjtn_TGJeS6sUt4/s1600/IMG_4827.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="700" data-original-width="525" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEghg8jK6TUWmRm-R8RrsUCk5i-Nq0_b9SmDnrPT560Z5UqTfYFTY0qXoU5uGp7rEcHMfakcLbVAgzSPtYSgleB3Ph6AsNUFJ9vQ-ztaA1lNDRhVH3l4nJ0LNxFXrM8GBjtn_TGJeS6sUt4/s640/IMG_4827.jpg" width="480" /></a></div>
これ以上先は、施設敷地内の為、見学者以外の進入不可。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgY7WQiODzVCVVHurU080gXfVHJoj_HGkps3UhMhBJaOUDHHnYhE3bE4QKeXSTD_ic7FN-2fuoMBHFXV6lrgV-40zVXTaRhhSx_N0RdAwPXzWjW7avE603DthxBWCSzfNVA37hU3MIF3Vo/s1600/IMG_4828.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="525" data-original-width="700" height="480" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgY7WQiODzVCVVHurU080gXfVHJoj_HGkps3UhMhBJaOUDHHnYhE3bE4QKeXSTD_ic7FN-2fuoMBHFXV6lrgV-40zVXTaRhhSx_N0RdAwPXzWjW7avE603DthxBWCSzfNVA37hU3MIF3Vo/s640/IMG_4828.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
「丹波マンガン記念館」に興味がありながら、断固として入場を行わないのは、<br />
私のささやかな抵抗である。<br />
<br />
そんな経緯もあり、私は「丹波マンガン記念館」周辺の被差別部落の<br />
調査を行っていた最中、今回のテーマである「江戸時代の牢屋」が現存する<br />
役人村(=即ち被差別部落)が存在する事を知るに至ったのである。<br />
<br />
【つづく】<br />
<br />
{*本題から少し外れますが・・・<br />
次頁には「丹波マンガン記念館」HPに記載されている李氏のコメントと、<br />
その他の資料を添付する予定です}</div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-86492412444408741552017-06-13T00:14:00.000+09:002017-06-13T00:14:00.389+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その2/見て記行って記被差別歩記-5ここで、先に述べた「ある別件の調査」について触れておこう。<br />
<br />
それは、今から7年前のことだ。<br />
<div>
風光明媚で長閑なこの山村(京都市京北)に、突如としてある騒動が持ち上がった。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
その日は休みだったので、普段ならあまり見ることがない</div>
<div>
夕方のニュース番組を見ていた時のことだ。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
「ニュースゆう」</div>
<div>
この番組は、恐らく関西ローカルであろう。</div>
<div>
その中の“ウラドリ”と言うコーナーは、関西で事件にならずとも問題になっていることや、</div>
<div>
若しくは、これから事件になりうる問題をクローズアップして追跡するコーナーで、</div>
<div>
私も、過去に何度か目にしているが、中々興味深い良コーナーである。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
この日のテーマは『長すぎる!大音量のサイレンに困惑する住民たち』。</div>
<div>
以下、番組ホームページから引用する。</div>
<div>
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
==================</div>
<div style="text-align: center;">
<br /></div>
<div>
<div>
<b>2010/09/17 Friday 放送</b></div>
<div>
<span style="font-size: x-large;">長すぎる!大音量のサイレンに困惑する住民たち</span></div>
<div>
京都市内のある街で今、大音量のサイレンが問題になっている。</div>
<div>
その正体は何なのか、ウラドリ取材班が調べてみると、そこには複雑な事情が絡み合っていた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
■1日に何回も響き渡る、サイレンのごう音</div>
<div>
<br /></div>
<div>
京都市右京区京北。緑が多い、のどかな場所に到着した取材班の耳に入ってきたのは、</div>
