~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2015年2月25日水曜日

長屋(ながや)【生立ち編-33】

■長屋(ながや)

いつも、「被差別部落の暮らし」をお読み頂き、誠に有難うございますm(_ _)m
このブログのメインコーナーである「生い立ち編」も、やっと高校生の頃まで進みました。

しかし、こうやって毎回、回想しながら文章に起こしておりますと、
「そういえば・・・」と言うことも、多々思い出されます。
そうやって思い出すのはいいことなのですが、構成上、後戻りしたり、
行ったり来たりでは、読者様の混乱を期すのではないかと危惧しておりますが、
ただ、「被差別部落の暮らし」では、“ありのままを読者様に伝えたい”
という思いも同時にあります。
私の被差別部落関連の体験記である「生い立ち編も」そんな一つであります。

そのことを踏まえて、私の幼少期の思い出を一つ思い出しましたので、
時期が少し遡りますが、今回、書かせていただこうと思います。



今から、40年前以上の話です。
私は、生まれてから3歳のときまでは、小さなアパート暮らしだったのですが、
保育園入園前に、古くて小さな家に転居しました。
その家は、後に建て替えを経て、22歳まで住むことになるのですが、
物心ついたころから19年間を過ごした地なので、
思い出もまた、大きなものがあります。

そう言えば、父母がどうしてこの家を選んだのか定かではありませんが、
今、改めて考えてみると、多分「父の実家が近かったからじゃないか?」と思います。

以前にも書きましたように、私は、この引越しで、
父と同じ中学校へ通うことになり、登下校は、
父の実家の前を通ることになるのですが、余りにも近すぎるせいもあるのでしょうか、
祖母と叔父一家(叔母は、このブログでも度々登場する被差別部落出身者です)が
住む父の実家へは、ほとんど寄り道することはありませんでした。

さて、前置きはこの辺にして、私が育った家の話に戻りましょう。
私の育った家は、街の中心部。
家や工場、商店ばっかりで、自然は全くありませんでした。
ただ、近くに大きな児童公園と、併設されたグラウンドがあり、
そこにチョロチョロと気休め程度に木が生えていて、
そこで、セミを採ったり、木登りをしました。
しかし、(今でも街中はそうでしょうが)そういった「遊び場」の殆どが、
自宅前の道路でした。

冒頭でも紹介しましたように、私の家は、越して来たときには、
もう既に築30年は経っていたと思います。
今では余り見なくなりましたが、平屋建ての、所謂『長屋』でした。

長屋というのは、屋根が途切れず、ずーっと数軒先まで続いておりまして、
私は、よく屋根に登り、瓦伝いに5件先の友達の家へ行っていました。

なにも、屋根瓦を伝っていく必要はないのですが、
その当時は、近所でも悪戯好きの悪ガキでしたから、
そんな所業もやってみたかったのでしょう。

でも、当然、平屋建て。
屋根の下は、住民がいるので、
私が歩くたびにギシギシ言うのでしょう。
私が友達の家へ行くまでの間に、途中の家のオバサンが、
「また、登ってんのか!」
・・・なんて、よく怒鳴られたもんです。

そんなことを繰り返していたせいか、それとも老朽化かわかりませんが、
いつのころからか、我が家も雨が降るたびに、
洗面器やバケツの出番が多くなりました。

あっちでポチョ~ン、こっちでポッチョ~ン。
何箇所も漏れてきて、それは大変でした。

そのころは、父の収入も少なかったため、非常に貧乏で、
家に電話がついたのも、クーラーがついたのも、
友人宅の中では一番遅かったですね。

家の中は、平屋建てということもあり、家族間のプライバシーなんてものは皆無でした。
小さな部屋が3部屋。それに台所。
狭いながらも、卵形のタイルを張った、昔々のお風呂がついていました。

なんでも、この家の前の持ち主さんが大工さんだったらしく、
もともと、2部屋だった家を3部屋に増築し、風呂もつけたそうです。
なので、近隣などは2部屋のままで、風呂もない家が殆どでした。
その点は、隣り近所に比べれば、幾分恵まれていましたが、
家が、商売をやっていて、鉄筋建てに住む友人宅などに比べれば、
全くみすぼらしい家には違いありませんでした。

