~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2014年12月12日金曜日

被差別部落の正月風景(準備編)

早いもので、もうすぐ今年も終わりですね。
今回は、少し早いですが「被差別部落の正月風景」をお届けします。

被差別部落と言っても、都市型部落である嫁の実家の部落は、
今では殆ど、一般地区と相違がないと思います。

残念ながら、昔(地区が改良される以前)は、わかりません。
私の義母なら知っているのですが、
あまり過去のことを話したがりませんので、
私も聞かないようにしています。

なので、以下は、現在私が体感している
「被差別部落の正月風景」になります。

まず、今回は準備編をお届けいたします。

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以前、被差別部落のお盆風景をお届けいたしましたが、
お盆同様に、正月の部落は、とても賑わいます。
(勿論地区外も同じでしょうが・・)

親戚縁者が一堂に会するわけですから、
賑やかなのは当然ですが、いつも申しますように、
人数がハンパないのですね。

部落民は、その歴史的背景から、
親戚縁者間の関係は強固で、
しかも、同じ部落内か、又は
近くに住んでいる方が多いのです。

正月準備というと、地区内外を問わず、
子供達のお年玉の準備があげられますが、
地区外と異なる所は、その人数です。

親戚が多いということは、子供も多いのです。
部落が一つの親戚のようなものですから、
それぞれに渡していては、お金がいくらあっても足りません。
だから、妻の実家では、ある一定のルールを設けております。

お年玉は、従兄弟の子供(従兄弟違い)まで、
かつ、高校生までと言うルールですが、
それでも、最大時で15人程いましたし、
それ以外にも任意で、親戚に渡しますので
20人ほど渡さなければいけません。

非常に辛い出費ですが、我が妻もそのようにして
貰ってきているので、伝統ということで致し方ありません。

まぁ、我が家にも子供がいますので
幾分は返ってくるのですが、どっちみち子供の
お金になるのですから辛いのには変わりありませんねorz

今年も、早く郵便局へ行って両替を済ませておかなければ・・・。

次に、おせちですが、これは地区外と変わらないかと思います。
作る家庭もあるし、購入する家庭もある。
また、最近はおせちを用意しない家庭もありますね。

核家族化で若い方が増えているせいかもしれませんし、
第一、ひと昔前のように正月は「どこもかしこも休み」と
言うことはありませんから。
おせちの代わりに、“外食”も多いですね。

ただ、おせちは日本古来の伝統でもありますし、
縁起担ぎの為に食べるものでもあります。
これらの風習が無くなることはないでしょうが、
最近は有名シェフのイタリアンおせちなども好評のようです。

さて、おせちと並んで欠かせないのが、
部落独自の食文化です。
正月には、牛スジ・ホルモン・油かすなどの、
部落の伝統食材を使った料理も並びます。
この点は、地区外とは違うところだと思います。

それらの食材の仕入れも正月準備の一つです。
先日、私も“油かす”と“さいぼし”の仕入れに行ってきました。

あ、いい忘れていましたが、
私は、正月は妻の実家の部落で過ごします。
私の両親も健在で、自宅から車で10分ほどの
場所に住んでいるのですが、なぜか、
嫁の実家のほうが居心地がいいのです。
まぁ、賑やか好きなのもありますが・・・
(勿論、正月挨拶には私の両親宅にも参ります)

それから、ビールや酒などのアルコール類、
子供のジュースなども大量に用意します。
なんせ、部落内が親戚のようなものなので
取っ替え引っ替え来客があります。
それらの方々にも召し上がっていただかなければなりませんので。

後は、大掃除をして、お仏壇にきれいな花を飾ります。
注連縄や門松は、部落内ではあまり見ませんね。
ナゼでしょう?

これは推測ですが、もしかしたら、
注連縄は「売り物」であって商品だったからかもしれません。
よく漁師さんは、「自分のとった獲物を食べたことがない」といいますが、
その感覚に似ているのではないでしょうか?

被差別部落の特産物の一つとして、
縄細工が挙げられます。
草鞋や草履、注連縄などを作るのが上手だったのですが、
商品なので、自分の家には飾る風習が
無かったのではないのでしょうか?

もちろん、今現在、嫁の実家の部落内で
縄細工を営んでいる家庭は皆無ですが、
習慣として飾らない風習が残っているのかもしれません。
これも、我妻の部落で見ている限りですから、
他の部落では当てはまらないかもしれません。

余談になりますが、
部落と言っても千差万別で、それらの風習や
習慣・伝統は、”部落”の共通概念よりも、
地域性が優先されると言うことです。
言い換えれば、地域の風習・習慣がベースにある上に
部落共通の独自文化が成り立っているということでしょうか。

この様なことが、主に部落の迎春準備と言えますが、
昨今は、部落と一般地区の違いは、
殆ど見られないのではないでしょうか?
(ただ、地区改良以前は大きく違ったものと思われます)

地区改良以前の正月準備は
一体どのようなものだったのでしょう。
興味はつきませんが、追々調査研究を進めたいかと思います!


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

とても良い、ブログですね。被差別部落の日常が、丁寧に書かれています。私、80年代の大学時代、自身も周囲にも、出身者はいなかったのですが、サークルで、被差別部落の歴史や冤罪事件について勉強したりしていたので、被差別部落、と聞くと懐かしく、思います。

s sugi さんのコメント...

匿名さん。
コメント&応援ありがとうございます。
匿名さんは、サークルで学ばれていたと言うことですね。
部落出身者がいないのに、部落問題について
学ばれるのは凄くいいサークルですね!

皆で、ワイワイ・ガヤガヤ・・・
そんな方ばかりなら、差別も無くなるのですが。