このブログを御覧頂いている皆様なら、
この文言を知っておられる方も多いでしょう。
また、もしかしたら暗記されている方もいるかもしれませんね。
この文章は、1922(大正11)年3月3日、京都市の岡崎公会堂
(現:京都会館第2ホール)で行われた、全国水平社創立大会の
際に読み上げられた水平社宣言です。
(全国水平社ついては、追々このブログでも記事にしていきたいと思っています)
西光万吉が中心となって作り上げられた水平社宣言の
読み出しには、「特殊部落民」 と書かれています。
特殊部落という言葉は、現在は差別用語とされており、
無闇矢鱈に使うものではありませんが、
大正当時は、特殊部落という言葉は部落民自身にとっても
差別意識がなく使われていたことがわかります。
ただ、その「特殊部落」という言葉の意味は、
現在の特殊部落という言葉が指す「差別的な用法」とは全く違いました。
その意味は、概ね以下のようになるかと思います。
◎(地区・集落を表す)部落の中でも、近隣住民から“差別”を受ける集落がある。
こんなことがあってはならないが、現実に差別を受ける部落は存在する。
我々の部落は、他の人から「差別」される特殊な部落なのだ。
特殊なことは、無くしていかなければならない!
部落という言葉は、現在では被差別部落を
指すことが一般的ですが、本来は、“地区・集落”と言う意味で
用いられてきました。この事は、今でも地方などでは、
差別的な使用ではない「部落」と言う言葉が残っています。
例えば、私が中国地方のT地区を尋ねた時には、
町の案内板に、被差別部落ではないのに「〇〇部落」と書かれていました。
本来なら、差別されること=特殊という意味で使われていた訳です。
しかし、時が経つと、特殊=部落になってしまい、
又、特殊=部落出身者、部落民 になってしまいました。
つまり、部落は“特殊”な存在で、
そこに住んでいる部落民は“特殊”な人になってしまったのです。
私は少し前の記事で、「部落民と言う言葉自体が、
差別的に感じる」という事を書きました。
「部落民」はなんだか、日本人とは違う、
独立した別のカテゴリーに入れられているような気がします。
部落側からのアイデンティティの主張には、
有効な表現かもしれませんが・・・。
「部落民」が差別的に感ずる。
その気持は、今でも変わりありません。
だから、 ブログ書くに当たり「部落民」は、
あまり使わないでおこうと思っていました。
そこで、「部落出身者」や「部落居住者」と言う言い回しを
使ってきましたが、記事を書き重ねるに従い、
言葉の限界を感じました。
部落関係の本やメディアの多くは、
「部落民」と言う語を好んで使っております。
やはり、しっくり来るのでしょうか?
水平社宣言で使われた「部落民」に沿い、
今後は、このブログでも、部落出身者・居住者を
「部落民」と言う語で 表現していこうと思います。
部落を皆さんに知ってもらいたい!
このブログを、多くの方に見てほしい。そして、
部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・
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