<div>
地区内一帯に響き渡る大音量のサイレンだった。</div>
<div>
住民によると、近くの鉱山で発破作業があるため、予告の警報としてサイレンが鳴るという。</div>
<div>
しかし、取材班が耳にしたサイレンの音は10分間、一向に鳴り止まなかった。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
その時、「ボーン!」という発破の爆発音が・・・。取材班は音がする場所へと向かったが、</div>
<div>
その途中で再び大きなサイレンが鳴り始めた。</div>
<div>
音の大きさを機械で計測してみると、105デシベルを記録。</div>
<div>
これは電車が高架を通過した時の高架下の音と同等の音量だ。</div>
<div>
サイレンを鳴らす警報機のすぐそばには、府立北桑田高校があり、</div>
<div>
一番近い校舎までの距離は、わずか100メートルしかない。</div>
<div>
同校の生徒たちは「夏休み入る前からずっと鳴っている。授業中も関係なく鳴る」と話す。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
地元関係者によると、サイレンが鳴り出したのは、7月13日。</div>
<div>
それから16日までの4日間、断続的に鳴ったという。</div>
<div>
高校が夏休みに入ると、発破とサイレンはいったん止むが、</div>
<div>
夏休みが明けた始業式の日から再び鳴り始める。しかも回数はぐっと増え、</div>
<div>
長い時で15分間、1日11回も鳴る日があったという。</div>
<div>
高校側も突然、鳴り出した音に困り果てていた。</div>
<div>
同校の眞里谷隆司校長は「窓を閉めないと、音がうるさすぎて授業にならない」と話す。</div>
<div>
3年生はこれから受験シーズンに向かうので、</div>
<div>
およそ200万円かけて防音ガラスを設置することを決めた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
地域を不安にさせている音の正体には「マンガン鉱山」が深く関係していた。</div>
<div>
実は、丹波地方は戦前から戦後にかけて、鉄の耐久性を高める鉱物「マンガン」</div>
<div>
の採掘が盛んな地域だった。戦後、その需要は激減し、ほとんどの鉱山が閉山したが、</div>
<div>
この一帯は今もマンガンの採掘場として残っていたのだ。</div>
<div>
取材班が調べてみると、周辺には鉱物を掘る権利「鉱業権」が設定されていた。</div>
<div>
鉱業法では、採掘現場は公共施設など建物から50メートル離れなければならない。</div>
<div>
今回は一番近い高校の校舎で100メートルの距離なので違法ではない。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
では、あの長いサイレンの音には問題がないのだろうか。</div>
<div>
騒音問題を管轄する京都市環境指導課の臼井保課長は</div>
<div>
「サイレンによる音の規制は騒音規制法、および府の条例の対象外。</div>
<div>
法的な根拠が無いので、やめていただくような指導まではしにくい」と話す。</div>
<div>
サイレンはそもそも、危険を周知、警告するためのものなので、</div>
<div>
音の長さや大きさは独自の判断にゆだねられているのだ。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
鉱山を指導、監督する経済産業省の鉱山保安課・小西行雄課長は</div>
<div>
「地元の方から、『突然の発破でびっくりする』という苦情があったので、</div>
<div>
発破の事前予告のためのサイレンを鳴らすようにと指導した」という。</div>
<div>
つまり、サイレンが鳴る前は発破だけが何度も繰り返されていたので、国が指導したところ、</div>
<div>
業者はサイレンを鳴らすようになったというのだ。しかし、問題はその長さ。</div>
<div>
小西課長は「まさか、こんな長い時間鳴らすとは予想していなかった」と話す。</div>
<div>
国は時間を短くするよう電話で指導したが、業者は応じなかったという。</div>
<div>
いずれも法的には何ら問題はないが、せめてサイレンの音を短くすることはできないのだろうか。取材班は、採掘業者に直接話を聞きに行った!</div>
<div>
<br /></div>
<div>
記者「10分〜15分、果たしてこれぐらいの時間を鳴らす必要があるのか?」</div>
<div>
業者「よく聞こえるように鳴らしている。規定はないし、うちにも鉱業権がある」</div>
<div>
記者「例えば、警報の鳴る時間をもう少し短くするとか、配慮しようという気持ちは?」</div>
<div>
業者「夜に鉱業をやらないで、昼間にやって配慮しているつもりやけど」</div>
<div>
記者「我慢しろと?」</div>
<div>
業者「我慢してもらうか、学校を潰してもらってほかに移転してもらうよりない」</div>
<div>
<br /></div>
<div>
あくまで「権利だ」と主張する業者。話を進めると、過去に警察の不当な捜査にあったことや、</div>
<div>
今回の行政の対応に不満があることがわかった。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
業者の鉱業権は府立高校の敷地にもあるが、法律で50メートル以内に建物がある場合は、</div>
<div>
