ドジョウをすくい、セミを追っても楽しいのは最初のうち。
何もない田舎の退屈さに次第に飽き、
天気もいいのにゴロゴロとしていた私のグウタラな姿を見て、
ばあちゃんが痺れを切らしたように私に言ったのです・・・。
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あれは、小学校3年か4年の夏休み。
年の頃では、10歳前後でしょうか。
今から、40年近く前の話になります。
毎年、学校が長期の休みに入ると、
母・妹と共に母の実家へ帰省するのが恒例となっていました。
そこはかなりの田舎で、周りは田畑。
小川にはメダカやナマズが泳ぎ、近くの山にはカブトやクワガタがいました。
今は、近くに大型商業施設やスーパーも出来ているのですが、今は昔。
その頃は、何処にでもある昔の田園風景。
自然には恵まれているのですが、退屈で仕方ない。
じいちゃん・ばあちゃんの真似事をして、私も鎌を片手に草刈りをするのですが、
刈っても刈っても有り余る雑草を前に、暑さでやられてしましそう。
タマにばあちゃんが、畑からサッとスイカをもいで、鎌で割ってくれるのですが、
スイカを食べるや「ばあちゃん。アツいし先帰ってるわ」なんて、
ロクに手伝いにもなりません。
オマケにテレビは、電波状況が悪くて4チャンネル位しか映らない。
いくら私の生まれ故郷と言っても、
母が「里帰り出産」しただけで、育ちはずっーっと都会育ちでしたから、
田舎の暮らしは、都会とはまるで違った退屈な場所でしかなかったのです。
(今は、田舎暮らしに憧れていますが・・・)
じいちゃんは元警察官で、後に叙勲を受けたほどだったので厳格この上なく、
宿題もせず、ゴロゴロとしながら漫画を読んでいる私の姿を見ては
火のついたように怒り出し、延々と説教が始まるのでした。
そんなじいちゃんが私は大嫌いだったのですが、
やがて、脳梗塞で体が不自由になり言葉もロクに発せなくなると、
それまでの私に対する暴挙がウソのように静まり返ったのです。
もっとも、説教をしたくとも体の自由が利かなかったせいかもしれないし、
若しくは私が成長したせいもあったのでしょう。
私が24歳の時、最初の子供が生まれてまもなく祖父が他界したのですが、
あんなに嫌いだった祖父の死に顔を見た途端、
何故か涙が溢れてきた。
その時、そう言えば子供の頃、
「警察官になって白バイに乗りたい!!」と言っていたことを思い出したのです。
今は、そんなじいちゃんを誇りに思っています。
心の何処かでは、ずっと、じいちゃんの事を尊敬していたのかもしれません。
(あ、そうそう。警察官には、なりたいどころか、逆に苦手になりましたが)
じいちゃんとは反対に、ばあちゃんは、
打って変わって優しくて大好きだった・・・。
いや、「大好きだった」となれば故人のようですが、
“ピンピン”とまではいきませんが、90歳を超えた今でも田舎で、
そこそこ元気にしています。
そんな大好きなばあちゃんが、痺れを切らすグウタラぶりでしたが、
「刑務所に行きてこい!!」と言う言葉に、私は即座に反応しました。
いや、断っておきますが、ばあちゃんは、
私が犯罪を犯して「刑務所に入れ!!」と言っているのではありません。
○○と言う集落に刑務所があるから、「見学に行ってこい!!」と言う意味です。
読んで頂いている皆様は理解していただいているでしょうが、念のためあしからず。
私は、「刑務所」と言う、非日常的な場所への期待感を胸に膨らませ、
今までのグウタラぶりがウソのように、早速行動に移しました。
「“納屋に自転車があるけぇなぁ”って、ばあちゃん言ってたけど、
これ、大丈夫かなぁ?」
納屋にあった自転車は、既に長く乗られていないようでタイヤは凹み、
ホコリをかぶっていました。
なんせ40年前ですから、何気に馬鹿デカイ。
酒屋の配達に使うような自転車が姿を現しました。
早速行きたいのですが、先ずは空気入れからです。
幸い、空気意外は悪いところもなく、心ウキウキ出発しました。
田舎の農道ですから、暫くは砂利道。
不慣れな自転車に不慣れな道。
でも、持ち前の順応性で舗装道に出る頃には、
大きくて重たいオバケ自転車を、ある程度あやつれるようになっていました。
それに、不慣れな道でしたが、小さい頃から慣れ親しんだ土地でしたので、
土地勘はわりとあったことも幸いし、
ズンズンと対象物に向かって進むことが出来ました。
川を超え、田園風景を走ること30分ほどでしょうか。
いつくかの集落を超えたあたりで、
山の上に、見覚えのある給水塔?を発見しました。
あの給水塔が見えれば、刑務所はもうすぐです。
そして、最後の集落へ差し掛かりました。
この集落を抜けると、いよいよ刑務所です。
途中、朽ち果てた牛小屋があったので、
自転車を止め中へ入ってみました。
今では、各地で牧場や牛小屋を見ることも何気にありますが、
