~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2015年2月10日火曜日

遅ればせながら上原善広さんを知りました

恥ずかしながら、私が上原善広氏と言う作家を知ったのは、
つい最近のこと。
年末に何気にYouTubeやニコニコ動画を見ていた時のことでした。

その中で、ニコニコ動画の「ニコ生」の再放送?で、
部落を話題に対談している上原善広氏を知ったのです。

時間の関係で、番組を全て見ていないのですが、
冒頭で、上原氏の紹介をされていました。
その時、手にされていた雑誌に、
被差別部落の訪問記を書いているということでしたが、
私は、その光景を見た時に、数年前「BUBKA」と言うパルプ・マガジン(低俗雑誌)が
京都の同和地区を写真付きで掲載した、所謂「BUBKA差別問題」を思い出しました。
それは、私も目を通しましたが、当時流行っていたJRのキャッチフレーズを悪用し、
「そうだ、京都行こう!」との表題で、京都の被差別部落と在日集落を
悪ふざけ・面白半分でレポートするという劣悪なものでした。

私は、当初、「懲りずにまたか?」と思いましたが、
よくよく聞けば、著者の上原氏は、何と被差別部落の出身者という。
その被差別部落は、私も幾度か訪れたことのある大阪府内の被差別部落で、
フィールドワークで馴染みもあったため、早速、氏の著書を2冊読んでみました。
 ◯私家版差別語辞典
 ◯路地の教室
という、2冊です。

2冊読んでみて、非常に氏に対して親近感を覚えました。
素人の私が、プロの作家に対して非常におこがましく、失礼なのですが、
それを承知で言わせてもらうと、氏の部落に対する考え方と、
私の考え方は、非常によく似ており、また、著書の中でも非常に
似通った内容も有りまして、とても共感が持てました。

ナゼ、今まで知らなかったのか不思議なくらいでしたが、
ここに来て、氏の著書に巡り会えたのも、縁あってのことかもしれません。
(本当におこがましいですが、私の私感ですのでお許しを・・・)

そこで、氏のことも少し分かりました。
件の雑誌(実話ナックルズ)についても氏は、「路地の教室」の中で、
~『実話ナックルズ』などの、コンビニの成人コーナーで売っているような
いかがわしい雑誌にしか書けなかったのです(文章ママ)~
と書いておられているので、納得した次第であります。

ちなみに、やはり連載当初は、同和団体からの抗議もあったようです。
それと、その連載は、「日本の路地を旅する」という題名で
単行本化されているそうですので、ぜひ次回読んでみようと思います。

氏は、著書の中で部落に関する文章を書くことも、
一つの解放運動だとおっしゃっています。
私も同じで、このブログを書くことで部落解放・差別解消を目指しています。

オチのない、とりとめのない文章になってしましましたが、
そんな訳で、是非とも、これからも「被差別部落の暮らし」を
よろしくお願いいたします。

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11 件のコメント:

kaori さんのコメント...

私も「日本の路地を旅する」を最近読みました。
文才が無いので感想は書けませんが、他の著書も読んでみたいと思いました。

「私家版差別語辞典」って、凄そうですね。。。

匿名 さんのコメント...

上原善広みたいに片親が被差別部落外の出身なのに被差別部落出身と名乗るのはどうなんでしょうね。
灘本昌久みたいに両親とも被差別部落出身だけど本人は被差別部落外の出身という場合もありますし。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

Kaoriさん
いつも有難うございます。
私は、まだ「日本の路地を旅する」を読んでいませんが、
早急に読むつもりでいます。
私も、フィールドワークで沢山の被差別部落を回っているのですが、
上原氏が、どのような視点で“路地”を見ているのかとても気になります。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

匿名さん。
こんばんは。
上原氏の父親は、代々食肉業ということなので、お母さんが一般地区の方なのでしょうか?
私は、不勉強なので知りませんでしたが、
例え片親だけでも、部落民の血をひいている上原氏は、紛れも無い被差別部落民です。

匿名 さんのコメント...

>例え片親だけでも、部落民の血をひいている上原氏は、紛れも無い被差別部落民です。

これは被差別部落外の人と結婚して差別を乗り越えようとしてる人達に対する差別発言に聞こえます。
自身のルーツが被差別部落にしか求められないのと被差別部落以外にも求められるのとではまるで違います。
それと一般地区という表現も差別的に聞こえます。

ふなっしー さんのコメント...

はじめまして

上原善広さんといえば、「被差別の食卓」がよかったです。紀行文としても秀逸だと思います。オススメです。

匿名 さんのコメント...

管理人様。
私もあなたのブログを読んで、上原善広さんとその著書を知ることが出来ました。
…こんなすごい本があったとは。と、ただただ絶句するのみです。私は上原さんより年齢的に4歳年上で、中学時代に道徳教育の一環として同和問題を知った世代ですが、その後、被差別者=苦難の歴史を背負った被抑圧者というだけでは割り切れない複雑なもの(同和利権、暴力団、右翼、逆差別etc)があることを知り、非常に厭な
気分になったものでしたが、本書を読んで、暗闇のさらにその奥深くにあるわずかな光明に触れた(ような気がする)感じです。
偶然見つけたこのサイトと、管理人様にはただただ感謝。しかし凄い読み物ですね、これ…。(Amazonで検索したら、他にも歴史的・民俗学的にこの問題を掘り下げた作品があるみたいで…。)ありがとうございました。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