所有者らの許可が必要になり、事業ができない。</div>
<div>
このため、京都府に賠償を求めていたが、府は「鉱業権の設定と土地所有の関係は無関係」ということで、話し合いは物別れに終わったという。</div>
<div>
業者は「周辺地域と話し合う余地はあるが、地下資源のためにやっているので、</div>
<div>
今後もサイレンを鳴らす」と話す。</div>
<div>
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
===============</div>
<div>
ざっと。このような内容だが、番組では、その時のサイレンや困惑する住民、何より、</div>
<div>
何の罪もない北桑田高校の生徒達の「気の毒な」様子がつぶさに写しだされていた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
さて、私がこの番組を見た時の感想であるが、一言「ひどい!!」であった。</div>
<div>
私欲のためとしか言いようのないこのような報復は、非常に醜くく愚かである。</div>
<div>
<br />
しかし、私の中の問題はその先にあった。</div>
<div>
この放送後しばらくして、件の採掘場は、「丹波マンガン記念館」の館長を務める<br />
李氏が経営する採掘場だということを知ったからだった。</div>
<div>
<br /></div>
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
【その3へつづく】</div>
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部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・</div>
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全く笑えない事象が又おきました。<br />
以下は、毎日新聞(6月3日付)の転載です。<br />
<br />
<span style="color: red; font-size: x-large;">グーグルマップ:大阪の私鉄駅名に「部落」付け加え</span><br />
<br />
<span style="color: red;">何者かが書き換え 要請後の3日午後3時ごろに削除</span><br />
<span style="color: red;"><br /></span>
<span style="color: red;"> 地図検索サイト「グーグルマップ」上で、大阪市内の私鉄の駅名が何者かに書き換えられ、本来の駅名に「部落」という言葉を付け加えた状態で、表示されるようになっていたことが3日分かった。2日午前、私鉄側は「部落差別を助長する不適切な書き込み」として、グーグル日本法人(東京都)に削除を要請。3日午後3時ごろ、削除された。</span><br />
<span style="color: red;"><br /></span>
<span style="color: red;"> 2日午前、ネット上の書き換えに気づいた複数の人から私鉄側に連絡があった。また、部落解放同盟大阪府連も私鉄と大阪市に知らせた。この私鉄の広報部によると、グーグルに削除を要請し、正しい駅名に修正するよう求めたが、グーグルは「削除には時間が掛かる」と回答したという。</span><br />
<span style="color: red;"><br /></span>
<span style="color: red;"> グーグルマップを巡っては2015年、特定のキーワードで検索すると原爆ドーム(広島市)が「核実験場」、警視庁本部(東京都千代田区)が「警視庁サティアン」などと表示されるようになっていたことが発覚。マップを改ざんしたとして、男3人が警視庁に軽犯罪法違反(いたずらによる業務妨害)容疑で書類送検された。【林由紀子】</span><br />
<span style="color: red;"><br /></span>
<span style="color: red;"> 赤井隆史・部落解放同盟大阪府連委員長の話 やり方が悪質で度を超えている。ネット上の差別書き込みは一度流れると拡散し規制が難しい。部落差別解消推進法ができたが理念法にすぎず、罰則規定など法的規制の必要性が浮き彫りになった。</span><br />
<br />
メデイアによっては、駅実名を書いている記事もあります。<br />
此処は、確かに近くに部落があるのは事実です。<br />
一昔、大きな事件があった事で、知名度が高い地区です。<br />
<br />
私が、夕方この記事を見つけて、マップを開いてみましたが、<br />
この頃には、駅名自体が削除されていましたが、<br />
削除すれば、「この件は終わり」ではありません。<br />
そもそも、このような事象が起こることこそが問題なのですからね。<br />
<br />
解放同盟の方もコメントに、罰則規定云々とありますが、<br />
「法律や罰則があるから差別しない」と言う事でもないような気がします。<br />
罰則があれば、一定の抑止力にはなるとは思いますが、<br />
真の差別撤廃ではありませんからね。<br />
<br />
いや、否定しているのではありません。<br />
罰則規定・法改正も、必要ならば行う事に何ら異は唱えません。<br />
<br />
<div>
それ以上に、『人々の差別の心を改心させるにはどうしたらよいか?』</div>
<div>
を考え、啓発していくべきでしょう。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
