世界的に見ても、間違った認識や偏見から、差別や畏怖の対象と
されてきました。
その歴史は相当古く、日本書紀『推古天皇』の項には、
既に「らい」の記述が見られます。
おそらく、有史以来、世界各国でも差別の対象になっていたことは
間違いありません。
日本国内でも、その病史を紐解けば、
既に、聖徳太子の時代に建立された「悲田院」の周りに、
癩者をはじめとした、非人のルーツに繋がる人々が生活しておりました。
癩病が恐れられた原因の一つが、その病変で、
癩病にかかると、神経の麻痺や皮膚のただれや壊疽などで、
顔や身体の至る所が変形ないし、損失し、
健常者とは大きく風貌が変わることから、
「業病」と呼ばれ、恐れられてきました。
医療が確立していない太古の時代
『“業病”は、前世の悪事で起こる病気』と長く信じられており、
その考えは、世間のみならず、患者自身も同じような認識でした。
又、同時に癩病は、後世に繋がる遺伝病であると考えられてきました。
そのため、癩者は輪廻転生・因果応報と自身を恨み、
仏教にすがる事で、この現状を打破しようとする動きが見られましたが、
実は、癩病(=ハンセン病)はらい菌による感染性の伝染病で、
西洋医学会では、既に1873年(明治6年)に、
ハンセン氏がらい菌を発見しており、
癩病は細菌性の病であるということがわかっています。
なおかつ、伝染病であっても、らい菌の感染力は極めて弱く、
仮にらい菌を取り込むようなことがあっても、
その免疫力で、ほとんど感染に至ることはないそうです。
しかし、日本では、まだまだ上記のような考えが主流を占めていたわけです。
私が以前読んだ、元ハンセン病患者「近藤宏一」氏の著書“闇を光に”の中には、
驚くなかれ、そのような考え方が昭和に入ってからも、
世間一般の認識であったことが書かれています。
ただ、感染力が弱く、発症しにくい病気であっても、
ひと度発症してしまえば、治癒が困難で、
非常に厄介な病気であることに間違いはありませんでした。
医学の進歩とともに、ハンセン病治療の研究が重ねられ、
やっとのこと1943年に、癩病治療薬「プロミン」が開発され、
癩病は不治の病から、治る病気へと劇的な変化を遂げました。
我が国でも1947年には、それまで主流であった
植物由来の「タイフウシユ」と言う、大して効き目のない薬に変わり、
プロミンの治験が始まりました。
しかし、その間、国をあげて、悲惨極まりない『差別施策』が取られてきたのです。
例えば、明治40年には、“らい予防に関する件”と言う法律のもと、
癩患者は強制隔離されるのです。
家族は、近所へ知られるのが嫌なことや、
患者との離別を惜しみ、納屋などへ患者を匿いましたが、
内務省は警察権力と結託し、近所の噂などで患者を見つけ出し、
強制的に施設へ入所させました。
現在でも〇〇園などと存在するハンセン病療養所がそれです。
療養所とは、名ばかりで、一度入所してしまえば、
ほぼ、園からの出所は不可能で、
死ぬまで、園の中で暮らすことになります。
そのため、園には、食堂や宿舎と言った基本的な施設の他に、
学校や売店、果てには火葬施設に納骨堂まで完備されていました。
そのため、例えば、恋愛や結婚も入所者同士で行われましたが、
優生保護法により、子供が罹患するのを防ぐ意味で、
断種(所謂パイプカット)や堕胎が、
患者の意思無しで強制的に行わていました。
それ程までに、癩病は社会的にも差別を受け続けていた病なのでした。
いにしえより、癩病は、業病とされてきたのは、先に申したとおりです。
そして、長きに渡り社会的に差別を受けていたのも紛れも無い事実であります。
江戸時代には、癩者は非人身分に組み込まれ、
後に穢多村の支配下にあったことは間違いありません。
江戸期以前にも、そのような弱者(身障者やその他の罹患者、経済的困窮者)は、
賤民という認識がなされてきました。
実は、被差別部落の起源は、未だ解明されておらず、
ハッキリとしたことが、わかっていないのが現状です。
しかし、私の私見ではありますが、
そのような弱者が、後世の被差別部落民へと連なったと考えるのが
自然ではないでしょうか?
(被差別部落民の根源は、朝鮮半島などからの移民だという、
全く根拠のない『珍説』もあるようですが・・・)
いずれにせよ、癩病者と被差別部落の繋がりは、
かなり深いもであったことは確かであると信じてやみません。
おまけに、国策により、長年差別されてきた歴史も、
被差別部落とかなる部分が多いですね。
そんな、国策差別が、平成の世に入っても続けられてきたこと、
皆様は信じられますか?
1960年台には、プロミンの効能が認知され、
一時退所者もいるにはいたのですが、
基本的に平成8年に、らい予防法が廃止されるまで、
このような、信じがたい事実があったのです。
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以上、かいつまんでですが、癩病についての歴史と被差別部落との関係を書いてみました。
次回の「見て記・行って記・被差別歩記」のコーナーでは、
鎌倉時代から続く、奈良県の癩収容施設「北山十八間戸」を
レポートいたします。
乞うご期待。
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