~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2014年11月6日木曜日

川の向こう側【生立ち編-32】

当時、私が通っていた高校では、
部活動が必須になっておりまして、
どこかの部活動に所属しなければ、
進級できない仕組みになっておりました。

元々運動系は嫌いではなかったので、
私は、某運動部に所属することにしました。

まぁ、運動は好きと言っても、
強制されるのはあまり好きじゃなかったので、
数日に一度の割合でしか参加していなかったのですが・・・。

高校は、街中にありましたのでとても校庭が狭く、
放課後の校庭は、沢山の部活動で半ば取り合いになっていましたが、
私の所属していた運動部は、
そんなに真剣に部活動に打ち込んでいるわけではないので、
近くの公園や河川敷など、もっぱら校外へ出かけることが多かったです。

「キンコ~ン」と終業のベルが鳴ると、
まず、部室へ集まります。
私達の部では、先輩後輩・男女合わせて10名程の、
運動部中最小人数の部員でこじんまりと活動していましたので、
練習スケジュールもありません。

「今日は、何しよっか~?」
「昨日は、公園で野球したしなぁ、今日は走りに行くか?」
「そうやな。走りに行こ!」
と言う具合でした。
だから、強制的な他の部活動よりも所属しやすかったです。


ちなみに「公園で野球」と書きましたが、野球部ではありません。
部活の時間に遊びで野球をするのです。
もちろん、顧問も練習には参加しませんので、
なんだか、今思い出してみたら、
大学のサークルのようなノリだったのでしょうね。

そんななかでも、K川の河川敷でよく走りました。
学校から川まで走って行って河川敷で柔軟体操や
腕立てをして更に又、河川敷を走ります。

何だか走ってばかりですが、
練習メニュー自体がないので、
走ることぐらいしかすることがないのでした。

ある日のことでした。
いつものように、河川敷を走り疲れて休憩していると、
同級生のCが・・・

C「シンちゃん(私の名)。あそこ知ってるか?」と
川の向こう側の団地を指さしました。

私「ん?どないしたんや?」
(私は、その団地のことを知っていましたが、
何だか意味深だったので、あえて知らん振りしてみました)


C「俺なぁ、子供の時、あそこの近くに住んでたんや。
  ほんでなぁ、友達やらと公園で遊んでたらな、
  俺と同じ年の女の子達と知り合いになったんや」

私「・・・」

C「ほんでなぁ、何回も公園で遊んでるうちなぁ、
その中の一人の娘を好きになったんや。Mちゃんって言うのやけどな」

私「ほんまかいなぁ、そりゃええがなー」

C「それが、ええことあらへんかったんや。俺なぁ、Mちゃんを好きになったし、
友達と2人で、あの団地の中のMちゃんの家を探しに行ったんや。
それでなぁ、団地の中に入ったところでな、俺らより小さい子供らが
10人位で固まってたんや。」

私(相づち)

C「ほんならな、俺ら見た途端、バッーと走ってきてなぁ・・・
「お前ら!どこのもんじゃ!」
「勝手に入って来るな!」
「お前ら!やったろか!」 ・・・なんて、
すごい剣幕で俺らを囲んで言うてきよったんや」

私「ほんまかいな!」

C「ほんでな、俺ら2人やろ。怖くなってなぁ。
取り敢えず謝ったんやけど、中々許してくれんのや。
それからも、いろいろ言われてなぁ。
謝りまくって、やっと帰してもらったんや」

私「それは、大変やったなぁ」

C「ほんまや。ほんでな、家帰ってから、オカンにその事言うたんや。
  ほな、オカンがな・・・」

オカン「あんた!アホちゃうか!あそこは・・・川の向こう側は
     近寄ったらあかん言うてるやないの!
     おそこはなぁ、“部落”言うて怖いとこなんやで!
     そやからな、絶対に近寄ったらあかんし、一緒に遊んでもあかん!」

