~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年4月20日日曜日

部落の同級生宅(生立ち編-21)

先日、「生い立ち編」の中で
隣保館に連れて行ってくれた同級生の話の続きです。

彼の家は、その部落の改良住宅の中でも
比較的新しく建てらてた内の1棟で、
縦横に走る大きな通りの角地に、L字型に建てられていました。
部落の改良住宅が、あたかも大きな壁のように、
外界との接触を避けているような建て方に、
中学生の頃の私は「部落民以外は入ってはいけない場所!!」
の様な感じがしてなりませんでした。

本当に、部落(同和地区)の建物は、
部落を囲むような建て方をしているので、
各所の部落を見るたびに、「もう少しオープンな建て方は出来んのかな?」
と思ってしまいます。
役所仕事って云うものが、そう言うものかもしれませんが・・・。
何と言いますか、風通しがいいと言いましょうか?
気軽に出入り出来る雰囲気と言いましょうか?
そう言う、建て方・街作りが出来ないものかと。

私の義母の部落に至っては、
「団地内に付、通りぬけご遠慮願います」みたいな
旨が書いてあるもんですから、
地区外の人が、尚更近寄りがたい存在になっているのでは
無いかと懸念しております。

「寝た子を起こすな」という考えも部落には未だ多いですが、
私個人としては、もっとオープンな交流があっていいと思います。
「部落」を隠すことなく、「部落」とは何なのか?を知ってもらい、
その上で、互いにわだかまりなく付き合いを していくことが、
真の部落解放につながっていくと思います。

「君はどこの出身ですか?」
「私は、東京出身です」
「あぁ、東京ですか!私は大阪です」
この会話に違和感がないように、
「君はどこの出身ですか?」
「私は○○部落の出身です」
「あぁ、○○部落ですか!」
と、違和感なく言えるようになっていきたいですし、
なっていくと信じています。

でも、その為にも部落のことを、
皆さんにも知っていただきたい。
それと、同時に部落の方々にも、
打ち解けあえる努力をしていただきたいです。

正直、部落の方々も、閉鎖的な部分は多いです。
どうしても、「中と外」と言う意識になってしまう。
この意識は、やはり、若者よりも年配の方々に多いですね。
今の、50代から下の世代は、
その様な意識は少なくなっていると思います。

年配の方々は、劣悪な環境で暮らし、
直接的な差別を経験された方も多く、
どうしても、閉鎖的になってしまわれるのも
やむおえないかもしれませんが、
差別を本気でなくすのであれば、
一般人と部落民、双方に努力が
いるのではないでしょうか。

そういう意味でも、現在多くの地区で、
一般人の改良住宅の入居募集や、
同和保育所の入所、隣保館の一般開放が
行われていることは、凄くいいことだと思います。

話がそれてしまいましたが、
くだんの同級生の家は、5階建て改良住宅の
最上階、5階の一室でした。
彼の棟は前途した通り、比較的新しかったため
未だ手を加えられておりませんでしたが、
その他の棟では、風呂が無いために、
ベランダ部分を増築して風呂を作ったり、
部屋を作ったりした、いわゆる出家(でや)がありました。

出家で有名なのは、今は取り壊された
大阪の「軍艦アパート」ですが、
そこまで大きくなくとも、各部落ではそのような
光景が多く見られました。

ちなみに、私の妻宅も旧棟に住んでいた時は、
ベランダに風呂を増築していたそうです。
妻の出身部落は、大きな部落でしたので、
公営浴場(部落民は市風呂と呼んでいます)までの
距離が遠い。
地区には年寄りも多いので、
その距離もつらいものがあったのです。
ちなみに、増築費用は各個人持ちで、
各々が工務店を手配して増築していたようです。
公営住宅の規約では、
増築は出来ないことになっているのですが、
行政も、そのあたりの事情はわかっているので、
各個人負担ということで容認しておりました。

おっと・・・
また、話がそれてしまいそうになりました。
どうも、書き始めると、あれもこれもという風に
書きたくなってしまします。
いけませんねぇ。

話を戻すと、
彼の家は、5階建ての最上階。
エレベーターはありませんでした。
劣悪な不良住宅時代から比べると
天と地程の差があり、住み良くなった
住宅ですが、それでも、エレベーター無しで
5階まで上がり降りするのは、
結構キツイと思います。

今は、耐用年数を過ぎた住宅が
新しく建て替えられ、ほとんどの住宅で
エレベーターが設置されるようになりましたが、
未だにこの様な旧棟は、各地区多く残っております。

室内も、新築に程近い棟なので、
かなりキレイでした。
入って、直ぐに小さな玄関(靴脱場)があり、
そこが、5~6畳ほどの台所でした。
トイレも近くにあったと思います。
そして、その奥に6畳と4畳半(どちらもうろ覚えの推定)
の2部屋ありました。
部屋に隣接して、洗濯機を置けるようになった
室内状のベランダがありました。

その時代の改良住宅のほとんどが、
その様な作りではなかったかと思います。
少なくとも、この市内では、
同じ仕様で建てられていたはずです。

室内は、キレイでしたね。
殆ど物がなかった記憶があります。
部落の人は、「整理整頓をしない!」
「部屋がキタナイ !」何て事を耳にしますが、
決してそんなことはありません。
キタナイ家もあるし、キレイな家もある。
その点は、一般地区と同じじゃないでしょうか。

家には、母親と、男性が2人おられました。
母親は、金髪でした。
今では、茶髪金髪は当たり前ですが、
当時は、金髪=不良と相場が決まっていたわけで、
それが、年の頃なら30後半~40代のお母さんが
金髪なのには、これはかなり違和感がありました。
衝撃的でしたね。
「やっぱり、部落は違う!」と思ったものです。
一方、男性のほうは、一人は父親のようでしたが、
もう一人は、若かったです。

この後、この家族を巡って、
もう一つの「衝撃」が走る事になるのですが、
それは、又、次回に。



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