勿論、各運動団体を含む人権団体、時には個人の方もそのような啓発は、</div>
<div>
十二分にされています。</div>
<div>
それでもなくならないのが差別なのですが・・・</div>
<div>
<br /></div>
<div>
私も、そんな一人で、全く微力なのですが、</div>
<div>
このブログを通して部落のいい所を発信できたらと思う所存です。</div>
<div>
(時には恥部も晒さなければならない時もありますが・・・)</div>
<div>
<br /></div>
<div>
今日は、朝起きたてで、仕事へ行く時間もあるので急ぎの記事書きです。</div>
<div>
あまり頭が回っておらず意味が通じない・誤字脱字etcあるかもしれませんが、</div>
<div>
そこはお許しを!</div>
<div>
どうしても書いておきたかったものですから。。。</div>
被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-22785533168745223262017-04-28T01:58:00.002+09:002017-04-28T01:58:26.560+09:00江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その1/見て記行って記被差別歩記-5行政の効率化を目的に、全国で進められた平成の大合併から、早十余年。<br />
今、合併を行った市町村の多くは、その誤算から大きな苦境に立たされている。<br />
残ったのは、効率化とは程遠い「借金の山」と「広大な市町村域」。<br />
<br />
<b>『9つの自治体が合併した大分県の佐伯市では、</b><br />
<b>市の端から端まで3時間掛かるという広大な面積の為、</b><br />
<b>通常は統廃合する、合併前にあった8つの役場を全て残している』と言う。</b><br />
<b>【NHKクローズアップ現代より要約】</b><br />
<br />
今回紹介する京都市京北(前京北町)も、平成17年に京都市と合併、<br />
新たに右京区に編入された。合併により、京都市の面積も、<br />
610,22k㎡から827,90k㎡と大幅に増加したのであるが、<br />
金閣寺や清水寺などの市街地の有名観光地を訪れる観光客には、<br />
ここが同じ京都市であるとは、にわかに信じられない光景であろう。<br />
<br />
京都市街地から、車で更に一時間以上掛かるこの山間の地は、<br />
北山杉の産地として有名である。<br />
<br />
北山杉は、家屋が伝統的な日本建築であった時代には、<br />
高級建材としてもてはやされた。<br />
特に、床の間や茶室などに用いられる「磨き丸太」は全国的にも人気が高いが、<br />
現在は、建築様式の変遷に伴い、需要が激減。<br />
かつて隆盛を極めた林業も、今や、斜陽産業になってしまった。<br />
<br />
話は変わって・・・<br />
江戸時代、「穢多村」と呼ばれていた被差別部落は、<br />
製革業が主な生業(なりわい)の一つであったことはよく知られているが、<br />
それ以外にも、幕府や藩から、もう一つ重要な任務を与えられていた。<br />
それが、刑警吏役(けいけいりやく)である。<br />
<br />
刑警吏役とは、今の警察業務であるが、<br />
現在のように各セクションに業務が分かれていたわけでなく、<br />
捕物から、収監、死刑執行(場合によっては死体処理)を一手に引き受けた。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu0O9N7nDQVg50W0RCjcuVoYamN7h7sr9EXDnhbkIUIPRbpedZNmzvlE0ZPU4Lm0Hx5MsHbg3mM3L9p2Qlty0WxI3NgfC8hyphenhyphenmGbgOPeiKaOxtKRojNWsYZju-N7mNGXZs7WCmM2U6NJDU/s1600/2017y04m27d_004422296.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" height="276" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgu0O9N7nDQVg50W0RCjcuVoYamN7h7sr9EXDnhbkIUIPRbpedZNmzvlE0ZPU4Lm0Hx5MsHbg3mM3L9p2Qlty0WxI3NgfC8hyphenhyphenmGbgOPeiKaOxtKRojNWsYZju-N7mNGXZs7WCmM2U6NJDU/s400/2017y04m27d_004422296.jpg" width="400" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">穢多・役人村に伝わる捕り物道具(映画:人間みな兄弟より)</td></tr>
</tbody></table>
いや、引き受けざるおえなかったのが、幕藩から強制的に命ぜられた穢多の仕事であった。<br />
これは、穢多(藩によっては非人もこの役を務めた)に、百姓一揆の首謀者などを<br />
処罰させることにより、農民の怒りが穢多・非人に向くように仕向け、<br />
幕藩へのガス抜きになるよう利用されたためである。<br />
<br />
それ故、江戸時代には、刑警吏役を務める穢多村は「役人村」とも呼ばれるようになった。<br />
また、それらに携わる穢多達を「長吏(ちょうり)」とも言ったが、<br />