C「シンちゃん・・・。俺のオカンなぁ、そう言うたんや。
 そやし、それからな、Mちゃんに公園で会った時に、
 “俺のオカンが、Mちゃんと遊んだらアカン言うてるし。
  そやし、もうMちゃんと遊ばれへんねん”って半べそかいて言うたんや。
  その時はホンマに好きやったし、
  なんでオカンが、そんなに怒るのかわからんかったけど・・・」

私「そうか。そんなことがあったんか」

C「それがなぁ、Mちゃんな、目に涙ためながら、こう言うたんや」

M「なんで、C君もそんなん言うの?
  なんで・・・。なんで、みんな私にそんなこと言うの?」

C「え!?みんなって?・・・。
みんなMちゃんと遊んだらアカン言ってるの?・・・。
でも、ごめん。オカンが絶対あかん言うてるし」

_____________________


私「・・・」

C「それで、次の日になぁ、Mちゃんのお父さんがウチに怒鳴りこんできたんやがな。
  なんや、公園で他の子に俺ん家聞いたらしくて。
  エライ剣幕やって、物凄く怖かってなぁ、
  オレ、部屋からよう出んかったんけど、
  オトンとオカンが必死で謝っとってなぁ・・・」

私「え!?ホンマに?」


C「その後、俺なぁ、引っ越して今の家に住んでるやろ、
  そやし、それ以来、Mちゃんに会ってへんねんけど、
  今でも、あの団地見たらその時のこと思い出してなぁ。
  ホンマに見たく無いんや・・・。

今なら、私もはっきりと、
「C。それはちがうで。それはな、Cとオカンが部落の事、
何にも知らんと “部落”や言うて差別したからや!
Mちゃんもそうやけど、部落の人はたまたま部落に生まれただけや。
そもそも、“部落”やからって差別される理由は何一つないんやで!」

と、はっきり言えるのですが、その頃の私は、多くの差別者の方々と同じく、
部落に対してしっかりとした知識も無いまま、
周りからの影響だけで部落を忌み嫌う、
紛れも無い部落差別者でありましたので、
次の様に答えまてしまいました。


私「そやで、C。・・・あそこはなぁ、近寄ったら怖い目に会うで!!
  実は、俺も中学の時、校区に部落があってな、
  部落の子も何人か通っとったんや。
  ほんでな、あるとき、俺も部落の同級生とトラブルを起こしたんや。
  それからは、部落の子とは表面的に付き合うてたけど、
  心の中では、今でも部落とは関わりたくないんや」

C「ホンマかいな!シンちゃんも部落とトラブったんか!?
  そうか、ほな、あの団地も部落って知ってたんや。
  ・・・ホンマ、部落のモンは怖いで。」

_________________________

2人して眺める「川の向こう側」。
沈む夕日に照らされて、中層の団地を・・・
いや、部落を一層際立たせます。
幾棟にも重なる定型で個性のない改良住宅にあって、 
屋上についたTVアンテナや給水塔だけが、妙に目立って見えました。

でも、その給水塔の下には沢山の“暮らし”があります。
時に笑い、時に喜び、時に怒る。
そして、なによりも、我々部落外の者には決して分からない、
悲しみや悔しさが、幾度となくあったことでしょう。
  
Mちゃんのその後は、今となっては誰もわかりません 。
まだ、川の向こう側の部落に居るのだろうか?
それとも、どこか外で暮らしているのだろうか?
結婚は?子供は?・・・。


勿論、楽しく暮らしていると信じていますが、
私よりも多く、Mちゃんが悲しみ、傷つき、
悔しくて眠れない夜を過ごしたことは間違いありません。
理不尽な差別のせいで・・・。


=追伸=
Mちゃん。
今は私も、君が感じたその“痛み”が、ほんの少しだけどわかります。
部落の女性と結婚し、部落民の血を引く我が子たちと暮らしていく中で、
今でも部落差別があるこの世の中を嘆き、憂います。

