■実はよく実態が分からない未指定地区の現状
「鳥取ループ氏は部落差別推進者か?:まとめ序章3&生立ち編-40」
と、題してお送りしてきました『被差別部落の暮らし』ですが、
ここで、もう一度、テーマの確認と、整理をしておきたいかと思います。
なぜ、今回、鳥取ループ=宮部氏の検証に、
あえて、生い立ち編を持ってきたのか?
それは、今後、まとめ本編において、
この事が重要になってくると、考えております。
それには、未指定地区について、
詳しく述べる必要があるのですが、
実は、現在では、未指定地区の実態が、
わからなくなりつつあるのが実情なのです。
例えば、同じ被差別部落である、
地区指定された「同和地区」に関する本や行政資料・論文は、
それこそ、山の数ほど存在しますが、
いかんせん、未指定地区のことに関してまとめられたものは、
現在のところ、皆無といっていいのではないでしょうか?
タマに、ひと昔、ふた昔前の本で、その存在を、
僅か小稿に見ることができる程度です。
もしかしたら、何処かの大学などで、
専門に研究されている方がおられるかもしれませんが、
それは、とりもなおさず、
「実態が分からなくなっている」と言うことの裏返しなのです。
先に申しました通り、
被差別部落の大部分を占める“同和地区”に関しては、
それらの記録は、こと細かに残っているのです。
それは、何故か?
以下、簡単ではありますが、説明させていただきます。
最後の同和関連の法律である、
地対財特法が終了して、早十余年の月日が流れました。
その法律が終了するまでは、
同和行政は、国・行政の事業であることから、
国や地方公共団体によって、
毎年、詳細な報告書を作成・公開する必要がありました。
その内容は・・・
地域住民の世帯・人口にはじまり、
主な職業や、進学率と言った国勢調査様の事から、
改良住宅の仕様や、同和事業、又その予算など、
多方面にわたる同和地区の実態が、
事細かに記載されていました。
ある地方公共団体では、これらの報告書は、
地対財特法が終了するまで、
約60年程、毎年作成されていました。
(この地域では、昭和44年の同和対事業策特別措置法制定・施行以前の
昭和20年代から、同和地区実態調査として、報告書が作成されていた)
このように、現在は、作成されていない同和地区の実態調査ですが、
これまでの、膨大かつ、長年の調査の積み重ねや、
推移傾向により、現在でも、
同和地区の生活実態を推測することは容易です。
また、同和地区に関しては、部落解放同盟をはじめとする、
各運動団体も、莫大な数の独自の資料を持っており、
そちらの方向からも、同和地区の実態については、
アプローチすることが可能です。
(ただ、運動団体の内部資料については、
関係者=運動員以外、入手・閲覧は難しいが、
知り合いに運動員が居れば、
閲覧ぐらいはさしてもらえるかもしれない)
■翻って、未指定地区の場合はどうだろう?
各種の同和事業や、国行政の補助を、
一切排除し、一般地区化の道を選んだ未指定地区においては、
とにかく、資料の作成という点では、
全くと言って言い程なされていないと思われます。
まず、行政資料ですが、
同和法の施行期間中も、それ以降も、
行政の対応とすれば、「一般地区」という扱いになるので、
前途したような、詳細な資料・報告書の作成がなされていない。
それに加え、運動団体の組織化も行われていない為、
運動団体の報告書・資料にも全く、
存在が挙がってこないのです。
また、現在は、同和地区に対する補助は一切無くなったが、
法律が生きていたころの同和事業は、
税金を投入して行われたため、各市町村の例規集で、
その存在意義の説明をはじめとして、旧隣保館や、
或いは改良住宅の場所や戸数までも、詳細に謳っています。
このような例規は、インターネットでも、
非常に詳細な内容を確認することができるが、
一切の同和事業や、補助を排除した未指定地区については、
それらの記述は、まったく見ることがありません。
以前、部落解放同盟の地方本部施設で、
未指定地区の実態について、お話を伺った事があるが、
対応いただいたプロ?の方も、やはり、
未指定地区の実態は、よくわからないということでした。
部落のプロ?でも、わからないので、
我々自称・素人研究者が、わかるわけがない。
ただ、全国の大学などの研究機関を探せば、
未指定地区に詳しい方がおられるかもしれないが、
もし、そのような方をご存じの、読者様がおられたら、
教えていただければありがたいです。
今日は、まとめの序章も3回目になりました。
未指定地区の研究は、まだまだ未知数なことが多く、
これらの事項は、全くの一部も一部。
かなり、ショボイ研究結果になっておりますが、
少しでも、未指定地区の現状を、
理解していただけるお手伝いができれば光栄です。
スギムラシンジ
■解放には程遠い
~農漁山村の未指定地区~
