叔母は、被差別部落出身の部落民です。
叔母というのは、再度説明しますと、
私の父親の兄、つまり私の叔父の奥さんなのです。
なので、私とは、叔母・甥の関係ですが、
血の繋がりはありません。
叔母が部落民であるということを知ったのは、
小学校の中学年ぐらいでしょうか。
私の祖父は、私が3歳の時に亡くなったので、
あまり覚えていませんが、その祖父の“法事”には
叔母の親類縁者も参加していました。
叔母の親戚縁者は、皆さん部落出身者で、かつ居住者です。
法事が行われていた叔父の家と、叔母親族の部落は近かったので、
法事には、 叔母の父母、叔母の兄夫婦と2人の子供
(二人姉弟の下の男の子は、私と同じ年でした)も一緒に参加していました。
なにぶん、かなり前の話で、自分の祖父でもうろ覚えなのですが、
叔母の父は全盲で、その頃は鍼灸(あんま師)だったのですが、
おそらく、明治の終わりから大正の始まり頃に部落で生を受け、
多大なる差別と、貧困の苦労を味合わい育たれただろう事は、
想像に難くありません。
・・・ただ、想像の範囲ですが。
実際の暮らしや差別は、今となっては分かりません。
しかし、昭和40年台も終わりを迎えるこの頃には、
運動団体の運動成果が徐々に上がり、
部落の暮らしも、良くなっていった時期です。
風が吹き晒し、床が抜ける狭小の不良住宅は団地に建て替えられ、
雨が降ると、共同トイレが溢れ共同井戸に
流れ込む劣悪な未舗装の路地も綺麗に区画整理がなされ、
部落民の暮らしもようやく「人並み」に近づきつつある時期です。
叔母の父は、全盲で顔を見ることができない私に、
よく話しかけてくれました。
かなりの高齢だったので、ゆっくりと話されていたのを覚えていますが、
残念がら、話の内容までは覚えていません。
不思議なものですね。
この頃には、部落に、そして部落民に嫌悪感を持っていた私が、
こと、正統派部落民の、紛れも無く純粋の叔母の親類には、
嫌悪感も、差別心も起きなかったのですから。
結局、差別ってこういうものかも知れません。
「他人の弱点を見つけて、自分が優位になりたい」。
人間が持っている、どうしても消せない人間の性なのでしょうか。
例えば、部落差別が解消したって、次は外国人差別、
障がい者差別、男女差別・・・
形を変えて起こっていくかもしれません。
アフリカン・アメリカン初の大統領オバマ氏が誕生し、
政権の中枢にも、アフリカン・アメリカンが要職につき、
スポーツの世界や芸能の世界でもアフリカン・アメリカンの
活躍が著しい米国でさえ、未だにアフリカン・アメリカン、
つまり“黒人”への差別があります。
先日、マンデラ氏が亡くなった南アフリカも、
「奴隷解放」と言われていますが、
白人との間には、未だ差別と言うか、いがみ合いがあるようです。
差別や人を卑下することが人間の性としても、
確実に、それを超越することはできるのです。
私の場合は、部落に対する嫌悪感=差別意識を
かなり長い間持ちながら、今やそれを超越し、
部落出身である妻と結婚するに至りました。
何度も言いますが、差別の心は、変えることができる。
そして、自分が変わることができる。
今は、ハッキリとそのことが言えます。
部落を皆さんに知ってもらいたい!
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