でも、嘆いてばかりはいられません。
差別する側・される側、互いの理解と努力
によって差別が無くなることが、私にはわかったからです。

将来、きっと部落差別は解消されることでしょう。
でも、その「将来」が少しでも早く来るために、
私は、今日もこうしてブログを書き続けます。                        

出会った事がない「川の向こう側」のMちゃんへ。
                             シンジより



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11 件のコメント:

kaori さんのコメント...

s sugiさん、(とお呼びしていいのでしょうか?)
はじめまして。kaoriと申します。
東北に住んでいて、1969年生まれなのでsugiさんとは同世代です。

私の住む地域にも被差別部落はあったのでしょうが、現在では、どこがそうだったのかも解らないし、差別も無くなっていると思います。
(私が知らないだけかもしれませんが)
同和教育というものもありませんでした。

歴史の教科書に「部落差別は現在も残っている」と書かれてあっても、全く実感出来ませんでした。

大人なって、少しずつ本やテレビなどで差別を見聞きして、実際に差別があることを知りショックを受けたし、
日本に差別が無いと思い込んでいた無知な自分を恥ずかしく思いました。

差別は嫌だし、世の中から無くなって欲しい。

sugiさんの「昔は部落差別者だった」というお話を読んで、すごく正直な方なんだなぁと思い、安心してブログを読ませて頂いてます。

支離滅裂なコメントで申し訳ありませんが、続きを読むのを楽しみに(って言っていいのか?)お待ちしてます。

s sugi さんのコメント...

kaoriさん。
コメント&応援、ありがとうございますm(_ _)m

kaoriさんとは同い年ですね。

kaoriさんご指摘のように、
東北にも被差別部落は存在するのですが、
規模が小さく、同和地区として指定されておりません。
なので、kaoriさんも、部落について
「先入観」なく接しておられると思います。

当地は、被差別部落が多く、
子供の頃から、親・近所・知人などか
ら「部落」に関する「差別観」を植え付けられることが多いため、
差別の連鎖が止まらない状況です。

そういう意味では、Kaoriさんの、
“真に差別をなくしていきたい”とのお考えを、文面から強く受けました!

Kaoriさん。
ありがとうございます。
そして、これからも、当ブログをよろしくお願いいたします。
また宜しければ、コメントくださいませ。



匿名 さんのコメント...

 私は貴方とはまったく違う意見で、差別がなくならないのはむしろ同和関係者側に原因があると考えている。特に若い世代においては(当該地域周辺は話が別だとは思うが)同和の存在すら知らない人が多いというのに、差別「される」ことによって生まれる利権を失うことを恐れる関係者が行う教育によって、恥ずべき負の歴史が受け継がれていく。(言うまでもないことだが、さきの刺青問題などインパクトの大きい公務員の不祥事などに加え、その利権に対する妬みも同和差別の主因である。)人間は心の弱い生き物であるからそれは理解できないということでは決してないが、もし真の意味での解放=同和地区を特別な地域として誰も意識しないようになること、を本気で望むのであれば、同和教育(普通の道徳教育で、差別心や偏見を持たないという人間としての基本的な在り方を説けばいいではないか)や同和利権なるものを即刻撤廃し、周囲の地区とまったく変わらない生活をするということこそが1番の近道なのではないのかと考えるが、如何だろうか。

匿名 さんのコメント...

追伸:誤解のなきよう念の為記載しておくが、私はあらゆる差別、区別、利権(逆差別)には断固反対である。

大川原英智 さんのコメント...

部落差別は部落の人たちの問題ではなく、部落外の人たちの問題です。

僕も10年ほど前まで、部落は怖いところで、差別の原因は部落にあると考えていました。でもこれは間違っていたと気づきました。

それは、実際に部落の人々と付き合った上での結論です。

部落の人々にこの差別の原因を求めては、差別を正当化してしまいます。

部落の内外を問わず、さまざまな人がいます。時には対立や喧嘩もあります。

差別はそれとは別です。自分自身の差別心が、部落差別の理由づけをしていたのですね。

僕が付き合っている部落の人たちには、温かい人がたくさんいますよ。

匿名 さんのコメント...

