~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年5月18日日曜日

部落のお風呂に行ってみ~(生立ち編-24)

「○○のなぁ、お風呂に行ってみ~。安いらしいで~」
「でもな~、他所から来たら睨まれるんやって!」
中学校からの帰リ道、友人が言いました。

「どこから、そんな情報を聞いてきたのかなぁ?」

○○は同和地区で、
その風呂と言うのが、同和施策で建てられた同和風呂です。
(ウチの嫁や地区住民は市風呂(シブロ)と言っていますが)
結局、その時には同和風呂には行かず、
初めて行ったのが、今から10年ほど前。
嫁の部落の同和風呂でした。
あの日の友人の話から20年ほど経っており、
同和風呂に入るまでに随分時間が掛かったものです。

初めて行った時には、嫁の姉の子、
つまり甥っ子を連れていきましたが、
やはり、皆さんに「ギロッ」とされましたね。
友人の言っていたことは本当でした。

さらに、甥っ子が風呂場で暴れるものですから、
番台のオバサンにも注意されるわで、
散々な同和風呂デビューでした。
(ちなみに、コチラの同和風呂の場合、
地域住民が委託されて管理しております。
なので、注意したオバサンも地区住民です)

今から10年前といえば、丁度最後の同和法である
 「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」
という、何やら長ったらしい名前の法律が
期限切れを迎え、事実上、
国の同和対策が終結した時期に当たります。

なので、今よりもかなり「部落」は閉鎖的であったと思います。
閉鎖的というのは、度々書いておりますように、
一般地区民・部落民双方の風通しの悪さと言いましょうか?
そんな「空気」があったような気がします。

一般地区民は「部落はコワイぞ!」「糾弾されるぞ!」
だから、「部落には触れるな!」「ソっとしとけ!」と思い、
一方、部落民も「中の人・外の人」など云う
仲間意識みたいなもので、一般地区民を
受け入れない姿勢があったのは事実です。

ただ、ここ数年は確実に変わってきていますね。
それも良い方に・・・。
かなり風通しが良くなってきました・・・。
双方ともに・・・。

同和保育所には一般地区民の園児が通園し、
市営住宅にも、徐々ではあるが部落外からの
引っ越しもあります。
そして、同和風呂も・・・。

かつては、「入浴料が安い!」と言われた
同和風呂ですが、現在はほとんど一般浴場と
入浴料に変わりがなく、さすがに頻繁には通えないのですが、
それでも、年に数回は入浴しております。
この地区の近くに大学があり、
最近は学生たちの姿もよく見るようになりました。

そこに、かつての「ギロッ」は存在しません。

この様な、風通しのよい交流を続けていけば、
いずれ部落問題は解決すると信じております。
ただし、部落民のアイデンティティを忘れることなく、
堂々と部落民を公言する。
それでも、何ら差別されることのない、
《部落=フツー》の関係であるのは言うまでもありません。


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