~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2018年4月19日木曜日

被差別部落と六曜~叔父の死から見る~

4月8日の早朝、叔父が亡くなりました。
義母の姉の旦那さんなので、私と妻双方、
血の繋がりがない三等身姻族の叔父です。

亡くなられる数週間前に、何度か「危ない」と言う話を
妻から聞いていましたが、前日の土曜日の晩、
仕事帰りの妻からの電話で「いよいよ」と言う連絡を受けました。
死因は肺炎からの多臓器不全。
68歳という若さでした。

義母と同じ部落内に伯父伯母は住んでいるので、
毎年、正月には挨拶に伺っていましたが、
今年は妻からキツく「行ったらアカン!!」と
釘を差されて行くことが出来ませんでした。

なんでも、酔っ払った私は相当騒ぐらしく、
迷惑がかかるからだとか。
酔っていなくても普段から騒がしい私としては、
そんなに自覚がないのですが、酔うと一層拍車がかかるそうです。

「正月ぐらいはいいやないか!!」

そんなこんなで、今年の正月には、
まだ元気だった叔父の元へ、挨拶に行けなかったことが悔やまれます。

さて、我が国には、冠婚葬祭に六曜を重んじる風習があります。
六曜・・・つまり大安・仏滅などですね。

叔父が亡くなったのが4月8日の日曜日。
赤口でした。
法律では、失くなってから24時間は火葬できないので、
葬儀としては、9日の月曜日以降ということになります。

ここで、周辺の六曜を記しておきます。
4月8日 赤口 何事も良くない日。正午から前後1時間は吉とされる。
  9日 先勝 午前は吉。午後からは凶。
 10日 友引 友を引くとして、葬儀は行われない。
 11日 先負 午前は凶。午後は吉。
 12日 仏滅 一日通して凶の日。仏事には向く日。
 13日 大安 何事にもいいが、仏事は行われない。

以上のような暦から、10日の友引を避け、
11日の先負に葬儀と言う日程で行われました。
つまり、日本古来の風習である六曜を重んじた日程となったのです。

ところが、一方で、六曜は差別につながるとして、
廃止する動きも見られます。

部落解放同盟は、かねてより「六曜は迷信で、差別につながる悪習」として、
六曜を排除する方針を打ち出していますし、調べてみると、
明治政府も六曜を禁止する方針だったとか。

古来から我が国に伝わる風習がナゼ差別につながるのか?
それには、こんな訳があります。

「六曜は、ハレやケを暦に記したもの。
ケガレを記すことが差別につながる。」

「鎌倉辺りに中国から伝来した六曜が現在のカタチに落ち着いたのは、
江戸時代になってから。比較的歴史が浅く、迷信である。」
と言うのが主な理由のようです。

かつては、役所が配布する手帳や暦に六曜が記載されていたのですが、
部落解放同盟の糾弾によって、今ではどの自治体も、
配布物には六曜の記載はありません。
この様な経緯から、近年では、六曜を記載していないカレンダーも
増えてきました。

「それじゃあ、部落の人は全員、六曜を否定するのか?」

答えは「否」です。

叔父の葬儀の例を見てもわかるように、
部落民だから六曜を否定すると言うことは決してありませんし、
むしろ、六曜を重んじています。

一般的に、部落解放同盟の主義主張が部落民の総意と
思われているフシもありますが、決してそうではありません。
確かに。部落解放同盟は、運動団体としては最大規模を誇っていますが、
解放運動全盛で『猫も杓子も解放同盟』と言う時代から見ると、
現在は部落内でもマイノリティです。

そのような訳で、コアな解放同盟員は六曜廃止主義でしょうが、
あまり運動に積極的じゃない解放同盟員の中には、
“迷信”とされている、六曜を重んじる方々は多いんじゃないかと思われます。

こう書くと、「運動に積極的じゃない同盟員が居るのか?」
ということになってしまいますが、事実、それは有るでしょうね。

私の義母は、遠縁が支部長をやっていたため、
付き合い的に入っていましたし、周りがやっていたから
「なんとなく」ってのはあったと思います。

また、『過密で、新しい住居が必要になった際に、
同盟員には優先で部屋をあてがわれる』などのメリットもありました。

特に近畿地方では、過去に同和枠として公務員の優遇採用がありましたが、
その絶対条件として、同盟員や旧全解連などの運動団体に
所属していることが挙げられます。

又、これは同和利権に当たるので、批判に値する事例ですが、
税金の優遇措置を受けるために同盟員になるケースも有りました。

あの手この手で、同盟員の獲得拡大に努めいて来た解放同盟ですが、
このように書くと、まるで『悪の団体』であるかのようです。

しかし、解放同盟を始めとする各運動団体が、
差別の解消に邁進し、部落改善に大きな働きをしてきたことは事実ですし、
多いに評価されるべきだと考えます。

ただ、再度言いますが、”利権”に関しては、これを完全否定するもので、
部落解放運動に於ける汚点で有ることに間違いはありません。

明治4年の解放令が出てから、約150年と言う歳月が流れました。
しかし、ナゼ今も差別が残るのか?
水平社や部落解放同盟と言った運動団体がナゼ必要であったのか?
また、今日のテーマである『被差別部落と六曜』について、
ナゼ書く必要があったのか?

叔父の死~葬儀を見て、
今一度、考えさせられる今回の出来事でした。

1 件のコメント:

つむじ さんのコメント...

はじめまして。
記事、とても面白く読ませていただいております。

小学校低学年の頃「カムイ伝」で「穢多」「非人」のことを知り、それまで全く知らなかった、「ソトの世界」が存在する事に衝撃を受け、どんな生活なのだろう?と、とても興味を持ちました。
学校での同和教育がさかんな頃だったので、高学年になると、簡単にまとめられた歴史・成り立ちや現代に残っている部落差別について教わる機会も多かったのですが、毎回同じ「差別はいけないと思いました」の感想文を書いて終わるパターンで、「差別」の結果どのような生活や文化ができたのかなど具体的な事については全く触れられませんでした。 そういったことに「興味がある」などと言うのはとても不謹慎だ、という雰囲気があったと思います。
近代以前も、近代以後も、住居や地域や道路やあらゆることで隔絶され続けてきた長い長い歴史があるなら、それぞれの部落には、きっと、独自の習慣や昔話や宗教的な行事があるんだろう。関西の大学に進学して、そうであった地域を実際に知ったり「油かす」など部落のグルメ文化の一端に触れる機会があると、やっぱり!と一人密かに興奮しました。
独自の文化の背景にあるのが凄惨な差別の歴史である以上、気軽に「部落」の特殊性を面白がるのは確かに不謹慎だと思います。かと言って、小学校の頃の同和授業の時のように悲惨な歴史だけに目を向けて、その部落にきっとあるだろう「楽しい文化」「美味しいメニュー」などに全く触れないというのは、「差別はいけない」と言いながらも、部落を「ケ」に閉じ込めていることなのではないか、とずっと思ってきました。

こちらのブログは、「部落 生活」とかで検索していた時に発見しました。「へー!」と言いながら、本当に面白く読ませていただいております。
記事を楽しみに致しておりますので、これからも続けてくだされば嬉しく思います。

(感想コメントを書くことなど多分初めてのことで、やたらと長くなってしまい失礼いたしました)