長屋の最大の特徴は、同じ形の家がつながっていることですね。
だから、隣の物音や話し声が、よく聞こえるのです。
私の家でも、隣のオジサンが鼻をかむ音でさえ聞こえていましたので、
逆に、私の家の物音もよく聞こえていたに違いありません。
なんせ、柱が隣家と共有なので、柱と壁の間にできた隙間から、
隣の家が見える程でしたので・・・

それでも、狭いところにすんでいるからでしょうね。
皆、仲良がよかったです。
長さ100Mほどの家の前の道路も、袋小路になっていたので、
車の往来どころか、住民以外の人の往来も殆んどありませんでした。
たまに、間違えて入って来た人が、道路を抜けられず引き返していく程度です。
その道路も本当に狭くて、幅2m程しかなく、
皆さん、家の前に洗濯物を干したり、自転車を置いたりしているので、
それ以上に狭く感じられ、まさしく「路地」でありました。
(実際に、私たちは、自分の家を説明するときに、
「3本目の路地の角を曲がって・・・」などと説明していました)

仲のよさは、子供だけではなく大人も仲が良く、
近所の家にご飯を食べに行ったり、家のお風呂に友人を呼んだり、
隣のオジサンの家では、町内行事の8mmフィルムの上映会を行うなど、
近隣との付き合いが希薄化されている今では想像がつかないほど、
非常に仲がよく、本当に、ひとつの共同体のようでした。

さて、このブログをお読みいただいている方は、
「ん?」と思われるかもしれませんね。

私も、その頃は、そんな暮らしが当たり前でしたので不思議には思いませんでしたが、
部落の勉強を始めて気がついたのですが、
非常に「被差別部落の暮らし」とよく似ているのですね。

それも、改良住宅が建つ以前の部落の風景に。

当然、そのころの暮らしを経験している訳ではありませんが、
文献や話を聞くと、本当によく似ている。
私の育った家は、車や人の往来がない袋小路と言う特異な場所であったから、
近隣地域よりも一層『昔の姿』が残りやすい環境であったのかもしれません。

“古き良き昔の日本の原風景”は、きっと、何処もそうだったのでしょう。

そう考えると、「部落」は、何も特別な地区ではないのです。
本当に、“古き良き日本の原風景”がギュッと凝縮された場所なのですね。

いまでも、被差別部落内は仲がいいのですが、
それでも、「改良住宅が建ってからは、幾分、近所付き合いも希薄になってきている」
と言う話も、残念ながら聞いております。

嫁の実家の部落では、長年続いた地蔵盆も、
寂しいかな、少子高齢化で子供がいないせいもあり、
数年前、とうとう終止符を打ちました。
それまでは、テントを建てて、皆が食料やお酒を持ち寄り集まるのが、
夏の終わりの地域住民の親睦会の一つで、
私も、仕事の都合がつけば参加して、部落の方々との親睦を深めてきましたが、
今は、もうそれもありません。

今、こうしてこの文章を書いていて思うところがあるのですが、
古く小さな長屋・・・この家で育ったからこそ、
被差別部落問題をより理解できる、今があるのかもしれません。

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5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ブログ主さんは、部落の方とよく似た生活をしていたから、奥さんのご家族とも馴染んでいける素地があったのですね。

大川原英智 さんのコメント...

こんばんは。

部落はあたたかいところですよね。

スグムラさんのブログからは、そのことがよく伝わってきます。

僕が部落に心を寄せる理由の一つが、この「あたたかさ」です。

これからも、是非部落のよさを広めてくださいね。

毎日応援しています。

大川原英智 さんのコメント...

追伸。

あっ、失礼。

あわててお名前を、ミス入力してしまいました。

お詫びして、訂正いたします。

スギムラさんでした。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

匿名さん。
こんばんは。
誤解のないようにお願いしたいのですが、
部落が、特別なのではありません。
私の育った地域も、被差別部落も、「昔の日本の姿が残っている」と言うことです。

数十年前は、どこの地域もこのような感じだったのです。
隣家に、「醤油貸して」と言う関係だったのです。

古き良き日本の近所好きあいが、いまでも残っているのです。

「部落だから・・・」と言うのは、
間違いになります。

被差別部落の暮らし さんのコメント...

大河原先生。
いつも、ありがとうございます。
先の方のコメントにも書きましたが、
本当に、古き良き時代の日本が残っているところです。
こんな温かい部落が私は大好きです!

追伸
先生のブログもいつも拝見&
勉強させていただいております。
ありがとうございますm(__)m