~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2017年2月17日金曜日

鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章2&生立ち編-39


前回は、私の住まいが、
被差別部落であることを書いてみました。

それと同時に、私に関する「被差別部落との縁」に
ついても書いてみました。

ホント、つくづく思います。
私って、「部落に縁があるのだな~」って。

なぜなら、ここが、部落って知らずに、
家を買ったからなんです。

何かに引き寄せられて、
被差別部落に住むようになったんだと思います。
繰り返しになりますが、それが縁なのですね。

今日は、そのあたりを中心に書いてみたいと思います。


■わからなかった被差別部落

私が、家を購入した理由は前回書いたが、
この物件にしたのは、
一言で言えば「惚れた」からであった。

一軒目の融資が、担保価値が無いと言う理由のもとに、
融資が通らず契約破棄になったのに対し、
現在の住まいの物件に関しては、
文句なしの一発融資だったことも、
大きな要因であった。
買う気はあっても、融資が通らにゃ話しにならない。

しかし、分からなかった。
ずっ~っとわからなかった。
住んでからも10年間もわからなかった。
まったく、そんな素振りも、この地区は見せなかった。
分かったのは、今から7年程前。
本当につい最近だ。
部落研究を語っていても、まったく恥ずかしい限りであるが、
でも、それ程までにわからなかったのだ。

ここが、被差別部落であることを・・・

購入当時、今から17年前のことであるが、
その頃は、もう既に私は、部落差別者から足を洗い、
逆に、部落差別反対者になっており、
スタンス的には、今と全く変わらない立ち位置であった。

だから、部落に住むことを何とも思っていない。
と、いうか、素晴らしいことだとさえ感じている。

なぜなら、毎日が「被差別部落の暮らし」なのであるから。

もちろん、そのころから、部落研究も行っていたし、
市内の同和地区は、全て頭に入っていた。

でも、わからなかったのだ。
市内全ての同和地区は頭に入っていたはずなのに・・・

全ての同和地区は。。。


全ての同和地区。。。


同和地区。。。


ん!?同和地区!?

被差別部落だけど、同和地区じゃない?


そう、ここは、未指定地区なのだった。


■同和地区と未指定地区

このブログをご覧の方なら、既に承知の事柄かもしれないが、
被差別部落は、行政によって2つの形に別けられている。
別けられていると言っても、国や地方公共団体が、
同和関連の法律を施行するのに、
「便宜上別けただけ」の話であって、
現実には、何れも被差別部落であることには変わりない。

これらの用語は、行政用語であることを
ご承知のうえでお読みいただきたい。

同和地区というのは、国或いは、地方公共団体に
同和地区指定された被差別部落であって、
地区指定部落ともいう。

多くは、住環境をはじめとする生活改善、
所謂、同和施策を受けるために、
住民(運動団体)の意志により同和地区化の方向へ進んでいったが、
中には、何らかの理由により、
地区指定を受けなかった被差別部落がある。

それらの地区は、行政用語では、
未指定地区・未指定部落と言い、
国や地方公共団体の一切の補助を放棄、
若しくは、放棄しなければならなかった被差別部落で、
現在は、全国で1000箇所ほどあると言われている。

私の住んでいるような、都市圏の未指定地区の場合、
旧隣保館や浴場などの、
所謂「同和モニュメント」が一切なく、
部落外の人々も多数流入して混住化が進んでおり、
もはや、被差別部落の面影は殆ど無く、
一般地区化していると言っても過言ではない。

翻って、住環境の改善を目指して数々の
同和モニュメントを擁した同和地区では、
皮肉にも、それらの公共施設が仇となり、
現在でも、差別解消どころか、
逆に差別を受けるランドマークとなっているのは、
いくらなんでも、皮肉な話である。

つまり、パッと見てわかる部落と、
パット見、わからない部落が存在するわけだ。

ついでに言うと、同和問題=部落問題と思われているフシがあるが、
同和問題は、同和地区にのみ限定される問題であって、
差別云々を問題視するというのであれば、
未指定地区を含む表現である『部落問題』を使うのが正しい。

■見えなくなった部落
~都市型未指定地区~

繰り返すが、私は、この地へ引越してから、
約10年の間、ここが被差別部落であることが、
全くわからなかった。

繰り返しになるが、すでに、その頃にも、
被差別部落の研究も細々とではあるがおこなっていたし、
近隣地域の同和地区へは、
実際にフィールドワークへ出かけ、
目で見て、足で歩いて学んでいた。

恥ずかしながら、それでもわからなかったのだ。
駅から4分で、人通りも多く、
全く一般地区と変わらない。
私が越してきた時は、わずかに田畑が見られたが、
年々、それを埋め立て、新しい暮らしが始まる。

