~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2016年2月10日水曜日

ジブリ・宮﨑駿氏ハンセン病を語る:その1~宮崎氏の記事より

ここの所、新聞記事からの投稿が続きますが、
今回も、非常に興味深い記事を目にしましたので、
皆様にも紹介いたします。

今日のテーマは、『宮﨑駿氏ハンセン病を語る』です。
先ずは、記事をご覧ください。

宮崎駿監督、生への思い 「もののけ姫」ハンセン病患者

 映画監督の宮崎駿さん(75)が28日、
東京都港区で開かれた「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」で講演し、
代表作の一つ「もののけ姫」(1997年公開)の一場面で
ハンセン病患者を描いた経緯について語った。

「もののけ姫」でハンセン病患者描いた 宮崎駿監督語る
 題目は「全生園で出会ったこと」。
宮崎さんは「もののけ姫」の制作中、
自宅から歩いて15分ほどの国立ハンセン病療養所多磨全生園(東村山市)を訪れた。
園内の資料館で、患者の脱走防止策として療養所内で使われていた
ブリキやプラスチック製の「通貨」などの展示を見て衝撃を受けた。
「おろそかに生きてはいけない。
作品を真っ正面からやらなければならない」と思ったという。

 「もののけ姫」にハンセン病患者を思わせる
包帯姿の人々を登場させたのは「業病(ごうびょう)と言われながら
生きた人たちを描かなければ」との思いに駆られたからだったというが、
一方で「(当事者が)どう受け取るのかが恐ろしかった。
映画を見た入所者たちが喜んでくれてよかった」と振り返った。

 療養所に入所する佐川修さんと平沢保治さんが友人として登壇。
2人から「子孫を残さないよう断種された」と苦しんだ体験を聞いた宮崎さんは
「何かの教訓に残ることが大事。病気に生きる苦しさの巨大な記念碑を
ずっと残していけたらいいんじゃないか」と述べ、施設の保存を訴えた。

 全生園の入所者は最大1500人以上だったが、
28日現在で195人に減り、平均年齢は84・5歳と高齢化が進む。
宮崎さんは、隔離の歴史を伝える記念公園として
全生園の施設などの保存を図る「人権の森構想」に協力。
園内の寮の復元のために寄付をしている。(青木美希)

【朝日新聞デジタルより ★ 1月29日付】

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ハンセン病という病気は、ある意味、
現在の被差別部落のルーツ一つと言っても過言のない病気で、
長きに渡り不治の病とされてきました。

そして、国家による強制隔離政策で、
驚くべきことに、つい最近(平成8年)まで、
自由を奪われ、差別的扱いを受けてきました。

ハンセン病については、かねてより、
「いずれ、必ず取り上げなければならない事柄」と考えておりましたが、
今回の宮崎氏の記事から、
この機会に、書いていこうと思っております。

ハンセン病には、まだまだ深い差別の歴史がありますが、
話せば長くなりますので、本日は、記事の紹介ということにして、
続きは次回にしたいと思います。

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