小学校に入学すると、年齢的にもある程度「言葉」が理解できるようになります。
言葉が理解できると、そこに、自分の考え方=自我が芽生えます。
私が生まれた昭和40代。
父親は、自動車板金工でしたが、
勤めていた板金所の経営が行き詰まり、
給料も滞納されるようになったそうです。
職安でも久しく仕事が見つからず、
母と私が居るのに、仕事もお金もないのには、大変困ったそうです。
そんな折、父が定年まで働くことになる「鉄工所」を紹介してくれたのは、
前出の、部落出身者の叔母(父親の兄の奥さん)のお兄さんでした。
少し、人物関係がややこしいですが、叔母のお兄さん
(私は、「おっちゃん」と呼んでいましたが、私との正しい
関係は何というのでしょうね?単に「親戚」でしょうか?)の
住まいは、その頃、解放運動の成果が実り始め、重い腰を上げた、
国や市の同和施策によって建ち始めた「改良住宅」でしたが、
仕事は、近くに工場を借り、鉄工所を自営していました。
その「おっちゃん」の取引先の鉄工所に、父は務めることが出来ました。
記憶が定かではありませんが、この話は、私が小学校高学年か中校生になる頃、
たまに母が言っているのを聞いたことがあります。
一時は、家庭崩壊の危機に見まわれながらも、
その後、父は、家を建てるなど、普通の生活が送れるようになりました。
部落の 「おっちゃん」に我が家は助けられたわけですが、
この頃には、私は、「部落とは何なのか?」という
部落の本質を知らないながらも、立派な“部落差別者” になっていたのでした。
部落を皆さんに知ってもらいたい!
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