~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2016年1月15日金曜日

カワタ・エタ・新平民・同和・・・部落にまつわる呼称あれこれ:その1

いつも、当ブログをご覧いただきありがとうございますm(_ _)m
「被差別部落の暮らし」のスギムラです。

さて、先日、「未解放部落と部落問題研究所。そして独自解釈」と題し、
投稿を行いました。
皆様、ご覧いただけたでしょうか?

『部落』と一言で申しましても、先の、”未解放部落”等と言うように、
これまでの歴史を振り返ってみますと、
時代により様々な遍歴を辿っております。

又、地方により「方言」的な言い方も存在していたり、
地区外の方からの呼称(主に賤称)や、
逆に地区内独自の呼称もありますが、それらは、
一般的には、あまり知られていないようです。

そこで今日は、『部落』の呼称について、あれこれ紹介したいと思います。


====部落の名称の変遷====

◎かわた
革太・革多・皮多・皮田などの当て字が用いられる。
江戸時代に身分制度が確立される以前に主に用いられた。
職掌である「革作り」からくる。
穢多の語が主流になる江戸時代以降も、
賤称として使われ、現在でも差別用語として用いられる。

◎えた
穢多の字を充てられる。
「エタ」自体の語源は定かではないが、
江戸時代に入り、身分制度が確立されると、
賤称として『けがれおおい=穢多』の漢字が当てられた。
現在でも差別事件等で見られる差別語。

◎新平民
明治に入り、新政府が発足。
いわゆる解放令が出されると、
政府は早急に戸籍の整備に取りかかった。

いわゆる壬申戸籍であるが、
これはこれまでの年貢にかわり、税金を取りたてる為の戸籍である。

戸籍には、新たな身分が明記されており、
かつて皇族や公家は華族として、
そして武士階級は士族として明記された。

反面、それまで「農工商穢多非人」は、一括して平民となるはずだが、
穢多に関しては、新平民として登録された。
しかしこれが新たな差別用語として用いられるようになる。
解放令が出され、身分制度がなくなったはずだが、
実は、新たな形で身分制度は継続していたのである。

★解放後の非人の扱い
非人に関しては、江戸時代の身分制度上は、
穢多の下に置かれたのは周知のとおりである。

しかし、非人へ身分を置かれたものは、
元は、ハンセン病(当時は癩病)・障害者・犯罪者などで、
中には武士など身分の高い者も含まれており、
それらのものは、概ね解放令とともに文字通り解放されたが、
非人の中でも、皮革業などに携わる者、
又、門付け芸に属する者、
穢多の直接支配下に置かれた非人達はその限りではなく、
解放令後も、旧穢多と同一視されたようだ。

現在の被差別部落の中にも、
非人の流れを汲む部落が相当数存在する。


◎特殊部落
新平民という語が差別的であるとして、
公的な機関や学術研究者の間では、
新たに「特殊部落」と言う言葉が使われるようになる。

例えば、明治中期に書かれた柳田国男の論文には
『所謂特殊部落の種類』とあり、
京大教授で部落問題にも熱心だった喜田貞吉も、
この頃の著書や論文で『特殊部落研究号』などと
“特殊部落”の語を用いている。

しかし、後に「特殊部落」も差別語に当たるとして、
後年、未解放部落及び、被差別部落が用いいられるに至る。

◎細民部落・後進部落など
喜田貞吉を始めとして、多くの学者や水平運動家の中には、
言葉ばかり変えたとて、差別の実態は、
何ら変わりがないという「悲壮感」が漂っており、
事実、差別は、以前にも増して厳しさを増す一方であった。

この頃に、よく似た言葉としては、
後進部落・密集部落などが用いられたようであるが、
いずれも、差別を表す語として、現在は用いない。

◎未解放部落
未解放部落については、こちらを参照
【未解放部落と部落問題研究所。そして独自解釈】

◎被差別部落
時代の変遷と共に、多くの語を生み出してきたが、
現在は、単に“被差別部落”・“部落”という語を用いる。
しかし、部落という言葉は、
地方によれば「集落」の意味で用いられることもあり、
一般的には、“被差別部落”が使われる。