私は、未指定地区は、2つに別けられるのではないかと、
常々考えている。
一つは先述したように、私が住むような都市型の未指定地区である。
これについては、混住化が進み、もはや、
解放され、一般地区化したと言っても過言ではない。
しかし、未指定地区にはもう一つの型がある。
それが、農漁山村型の未指定地区である。
元々、人口が少なく、人の出入りもない農漁山村は、
被差別部落も零細な部落が多く、
戸数僅か2~3戸と言うような部落が多く存在する。
そのような部落では、今でも劣悪な住環境、
そして、重大な差別に悩まされているケースが多いと思われる。
想像をしていただきたいが、
元々人口が少ない農漁山村では、
その近隣の人々の顔や、名前、或いは居住地までも、
容易に認識することが出来るであろう。
それを承知の上で、以下の記事をお読みいただきたい。
実は、これら地方の農漁山村の未指定地区は、
極小の集落であることが多く、
中には2~3戸の部落までも存在します。
当然、小さくて閉鎖的な農漁山村でありますから、
部落の方々は、面が割れている。
これが大都市の部落であれば、
一歩でも地区外に出れば、もう部落民とはわかりません。
しかし、不特定多数の人が存在しない、
閉鎖的な農漁山村では、
部落民の顔を誰もが知っています。
つまり、外を出歩くだけでも“部落民”と言う事が認識され、
差別を受けます。
もちろん、面と向かって「エタ」などということはなくなりましたが、
陰で「あの人はヨッツ」などと言うのは、珍しくありませんし、
所謂、村八分のような状況に置かれることも珍しくありません。
今でも、このような地方の農漁山村で差別事例が多く見られるのは、
誠に残念なことですし、地区指定を受けられなかった為に、
現在でも、劣悪な環境下で暮らしている部落の方々も、
事実多数おられます。
これは、以前「未解放部落と部落問題研究所。そして独自解釈」
と言う記事の中で書いた、農漁山村の未指定地区の現状に、
一部加筆したものである。
■地区指定をなぜ受けなかったのか?
「それぞれの部落によりそれぞれの理由がある」
一言で言えばこのような表現になってしまうが、
1000箇所の未指定地区が有るということは、
1000個の理由があると言える。
これが本当の答えなのであろうが、
それでは、説明にならない。
ここでは、幾つかの例を交えて解説していきたいが、
一つ言えることは、地区指定を“受けなかった”、
或いは“受けられなかった”のは、
地区住民の意向が優先されたと言うことだ。
つまり、同和地区指定は、行政からの働きかけ以上に、
地区住民(運動団体)からの働きかけで行われたことで、
行政は、それらを認定するだけの役割となってしまったのだ。
◎農漁山村型部落の場合
同和地区指定を受けるには、部落解放同盟をはじめとする、
行政との窓口になる運動団体を設置せねばならなかったが、
農漁山村型の部落の場合、戸数2~3戸の部落が多く、
実質的に、運動団体を組織することが出来なかった。
◎同じく農漁山村型の部落
都市との隔たりがあり、温度差があった。
情報の伝播が遅れていた。
◎都市近隣部落・都市型部落の場合
産業や農業基盤がしっかりと確立しており、
部落といえど、経済的には恵まれており、
一般的水準の生活が営まれていた。
そのため、同和地区指定を受け、
同和施策を享受する必要がなかった。
◎思想的な背景
所謂。「寝た子を起こすな」的な考え方をする住民が多い場合、
同和地区指定を受けることは、事を荒立てるとして、
これを拒否した。
◎政治的な背景
政治的に、地区指定を拒んだケースも有る。
特に、共産思想の住民が多い場合には、
地区指定を受けなかった。
◎地域の有力者
地域の有力者が、地区指定を拒むケースが有る。
特に、指導的な役割をしていた「寺社」の意向が
反映される事が多かったという。
◎利権(地域の有力者Ⅱ)
利権というと、同和利権が頭に浮かぶだろうが、
例えば、このようなケースも有る。
ある部落で、その部落の住民を多数雇う
土建業の親方(ボス)がいたとしよう。
土建業の親方は、
相場より安い賃金で部落の人を雇い、
膨大な利益を得ていた。
そんな中、下手に同和施策を受け入れ、
住民の生活が向上し、オマケに仕事まであてがわれたら、
商売上がったりである。
そのため、ボスの意向で、
同和施策を受け入れる事を拒んだ。
幾つか、例を上げたが、
このような理由で、同和地区指定を受けなかった
(受けられなかった)わけであるが、
中には、部落を二分する、
激しい抗争が起こった地区があったことを
付け加えておかなければならない。
■【参考】法律施行以前にもあった同和事業
ここでは、同和地区指定の話に関連して、
参考として、以下のコラムを設けることとしよう。
実は、同和事業は、1969年の同和対策事業特別措置法の
施行により開始されたという見解が一般的だが、