興味本位の部落ウオッチャーが喜びそうな廃墟や、
バラックなども一件もない。
至って普通の地区である。

ただ、今となっては、
一部、道がやけに細く、袋小路になっている所や、
隣近所の地域には無い、とても立派な公民館が有ること、
(現在は公民館と記載があるこの建物も、
昔の住宅地図を見ると、○○市福祉会館と記載されている。
この市で福祉会館といえば、同和地区にしか無い。)
又、根拠が無いが、私には、感じるものがあった・・・
地区の寺が、なんとなく他の部落にありがちな雰囲気を醸し出していたこと。

これら、幾つかの、「部落であろう」ヒントがあったことは事実である。

地域の古老の話によると、5~60年前までは、
50世帯ほどの部落であったということだ。
都市といえども、周りは田んぼだった時代である。

それが、現在では400世帯にまで膨らんでいる。
半世紀の間に、8倍に膨れ上がったわけであるが、
その殆どが、田畑を埋め立て、
宅地化されたこの部落へやってきた、
部落外の人々である。

概ね、都市部の未指定地区はこのような状況になっている。

少なくとも、私が把握している限り、
当市には5~6箇所の未指定地区があるが、
何れも、現在は、同じように「一般地区化」していると言っても過言ではない。

結論から言うと、都市型の未指定地区の場合は、
概ね、“解放された”と言っていいと思われる。

それは、元の地区住民(部落民)の数よりも、
流入民がはるかに上回り、かなりの混住化が進んでいる事。

また、同和地区に見られるような、
改良住宅、隣保館や人権センター、浴場、福祉施設など、
所謂、同和モニュメントが見られない事。

もちろん、同和施策を受けていないので、
行政の例規集などにもその存在は上がってこない事。

そして、何よりも、被差別部落としての存在を知るもの(高齢者)が、
時代と共に少なくなり、又、何れ居なくなってしまう、
つまり、被差別部落であった事実が葬り去られるであろう事。

このような理由が挙げられるのではないだろうか。

=================

今回、「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章2&生立ち編-39」
と題して、未指定地区について解説してきましたが、
実は、これまでに書き続けていた文章が、
何故か忽然と消えてしまったのです。

最後に記事を書いた後も、キチッと保存して作業を終了しましたが、
サーバーの関係なのか、或いは回線事情か、
全くわからないのですが、とにかく文章が消えてしましました。

そこで、記憶を頼りに復旧作業を試みて書いておりますが、
最初の文章の出来が良かった為か、
納得のいく文章が書けていないような気がしてやみません。

記憶というものは曖昧で、中々、
当初通りの復元というわけには行かないのが実情です。

又、以下にも、このテーマで続く文章がありまして、
農漁山村の未指定地区の実情や、
地区指定を受けなかった理由、
そして、どのようにして、
此処が被差別部落と分かったのか・・・
それらを、執筆しておりましたが、
前途の通り、消滅し、
もう、悔しいやら泣きたいやら。

また、もう一度、書かねばならないと言う疲労感に潰されそうですが、
しっかりと、書いて、皆様に読んでいただきたい所存です。

と、言うわけで、本日はここまでで、
一度公開させていただきます。

これからも、被差別部落の暮らしをよろしくお願いします。

スギムラシンジ

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5 件のコメント:

御朱印マニア さんのコメント...

部落にありがちな雰囲気の寺とはどんな感じなのですか?
霊気が漂ってそうなボロボロの廃寺みたいな感じとか?
寺社巡りが好きなので行ってみたいと思います。

鳥取ループ氏のサイトで全国水平社初代委員長の出身部落が未指定地区と紹介されていますね。
未指定地区の中では最大規模の部落とか。

白ギツネ さんのコメント...

記事の消失、災難でしたね。こちらも気長に応援しているので、のんびりと復元してください。

s sugi さんのコメント...

しろぎつねさん
いつもありがとうございます。

ほんと、災難でしたが、
本日公開した、生立ち編-40は、
消失前より出来が良いと思っています(^O^)
又、ご意見くださいませ。

s sugi さんのコメント...

御朱印マニア さん
はじめまして。

部落の寺は、今は、何処も一様に綺麗ですね。
決して、ボロボロの廃寺のようではありません。

ブログにも書いていますが、
部落の人は、信仰心が強く、
自らの生活費を削って寺に寄贈していましたから・・・。

私が感じたのは、ナント言いますか・・・
フィールドワークしているとわかるのですが、
寺の周りって、案外昔の姿が残っているのですね。

例えば、寺の周りは道が狭いとか、
その割には、寺の前の道が少し開けているとか・・・

ほんと、なんとなくなんですが、
部落の寺っていう雰囲気を感じるのです。

言葉では、うまく表せず、申し訳ないですが。

御朱印マニア さんのコメント...

何となくわかりました。
仏教史や民俗学にも興味があるので部落のお寺や部落の人々の信仰についての記事もお待ちしております。