~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2017年2月5日日曜日

鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章1&生立ち編-38

『部落差別解消推進法の成立』に於ける、
キーパーソンの一人である宮部龍彦氏について、
「鳥取ループ(=宮部氏)は部落差別推進者か?」
との題目で、2回にわたって検証してきましたが、
いよいよ、まとめに入っていきます。

しかし、まとめに入る前に、
一度読んでいただきたい章があります。

本来なら、連載中の『生立ち編』で、
順を追って書くべきなのでしょうが、
今回、「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?」の
まとめをする上で、非常に大切な事柄となっていくと思われますので、
今回、あえて、“まとめ”に『生立ち編-38』を絡め、
書いてみようと言う趣旨であります。

只今連載中である『生立ち編』の、
時系列からかなりずれ、
現在の話をしなければならないので、
読者諸氏には、誠に読みにくく、
内容が通じづらいこともあるかと思われますが、
それを承諾の上で、お読みいただければ幸いです。

                           スギムラシンジ


■被差別部落に住んで

私は、今現在、被差別部落に居を構えている。

もちろん、妻の実家がある被差別部落ではない。

いま、この記事を執筆している住まいは、
妻の実家から、車で30分ほど走った、
妻の出身部落とは、全く別の被差別部落である。

このブログでも、折にふれて“それらしいこと”を匂わしてきた。

例えば、一昨年12月30日に記した『被差別部落にて~今年一年を振り返る』
は、現在の住まいである「この家=被差別部落」で書いたものだし、
今、読み返してみれば、一昨年12月17日に記した文章
『未解放部落と部落問題研修所。そして独自解釈』では、

ここで、
「ん?やけにスギムラは、未指定地区の現況に詳しいなぁ!?」
と思われる方々もおられるでしょう。
そうなんです。
私、スギムラは・・・・
いや、いや、この話の続きはいずれ生立ち編で書くことにして、
未指定地区の続きです。


・・・等と、
何やら意味深な書き方をしている箇所も見受けられる。

そう、それらの全てが、今回、明らかになるのであるが、
私の妻に至っては、何年か前に「部落を出て、又部落に嫁いたなぁ」等と、
笑い話のつもりで声を掛けると、
どうやら、彼女には、冗談には聞こえないらしく、
結婚して暫くはあった“愛想笑い”も、今となっては全く無く、
いかにも邪魔くさそうに「何がおもろいねん!」と、
渾身のオヤジギャグは、木っ端微塵に粉砕されてしまうのであった。

■おいたちと部落の縁
そんな、被差別部落の暮らしであるが、
もちろん、私とは、全く縁もゆかりもない・・・
いや、間違えた。
「縁があっての部落暮らし」なのである。

そう。
このブログの“こけら落し”には、あえて、
「おいたちと部落の縁」と題した記事を書いたが、
その時には(物語がより、ドラマチックになるように)
あえて語っていなかった大きな縁の一つが、
このブログタイトル通り「被差別部落の暮らし」なのである。

では、なぜ、この部落へ住むことになったのか?

これに関しては、本当に、
不思議な『何か』で結ばれていたとしか考えられない。

それが、“縁”だと言うのはわかるが、
やはり、住むべくして住むことになったのであろう。


■家を買う

この部落へ住んでから、早くも17年の月日が過ぎた。

私が、育った長屋での暮らしが、20余年であったから、
そう少しでそれに迫るし、今の状況では、引っ越しの予定もないから、
このまま行くと、この部落での暮らしが、
あと数年後には、「人生で最も長い住まい」ということになりそうだ。

17年前、私は、前妻と二人の子供とともに、
この部落から、車で5分ほどの場所で、
アパートを借りて暮らしていたが、
幼稚園児の子供は、男兄弟ということもあり、
昼夜問わず大暴れするものだから、
次第に、近所から、苦情が来るようになった。
30歳の頃だ。

部屋も手狭になってきたので、
意を決して家探しをすることになったのだが、
沢山の新聞広告やら、不動産屋があるなか、
予算に合わせて、数件をノミネートし、見て回った。