実は、それ以前にも、同和事業が行われていた例がある。
京都市では、行政闘争の先鋒となった昭和26年の
『オールロマンス事件』を契機に、
早くも、2年後の昭和28年、K部落に於いて、
団地型改良住宅の建設を行っている。
その後、順次、市内の被差別部落でも、
改良住宅が建設されている。
又、それに伴い、昭和35年には、市内5箇所の
同和地区指定を行っている。
同法施行の9年も前の話だ。
また、それ以前の記録では、
京都市に於いては、社会事業の名の下、
既に大正8年には、H部落で、託児所が建設されているし、
大阪府に於いても、大正7年には、
部落改善事業の兆しが見え始めている。
特に、三重県では、明治38年に、
全国に先駆けて行政主導の
部落改善事業が行われたと言う記録がある。
何らかの資料からの覚え書きによると、
明治・大正期に主流を占めた、
民間主導の融和事業とは異なり、
言わば、後の同和事業のハシリであると言えよう。
この様に、国による本格的な同和対策事業以前に、
国及び、地方自治体に於いては、
独自に社会事業或いは、同和事業の名目で、
部落の生活改善に取り組んだケースもあったが、
それは、まだまだ、断片的なもので、
本格的な部落改善事業によって、
部落民全体の生活向上が見られるようになるには、
やはり、同和対策事業特別措置法の施行を待たねばならなかった。
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3 件のコメント:
ブログ内容と違ったコメントですいません。
初めまして。部落問題を調べているなかでこのサイトを見つけ、コメントをさせて頂きました。
私は部落地区といわれる場所の土地を買い、家を建て今月引越をしました。
その部落地区というのは知っての引越ですが、当初は周囲から非常に反対を受けました。
引越をして間もないですが今現在ではご近所のみなさんも明るく接してもらえ、幸せに過ごしております。
土地を購入する際はそのご近所さんから「みんな仲良くしているけど、ここはそういう地区だよ。来てくれる嬉しいけど良く考えてみて下さいね。」と優しく教えて頂きました。
私はそういう思想?考え?などの差別が嫌いなため、そういう本当は言いたくない事を教えてくれる優しさにここで住もうと決めた要因にもなりました。
すいません。話が逸れました。今回コメントをした理由としては国旗を掲揚するのは問題ないかどうか。です。
私は玄関に国旗を掲揚したいと思っていますが、一般的に部落地区といわれる所に住む方は国旗掲揚をどうお考えか知りたいです。
共産党支持者などは国旗掲揚に反対するかたが多いようですが、部落問題に関する過去の活動では共産党との繋がりもあると学び、共産党支持者も多いのかなと感じ迷っています。
自分が国旗掲揚をしたいならすればいいとも考えましたが、やはりご近所さんとは今後も仲良くしたいので、少しでも情報を集めてからしようと考えています。
よろしくお願いします。
なたさん
こんばんは、。
先ず、私の見解を申しますと、
国旗掲揚は個人の思想の問題でありますので、
「掲揚に問題はない」と言いたいですし、言うべきだと考えます。
が、しかし、実情を申しますと、
現在も殆どの部落に何かしらの運動団体が有ると思いますが、
部落解放の各運動団体は、政治との結び付きが非常に強く、
運動団体によっては、日の丸の掲揚を嫌う運動団体もあります。
そして、ココからは、個別の部落の状況になりますが、
各部落には、それぞれの運動団体支持員数の多数派により、
その部落の思想や自治運営の方針が決まっていることが多いですね。
(もちろん、運動とは無縁の方もおられますが)
例えば、自由同和会・全日本同和会などは保守的な部落解放運動団体で、
大会にも国旗掲揚がなされています。
又、今回の記事にも書いておりますように、
私が住んでいる未指定地区のように、
そもそも運動団体が存在しない部落もあります。
これは、部落にかぎらず一般地区でも同じですが、
結論的には、あくまでも個人の思想の問題であり、
自由ですので掲揚に何の問題はありませんが、
もし、ご近所トラブル等の民事的なモメゴトを心配されるのであれば、
ご近所さんに聞いてみては如何でしょうか?
コメントに書いておられるご近所さんなら、
きっと親身になって話を聞いていただけると思いますよ!
お返事ありがとうございます!
ご近所さんにそれとなく聞いてみます!
やはりそういう繋がりを持っている場合もあるのですね。
私は個人の思想を批判するものではないですし尊重したいと思っていますが、自分の事で波風を立てたくないと考えているので、ある程度は周りに合わせる感じでやっていこうと思います。
ありがとうございました♪
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