~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年11月2日日曜日

原発と共に・・・:その4(完)/見て記・行って記・被差別歩記-2

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見て記・行って記・被差別歩記-2
「原発と共に・・・:その3」からの続きです(その3はコチラから)                       
  【   ←その1  ←その2  ←その3  】
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N地区体育館&I公園前の県道はこの半島の先まで続いているが、
いくつかのトンネルを抜け暫く走ると、
海岸沿いから少しずつ登りに入リ、NM部落の隣村の漁村を
過ぎた辺りから、道は断崖絶壁の上を走る。

その漁村集落では、原発を抱えた福井県では
普通に見掛ける事ができる“ある設備”を目にすることができる。

「モニタリングポスト」がそれだ。

福井県内に106箇所設置されているモニタリングポストは、
大気中の放射線量を観測する設備で、
県と原子力事業者(関電)が設置管理しているという。

このモニタリングポストには、
単に放射線量を測定するだけの施設と、
測定した放射線量を地域住民や通行者(車)に表示・告知する、
“掲示板機能”を持ったものが存在する。

漁村集落に有るのは後者の“掲示板機能付き”の方であるが、
私も目を通してみたが、よく意味がわからなかった。
地区住民のほとんどが高齢者の方のこの集落で、
この様な表示が理解できている方が、はたして何人おられるであろう。

それにしても、このポストが「異常」を表示すると言うこと自体、
すでに手遅れなわけで、そういう意味では、この手の設備に関しては、
どうも「気休め程度の役割しか担っていないのではないか」と
考えてしまうのは私だけではないはずだ。
 (*遅ればせながら・・・
 当ブログは原発の是非を問うものではない旨、お断りさせて頂く)

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車を走らせること10分ほどで断崖絶壁の県道は、
その着地点を目指すかのように徐々に緩やかに下がっていく。
その間にも、2つのモニタリングポストを通過して進むが、
当然のことながら、車を停めてポストの掲示板を見ている方は
誰一人として居なかった。

下り坂を降りきり、再び海が窓外に並ぶ頃、
目の前に大きな建造物が林立しているのが目に入る。

T原子力発電所。

大きな建造物の正体は原子炉だ。
それは、巨大なドラム缶の様な円柱型であり、或いはまた、
アラブのモスクを彷彿させる丸屋根の原子炉であった。

福井県・若狭の自然豊かな海辺に、突如として現れる原発。
その周りを厳重にとり囲む鉄格子に剣先フェンス、そして
警備員が常駐し、猫の子1匹たりとも中に入れないぞ!という意思表示は、
見るものを威圧するのに十分すぎる効果があった。
(かく言う私も、車を停めるのが憚られ、目の前を素通りするだけであるのだが・・・)

原発を目横にしながら暫く走るとO集落へ出るが、県道はここで終わり。
来た道を引き返すことになる。

原発停止後の若狭の海では、周辺海域の海水温が2℃ほど下がり、
海の生態系も著しく変わっているという。
いや、原発が出来る前の、本来の姿に戻ったと言ったほうがいいだろうか。
以前は、青や黄色の原色鮮やかな熱帯魚が泳いでいたものだが、

温暖化が叫ばれる現代において、
少々時代に逆行するのもいいことなのかもしれない。

O集落で折り返した私は、再びNM部落へ向けて車を進める。
時折、T原発の作業員を乗せたバスが1台、また1台と
すれ違いに原発へ向かう。

原発というのは、実に多くの労力を要するものであるが、
その中でも、このバスに乗った作業員達は、
下請け・孫請けの労働者達で、原発内でも非常に危険な
作業に従事しているケースが多い。

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以下、ある「原子力発電所関係業務会社」、
(つまり、関西電力の下請け・孫請け会社)の業務内容である。

・管理区域内の放射線測定管理業務
・使用済み燃料の輸送業務
・原子炉・タービン建屋・廃棄物処理屋内の清掃除染業務
・循環水管の点検工事業務
・各種サンプピットの点検清掃業務
(定検時、原子炉・タービン建屋・廃棄物処理建屋での廃液集中ピットの異常有無の点検)
・管理区域内作業服のランドリー業務

いずれも、非常に放射線量が高く危険な「原発最前線」での
作業であるが、これらの作業にNM部落民も従事しており、
原発で働く人の割合は、NM部落住民の60%に当たるという。

以前にも、「行って記・見て記・被差別歩記-1」で述べたのだが、
福井県内の原発は、いずれも被差別部落を有する地域に建てられており、
部落からの労働者も多いが、“被差別部落だから原発が建った”と言う、
差別行政が有った訳ではない。

この理由を詳しく述べるのはもう少し検証が必要であるが、
少なくとも現時点でわかっていることは、
原発を誘致した行政と、それを受け入れた住民の
「相互利益」の為といえるのだろう。

先にも書いたように、原発は多くの雇用を生み出し、
また、多額の補助金を生み出した。
道路は綺麗になり、運動公園や箱モノが造られた。
しかし、地域住民は生活の豊かさと引き換えに、
常に不安を持つ日常を送ることになってしまった。

それでも、彼らにとっての原発は、
今となっては無くてはならない存在だ。
原発がなければ生活が成り立たない。
原発は地域にとっては、将に命綱なのだ。

無論、今や原発の是非は、
地域のみならず、国を2分する状況であることは、
彼らも百も承知のうえである。

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再びNM部落へ帰ってきた。
車を停めて、大黒像のある海岸から海を眺めながら、
私は、あることを思い出しいていた。
 (印:地区保護の為、仮名・仮定しております)

実は以前、この部落の沢山の旅館について
一つの疑問を抱いていたのだ。

その疑問というのは・・・
「この旅館は夏以外はどうしているのであろう? 」ということである。
“どうしている?”というのは、所謂稼働率のことであるが、
夏は海水浴客が訪れる事で稼働率が上がるのは頷ける。

しかし、それ以外の時期は、さして観光地もないこの地で、
どうして経営が成り立つのか不思議で仕方なかったが、
何度かこの部落へ訪れるうち、「あぁ、なるほど!」と言う光景に出くわした。

ある日の夕方、旅館の前に止まったワゴン車から、
作業服に身を包んだ数名の男性が降り、旅館へ入っていった。
現場へ通っている経験値から、その男性たちが原発
で働く作業員であることは一目見て分かった。

そうなのだ。
NM部落の旅館群は「原発ジプシー」と言われる全国の原発を
渡り歩く作業員の定宿でもあったのだ。

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NM部落住民の60%が原発で働き、
なおかつ、地区内に存在する旅館群も
原発ジプシー達を受け入れる。
もはや、NM部落と原発は切っても切れない関係であるといえるし、
その周辺の一般地区に於いても又、同じ事が言えるであろう。
 
最後になったが、この浜は若狭湾からの日の出が見れる
数少ないビーチだという。
逆に若狭富士に沈む夕日もこれ又、見事なものである。

時計は午後6時。
今日も一日のフィールドワークを終え、
ゆっくりと沈む夕日に癒やされながら、
何気に振り返り海辺の大黒像を見上げた。

山に沈む前の、力強く最後の輝きを放つ夕日。
その燃ゆる夕日に照らされる大黒様
私を見てニッコリと微笑んでいた。


【完】

 
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見て記・行って記・被差別歩記-2
 「原発と共に・・・その4【完】」 
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