全く初めての事だったので、
何軒見て回っても、しっくり来るものがなく、
家を買うのは大変なことだと、つくづく思ったものである。

案外時間がかかったと思う。

ある一件に的を絞り、遂に契約へ至ったのであるが、
実は、「100%惚れ込んで」と言う訳ではなかった。

ある意味根負けだ。

広告を吟味し、家を見て回ることに辟易気味であった。

尾崎豊じゃないが、「早く自由になりたかった」のだ。


そんな訳で、やっと契約に至り、
あとは、引っ越しだけと、安堵したのもつかの間。
数日して、何故か支払ったはずの手付を持って、
不動産屋がやってきたのである。

「実は、銀行ローンが通りませんでした。
だから、今回の契約は破棄致します」と。

銀行から借金出来なければ、
買うことは出来ないので、
契約破棄は当然なのであるが、
当方に問題があるのではなかった。

彼の言い分としてはこうだ。
「今回は、物件に問題がありました。
前面道路が狭く、担保価値が無いということでした」

なるほど。
銀行も、先のバブルで痛い目を見ているので、
「闇雲には貸さないゾ」と言う姿勢は、致し方ないところであるが、
しっかりと、物件を見に来ての判断らしいので、
その対応も、半端ないものである。

また、当方が、幸運だったのは、
担保価値のない家を掴まされずに済んだことだが、
今となっては、きっと、誰かの手に渡っていることだろう。

ただ、付け加えておくが、終の棲家とするのであれば、
環境もよく、暮らしやすい良物件である。

しかし、困った事に、住宅購入は振り出しに戻ってしまった。

だが、それから程なくして、
とても惚れ惚れするような物件が出てきたのだ。
早速、不動産屋と共に、家を見に行ったが、
今度は、人がまだ住んでいるという。

これまで、空き家ばかり見て回っていたので、
今までにない展開に少々戸惑うが、
無事家を見終えて、更に気に入ってしまったのだ。

どこが、そんなに気に入ったのかというと、
今まで、比較していた数々の物件のどれよりも、
土地が広く、家も大きかったのだ。

それでいて築年数も浅くて、駅から徒歩4分の好立地。
オマケにガレージまであるので、駐車場代も掛からない。

なぜ、こんな物件が!?
何か、いわくつきの家か?

と、思ったのも案の定、
いわくつきの物件であることが判明した。
・・・とは言っても、大げさなものではないが、
初めて、家を買うものとしては、
売買を大いに迷うようなことだった。

実は、家主は賃貸として、かの物件を貸し出しており、
家を借りている方(私が、見に行った時は、
この方々が住んでいた)が、
賃貸契約中であることを理由に、
家を明け渡さないと言ってたらしい。

売り主は、賃貸契約中であるにもかかわらず、
なぜ、売り急がなければならなかったのかは、
今となっては知る由もないが、
とにかく、期日までに明け渡すことを拒んでいるという。

その辺りのことについては、
「売り主が責任をもって、期日までに明け渡すから」と言う、
不動産屋の言葉を信じ、
売買契約を結ぶ事になったのである。

*家は、無事期日までに明け渡された。
不動産屋に後日聞いた話では、
売り主が、賃貸契約者に立ち退き料100万円を支払ったという。

かくして、無事、家を手に入れることが出来た。

今回分かった事は、
家を買うとことは、何だか「恋愛」に
似ているのではないかと思ったことだ。

一方から「欲しい欲しいと」
いくら時間を掛けて、口説き落とそうとしても、
ダメなものはダメだし、
今回のように、「相思相愛」でスッ・パッと決まることもある。

これが縁だというものなのだろう。
お金を出せば買えるというものではないことが、
不動産には言えるのではないだろうか。

さて、世間的には、いわくとは言わないかもしれないが、
そんな出来事を経ての家購入であったが、
そんなことは些細な事で、
この物件が、お買い得なこととは、微塵も関係ない。

では、なぜこの物件が、
他の地域の物件より広く大きな、
お買得物件だったのか?

それは、この地が、
被差別部落であることに他ならないからであった。


【鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章2へ続く】

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