~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2015年11月4日水曜日

私は部落差別者【生立ち編‐35】

このブログでも、何度か書いていますように、
私は、幼少の頃から、高校生の頃まで、
長きに渡って被差別部落を・・・そして、部落民を差別していました。

まだ、“部落”の真の姿を知らず、
周り近所の大人たちの風評や噂話を真に受けていた小学生の頃、
今となっては、全て誤った認識なのですが・・・

・部落は怖い所
・古い家が立ち並び衛生的にも悪く、汚い所
(この頃は、同和地区の本格整備も始まってから数年なので、未着工の地区もあった)
・部落民は穢れている
・部落民と関わってはいけない
・他の人からいじめられる存在
・嫌われ者
・ヨッツなどの差別語や仕草
 etc・・・

そして、同和地区を校区に含む中学校に入ると、
同和地区の同級生達と机を並べることになり、
実際に部落民との学校生活から、部落以外の同級生達から、
また、本来部落差別をなくすために
施される『同和教育』ですら、私の中の差別意識を
増長させるのに大きな影響を与えました。
(現在、どのような同和(人権)教育が行われているかはわかりませんが)
この頃になると、年齢的にも、
より多くの情報知識を理解できるようになり、
より複雑な差別意識を持つようになります。

ただ、同じ学校で、同級生や先輩後輩たちが実際に居るわけで、
あからさまにその態度を出すことは勿論しません。

表面上では、部落差別者であることを出さず、
それ相応に付き合い、部落に対する差別は、
あくまで、私の心の中での思いであって、
今考えれば、まさしく典型的な部落差別者というべき以外の
言葉がありません。

先程も言いましたように、部落外の同級生達も
同じような付き合い方だったと思います。
それが証拠に、やはり、いろいろな場面で、
“噂”をすることがあったからです。

・社会からの阻害者
・血が濃くて、部落独特の顔つきがある
・性への芽生えが早い
・穢れているので触れてはいけない、触れられたくない
・穢多(同和教育からの受け売り言葉)
・部落民は恋愛対象外
・部落民とモメてはいけない
・部落民は集団意識が強い
・教師達ですら気を使う特別な存在
・ヤクザが多い
・ヤクザの息子が多い
・部落民だけの特別教室や、無償の補習授業がある
etc・・・


全く勝手な話ですが、自分の叔母やいとこには、
なんの差別意識も感情もなく、その他一般の被差別部落に対しては、
このような差別意識を持っていたのです。

これが、高校生になると、被差別部落観も形を変え、
より複雑な意識へと変わっていきます。
また、行動範囲もかなり広くなり、
中学校区にあった部落以外の周辺部落を目にする機会が増えました。

・同和地区は、特別な場所
・前は通れるが、中に入ることが憚られる所
・同和地区・部落民は優遇されている
・家賃も安く、補助金も沢山もらっている
・公務員への就職も有利らしい
・部落民との結婚は反対が多い
・落書き等の差別事件が多い
・同和地区前にデカデカと掲げられた攻撃的なスローガン
etc・・・

この頃は、それまでの差別感に加え、
所謂、『逆差別』意識が芽生えてきます。

それと、平行して、興味本位としての、
部落に対する関心も日に日に増していきました。
成績は悪かったですが、その中でも“社会”が
好きだったせいもあるのでしょう。

色々な地区へ行ってみたり、
河川に立ち並ぶバラックを見に行ったりと、
ホント興味本位からでしたが、
徐々に、部落やその他の差別からの、
意識転換を予期する行動も多くなってきたように思います。

先程も書きましたが、私には血が繋がった部落民の従兄弟がいます。
父親のお兄さん、つまり叔父の奥さん(私にとっては叔母ですね)が、
被差別部落出身者でしたから。

でも、その従兄弟や叔母には、
なんの差別感情もいだかなかったことも
先に述べたとおりです。

それと、続・部落を知らない差別主義者【生立ち編-5】でも書いている、
隣家のお嫁さんも部落出身者でしたが、
そのような感情は持ち得ず、むしろ、「優しいお姉さん」と言う認識でした。

このようなことから見ても、私にとっての部落差別は、
被差別部落と、そこに住む部落民に対してのものだったのかもしれません。
今考えると、一旦、部落を出て、身近な存在になると、
案外許容していたようです。

それは、やはり、自分の叔母やいとこが部落民であるということもありますが、
それ以上に、私が、このような差別者であった『真の理由』にも
大きく関係しているのかもしれません。

それは、その頃には曖昧でわかりにくかった“理由”ですが、
今では、はっきりとその“理由”はわかっています。

その“理由”とは・・・

それは、次回に書くことといたしましょう。

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