明けましておめでとうございます。
旧年中は、「被差別部落の暮らし」をお読みいただき、
ありがとうございました。
本年も引き続き、「内容の濃い」ブログとして、
被差別部落問題及び、あらゆる差別問題について、
書いていく所存でございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
平成28年 元旦
ブログ『被差別部落の暮らし』
主宰 スギムラ シンジ
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さて、皆様、新年は如何お過ごしでしたでしょうか?
ご自宅でゆっくりされた方・帰省された方・
ずっとお仕事されていた方・ご旅行に行かれたいた方・・・
様々なお正月があったかと存じます。
当方は、毎年のことながら、
妻の実家(=被差別部落)で新年を迎えました。
私の自宅から、父母の住む実家迄は車で5分。
妻の実家も、20分程なのでいずれも近いのですが、
私が、元旦しか休みがないこともあり、
妻は、早々と自分の実家へ帰省(という距離でもないですが・・・)しているので、
私も、新年は妻の実家で迎えます。
大晦日、仕事が終了するのが夜の10時頃なので、
それから妻の実家がある被差別部落に向かい、
12時前に、部落内の寺へ向かいます。
当部落は、中規模部落なので、寺も2寺ありますが、
かつては、部落内の寺は“穢多寺”、その僧は“穢僧”として、
宗派内でも差別の対象でした。
そして、部落内で死者が出た場合、
死者につけられる戒名も差別的な内容を含んでおり、
死して尚、差別の対象となっていた時代もありました。
そのような辛い歴史を背負っている部落の寺ですが、
大晦日には、「除夜の鐘」をつきに、部落の方々が集います。
妻も子もそして、甥っ子姪っ子も一緒に鐘をつきに行き、
煩悩を払います。
私なんぞは、煩悩だらけなので、
一回ついただけでは到底払われないのですが・・・
元旦は、私の実家へお年玉の回収(?)へ行き、
そのまま、自宅近くの氏神へ詣ります。
そして、又、妻の実家の部落へ戻り、
一家集合で正月を楽しみます。
私は、次の日から仕事ですので、
正月気分に浸れないまま、正月は早々終了(T_T)
例年、このような正月を過ごしています。
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思わず、話が長くなりましたが、改めて、今年もよろしくお願いします。
部落を皆さんに知ってもらいたい!
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3 件のコメント:
戦前生まれの父の話・・・
「穴掘りてつやん」という被差別民がいたそうです。
仕事は墓穴掘り。土葬だった田舎の話です。
さすがプロ!てつやんの掘った墓穴は、ピッタリ棺が収まったそうです。
正月になると、てつやんがカゴを背負ってご機嫌伺いにやってくる。
各家の子供は。モチをてつやんのカゴに投げ入れる。起用に受け止めるてつやん。
子供はおもしろがってモチを投げ入れたらしいです。
差別はあったかもしれないですが共存。賤業なくして生活は成り立たなかったと思います。
関東人さん
再度のコメント大変ありがとうございます!
当方忙しく、記事も、コメへの返答も遅くなっておりますが、
頂いたコメは、キチンと読み、その上で公開作業を行っておりますので、
これからもよろしくお願いします。
さて、今回の関東人さんのお父様のお話、
とても興味深いですね。
土葬ということで、結構古いお話とは存じますが、
短い文章の中にも、
当時の「被差別民の暮らし」が手に取るように伝わってきますね。
関東人さんがご指摘のように、
これまで被差別民が担ってきた職業は、
人々の生活に密着していたばかりか、
例えば、『神聖』とされる神社の神事で使われる草履も、
『穢』とされてきた被差別部落で担ってきました。
このようなことからも、
差別は、人々の誤解や国の差別制度から、
造られたものであり、人々の暮らしに部落は、
無くてはならない存在であったことは事実ですね。
ようやく隅から隅まで読み尽くしました。私の父が被差別部落の出身で、いろいろあって私自身も多少の関わりを持つに至ったのですが、実際の日常的な暮らしぶりについては疎いもので、部落の正月風景などはとても興味深く拝読させていただきました。故人となった父はあまり幼少期を語りたがらなかったので、今となってはもっと話を積極的に聞いてやれば良かったのかな、とちょっと後悔気味です。今後もご健勝ご健筆をお祈り申し上げます。
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