===================

★~~~1月20日追記~~~★
>書き忘れていたことを、追記致します。

◎被圧迫部落
特殊部落の語に変わり、戦中~戦後の短期間ではあるが用いられた。
戦争の激化とともに、水平社が自然消滅した後、戦後、
部落解放同盟の前進である『部落解放全国委員会』が結成されたが、
その中で、“「破戒」初版本復元に関する声明”と言うのを出している。

1954年4月に出された声明を読むと、
『被圧迫部落と未解放部落』の語が見て取れる。
*この全文は、塩見鮮一郎著『新・部落差別はなくなったか?」の
付録として掲載されている。

====================

さて、今回の【その1】では、部落の名称の変遷を書いてきました。
次回以降は、行政で用いられてきた部落名称や、方言等を取り上げます。

次回もどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

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5 件のコメント:

大川原英智 さんのコメント...

こんばんは。

コメントありがとうございました。

ハンセン病差別と部落差別、スギムラさんの仰る通りよく似ていますね。

また、今回の貴ブログからも、僕は大いに学ばせていただいております。

次回も何とぞよろしくお願い申し上げます。

s sugi さんのコメント...

大川原先生
こんばんは。
被差別部落にしても、ハンセン病の方々にしても、
自分の意志とは全く関係のない部分で、
社会から理不尽な扱いを受けることに憤りを感じます。

ハンセン病(かつては癩病)は、被差別部落の起源とも
深い繋がりを持っておりますが、
いずれ、このブログでも取り上げなければならい問題です。

匿名 さんのコメント...

昨日、広島県某市に住む昔からの知人から電話があり、引っ越したので新しい住所をとのこと
家でも建てたの?と聞くと彼女は
以前のアパートとは治安が悪い
頻繁に喧嘩がある
パトカーが来ている
犬の散歩の時など、近所の人に挨拶して無視される
市営住宅が沢山建ち並び、セルシオなどの高級車が止まっている
金髪、茶髪の人が多い

託児所の職員にその地区のアパートに引っ越したと告げると、なんでそこにしたのぉ、と言われた

明らかに町の雰囲気に違和感を感じた

差別することなく部落出身の友人とも接してきたし部落差別を否定してきたが
7歳の娘を持ち、済んで生活するとなると別問題だと思い引っ越したということでした。

なぜ“雰囲気に違和感”があるのでしょうか。

その違和感が無くならないと差別もなくならないのではないでしょうか

違和感を無くすとしたら、誰がどのようなことをすれば無くなるのでしょうか

KS さんのコメント...

島崎藤村の「破戒」を読んで衝撃を受け、貴サイトを読まさせていただいております。
小説の最後の方で丑松が「破戒」を行う場面で「--私は穢多です。調里です。不浄な人間です」と言います。調里の意味が分かりません。
調べても出て来ません。(読み方も分かりません)差支えがあればお答え無しで結構です。説明できるような(状況)であれば説明していただけるとありがたいです。宜しくお願い致します。同じ内容の投稿が過去にあればご容赦下さい。サイト内検索は致しました。
私は関東在住で部落の方との接触はありませんでした。貴サイトを読み進めていくうちに、
歴史、文化、宗教のエアポケットが埋まっていくような感覚があります。ありがとうございます。

s sugi さんのコメント...

KSさん
お返事が遅くなりました。
スギムラです。

調里は、チョウリと読みまして、長吏の当て字です。
長吏とは、江戸時代に警察業務を担った部落の先人たちの、言わば役職名です。
しかし、時代と共に、長吏も差別用語となりまして、
今やチョーリンボ-等と、部落民を揶揄する表現として用いられます。
丁度、今、長吏・役人村について書いておりますので、参考にしてみてください。
http://burakunokurasi.blogspot.jp