特に弾左衛門は、皮革業に携わる穢多達を取り仕切る穢多頭でありながら、<br />
穢多という言葉を極端に嫌い、刑警吏役を務めるものの意である「長吏」を好んで用いた。<br />
しかし、時を経て、いつしかそれは「チョーリンボー」という差別語へと変化していった。<br />
<br />
さて、話を戻そう。<br />
私は、ある別件の調査で、過去5年間に2度ほど、<br />
京北・丹波周辺の部落にフィールドワークへ訪れていたのだが、<br />
その調査の過程で、私の興味を引く、ある事実を知ることとなった。<br />
<br />
その事実とは、なんと、かつて役人村であった京北の被差別部落に、<br />
江戸時代の牢屋が現存しているというのだ。<br />
<br />
しかも、現存する江戸時代の牢屋は限られている上に、<br />
刑警吏役を担った穢多村=役人村に現存する例は、全国的に見ても他にないという。<br />
この貴重な歴史的建造物を見るために、私は再度、京北の地を訪れた。<br />
<br />
【江戸時代の牢屋を訪ねて・京都役人村:その2へ続く】<br />
<br />
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px; text-align: center;">
<b><span style="color: red;"><span style="font-size: xx-small;">★部落を皆さんに知ってもらいたい!★</span></span></b></div>
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部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・</div>
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<div class="separator" style="background-color: white; clear: both; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px;">
<span style="font-family: 'trebuchet ms', trebuchet, verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px;"></span></div>
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<br />
ドジョウをすくい、セミを追っても楽しいのは最初のうち。<br />
何もない田舎の退屈さに次第に飽き、<br />
天気もいいのにゴロゴロとしていた私のグウタラな姿を見て、<br />
ばあちゃんが痺れを切らしたように私に言ったのです・・・。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
=================</div>
<br />
あれは、小学校3年か4年の夏休み。<br />
年の頃では、10歳前後でしょうか。<br />
今から、40年近く前の話になります。<br />
<br />
毎年、学校が長期の休みに入ると、<br />
母・妹と共に母の実家へ帰省するのが恒例となっていました。<br />
<br />
そこはかなりの田舎で、周りは田畑。<br />
小川にはメダカやナマズが泳ぎ、近くの山にはカブトやクワガタがいました。<br />
<br />
今は、近くに大型商業施設やスーパーも出来ているのですが、今は昔。<br />
その頃は、何処にでもある昔の田園風景。<br />
自然には恵まれているのですが、退屈で仕方ない。<br />
<br />
じいちゃん・ばあちゃんの真似事をして、私も鎌を片手に草刈りをするのですが、<br />
刈っても刈っても有り余る雑草を前に、暑さでやられてしましそう。<br />
タマにばあちゃんが、畑からサッとスイカをもいで、鎌で割ってくれるのですが、<br />
スイカを食べるや「ばあちゃん。アツいし先帰ってるわ」なんて、<br />
ロクに手伝いにもなりません。<br />
<br />
オマケにテレビは、電波状況が悪くて4チャンネル位しか映らない。<br />
いくら私の生まれ故郷と言っても、<br />
母が「里帰り出産」しただけで、育ちはずっーっと都会育ちでしたから、<br />
田舎の暮らしは、都会とはまるで違った退屈な場所でしかなかったのです。<br />
(今は、田舎暮らしに憧れていますが・・・)<br />
<br />
じいちゃんは元警察官で、後に叙勲を受けたほどだったので厳格この上なく、<br />
宿題もせず、ゴロゴロとしながら漫画を読んでいる私の姿を見ては<br />
火のついたように怒り出し、延々と説教が始まるのでした。<br />
<br />
そんなじいちゃんが私は大嫌いだったのですが、<br />
やがて、脳梗塞で体が不自由になり言葉もロクに発せなくなると、<br />
それまでの私に対する暴挙がウソのように静まり返ったのです。<br />
<br />
もっとも、説教をしたくとも体の自由が利かなかったせいかもしれないし、<br />
若しくは私が成長したせいもあったのでしょう。<br />
<br />
私が24歳の時、最初の子供が生まれてまもなく祖父が他界したのですが、<br />
あんなに嫌いだった祖父の死に顔を見た途端、<br />
何故か涙が溢れてきた。<br />
<br />
その時、そう言えば子供の頃、<br />
「警察官になって白バイに乗りたい!!」と言っていたことを思い出したのです。<br />