匿名さん。

ん!?話がすり替わっていますね。
今は、上原氏のについてですよね。

上原氏は、被差別部落に生まれ育っていて、
自分でも『被差別部落民』と言っているので、
誰が何と言おうとも、上原善広氏は被差別部落民です。

>これは被差別部落外の人と結婚して差別を乗り越えようとしてる
 人達に対する差別発言に聞こえます。

仮に、上原氏の話から離れたとしても、
差別に対する考え方・被差別観は、人それぞれです。
結婚して差別を乗り越えようとしている人にとっては、
それがその方の差別解消の方法ですし、全く否定しませんし、それでいいと思います。

だが、すべての人が、その考え方ではありません。
「部落民」というアイデンティティをもち、自分は部落民であると自覚して
差別解消の運動に取り組んでおられる方も実に多いです。
*運動と言いましたが、何も解放同盟や同和会に入ることだけが
解放運動ではありません。私の個人的な、このようなブログも、
解放運動の一つの形であると言う『信念』を持って書いております。

かつて、全国水平社が出来た時、
水平社宣言の中にこのような一文があります。
【吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ】

匿名さんも恐らくご存知でしょうが、結成時の水平社は、補助金の獲得や
行政闘争などからかけ離れた、純粋な解放運動です。

彼らは、エタであることを包み隠さず、しかもエタを誇りに思い、
解放運動に取り組んできました。

この考え方は、今の部落民にも、多く受け継がれています。
少なくとも私の周り(親兄弟親戚など)では、親から子供へと、何ごとも包み隠さず、
「部落」であることを、誇りを持ち教えております。
部落民であることを、卑下することも、隠すこともしておりません。

私の家でも、そこら辺に部落関係の書籍が散乱していますし、
時が来れば、キチッと子供たちにも教えるつもりです。
その時には、部落民であることに誇りを持つことも
併せて伝えることは当然です。

当然、中には「寝た子を起こすな」という考え方をされている方もおられます。
寝た子を起こさず、ソッとしておいてほしいという考え方も、
一つの差別解消理論ですし、何ら間違っておりません。
当然、私もそれを否定する事もありません。

私は、このブログでも幾度となく書いておりますように、
「部落民としてのアイデンティティをち、その上での差別解消」を
信念にしております。

匿名さんの言われる

>被差別部落外の人と結婚して差別を乗り越えようとしてる人

にまで、それを求めることはいたしませんし、強制するつもりも
毛頭ありません。
それは、その人、個人の「差別解消観」だからです。
だだ、繰り返しますが、上原氏の件については、
自身も「被差別部落民」と公言していますし、
私の信念に基づく発言ですので、何ら間違っていないと信じております。

次に、匿名さんは、私のアンサーが差別的とおっしゃっていますが、
私は、今読み返してみても差別の“差”の字も感じ得ません。
それは、今までの私の文章を読み返していただければ分かることだと思います。

例えば、私は、当ブログの中で、
差別用語である「穢多」を連呼しまくっています。
でも、この「穢多」には差別性は全くありません。
それは、正しい文章として、内容を持った「穢多」だからです。

ただ、この「穢多」も、駅のトイレなんぞに「穢多」と書いてあれば、
これは紛れも無い差別用語であり、部落民を差別していることになります。
この様に、差別的か否かについては、その語や文章が、
差別的な意味合いを持っているかどうかに掛かっています。

生い立ち編にも書いておりますように、
かつて、私は、部落・部落民を差別していた「差別者」でした。
その頃に書いた文章があるとするならば、
それは「差別的な文章」であったことでしょう。

部落民の妻を持ち、そして部落民の子供を持つ今・・・
何より、被差別部落について勉強し理解した今は、
私は、はっきりと、声を大にして言えます。
「エタも非人も書く!
書いて書いて書きまくる!
だがそこに差別性は全くない」
再度繰り返しますが、当ブログを読んでいただければ、
少なくとも私が差別者かどうかわかっていただけると思います。

最後に、一般地区という表現ですが、
今の部落差別は、個人に対する直接的な差別は
確かに、少なくなってきました。
それ引き換え、未だに多く残るのが部落地名総鑑」事件なんかに
代表されるように、「地区・住所・居住地」についての差別です。

確かに部落差別が完全解消されて、部落が消滅したならまだしも、
未だに被差別部落(=同和地区)という「地区」に対する差別が残されている以上、
“被差別部落(=同和地区)”に対する“一般地区”という表現に、
なんら差別的な意味はありませんし、これを差別的というならば、
当ブログ「被差別部落の暮らし」は、
差別表現だらけという事になってしまうでしょう。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

ふなっしーさん

コメントありがとうございます。
「被差別の食卓」存在は先日知りましたが、
当方、いまだ読んでいません。
でも、早急に読みたいと思います(^。^)

被差別部落の暮らし さんのコメント...

(2月19日にコメントいただいた)匿名さん
こんばんは。
上原氏も、著書の中で、自分の書物も解放運動の一つの方法と言っておられます。
偶然ですが、わたしも、「このブログが差別解消の一つになるように」との気持ちを込め、
記事を書いております。

そんな中、上原氏や私のブログから、
少しでも、被差別部落を知っていただけたと
言うことで、私も非常にうれしい思いです。
どうもありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
当ブログで『日本の路地を旅する』と上原善広先生のことを知って『被差別の食卓』『私家版・差別語辞典』『路地の教室』『差別と教育と私』と立て続けに読んできたのですが、とにかく“学校じゃ教えてくれな”かったことだらけで、その後高校時代に白土三平先生の『カムイ伝』を読んで「中学時代に学習した同和問題が束になっても敵わないほど深くて、そして何より…面白い!と興奮したのを思い出しました。

あらためて管理人さんに感謝するとともに、あらゆる差別の芽が(全滅はとてもじゃないけど無理とはいえ)少しでも消えていくことを。