~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2014年5月14日水曜日

バラック(生立ち編-23)

川。
古来より川は、道とともに
文化交流や物流に欠かせない存在でした。
一方で川は、地域を隔てる存在でもありました。
又、川は長きに渡り被差別民が集い住まう場所でした。

中学生くらいになると、
行動範囲も大きく広がり、
自転車で色々な場所へ行き始めました。
当時は、20インチ位の「ママチャリ」を改造して
色々なパーツを付けて自慢するのが流行りでした。

河原に広がる光景を初めて見たのも、
そんな中学生時代だと記憶しております。

そこは、駅の傍の大きな部落でした。
他の多くの部落がそうであるように
この部落も又、御多分にもれず川に隣接していました。

この部落から少し上流の一般地区では、
度重なる洪水の対策として
河川の改良が行われていましたが、
この地域は、いわゆる「放ったらかし」状態でした。
普段は水量の少ない浅い川でしたが、
街なかを流れているため川幅が狭く土手も低い。
おまけに川はほとんど蛇行せず直線的。
そのため、一度大雨が降ると
一気に水量が増え、荒ぶる川へと変身するのでした。

部落の南端に大きな通りが通っており、
 一本の橋がかかっていました。
橋の真下に広がる光景が、
今でも私の脳裏に焼き付いて離れません。

河原に広がる多くの家。
辺りに落ちている廃材を
つぎはぎにした家は今にも倒れそう。
多分電気も水道も無いであろうが、
確かに、そこには人が住んでいる。
ほそぼそながら、営みがあるわけです。

大雨が降れば、いとも簡単に流されてしまいそうな
危険極まりないその地区は、素人目に見ても
非常に劣悪な住環境でありました。


当時はバラックという言葉は知りませんでしたが、
まさしく、バラックそのものだったのです。

後年、その地区は、日本の部落に隣接する
在日朝鮮・韓国人の集落であることを知るのですが、
(当時我々は、朝鮮部落=チョンブラと呼んでいましたが、
今考えると、この言葉自体にかなりの差別意識がありますね)
被差別部落が、同和行政により概ね住環境が
改善されていることに対し、在日集落は手付かずのままでした。

しかし、近年の高まる人権意識に押され、
今から十数年前に、行政も重い腰を上げて
この地区の改善を行いました。

いまでは、部落に隣接した場所に建てられた
きれいな市営住宅に在日住民が移り住み、
河川の不良住宅は取り壊されました。
この集落の光景は、かつての被差別部落を彷彿させますが、
現在も尚、この様な在日集落は各地に点在しており、
未だ行政の手が入っていない場所も多い様です。

そのうえ、多くの地区では国有地や民有地を不法占拠した
状態が指摘され、 「立退き要請」も行われていると聞きます。
(在日住民が不法に占拠していることは事実です)

この様な問題は、北朝鮮・韓国との関係悪化による
国民感情もある今、非常に難しい問題ですが、
地域住民・行政双方の努力により解決すべき問題であろうと考えます。

行政は、国際情勢に左右されない
人道的な見地で対応することが必要ではないかと考えます。
又、反対に地域住民も国や行政だけに責任を負わせて
「おんぶに抱っこ」するのではなく、自分たちも努力し
改善する姿勢であって欲しいと思います。

互いにいがみ合うだけでは
問題は解決しないだけでなく、
新たな差別や諍いを生みだしかねません。



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1 件のコメント:

クローバー さんのコメント...

私の母は部落出身です。父の両親にはことごとく反対をされて、結婚し私が生まれましたが私は六歳になるまで父方の祖父母に会ったことがありませんでした。母の実家ので暮らしていたのです。母の実家、、部落です。なので、私も部落出身ということですね。今は都会にでて、結婚して部落など遠い昔のように感じて、生活をしています。ただ、実家に帰省すると、家族のような近所の人達のかけてくれる言葉が、私のこころのよりどころなのです。子供が成長したので、実家に帰りたいともおもいます。。