おそらく、私と貴方のこの問題に関する考え方の根本が異なっているので、私のコメントを読んでいて不快に感じた部分も多かったであろうが、返事をいただけたことにお礼を申し上げます。


 まず誤解しないでいただきたいのだが、私も地区内に温かい人がたくさんいることなどもちろん承知しているし、また、友人も含む同和地区の多数の人々と付き合った上での結論で書いている。私自身は上に書いたようにあらゆる差別、逆差別には断固反対で1日も早い根絶を願っている。差別の正当化などと言われるのは心外である。

 私にも、書いた通りいわゆる同和地区出身の友人は何人もいるが、彼らの中には大きな会社の役職に就いている人間もいるし、地区外の人間と結婚して家庭を持っている者も多い。今の時代、出身地のみによって就職時や結婚時に差別されることなど殆どないはずだ。
 では、彼らと、「差別される」人間の違いは何か。その主たる要因は、上述したような社会的に理不尽な優遇、つまり逆差別の存在だ。言うまでもなく、私の友人たちはそれらの一切を放棄している。
貴方の仰る通り、同和地区の内外を問わずさまざまな人がいるが、周囲の、現在も地区に留まっている人々を考えてみていただきたい。もちろん地区外の人とまったく変わらない生活を営んでいる人も多いが、例を挙げれば税金面で、或いは住宅面など多少なりとも優遇を受けている人間の割合は地区外とは比較にならないほど大きいのが現実だ。
今まで差別されて苦しんできたのだから優遇を受けるのは当然だと特権階級意識を振りかざしながら、差別をするななどというのは筋の通っていないお子様の理論そのもので実に滑稽な話である。
 加えて、暴力団関係者との付き合い(地区内の逮捕者を鑑みれば、地区外と比して暴力団絡みの割合の高さは明らかだし、暴力団事務所の数そのものも明らかに多い。)や、これは同和地区の人間というより行政の責任のほうが大きいのだが、まるで治外法権地域のような違法路上駐車の多さ(貴方は改善されたと仰っていたが、現実はさほど変わっていない。ストリートビューなどで当該地区の様子を見れば、地区外との明らかな違いが理解できるだろう。)と言ったネガティブな要素も多数ある。これでは、人間の心理として区別するなというのは土台無理な話ではないか。
 理不尽な優遇を受けている、違法事案が見逃される、暴力団との付き合いがあると言ったことはもちろん地区外であっても蔑視される。不幸なことに同和地区ではその割合が地区外と比較して圧倒的に高いと言うだけの話なのである。しかし、地区内の人々の責任は一切ないと言い切れるのだろうか。

 長くなってしまったが、これは同和地区内外双方の問題だということを理解することが必要である。こういった現状を打破するには、やはり恩恵を受けている側の人間から、周囲と同じ生活をする努力を始めなければならないと考える。はじめから差別「する」側の意識改革を望んでも、その対象の内実が変わらないのであれば見せかけのものになってしまうのが関の山だからだ。

 私の知る限り、貴方がたを代表するはずの団体は、現在は利権の確保に終始し、地区外の人々の偏見をさらに大きくしてしまっている感がある。これでは貴方のように真っ当な心で差別を撤廃したいと考えている地区の人々が浮かばれないし、故・松本治一郎氏もさぞ嘆いておられることだろう。

 
 



 

 

s sugi さんのコメント...


