~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2019年4月28日日曜日

部落の食文化-6:油かす(あぶらかす)その3【北出昭氏のお話編】

前回の投稿では「油かすこぼれ話」とでも申しましょうか…
当方の食肉顧問からの聞き取りとして、
油かすに関するエピソードをいくつかご紹介いたしました。

今日は、かの名作「ある精肉店のはなし」にご出演の
北出昭氏とお会いした時に聞いた、油かす話をしてみたいと思います。
当ブログの読者諸氏はご存知かと思われますが、改めて。
映画「ある精肉店のはなし」Websiteはコチラから。

ポスターの左から2番めの赤い服のかたが昭さんです。
ちなみに、昭さんの左隣のかたはお兄様の新司さん。
女性は、お姉様と新司さんの奥さんと、「肉の北出」の店名通り、
ご家族で営業されています。

現在は北出精肉店。敷地内の牛舎跡に「太鼓屋 嶋村」を構えておられる。


お仕事で忙しい中、お時間を取っていただき、
昭さんの太鼓工房「太鼓屋 嶋村」にてお話を伺いましたが、
すっかり話し込んでしまい、気がつけば2時間半(笑)
話術が巧みな昭さんの話に、ついつい時間を忘れてしましました。
所狭しと皮や胴が積まれた明氏の工房「太鼓屋 嶋村」
その時の模様は又、いずれ。
今日は、その中でも油かすについての話を書いてみたいと思います。

元々「油かす」は、油を取ったあとの副産物。
部落の人々は、日常の食事の中でそれを上手く利用してきました。
それが今や、B級グルメブームやなんやかんやで、
ずいぶんメジャーな食材になりつつあります。
お好み焼き・焼きそば・かすうどん、水菜と焚いてハリハリ風に。
とにかく噛めば噛むほど味が出て・・・
あ~ぁ、食べたくなってしまったので、この辺で昭さんのお話を。

「牛の油は昔は一缶一万円ぐらいで買い取ってくれた、それが今はタダ。
逆にお金取られんだけマシや(笑)」
とは、昭さんのお話。

牛の腸から取った油は、主に石鹸の材料になったそうですが、
ある頃を境に、外国から安価なパーム油がその座を奪ったそう。
そして、油の買取価格もどんどん下落し、
今は無料引き取りになってしまったのです。

「石鹸以外の使い道はあるんですか?」
「線屋が使ってましたな。線(ワイヤー)に塗って錆止めやね。
それから食用油」

北出さんのお店でも、以前は油を取るための鍋があったそうですが、
そんな事情で、今では取るのを止めてしまったそうです。
代わりの需要としては食用。
いわゆるホルモンですね。
今ではそちらの方が主流なのです。

「油もそやけど、骨も膠や骨粉にして肥料になったんです」

牛って"鳴き声以外は捨てるところが無い”って言いますよね。
実は、食肉・皮(革)はもちろん、骨や血までも有効に使っていたのです。

今回、昭さんにお会いし、お話を伺っている中で、
度々「いのちをいただく」「いのちの大切さ」を感じ取ることができました。
牛の飼育から屠畜までを一貫して担ってこられた昭さんだからこそ
語れる言葉であり、聞いている私も、心から納得する事が出来たのでした。

2019.1.18 貝塚市