<br />
今は、そんなじいちゃんを誇りに思っています。<br />
心の何処かでは、ずっと、じいちゃんの事を尊敬していたのかもしれません。<br />
(あ、そうそう。警察官には、なりたいどころか、逆に苦手になりましたが)<br />
<br />
じいちゃんとは反対に、ばあちゃんは、<br />
打って変わって優しくて大好きだった・・・。<br />
いや、「大好きだった」となれば故人のようですが、<br />
“ピンピン”とまではいきませんが、90歳を超えた今でも田舎で、<br />
そこそこ元気にしています。<br />
<br />
そんな大好きなばあちゃんが、痺れを切らすグウタラぶりでしたが、<br />
「刑務所に行きてこい!!」と言う言葉に、私は即座に反応しました。<br />
<br />
いや、断っておきますが、ばあちゃんは、<br />
私が犯罪を犯して「刑務所に入れ!!」と言っているのではありません。<br />
○○と言う集落に刑務所があるから、「見学に行ってこい!!」と言う意味です。<br />
読んで頂いている皆様は理解していただいているでしょうが、念のためあしからず。<br />
<br />
私は、「刑務所」と言う、非日常的な場所への期待感を胸に膨らませ、<br />
今までのグウタラぶりがウソのように、早速行動に移しました。<br />
<br />
「“納屋に自転車があるけぇなぁ”って、ばあちゃん言ってたけど、<br />
これ、大丈夫かなぁ?」<br />
<br />
納屋にあった自転車は、既に長く乗られていないようでタイヤは凹み、<br />
ホコリをかぶっていました。<br />
なんせ40年前ですから、何気に馬鹿デカイ。<br />
酒屋の配達に使うような自転車が姿を現しました。<br />
<br />
早速行きたいのですが、先ずは空気入れからです。<br />
幸い、空気意外は悪いところもなく、心ウキウキ出発しました。<br />
<br />
田舎の農道ですから、暫くは砂利道。<br />
不慣れな自転車に不慣れな道。<br />
でも、持ち前の順応性で舗装道に出る頃には、<br />
大きくて重たいオバケ自転車を、ある程度あやつれるようになっていました。<br />
<br />
それに、不慣れな道でしたが、小さい頃から慣れ親しんだ土地でしたので、<br />
土地勘はわりとあったことも幸いし、<br />
ズンズンと対象物に向かって進むことが出来ました。<br />
<br />
川を超え、田園風景を走ること30分ほどでしょうか。<br />
いつくかの集落を超えたあたりで、<br />
山の上に、見覚えのある給水塔?を発見しました。<br />
<br />
あの給水塔が見えれば、刑務所はもうすぐです。<br />
<br />
そして、最後の集落へ差し掛かりました。<br />
この集落を抜けると、いよいよ刑務所です。<br />
<br />
途中、朽ち果てた牛小屋があったので、<br />
自転車を止め中へ入ってみました。<br />
<br />
今では、各地で牧場や牛小屋を見ることも何気にありますが、<br />
この頃は、行動範囲も狭く、都会暮らしだった私は、<br />
朽ちて主がいない牛小屋でも、十分に非日常的でした。<br />
<br />
この集落のことは、これ意外何も覚えていませんが、<br />
特に覚えていないということは、そこらにある集落と<br />
何ら変わりがなかったと思われます。<br />
<br />
でも、そんな何ら“変わりがない”集落の端に、<br />
“変わりがある”非日常的な刑務所がデンとそびえていました。<br />
<br />
時は夕方だったと記憶しています。<br />
夏の夕方。<br />
ヒグラシでも鳴いていたことでしょう。<br />
<br />
その“変わりがある”施設は、誰も居ないかのようにシーンとしていました。<br />
前が田畑、後ろが山という立地もあったのでしょうが、<br />
本当にココに囚人達、いや人がいるのかさえ疑われるほど静まり返っていました。<br />
<br />
私は、自転車を壁に寄せ、荷台に立って中を覗こうとしましたが、<br />
壁が高く覗くことが出来ませんでした。<br />
しかし、その壁は以外にも、覗こうとしたら可能なほど低かった記憶があります。<br />
今、そんなことをしていれば、明らかに不審者ですねww<br />
<br />
去年久しぶりに、車で刑務所の近くまで寄ってみましたが、<br />
改修でもされたのか、何だか子供の頃見た記憶とはかなり違うように見えました。<br />
面影が残っていないというか・・・<br />
それとも、私の思い違いが?<br />
なんせ40年ほど前のことですから、私の記憶が歪曲されているのかもしれませんが。<br />
<div>
<br /></div>
<div style="text-align: center;">
==================</div>
<br />
それから何年位経ったころでしょうか?<br />
刑務所がある集落が「被差別部落を含む集落」であるということを知ったのは。<br />
<br />
多分高校生くらいの頃だったでしょう。<br />
ばあちゃんから話を聞いたと思います。<br />
<br />
ばあちゃんは、このブログでも何度か紹介しましたが、<br />
田畑を貸している部落の方々が、<br />
正月前にしめ縄を持ってやってきた時もキチッと対応していたように、<br />
部落民だからと言って、差別はしていませんでした。<br />
だからこそ、ばあちゃんは、部落を含む集落の「刑務所に行ってこい」と言ったわけですが、<br />
昭和50年代といえば同和施策が始まって間がない頃。<br />