この頃は、行動範囲も狭く、都会暮らしだった私は、
朽ちて主がいない牛小屋でも、十分に非日常的でした。
この集落のことは、これ意外何も覚えていませんが、
特に覚えていないということは、そこらにある集落と
何ら変わりがなかったと思われます。
でも、そんな何ら“変わりがない”集落の端に、
“変わりがある”非日常的な刑務所がデンとそびえていました。
時は夕方だったと記憶しています。
夏の夕方。
ヒグラシでも鳴いていたことでしょう。
その“変わりがある”施設は、誰も居ないかのようにシーンとしていました。
前が田畑、後ろが山という立地もあったのでしょうが、
本当にココに囚人達、いや人がいるのかさえ疑われるほど静まり返っていました。
私は、自転車を壁に寄せ、荷台に立って中を覗こうとしましたが、
壁が高く覗くことが出来ませんでした。
しかし、その壁は以外にも、覗こうとしたら可能なほど低かった記憶があります。
今、そんなことをしていれば、明らかに不審者ですねww
去年久しぶりに、車で刑務所の近くまで寄ってみましたが、
改修でもされたのか、何だか子供の頃見た記憶とはかなり違うように見えました。
面影が残っていないというか・・・
それとも、私の思い違いが?
なんせ40年ほど前のことですから、私の記憶が歪曲されているのかもしれませんが。
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それから何年位経ったころでしょうか?
刑務所がある集落が「被差別部落を含む集落」であるということを知ったのは。
多分高校生くらいの頃だったでしょう。
ばあちゃんから話を聞いたと思います。
ばあちゃんは、このブログでも何度か紹介しましたが、
田畑を貸している部落の方々が、
正月前にしめ縄を持ってやってきた時もキチッと対応していたように、
部落民だからと言って、差別はしていませんでした。
だからこそ、ばあちゃんは、部落を含む集落の「刑務所に行ってこい」と言ったわけですが、
昭和50年代といえば同和施策が始まって間がない頃。
各地で改良住宅が建ち、道が整備されはじめて、
部落にもようやく町づくりがなされてきた時代ですが、
今思えば、この集落に、特に違和感を感じなかったことを思うと、
既に改良事業が行われていたか、
若しくは比較的裕福な被差別部落ではなかったかと察します。
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江戸時代、部落(=穢多村)は、
幕府から警刑吏役(けいけいりやく)を担わされていました。
警刑吏役とは、今で言う警察業務と刑務所の仕事なのですが、
特に、この時代の死刑執行にも携わりました。
白土三平氏の劇画「カムイ伝」には、
その模様が克明に描かれていますが、
これは、当時“国の宝”と持ち上げられていた農民を、
穢多(カムイ伝中では非人と表記)が死刑執行することによって、
農民達の怒りの矛先をエタに向け、
農民一揆を未然防ぐガス抜き政策の役目をも担ったわけですが、
当時の農民には、そのような政策をも理解し難く、
まんまと幕府の思惑通りになってその矛先は穢多非人に向い、
より差別は強化されていく構造が作られたのです。
そして、穢多村には牢屋が設けられ、その番をしたことから、
賤称の意味を込め、番太などと呼ばれることもありました。
牛馬の革を鞣し、牢屋番や水番をする。
時に、城や寺社の清掃を行い社会に奉仕をするその様は、
現代の公務員のハシリと言えます。
(今は、公務員といえど、社会奉仕しているのか不安方もおられますが・・・)
その名残で、刑務所を持つ部落もいくつか存在するようです。
少し古い本になりますが、原田伴彦著「部落と差別」の中にこのような記述が見れます。
最近私は,
広島県、岡山県及び佐賀県の部落の調査の仕事をしましたが、
その1つに呉市のY地区があります。
約250世帯700人近い地区です。
呉市の中心街から西北の狭い谷間の傾斜地です。
この狭い部落の中に入り口から畜産場(家畜市場)、屠場、拘置所(刑務所)
市営の火葬場、同じく後産処理場、野犬処理場、墓地がひしめいていました。
その中に小さな不良住宅が密集していました。
~中略~
ここが部落であるために市行政がすべてここに設置したのです。
火葬場とお産の汚物等を焼く煙、畜産場や野犬処理場の臭気は部落を四六時中を覆っていました。
ココの集落にある刑務所の成り立ちは、
集落の被差別部落とは関係ないようですが、
少なくとも、この部落でも江戸時代以前には、
警刑吏役を担っていたことでしょう。
この様に、社会奉仕する部落民達ではありましたが、
皮肉にもその仕事が、これ以降、綿々と続く差別へのらせん階段であったことは、
今の世になって、やっとわかった事実です。
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