当ブログに沢山のコメントを頂きありがとうございます。

また、いろいろな意見をお聞かせ頂き、大変感謝しております。

部落問題についての考え方というのは
千差万別ですが、
このブログをお読みいただき、そしてコメントをしていただける方々・・・
Kaoriさん、匿名さん、大川原先生、そして、私。


考え方は違えども、
皆、差別には断固反対と言うお考え、
大変ありがたく存じます。

運動団体・同和利権等の問題については、
非常に重要な項目でありますので、
時期が来れば、私自身の見解と考えも、当ブログでも取り上げなければならないと考えております。

皆様から頂いたコメント・ご意見に関しては、
当方も熟読し、今後のブログ運営の
参考にさせて頂きます。

貴重なご意見ありがとうございますm(_ _)m

s.sugimura

匿名 さんのコメント...

初めまして。
47歳、関西で自動車販売業に長年携わっているものです。

直接この場に書き込むことを躊躇しております。

ssugiさんへ直接メーッセジとして贈る手段はございませんか?

s sugi さんのコメント...

関西の匿名さん
こんばんは。
コメントありがとうございます。

当方への直接メールは、
ブログタイトル下のメールフォーム
をお使いください。

ただし、コメント内容によってはお返事に時間がかかる場合がありますので
、予めご了承ください。

コメントに関しては、一般公開は致しませんが、不適切なコメントは削除させていただく場合があります。

どうぞ、よろしくお願い致します。

KIRIN さんのコメント...

匿名からKIRINに改名しました。
二度目の投稿です。
皆様のコメントを拝見させて頂いて、どなたの意見も私には納得出来る内容です。

まだまだ特権階級意識を振りかざす人間も沢山存在すると思いますし、逆にそうでない心の温かい人々もまた沢山存在する中で、同和地区外の人間が差別を無くそうと立ち上がっても、利権を振りかざす意識が無くならない限り、差別は無くならないのではないか、と私は思います。
まだ記憶に新しい、滋賀の男児鎖監禁事件、西宮の不審火放火事件、神戸女児バラバラ殺人事件(犯人は九州出身ですが)などなど、どれも被差別部落地域における
事件です。(もちろん被差別部落地区外の事件も沢山あります) しかしそのような事件が起こる事で、「やっぱりあそこか…」と周囲は感じ、真面目に生活してる人もその巻き添えをくってしまいます。それに嫌気がさせば真面目に生活してる人々は村を出る選択肢しかありません。そしてそこに残る物は…差別意識の塊です。

被差別部落地区外の人間が立ち上がり、被差別部落地区の人々の根底を変えていく事が、差別をなくす為に必要ではないかと思います。

s sugi さんのコメント...

KIRINさん
こんばんは。
改名ありがとうございます!

ただ、誠に申し訳ございませんが、
当ブログのコメント主の方は、
「匿名さん」が多くて、どのコメントを頂いた「匿名さん」かわかりません。
(スイマセンm(_ _)m)

可能であれば、どのコメントを頂いた
「匿名さん」か教えていただけたらありがたいです!

さて、こんにち、多種多様の犯罪が
毎日のように新聞を賑わせております。
しかも、非常に残忍かつ、凶悪な事件が多いですね。

KIRINさんがおっしゃっるように、
被差別部落以外で起こる事件のほうが
圧倒的に多いのに、
部落で起こった事件だけが、
世間的にクローズアップされるのであれば、誠に悲しいことです。

ただ、だからといって住み慣れた土地を離れるのは非常に困難を伴います。
又、確かに、若い方の多くは、
部落を離れて暮らしている方が多く、
その為に、部落内はかなりの高齢化が進んでいます。

年老いた方々は、体力的にも、経済的にも今から外へ出て暮らすことは難しく、更に、差別と苦労の連続だった人生から解放され、
ゆっくりと生まれた土地で余生を過ごしたいと思うのは、差別経験がない部落外の方々とて同じではないでしょうか。

私個人の考えとしては、「場所を変える」のではなく、
部落民と地区外民双方の理解と努力で「意識を変える」事かと思っております。

しかし、方法論は違えども、
KIRINさんも差別解消に真摯にお考えになっておられるのは、
非常にありがたい限りです。