各地で改良住宅が建ち、道が整備されはじめて、<br />
部落にもようやく町づくりがなされてきた時代ですが、<br />
今思えば、この集落に、特に違和感を感じなかったことを思うと、<br />
既に改良事業が行われていたか、<br />
若しくは比較的裕福な被差別部落ではなかったかと察します。<br />
<br />
<div style="text-align: center;">
===============</div>
<br />
江戸時代、部落(=穢多村)は、<br />
幕府から警刑吏役(けいけいりやく)を担わされていました。<br />
警刑吏役とは、今で言う警察業務と刑務所の仕事なのですが、<br />
特に、この時代の死刑執行にも携わりました。<br />
<br />
白土三平氏の劇画「カムイ伝」には、<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAYSv_1v_CrZ9cMy9sc478o9LfA13hrQi7FjUXiiAs4KMfi8FCljFcKF1e7wiWSrJnDyuyKD5pv-NWBJ5ISPqBE4NH86Vw-ODioUcsh9XTLNlMISXt7nhP4dCOgd74EPp6gdA04v31HAs/s1600/sirado+kamuiden.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAYSv_1v_CrZ9cMy9sc478o9LfA13hrQi7FjUXiiAs4KMfi8FCljFcKF1e7wiWSrJnDyuyKD5pv-NWBJ5ISPqBE4NH86Vw-ODioUcsh9XTLNlMISXt7nhP4dCOgd74EPp6gdA04v31HAs/s400/sirado+kamuiden.jpg" width="276" /></a></div>
その模様が克明に描かれていますが、<br />
これは、当時“国の宝”と持ち上げられていた農民を、<br />
穢多(カムイ伝中では非人と表記)が死刑執行することによって、<br />
農民達の怒りの矛先をエタに向け、<br />
農民一揆を未然防ぐガス抜き政策の役目をも担ったわけですが、<br />
当時の農民には、そのような政策をも理解し難く、<br />
まんまと幕府の思惑通りになってその矛先は穢多非人に向い、<br />
より差別は強化されていく構造が作られたのです。<br />
<br />
そして、穢多村には牢屋が設けられ、その番をしたことから、<br />
賤称の意味を込め、番太などと呼ばれることもありました。<br />
<br />
牛馬の革を鞣し、牢屋番や水番をする。<br />
時に、城や寺社の清掃を行い社会に奉仕をするその様は、<br />
現代の公務員のハシリと言えます。<br />
(今は、公務員といえど、社会奉仕しているのか不安方もおられますが・・・)<br />
<br />
その名残で、刑務所を持つ部落もいくつか存在するようです。<br />
少し古い本になりますが、原田伴彦著「部落と差別」の中にこのような記述が見れます。<br />
<br />
<b><span style="color: red;">最近私は,</span></b><br />
<b><span style="color: red;">広島県、岡山県及び佐賀県の部落の調査の仕事をしましたが、</span></b><br />
<b><span style="color: red;">その1つに呉市のY地区があります。</span></b><br />
<b><span style="color: red;">約250世帯700人近い地区です。</span></b><br />
<b><span style="color: red;">呉市の中心街から西北の狭い谷間の傾斜地です。</span></b><br />
<b><span style="color: red;">この狭い部落の中に入り口から畜産場(家畜市場)、屠場、拘置所(刑務所)</span></b><br />
<b><span style="color: red;"> 市営の火葬場、同じく後産処理場、野犬処理場、墓地がひしめいていました。</span></b><br />
<b><span style="color: red;">その中に小さな不良住宅が密集していました。</span></b><br />
<b><span style="color: red;"><br /></span></b>
<b><span style="color: red;">~中略~</span></b><br />
<b><span style="color: red;"><br /></span></b>
<b><span style="color: red;">ここが部落であるために市行政がすべてここに設置したのです。</span></b><br />
<b><span style="color: red;">火葬場とお産の汚物等を焼く煙、畜産場や野犬処理場の臭気は部落を四六時中を覆っていました。</span></b><br />
<br />
ココの集落にある刑務所の成り立ちは、<br />
集落の被差別部落とは関係ないようですが、<br />
少なくとも、この部落でも江戸時代以前には、<br />
警刑吏役を担っていたことでしょう。<br />
<br />
この様に、社会奉仕する部落民達ではありましたが、<br />
皮肉にもその仕事が、これ以降、綿々と続く差別へのらせん階段であったことは、<br />
今の世になって、やっとわかった事実です。<br />
<br />
