今回も、非常に興味深い記事を目にしましたので、
皆様にも紹介いたします。
今日のテーマは、『宮﨑駿氏ハンセン病を語る』です。
先ずは、記事をご覧ください。
宮崎駿監督、生への思い 「もののけ姫」ハンセン病患者
映画監督の宮崎駿さん(75)が28日、
東京都港区で開かれた「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」で講演し、
代表作の一つ「もののけ姫」(1997年公開)の一場面で
ハンセン病患者を描いた経緯について語った。
「もののけ姫」でハンセン病患者描いた 宮崎駿監督語る
題目は「全生園で出会ったこと」。
宮崎さんは「もののけ姫」の制作中、
自宅から歩いて15分ほどの国立ハンセン病療養所多磨全生園(東村山市)を訪れた。
園内の資料館で、患者の脱走防止策として療養所内で使われていた
ブリキやプラスチック製の「通貨」などの展示を見て衝撃を受けた。
「おろそかに生きてはいけない。
作品を真っ正面からやらなければならない」と思ったという。
「もののけ姫」にハンセン病患者を思わせる
包帯姿の人々を登場させたのは「業病(ごうびょう)と言われながら
生きた人たちを描かなければ」との思いに駆られたからだったというが、
一方で「(当事者が)どう受け取るのかが恐ろしかった。
映画を見た入所者たちが喜んでくれてよかった」と振り返った。
療養所に入所する佐川修さんと平沢保治さんが友人として登壇。
2人から「子孫を残さないよう断種された」と苦しんだ体験を聞いた宮崎さんは
「何かの教訓に残ることが大事。病気に生きる苦しさの巨大な記念碑を
ずっと残していけたらいいんじゃないか」と述べ、施設の保存を訴えた。
全生園の入所者は最大1500人以上だったが、
28日現在で195人に減り、平均年齢は84・5歳と高齢化が進む。
宮崎さんは、隔離の歴史を伝える記念公園として
全生園の施設などの保存を図る「人権の森構想」に協力。
園内の寮の復元のために寄付をしている。(青木美希)
【朝日新聞デジタルより ★ 1月29日付】
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ハンセン病という病気は、ある意味、
現在の被差別部落のルーツの一つと言っても過言のない病気で、
長きに渡り不治の病とされてきました。
そして、国家による強制隔離政策で、
驚くべきことに、つい最近(平成8年)まで、
自由を奪われ、差別的扱いを受けてきました。
ハンセン病については、かねてより、
「いずれ、必ず取り上げなければならない事柄」と考えておりましたが、
今回の宮崎氏の記事から、
この機会に、書いていこうと思っております。
ハンセン病には、まだまだ深い差別の歴史がありますが、
話せば長くなりますので、本日は、記事の紹介ということにして、
続きは次回にしたいと思います。
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