~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2016年1月6日水曜日

新年の御挨拶~部落で迎える新年~

新年
明けましておめでとうございます。

旧年中は、「被差別部落の暮らし」をお読みいただき、
ありがとうございました。
本年も引き続き、「内容の濃い」ブログとして、
被差別部落問題及び、あらゆる差別問題について、
書いていく所存でございます。

これからも、よろしくお願いいたします。

平成28年 元旦
ブログ『被差別部落の暮らし』
主宰 スギムラ シンジ


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さて、皆様、新年は如何お過ごしでしたでしょうか?
ご自宅でゆっくりされた方・帰省された方・
ずっとお仕事されていた方・ご旅行に行かれたいた方・・・
様々なお正月があったかと存じます。

当方は、毎年のことながら、
妻の実家(=被差別部落)で新年を迎えました。

私の自宅から、父母の住む実家迄は車で5分。
妻の実家も、20分程なのでいずれも近いのですが、
私が、元旦しか休みがないこともあり、
妻は、早々と自分の実家へ帰省(という距離でもないですが・・・)しているので、
私も、新年は妻の実家で迎えます。

大晦日、仕事が終了するのが夜の10時頃なので、
それから妻の実家がある被差別部落に向かい、
12時前に、部落内の寺へ向かいます。

当部落は、中規模部落なので、寺も2寺ありますが、
かつては、部落内の寺は“穢多寺”、その僧は“穢僧”として、
宗派内でも差別の対象でした。

そして、部落内で死者が出た場合、
死者につけられる戒名も差別的な内容を含んでおり、
死して尚、差別の対象となっていた時代もありました。

そのような辛い歴史を背負っている部落の寺ですが、
大晦日には、「除夜の鐘」をつきに、部落の方々が集います。

妻も子もそして、甥っ子姪っ子も一緒に鐘をつきに行き、
煩悩を払います。

私なんぞは、煩悩だらけなので、
一回ついただけでは到底払われないのですが・・・

元旦は、私の実家へお年玉の回収(?)へ行き、
そのまま、自宅近くの氏神へ詣ります。

そして、又、妻の実家の部落へ戻り、
一家集合で正月を楽しみます。

私は、次の日から仕事ですので、
正月気分に浸れないまま、正月は早々終了(T_T)
例年、このような正月を過ごしています。


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思わず、話が長くなりましたが、
改めて、今年もよろしくお願いします。


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3 件のコメント:

関東人 さんのコメント...

戦前生まれの父の話・・・

「穴掘りてつやん」という被差別民がいたそうです。

仕事は墓穴掘り。土葬だった田舎の話です。
さすがプロ!てつやんの掘った墓穴は、ピッタリ棺が収まったそうです。

正月になると、てつやんがカゴを背負ってご機嫌伺いにやってくる。
各家の子供は。モチをてつやんのカゴに投げ入れる。起用に受け止めるてつやん。

子供はおもしろがってモチを投げ入れたらしいです。

差別はあったかもしれないですが共存。賤業なくして生活は成り立たなかったと思います。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

関東人さん

再度のコメント大変ありがとうございます!
当方忙しく、記事も、コメへの返答も遅くなっておりますが、
頂いたコメは、キチンと読み、その上で公開作業を行っておりますので、
これからもよろしくお願いします。

さて、今回の関東人さんのお父様のお話、
とても興味深いですね。

土葬ということで、結構古いお話とは存じますが、
短い文章の中にも、
当時の「被差別民の暮らし」が手に取るように伝わってきますね。

関東人さんがご指摘のように、
これまで被差別民が担ってきた職業は、
人々の生活に密着していたばかりか、
例えば、『神聖』とされる神社の神事で使われる草履も、
『穢』とされてきた被差別部落で担ってきました。

このようなことからも、
差別は、人々の誤解や国の差別制度から、
造られたものであり、人々の暮らしに部落は、
無くてはならない存在であったことは事実ですね。

白ギツネ さんのコメント...

ようやく隅から隅まで読み尽くしました。私の父が被差別部落の出身で、いろいろあって私自身も多少の関わりを持つに至ったのですが、実際の日常的な暮らしぶりについては疎いもので、部落の正月風景などはとても興味深く拝読させていただきました。故人となった父はあまり幼少期を語りたがらなかったので、今となってはもっと話を積極的に聞いてやれば良かったのかな、とちょっと後悔気味です。今後もご健勝ご健筆をお祈り申し上げます。