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<br />被差別部落の暮らしhttp://www.blogger.com/profile/15561573456247747447noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6831682201702723518.post-14898428134719341872017-04-09T00:49:00.000+09:002017-04-12T00:43:33.697+09:00部落の食文化-4 部落の天ぷら売り<br />
「もうボチボチ来てはる頃やろ。チョット行ってきてぇなぁ」<br />
<br />
義母が、娘である私の嫁に声をかけます。<br />
<br />
「ほな、オレも一緒に行くわぁ」・・・<br />
<br />
<br />
部落では、いくつになっても「天ぷらを買いに行く」のは子供の仕事。<br />
嫁も、小さい時からずっ~と、天ぷらを買いに行ってきました。<br />
<br />
嫁が生まれ育った部落には、決まった曜日に「天ぷら」を売りに、<br />
軽バンを改造した移動販売車でオバちゃんがやってきます。<br />
<br />
「オバちゃん。赤と白が5個ずつと、フクゼン10個ちょうだい」<br />
<br />
「ハイよ!!今フクゼンが5個しかないし、チョット待ってくれるか?」<br />
<br />
子供の頃から買いに行っている嫁は、手慣れた感じでオバさんに注文します。<br />
オバさんは、衣をつけたフクゼンを油に入れながら・・・<br />
「お母さん元気にしてはるか?」<br />
「うん。元気やで」<br />
<br />
なんて、世間話をしているうちに、熱々の天ぷらが揚がってきました。<br />
<br />
実は、部落に売りに来る天ぷらは、エビやサツマイモではありません。<br />
<br />
赤はレバー<br />
白はミノ<br />
そして、フクゼンは前回このブログで紹介した牛の肺。<br />
<br />
部落の天ぷらは、『ホルモンの天ぷら』なのです。<br />
<br />
「ハイ、おまっとうさん。おおきになぁ」<br />
<br />
数が少なければ、少し待てばオバさんが揚げてくれますが、<br />
数が多い時は、「オバちゃん、5時に取りに来るさかい、20個づつ揚げといて」<br />
と、先に注文を出しておくと、時間通りに揚げてくれます。<br />
<br />
それにしても、次から次へとお客さんが来て、<br />
オバちゃんもてんてこ舞です。<br />
<br />
部落の人は、この天ぷらが本当に好きですが、<br />
皆さんが食べても、きっと好きになってしまうでしょう。<br />
<br />
甘くてトロみのある付属のソースを付けて食べるのですが、<br />
時にはオヤツに又、ご飯と一緒に食べてもいいし、<br />
酒の肴にと、TPOを選ばない万能食品です。<br />
<br />
勿論、エビやサツマイモの天ぷらも普通に食べますが、<br />
部落で“天ぷら”と言うと『ホルモンの天ぷら』を指すことが多いですね。<br />
<br />
「オバちゃん。どこから来てんの?」<br />
ある時、私は聞いたことがあります。<br />
<br />
だいぶ前の事だったので、不覚にも何処の地区だか忘れてしましましたが、<br />
市内の部落から来ているということでした。<br />
<br />
天ぷら売りのオバちゃんは、軽バンで市内の部落を回っています。<br />
○曜日は☓☓部落<br />
□曜日は△△部落という風に。<br />
<br />
1個60円ですが、皆10個単位で買っていきますので、<br />
結構な儲けになるかもしれません。<br />
<br />
なぜなら、この部落には、<br />
大抵の部落にもあるような肉屋・ホルモン屋がありません。<br />
<br />
昔はあったようで店舗だけは残っているのですが、<br />
私がこの部落に出入りするようになった頃には、<br />
既に閉店していました。<br />
<br />
大抵の部落にも・・・と書きましたが、<br />
都市部の改良住宅が建っている部落では、<br />
通りに面した棟の1階部分が店舗として供給されている場合も珍しくありません。<br />
<br />
そのような、改良住宅内店舗に肉屋が入っていたり、<br />
部落内で独立店舗を持っていたりと様々ですが、<br />
とにかく、そのような店では肉やホルモンと併せて<br />
『ホルモンの天ぷら』や『スジの焚いたん』(関西弁で焚いたものの意)など<br />
部落の伝統的な惣菜も販売していることが多いのです。<br />
<br />
例え、部落内に肉屋があってホルモンが手に入っても、<br />
案外天ぷらって面倒くさくて難しい。<br />
だからこそ週一回、天ぷら売りのオバちゃんが来るのを<br />
皆心待ちにしているのです。<br />
<br />
今は、そんな光景を見ることはありませんが、<br />
昔は子供達もおやつ代わりに買って食べていたそうです。<br />
<br />
丁度、100円玉握りしめて、駄菓子屋に行くような感覚だったのでしょうね。<br />
<br />
<div style="background-color: white; font-family: 'Trebuchet MS', Trebuchet, Verdana, sans-serif; font-size: 17.6px; line-height: 24.64px; text-align: center;">
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